157 / 190
11章 空を開いた脅威
143 哀しいキス
しおりを挟む
「智くん……」
涙交じりの一華の声に足を止めて、みさぎは下駄箱の陰に身を潜めた。冷え切った空気に自分の肩を抱いて、少しでもと体温を留める。
二人は昇降口から出た所に居るが、一人通れるほどの隙間が空いていて声がはっきりと聞こえた。
ダッフルコートを肩に掛けた一華の目元は良く見えなかったが、嗚咽を漏らした彼女を智が両腕で抱き締める。
智は魔法使いだ。慌ててみさぎが気配を消した所で、とっくに気付いているだろう。
聞き耳を立てるなんて良くないと今更ながらに思ったが、そこから動くことができなかった。
もう夜も大分遅い。
二人がここで会った経緯は分からないが、恋人同士の密会なんて甘い雰囲気は全くなかった。バーベキューの時の余所余所しさも、きっと絡んでいるのだろう。
「俺、この戦いに決着が付いたら、お前とターメイヤに戻るよ」
智が「一華」と名前を呼んで、彼女の頭を胸に抱いた。
一華は返事をしなかった。肩を震わせるように首を横に振る。
「肉体ごと転移できるなら、俺だって向こうに行けるだろ?」
「駄目よ。貴方はこの世界の人なのよ? こっちの家族を捨てて、突然いなくなるつもり? 私たちとは同じじゃないの。その身体が移動に耐えられるとは限らないのよ?」
「俺は、お前とまた別れるくらいなら、こっちに未練はないよ」
「駄目!」
一華は「駄目」を繰り返して顔を上げた。
月明かりに照らされた彼女の顔は、涙でいっぱいになっている。
このハロン戦が終わったら、大人組はターメイヤに戻るのだと彼女から聞いている。そのことを智には内緒にしてくれと言われていたが、実際はバレてしまったんだろう。
その現実を知った智が選ぼうとした選択を、一華はハッキリと否定する。
智の胸を握り締めた一華の手に、ぎゅっと力が籠った。
「もう、大事な人を失いたくないの」
十年前、ターメイヤから日本への転移で、一華は一緒に来た祖父のダルニーを亡くしている。
みさぎは、メラーレが小さい頃からお爺ちゃん子なのを知っている。だから、彼女の想いは痛いほどわかった。
「俺を失うとか思ってる? そんな心配されたら、俺はお前を諦めるなんてできないよ」
智は泣き出した一華にキスをする。激しいキスだ。
こんな哀しいキスは見たくなかった。
みさぎはそっと足を引いて、その場を離れた。
☆
和室に戻り、足を忍ばせて布団へ潜り込む。
仰向けに目を瞑る咲は熟睡中で、何か口を動かしながら「むにゃむにゃ」と音を立てている。
湊はみさぎの布団の方へ身体を向けていた。布団と布団の距離は、枕一つ分ほどだ。
勿論寝ていると思ったのに、彼の寝顔を覗き込んだ途端、パチリと目が開いた。
「みさぎ」
はっきりした声で呼ばれた衝撃に、悲鳴を上げそうになった。
素早く伸びた彼の手が「静かに」とみさぎの口を押さえつける。驚いた顔を硬直させたまま頷くと、湊はその手でみさぎの頭を撫でた。
そっと寄せられた身体に、ドキドキした心臓が全然静まってくれない。
ただし、じっと見つめる彼の目はじっとりと嫉妬を含んでいた。
「智の所行ってたの?」
「ごめん」
みさぎは肩をすくめるように頭を下げる。
「湊くんも起きてたの?」
「みさぎが出ていく時の音で気付いたんだよ。智も居なかったし」
彼も寝付けなかったのだろうか。絢に早く寝ろと言われたものの、こんな時に咲のように熟睡できるのはある意味特技だと言えるのかもしれない。
「智くんが起きてたから、少し話でもしようと思ったんだけど……」
さっき見たシーンが浮かんで、込み上げた思いにそれ以上話すことができなかった。
一華の涙への不安があのキスに全部持っていかれてしまい、みさぎは恥ずかしくなって湊から目を逸らす。
湊はそんなみさぎの葛藤に気付くこともなく、「しょうがないな」と苦笑した。
「何か見た?」
「……うん」
頷くと遠くに足音が聞こえて、みさぎは「智くんだ」と囁く。
彼が戻ってきた。
起きていたんだと誤魔化すこともできずに息を潜めると、湊が自分の布団に戻って枕元に出たみさぎの手を握り締めた。
外の空気に冷えた手に、彼の体温が滲んでいく。
湊の口が「寝よう」と動いて、みさぎは「おやすみなさい」と目を閉じる。
彼との距離と、さっき見たキスと、付け足したようなハロンへの恐怖が入り混じってまた寝ることができない。
流石に二日目の夜更かしは睡魔が下りてきてくれたが、寝付いたのは日を跨いだころだった。
そして目覚めは突然にやってくる。
湊が悪夢に叫び声を上げたのだ。
涙交じりの一華の声に足を止めて、みさぎは下駄箱の陰に身を潜めた。冷え切った空気に自分の肩を抱いて、少しでもと体温を留める。
二人は昇降口から出た所に居るが、一人通れるほどの隙間が空いていて声がはっきりと聞こえた。
ダッフルコートを肩に掛けた一華の目元は良く見えなかったが、嗚咽を漏らした彼女を智が両腕で抱き締める。
智は魔法使いだ。慌ててみさぎが気配を消した所で、とっくに気付いているだろう。
聞き耳を立てるなんて良くないと今更ながらに思ったが、そこから動くことができなかった。
もう夜も大分遅い。
二人がここで会った経緯は分からないが、恋人同士の密会なんて甘い雰囲気は全くなかった。バーベキューの時の余所余所しさも、きっと絡んでいるのだろう。
「俺、この戦いに決着が付いたら、お前とターメイヤに戻るよ」
智が「一華」と名前を呼んで、彼女の頭を胸に抱いた。
一華は返事をしなかった。肩を震わせるように首を横に振る。
「肉体ごと転移できるなら、俺だって向こうに行けるだろ?」
「駄目よ。貴方はこの世界の人なのよ? こっちの家族を捨てて、突然いなくなるつもり? 私たちとは同じじゃないの。その身体が移動に耐えられるとは限らないのよ?」
「俺は、お前とまた別れるくらいなら、こっちに未練はないよ」
「駄目!」
一華は「駄目」を繰り返して顔を上げた。
月明かりに照らされた彼女の顔は、涙でいっぱいになっている。
このハロン戦が終わったら、大人組はターメイヤに戻るのだと彼女から聞いている。そのことを智には内緒にしてくれと言われていたが、実際はバレてしまったんだろう。
その現実を知った智が選ぼうとした選択を、一華はハッキリと否定する。
智の胸を握り締めた一華の手に、ぎゅっと力が籠った。
「もう、大事な人を失いたくないの」
十年前、ターメイヤから日本への転移で、一華は一緒に来た祖父のダルニーを亡くしている。
みさぎは、メラーレが小さい頃からお爺ちゃん子なのを知っている。だから、彼女の想いは痛いほどわかった。
「俺を失うとか思ってる? そんな心配されたら、俺はお前を諦めるなんてできないよ」
智は泣き出した一華にキスをする。激しいキスだ。
こんな哀しいキスは見たくなかった。
みさぎはそっと足を引いて、その場を離れた。
☆
和室に戻り、足を忍ばせて布団へ潜り込む。
仰向けに目を瞑る咲は熟睡中で、何か口を動かしながら「むにゃむにゃ」と音を立てている。
湊はみさぎの布団の方へ身体を向けていた。布団と布団の距離は、枕一つ分ほどだ。
勿論寝ていると思ったのに、彼の寝顔を覗き込んだ途端、パチリと目が開いた。
「みさぎ」
はっきりした声で呼ばれた衝撃に、悲鳴を上げそうになった。
素早く伸びた彼の手が「静かに」とみさぎの口を押さえつける。驚いた顔を硬直させたまま頷くと、湊はその手でみさぎの頭を撫でた。
そっと寄せられた身体に、ドキドキした心臓が全然静まってくれない。
ただし、じっと見つめる彼の目はじっとりと嫉妬を含んでいた。
「智の所行ってたの?」
「ごめん」
みさぎは肩をすくめるように頭を下げる。
「湊くんも起きてたの?」
「みさぎが出ていく時の音で気付いたんだよ。智も居なかったし」
彼も寝付けなかったのだろうか。絢に早く寝ろと言われたものの、こんな時に咲のように熟睡できるのはある意味特技だと言えるのかもしれない。
「智くんが起きてたから、少し話でもしようと思ったんだけど……」
さっき見たシーンが浮かんで、込み上げた思いにそれ以上話すことができなかった。
一華の涙への不安があのキスに全部持っていかれてしまい、みさぎは恥ずかしくなって湊から目を逸らす。
湊はそんなみさぎの葛藤に気付くこともなく、「しょうがないな」と苦笑した。
「何か見た?」
「……うん」
頷くと遠くに足音が聞こえて、みさぎは「智くんだ」と囁く。
彼が戻ってきた。
起きていたんだと誤魔化すこともできずに息を潜めると、湊が自分の布団に戻って枕元に出たみさぎの手を握り締めた。
外の空気に冷えた手に、彼の体温が滲んでいく。
湊の口が「寝よう」と動いて、みさぎは「おやすみなさい」と目を閉じる。
彼との距離と、さっき見たキスと、付け足したようなハロンへの恐怖が入り混じってまた寝ることができない。
流石に二日目の夜更かしは睡魔が下りてきてくれたが、寝付いたのは日を跨いだころだった。
そして目覚めは突然にやってくる。
湊が悪夢に叫び声を上げたのだ。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説

TS転移勇者、隣国で冒険者として生きていく~召喚されて早々、ニセ勇者と罵られ王国に処分されそうになった俺。実は最強のチートスキル持ちだった~
夏芽空
ファンタジー
しがないサラリーマンをしていたユウリは、勇者として異世界に召喚された。
そんなユウリに対し、召喚元の国王はこう言ったのだ――『ニセ勇者』と。
召喚された勇者は通常、大いなる力を持つとされている。
だが、ユウリが所持していたスキルは初級魔法である【ファイアボール】、そして、【勇者覚醒】という効果の分からないスキルのみだった。
多大な準備を費やして召喚した勇者が役立たずだったことに大きく憤慨した国王は、ユウリを殺処分しようとする。
それを知ったユウリは逃亡。
しかし、追手に見つかり殺されそうになってしまう。
そのとき、【勇者覚醒】の効果が発動した。
【勇者覚醒】の効果は、全てのステータスを極限レベルまで引き上げるという、とんでもないチートスキルだった。
チートスキルによって追手を処理したユウリは、他国へ潜伏。
その地で、冒険者として生きていくことを決めたのだった。
※TS要素があります(主人公)
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

ブラックギルドマスターへ、社畜以下の道具として扱ってくれてあざーす!お陰で転職した俺は初日にSランクハンターに成り上がりました!
仁徳
ファンタジー
あらすじ
リュシアン・プライムはブラックハンターギルドの一員だった。
彼はギルドマスターやギルド仲間から、常人ではこなせない量の依頼を押し付けられていたが、夜遅くまで働くことで全ての依頼を一日で終わらせていた。
ある日、リュシアンは仲間の罠に嵌められ、依頼を終わらせることができなかった。その一度の失敗をきっかけに、ギルドマスターから無能ハンターの烙印を押され、クビになる。
途方に暮れていると、モンスターに襲われている女性を彼は見つけてしまう。
ハンターとして襲われている人を見過ごせないリュシアンは、モンスターから女性を守った。
彼は助けた女性が、隣町にあるハンターギルドのギルドマスターであることを知る。
リュシアンの才能に目をつけたギルドマスターは、彼をスカウトした。
一方ブラックギルドでは、リュシアンがいないことで依頼達成の効率が悪くなり、依頼は溜まっていく一方だった。ついにブラックギルドは町の住民たちからのクレームなどが殺到して町民たちから見放されることになる。
そんな彼らに反してリュシアンは新しい職場、新しい仲間と出会い、ブッラックギルドの経験を活かして最速でギルドランキング一位を獲得し、ギルドマスターや町の住民たちから一目置かれるようになった。
これはブラックな環境で働いていた主人公が一人の女性を助けたことがきっかけで人生が一変し、ホワイトなギルド環境で最強、無双、ときどきスローライフをしていく物語!

日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

俺だけに効くエリクサー。飲んで戦って気が付けば異世界最強に⁉
まるせい
ファンタジー
異世界に召喚された熱海 湊(あたみ みなと)が得たのは(自分だけにしか効果のない)エリクサーを作り出す能力だった。『外れ異世界人』認定された湊は神殿から追放されてしまう。
貰った手切れ金を元手に装備を整え、湊はこの世界で生きることを決意する。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。


巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する
高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。
手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる