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10章 戦いの準備を
131.5 【番外編】あの時
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初めて前世の記憶を思い出したのは、小一の時だ。
夢に見た過去に「忘れてた!」と飛び起きて、ワクワクしたのを覚えている。
『運命が貴方を導いてくれるわ』
転生前、ルーシャにそんなことを言われた。
だからきっと先に行った三人は近くにいると思ったのに、現実というのはうまくいかないもので、誰とも会えないまま月日だけ流れていく。
咲に運命の兆しが見えたのは、小四の時だ。
春に中学を卒業する姉の凜に合わせて、父親が家を建てると言い出したのだ。
広井町の狭いマンションを出て、『豪邸を建ててやる』と豪語した時はまさかと思ったけれど、その場所を聞いて納得した。
広井町から三駅も離れたド田舎だったからだ。
広井町とはまるで違う環境に母親と凜は反対したけれど、咲は大賛成だった。
きっとそこにリーナたち三人がいると信じていた──のに。
「誰も居ないじゃないか……」
小五になったばかりの転校初日、咲は黒板の前で挨拶し、愕然とした。
咲は魔法使いではないけれど、リーナを見間違えない自信はあった。長い付き合いのアッシュも気付けるだろうと思っていたし、嫌な奴ほど間違えないという理屈でラルも分かる筈だ。
なのに、たったの十人しかいない同級生の中にその三人は誰一人と居なかったのだ。
突き付けられた現実に言葉を失って、何も言えずに俯いていると、
「ずっげぇ可愛い!」
教室の後ろで、一人の男子が声を上げた。ちょっと意識の高そうな、いわゆる『カッコつけ男子』だ。不快感を示す女子の視線に、彼のポジションがなんとなく理解できる。
だいたい可愛いなんて褒め言葉は、咲にとって「おはよう」と同じくらい聞き慣れたものだった。そんな軽い言葉では、どん底に落ちた咲の気持ちを浮上させることはできない。
今日は転校初日という事で張り切った凛が早起きして支度してくれたのに、何だか空しくなってしまう。
誰にもまだ会えていない焦りと孤独に押しつぶされそうだった。
日本への転生は、向こうで死んだ順だと咲は思っている。
最初にアッシュたちが崖を飛び降りてからヒルスが火炙りになるまでの期間は八ヶ月。咲の誕生日は十二月で、逆算するとアッシュたちはギリギリ四月生まれになる。
何かのズレで学年が変わってしまったのかもという望みをかけて六年生の教室も覗いてみたが、その姿を見つけることはできなかった。
呆然とした帰り道、後ろからまたあの男子に声を掛けられた。
「咲ちゃん、待って」
ガチャガチャと軽いランドセルを鳴らしながら、彼は隣に並んでカッコつけた笑顔を向けてくる。
初日からそんな馴れ馴れしく来る奴なんて珍しいと思った。前の学校では男子と居ることが多かったし、よく喧嘩もしていたけれど、彼が咲に向けてくる視線はそんな奴等とはちょっと違っている気がした。
「鈴木……くん?」
「えっ、そうだよ。咲ちゃん、俺の事覚えてくれたの?」
胸にある名札を読んだだけなのに、鈴木は舞い上がって破顔する。
「俺、駅の側に住んでるんだ。咲ちゃんの家の近くだよ。咲ちゃんが引っ越してきた時に見掛けて、可愛いなってずっと気になってたんだけど、本当にめちゃくちゃ可愛かった!」
凜が良く外では誰が見ているか分からないと言って、やたら咲の服装を注意してくるが、この瞬間程それを実感したことはなかった。これがテレビでよく見るストーカーというやつだろうか。
「私の事知ってたんだ……」
初めてのタイプに調子が狂う。
こういう時はありがとうとでも言っておけばいいのか、と眉をしかめたまま鈴木を見ていると、彼はあろうことか咲に告白をしてきた。
「咲ちゃん、俺と付き合わない?」
「──はぁ?」
「別に付き合うって言っても、今は一緒に学校行ったり遊んだりするってことだよ?」
ただでさえ今日は虫の居所が悪かった。
『海堂咲』という人間は、ヒルスの『殻』のようなものだと思っている。だから咲は男になんて興味ないし、だからと言って女子が好きなわけでもない。
ヒルスにとっても咲にとっても初めての告白は、咲の逆鱗に触れた。
「断る。会ったその日にそんなこという奴、信用できないね。学校くらい一人で行けるから」
きっぱりと言い放ち、咲は逃げるように家へ帰った。
☆
全然嬉しくなかった。
今日はリーナに会えると思っていたのだ。
「期待なんて、しなきゃ良かった」
「リーナ」と何度も声にして、枕に泣き顔を押し付けた。
この町にも彼女はいないのだろうか。初めて一人部屋を貰って泣くには都合が良かったけれど、泣き声は廊下まで筒抜けだった。
心配した凜が、夕飯の前に部屋にやって来る。
「他の子とうまくいかなかったの?」
「そう言うのは別に何でもなかったよ。けど、思ってたのと違かった」
今日もしリーナに会えたら、アッシュに会えたら──と朝までたくさんシミュレーションしていた。楽しくてたまらない事ばかり思い浮かべて期待を膨らませていたのに、ラルへ「お前になんて会いたくなかった」という嫌味さえ言ってやることができなかった。
「まぁ慣れるしかないわね。今日は久しぶりに一緒の部屋で寝ましょうか?」
「うん」
初めてできた姉が彼女で良かったと思う。凜は男のように振舞う咲に文句を言いながらも、それなりに認めてくれた。
こんな辺ぴな町へ来てしまったけれど、やっぱりあの町にリーナが居たのかもしれないと思って、咲は次の休みに一人で広井町へ向かった。
前の学校の友達に会って来ると嘘をついて、初めて一人で電車に乗る。
魔法使いのような感覚はないが、まだ行ったことのない地域をただ闇雲に探した。
別の学校を覗いてみたり、スーパーをうろついてみたり、広井町で一番大きな神社で神頼みもしたのに、結局誰にも会うことができなかった。
夕方になってもうタイムリミットだと駅へ戻ると、人のごった返す構内で咲は方向を見失ってしまう。
「どっち……だっけ」
広井町の駅は広い。出口が何個もあって、路線も一つじゃなかった。
電車に乗る事なんて大したことないと思っていたのに、ここでピンチに陥ってしまう。
切符売り場を探してうろついていると、後ろから突然腕を掴まれた。
「みさぎ」
知らない名前で呼ばれて、「うわぁああ」とびっくりして振り返る。
知らない男だった。
中学か高校生くらいだろうか。咲の腕を掴んだまま、相手も驚いた顔をする。
人違いだったようだ。
彼は「ごめん」と謝って手を離す。
「妹だと思って。迎えに来たんだけど、同じくらいの歳だから間違っちゃった」
咲を覗き込んだ顔が緩く笑む。
「可愛いね。うちの妹とは大違いだ」
容姿を褒められるのは慣れている。鈴木に言われた時は嫌だったけれど、今は少し嬉しいと思った。
「それより、さっきキョロキョロしてたけど、誰か探してた?」
「えっと……」
初対面の彼に、聞いてもいいのだろうか。少し不安になったけれど、剥き出しの警戒心を解くように笑い掛けてきた彼に、咲はホッとして尋ねた。
「切符売り場が分からなくなって。改札も……」
「どこまで?」
「白樺台です」
彼はちょっと首を捻った後、「あぁ」と頷く。
「結構遠いとこから来たんだね。こっちだよ」
先導する彼を追うと、あっという間に切符売り場についた。
「ありがとうございます」
「電車はそこの改札から入って、二番ホームだから」
丁寧に説明をして、彼は「気を付けてね」とあっさり行ってしまった。
優しい人だったなと思いながら、咲は切符を買って言われた通り改札へ向かった。
もう少しここに居たら、リーナに会えるような気がしてしまう。諦めが悪いぞと自分に言い聞かせるが、寂しさは募るばかりだ。
「リーナ……」
吐き出した想いに呼応するように、背後で少女の声が聞こえた気がした。
「お兄ちゃん!」
それは幻聴だったのだろうか。立ち止まった足が震えた。
振り返った先にリーナはいない。人が通り過ぎる波に駆け込むが、駅に留まりたい気持ちを打ち消すように、電車の発車アナウンスが流れた。これを逃すと次は一時間以上先になってしまう。
咲は衝動を押し殺して電車に駆け込んだ。
誰も居ない車両で泣きながら白樺台に戻ると、駅前の道で知らない女に声を掛けられた。
「何しょんぼりしてるのよ」
やたら大きい胸をアピールするようなぴったりとしたシャツを着た彼女を怪しく思って、咲は黙って睨みつける。
「そんな泣き顔で家に帰るつもり? 何なら落ち着くまで休んでいってもいいわよ。ジュースくらい奢ってあげるわ」
女はすぐ後ろの店を指差した。白樺台の駅前で唯一の商店だ。
確かにこの顔で家に戻りたくはなかったけれど、その辺を適当に歩いて夕方の涼しい風に当たっていれば落ち着くだろうと思った。
「知らない人に食べ物を貰っちゃいけないって言われてるから」
「あら、意外と真面目なのね。まぁ慈善事業だとでも思って貰えればいいわ。ここ私の店だから、今度買い物にでも来てくれればいいわよ」
「そうだったんだ」
咲を表のベンチに座らせて、女は店からジュースの入ったカップを持ってきた。たくさんの泡がパチパチと弾けるそれは、初めて飲むメロンソーダだ。
「ありがとうございます」
「いいのよ。それより町に行ってきたの? 捜していた人は見つからなかった?」
「私が誰かを捜してたって分かるのか?」
「勘よ」
女はニコリと笑って咲の横に腰を下ろす。
凜とは違う、大人の女性の匂いがした。
「まぁいずれ会えるわよ。運命が貴女を導いてくれるわ」
彼女はルーシャと同じことを言った。
何も事情を知らない彼女の言葉が現実になったのは、それから五年後──高校入試の説明会の時だった。
夢に見た過去に「忘れてた!」と飛び起きて、ワクワクしたのを覚えている。
『運命が貴方を導いてくれるわ』
転生前、ルーシャにそんなことを言われた。
だからきっと先に行った三人は近くにいると思ったのに、現実というのはうまくいかないもので、誰とも会えないまま月日だけ流れていく。
咲に運命の兆しが見えたのは、小四の時だ。
春に中学を卒業する姉の凜に合わせて、父親が家を建てると言い出したのだ。
広井町の狭いマンションを出て、『豪邸を建ててやる』と豪語した時はまさかと思ったけれど、その場所を聞いて納得した。
広井町から三駅も離れたド田舎だったからだ。
広井町とはまるで違う環境に母親と凜は反対したけれど、咲は大賛成だった。
きっとそこにリーナたち三人がいると信じていた──のに。
「誰も居ないじゃないか……」
小五になったばかりの転校初日、咲は黒板の前で挨拶し、愕然とした。
咲は魔法使いではないけれど、リーナを見間違えない自信はあった。長い付き合いのアッシュも気付けるだろうと思っていたし、嫌な奴ほど間違えないという理屈でラルも分かる筈だ。
なのに、たったの十人しかいない同級生の中にその三人は誰一人と居なかったのだ。
突き付けられた現実に言葉を失って、何も言えずに俯いていると、
「ずっげぇ可愛い!」
教室の後ろで、一人の男子が声を上げた。ちょっと意識の高そうな、いわゆる『カッコつけ男子』だ。不快感を示す女子の視線に、彼のポジションがなんとなく理解できる。
だいたい可愛いなんて褒め言葉は、咲にとって「おはよう」と同じくらい聞き慣れたものだった。そんな軽い言葉では、どん底に落ちた咲の気持ちを浮上させることはできない。
今日は転校初日という事で張り切った凛が早起きして支度してくれたのに、何だか空しくなってしまう。
誰にもまだ会えていない焦りと孤独に押しつぶされそうだった。
日本への転生は、向こうで死んだ順だと咲は思っている。
最初にアッシュたちが崖を飛び降りてからヒルスが火炙りになるまでの期間は八ヶ月。咲の誕生日は十二月で、逆算するとアッシュたちはギリギリ四月生まれになる。
何かのズレで学年が変わってしまったのかもという望みをかけて六年生の教室も覗いてみたが、その姿を見つけることはできなかった。
呆然とした帰り道、後ろからまたあの男子に声を掛けられた。
「咲ちゃん、待って」
ガチャガチャと軽いランドセルを鳴らしながら、彼は隣に並んでカッコつけた笑顔を向けてくる。
初日からそんな馴れ馴れしく来る奴なんて珍しいと思った。前の学校では男子と居ることが多かったし、よく喧嘩もしていたけれど、彼が咲に向けてくる視線はそんな奴等とはちょっと違っている気がした。
「鈴木……くん?」
「えっ、そうだよ。咲ちゃん、俺の事覚えてくれたの?」
胸にある名札を読んだだけなのに、鈴木は舞い上がって破顔する。
「俺、駅の側に住んでるんだ。咲ちゃんの家の近くだよ。咲ちゃんが引っ越してきた時に見掛けて、可愛いなってずっと気になってたんだけど、本当にめちゃくちゃ可愛かった!」
凜が良く外では誰が見ているか分からないと言って、やたら咲の服装を注意してくるが、この瞬間程それを実感したことはなかった。これがテレビでよく見るストーカーというやつだろうか。
「私の事知ってたんだ……」
初めてのタイプに調子が狂う。
こういう時はありがとうとでも言っておけばいいのか、と眉をしかめたまま鈴木を見ていると、彼はあろうことか咲に告白をしてきた。
「咲ちゃん、俺と付き合わない?」
「──はぁ?」
「別に付き合うって言っても、今は一緒に学校行ったり遊んだりするってことだよ?」
ただでさえ今日は虫の居所が悪かった。
『海堂咲』という人間は、ヒルスの『殻』のようなものだと思っている。だから咲は男になんて興味ないし、だからと言って女子が好きなわけでもない。
ヒルスにとっても咲にとっても初めての告白は、咲の逆鱗に触れた。
「断る。会ったその日にそんなこという奴、信用できないね。学校くらい一人で行けるから」
きっぱりと言い放ち、咲は逃げるように家へ帰った。
☆
全然嬉しくなかった。
今日はリーナに会えると思っていたのだ。
「期待なんて、しなきゃ良かった」
「リーナ」と何度も声にして、枕に泣き顔を押し付けた。
この町にも彼女はいないのだろうか。初めて一人部屋を貰って泣くには都合が良かったけれど、泣き声は廊下まで筒抜けだった。
心配した凜が、夕飯の前に部屋にやって来る。
「他の子とうまくいかなかったの?」
「そう言うのは別に何でもなかったよ。けど、思ってたのと違かった」
今日もしリーナに会えたら、アッシュに会えたら──と朝までたくさんシミュレーションしていた。楽しくてたまらない事ばかり思い浮かべて期待を膨らませていたのに、ラルへ「お前になんて会いたくなかった」という嫌味さえ言ってやることができなかった。
「まぁ慣れるしかないわね。今日は久しぶりに一緒の部屋で寝ましょうか?」
「うん」
初めてできた姉が彼女で良かったと思う。凜は男のように振舞う咲に文句を言いながらも、それなりに認めてくれた。
こんな辺ぴな町へ来てしまったけれど、やっぱりあの町にリーナが居たのかもしれないと思って、咲は次の休みに一人で広井町へ向かった。
前の学校の友達に会って来ると嘘をついて、初めて一人で電車に乗る。
魔法使いのような感覚はないが、まだ行ったことのない地域をただ闇雲に探した。
別の学校を覗いてみたり、スーパーをうろついてみたり、広井町で一番大きな神社で神頼みもしたのに、結局誰にも会うことができなかった。
夕方になってもうタイムリミットだと駅へ戻ると、人のごった返す構内で咲は方向を見失ってしまう。
「どっち……だっけ」
広井町の駅は広い。出口が何個もあって、路線も一つじゃなかった。
電車に乗る事なんて大したことないと思っていたのに、ここでピンチに陥ってしまう。
切符売り場を探してうろついていると、後ろから突然腕を掴まれた。
「みさぎ」
知らない名前で呼ばれて、「うわぁああ」とびっくりして振り返る。
知らない男だった。
中学か高校生くらいだろうか。咲の腕を掴んだまま、相手も驚いた顔をする。
人違いだったようだ。
彼は「ごめん」と謝って手を離す。
「妹だと思って。迎えに来たんだけど、同じくらいの歳だから間違っちゃった」
咲を覗き込んだ顔が緩く笑む。
「可愛いね。うちの妹とは大違いだ」
容姿を褒められるのは慣れている。鈴木に言われた時は嫌だったけれど、今は少し嬉しいと思った。
「それより、さっきキョロキョロしてたけど、誰か探してた?」
「えっと……」
初対面の彼に、聞いてもいいのだろうか。少し不安になったけれど、剥き出しの警戒心を解くように笑い掛けてきた彼に、咲はホッとして尋ねた。
「切符売り場が分からなくなって。改札も……」
「どこまで?」
「白樺台です」
彼はちょっと首を捻った後、「あぁ」と頷く。
「結構遠いとこから来たんだね。こっちだよ」
先導する彼を追うと、あっという間に切符売り場についた。
「ありがとうございます」
「電車はそこの改札から入って、二番ホームだから」
丁寧に説明をして、彼は「気を付けてね」とあっさり行ってしまった。
優しい人だったなと思いながら、咲は切符を買って言われた通り改札へ向かった。
もう少しここに居たら、リーナに会えるような気がしてしまう。諦めが悪いぞと自分に言い聞かせるが、寂しさは募るばかりだ。
「リーナ……」
吐き出した想いに呼応するように、背後で少女の声が聞こえた気がした。
「お兄ちゃん!」
それは幻聴だったのだろうか。立ち止まった足が震えた。
振り返った先にリーナはいない。人が通り過ぎる波に駆け込むが、駅に留まりたい気持ちを打ち消すように、電車の発車アナウンスが流れた。これを逃すと次は一時間以上先になってしまう。
咲は衝動を押し殺して電車に駆け込んだ。
誰も居ない車両で泣きながら白樺台に戻ると、駅前の道で知らない女に声を掛けられた。
「何しょんぼりしてるのよ」
やたら大きい胸をアピールするようなぴったりとしたシャツを着た彼女を怪しく思って、咲は黙って睨みつける。
「そんな泣き顔で家に帰るつもり? 何なら落ち着くまで休んでいってもいいわよ。ジュースくらい奢ってあげるわ」
女はすぐ後ろの店を指差した。白樺台の駅前で唯一の商店だ。
確かにこの顔で家に戻りたくはなかったけれど、その辺を適当に歩いて夕方の涼しい風に当たっていれば落ち着くだろうと思った。
「知らない人に食べ物を貰っちゃいけないって言われてるから」
「あら、意外と真面目なのね。まぁ慈善事業だとでも思って貰えればいいわ。ここ私の店だから、今度買い物にでも来てくれればいいわよ」
「そうだったんだ」
咲を表のベンチに座らせて、女は店からジュースの入ったカップを持ってきた。たくさんの泡がパチパチと弾けるそれは、初めて飲むメロンソーダだ。
「ありがとうございます」
「いいのよ。それより町に行ってきたの? 捜していた人は見つからなかった?」
「私が誰かを捜してたって分かるのか?」
「勘よ」
女はニコリと笑って咲の横に腰を下ろす。
凜とは違う、大人の女性の匂いがした。
「まぁいずれ会えるわよ。運命が貴女を導いてくれるわ」
彼女はルーシャと同じことを言った。
何も事情を知らない彼女の言葉が現実になったのは、それから五年後──高校入試の説明会の時だった。
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