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12章 禁忌の代償
152 絶対に死なせない
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ターメイヤの古文字を刻んだ炎が帯状に伸びて、背中からハロンにぐるりと絡みつく。
縄で締め上げるように智はその端を掴んで、力強く引き付けた。
陽炎を燻らせて炎が勢いを増す。
硬い皮膚を焼き付ける熱に、ハロンはダンと地面を足で打ち付けて赤い瞳の照準を智に移した。
「ヒルス……」
その姿を目の当たりにして、智は背筋を凍らせる。
ハロンの股の間に覗く彼女は、全身を血だらけにしてぐったりと地面に伏していた。
「何で、こんなことになってんだよ」
智はハロンを睨み上げる。炎の帯を手放すと、巨体に貼りついた赤がぐにゃりと波を打って弾けた。衝撃に鳴くハロンは無傷に近い。
さっきハロンが智の位置を離れてからそう時間は経っていないはずなのに、この二人の決着は既についていた。
ハロンは最初から咲を狙ってここに来たのだろうか。咲を殺そうとして攻撃したのだろうか。
か細い咲の気配に怒りが増して、智はハロンへ攻撃を仕掛ける。
ここは北の端だ。咲の倒れる隔離壁の側から離れようと長い尾の先に飛びつくと、ハロンは智を背負ったまま再び北を向いた。
バサリと羽ばたいた風に煽られて、智は数歩上った尾にしがみつく。
「外……?」
ハロンの巨体がフワリと舞い上がって、右手の先が壁を突いた。
湾曲した太い爪が壁に深く食い込んでいるのが分かって、智は「はぁ?」と驚愕する。
完璧なはずの空間隔離に溝があった。外の空気が入り込んでいることに気付いて、側の魔法陣を一瞥する。
「失敗してんの? これ……」
地中に沈めた魔法陣は、ルーシャの魔法で地表に現れる。
発動した魔法陣は光っている筈なのに、それは地面に浮き出たまま暗く機能していなかった。
「ヒルス……お前がここを守ったっていうのか?」
魔法使いの自分でさえ、今この瞬間まで気付けなかった。ルーシャも同じなのかもしれない。
感覚を研ぎ澄まさなければ分からないような違和感を、ハロンはあの広場で感じ取ったというのか。
ハロンが指先に力を込め、ギギギギッと音が響いた。空気が軋んで、辺り一帯に振動が広がる。
智は慌てて炎を投げた。
「駄目だ、壊れる」
この隔離を抜けて飛び立たれてしまっては、もう自分たちだけでは抑えようがない。
黒い渦を絡めた渾身の一撃を投げつけると、ハロンの爪が隔離壁の穴を離れた。その瞬間を狙って、智は別の炎を飛ばす。
ドロリと溶けた炎の塊が、ハロンの横を素通りしてビシャリと穴に命中した。
バリアのようなものだ。
ルーシャが来るまでの間を凌ぐには心許ないが、穴を塞いだことによって空気の流れは確実に変わる。
状況を本能的に理解しているのか、ハロンの動きが止まったのだ。
力を抜くように地面へ降下したハロンが、その重さでまた木を数本踏み倒した。
ここでハロンへ猛攻を仕掛けたいところだが、咲の様子が気になって仕方なかった。さっきからずっと地面に伏せたまま動かない。
近付きたいと思うけれど、ハロンがまた勢い付いたらと考えると、これ以上彼女を巻き込むわけにはいかなかった。
智は辺りを警戒して「そうだ」と南を見やる。
この間絢と魔法陣を描きに来た時、空間隔離以外にも幾つかの魔法陣を地中に埋め込んでいる。
その中にモンスターをおびき寄せる魔法陣もあった。使うのは初めてだが、智にも扱う事ができる。
ハロン以外にも敵が出ているこの空間で、どれだけの効果があるかは分からないけれど、ハロンの注意を逸らすことができればと思う。
ここから南に百メートル。その位置を遠隔に狙って、文言を唱える。
「頼むよ」
一か八かの魔法は、南の空に黄色い光を放つ。
ハロンはギャアと短く鳴いて、その方角へと首を振った。足に貼りついた雪を落としながら、巨体が再び飛び上がる。
向こうに居るのが湊やみさぎなら心配はないだろう。
遠ざかる背中を緊張の面持ちで見送って、智は「よし」と頭上へ向けて右手を伸ばした。
人差し指の先から炎の球を打ち上げて、咲の側へ駆け寄る。
火球の打ち上げは、怪我人の居る合図だ。絢に届けばいいと思う。
「ヒルス、生きてるか? ヒルス!」
何度も声を掛けると瞼が震えて、咲が弱々しく目を開いた。全身は動かない。
良かったと安堵したものの、それがあまり良くない状況だというのは目に見えて分かった。
「ごめんな、もっと早く来たかったんだけど」
「僕はもうダメなのかな……」
「馬鹿言うなよ。お前は俺が守るって言っただろ? 絶対に死なせないからな?」
「そうだったな……ッ」
痛みに言葉が詰まって、ゲホリと咳込む。口元に血液が溢れて、智は「ヒルス」と咲の虚ろな目を覗き込んだ。
「もういいから、大人しくしてろ。もう少し頑張ってくれよ。お前がここを、この壁を守ったんだぞ? サイッコーじゃねぇか」
「なら、良かった。僕も役に……立て、たんだね。智はもう、泣くなよ……」
ぐったりと目を閉じて、咲は口元でそっと笑んだ。
泣いている自覚なんてないのに、不安と恐怖でずっと手が震えている。
「ありがとな、アッシュ」
「ヒルス!」
智は縋りつくように、咲にそっと抱き着いた。
脈はある。気配はある。まだ生きてはいるけれど──全身の傷が酷すぎて、簡単に動かすことはできない。
どうすればいい?
そう思った時、ポケットの中で智のスマホが音を立てて鳴り響いた。
縄で締め上げるように智はその端を掴んで、力強く引き付けた。
陽炎を燻らせて炎が勢いを増す。
硬い皮膚を焼き付ける熱に、ハロンはダンと地面を足で打ち付けて赤い瞳の照準を智に移した。
「ヒルス……」
その姿を目の当たりにして、智は背筋を凍らせる。
ハロンの股の間に覗く彼女は、全身を血だらけにしてぐったりと地面に伏していた。
「何で、こんなことになってんだよ」
智はハロンを睨み上げる。炎の帯を手放すと、巨体に貼りついた赤がぐにゃりと波を打って弾けた。衝撃に鳴くハロンは無傷に近い。
さっきハロンが智の位置を離れてからそう時間は経っていないはずなのに、この二人の決着は既についていた。
ハロンは最初から咲を狙ってここに来たのだろうか。咲を殺そうとして攻撃したのだろうか。
か細い咲の気配に怒りが増して、智はハロンへ攻撃を仕掛ける。
ここは北の端だ。咲の倒れる隔離壁の側から離れようと長い尾の先に飛びつくと、ハロンは智を背負ったまま再び北を向いた。
バサリと羽ばたいた風に煽られて、智は数歩上った尾にしがみつく。
「外……?」
ハロンの巨体がフワリと舞い上がって、右手の先が壁を突いた。
湾曲した太い爪が壁に深く食い込んでいるのが分かって、智は「はぁ?」と驚愕する。
完璧なはずの空間隔離に溝があった。外の空気が入り込んでいることに気付いて、側の魔法陣を一瞥する。
「失敗してんの? これ……」
地中に沈めた魔法陣は、ルーシャの魔法で地表に現れる。
発動した魔法陣は光っている筈なのに、それは地面に浮き出たまま暗く機能していなかった。
「ヒルス……お前がここを守ったっていうのか?」
魔法使いの自分でさえ、今この瞬間まで気付けなかった。ルーシャも同じなのかもしれない。
感覚を研ぎ澄まさなければ分からないような違和感を、ハロンはあの広場で感じ取ったというのか。
ハロンが指先に力を込め、ギギギギッと音が響いた。空気が軋んで、辺り一帯に振動が広がる。
智は慌てて炎を投げた。
「駄目だ、壊れる」
この隔離を抜けて飛び立たれてしまっては、もう自分たちだけでは抑えようがない。
黒い渦を絡めた渾身の一撃を投げつけると、ハロンの爪が隔離壁の穴を離れた。その瞬間を狙って、智は別の炎を飛ばす。
ドロリと溶けた炎の塊が、ハロンの横を素通りしてビシャリと穴に命中した。
バリアのようなものだ。
ルーシャが来るまでの間を凌ぐには心許ないが、穴を塞いだことによって空気の流れは確実に変わる。
状況を本能的に理解しているのか、ハロンの動きが止まったのだ。
力を抜くように地面へ降下したハロンが、その重さでまた木を数本踏み倒した。
ここでハロンへ猛攻を仕掛けたいところだが、咲の様子が気になって仕方なかった。さっきからずっと地面に伏せたまま動かない。
近付きたいと思うけれど、ハロンがまた勢い付いたらと考えると、これ以上彼女を巻き込むわけにはいかなかった。
智は辺りを警戒して「そうだ」と南を見やる。
この間絢と魔法陣を描きに来た時、空間隔離以外にも幾つかの魔法陣を地中に埋め込んでいる。
その中にモンスターをおびき寄せる魔法陣もあった。使うのは初めてだが、智にも扱う事ができる。
ハロン以外にも敵が出ているこの空間で、どれだけの効果があるかは分からないけれど、ハロンの注意を逸らすことができればと思う。
ここから南に百メートル。その位置を遠隔に狙って、文言を唱える。
「頼むよ」
一か八かの魔法は、南の空に黄色い光を放つ。
ハロンはギャアと短く鳴いて、その方角へと首を振った。足に貼りついた雪を落としながら、巨体が再び飛び上がる。
向こうに居るのが湊やみさぎなら心配はないだろう。
遠ざかる背中を緊張の面持ちで見送って、智は「よし」と頭上へ向けて右手を伸ばした。
人差し指の先から炎の球を打ち上げて、咲の側へ駆け寄る。
火球の打ち上げは、怪我人の居る合図だ。絢に届けばいいと思う。
「ヒルス、生きてるか? ヒルス!」
何度も声を掛けると瞼が震えて、咲が弱々しく目を開いた。全身は動かない。
良かったと安堵したものの、それがあまり良くない状況だというのは目に見えて分かった。
「ごめんな、もっと早く来たかったんだけど」
「僕はもうダメなのかな……」
「馬鹿言うなよ。お前は俺が守るって言っただろ? 絶対に死なせないからな?」
「そうだったな……ッ」
痛みに言葉が詰まって、ゲホリと咳込む。口元に血液が溢れて、智は「ヒルス」と咲の虚ろな目を覗き込んだ。
「もういいから、大人しくしてろ。もう少し頑張ってくれよ。お前がここを、この壁を守ったんだぞ? サイッコーじゃねぇか」
「なら、良かった。僕も役に……立て、たんだね。智はもう、泣くなよ……」
ぐったりと目を閉じて、咲は口元でそっと笑んだ。
泣いている自覚なんてないのに、不安と恐怖でずっと手が震えている。
「ありがとな、アッシュ」
「ヒルス!」
智は縋りつくように、咲にそっと抱き着いた。
脈はある。気配はある。まだ生きてはいるけれど──全身の傷が酷すぎて、簡単に動かすことはできない。
どうすればいい?
そう思った時、ポケットの中で智のスマホが音を立てて鳴り響いた。
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