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9章 旗
116 悪い予感がする
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大雨の降る中、人通りの多い道を選んで駅へ向かう。
今日の待ち合わせは、彼の住む町だ。
有玖駅まで一駅分の切符を買って電車に乗ると、あっという間にそこへ着く。
みさぎはこの駅に下りるが初めてだった。
駅の周りを囲うように新しいマンションが立ち並んでいて、その奥に住宅街が広がっている。広井町のベッドタウンらしく、駅の階段には分譲マンションの広告が幾つも貼られていた。
ここが彼の住む町だと思うと、嬉しくてたまらなくなる。みさぎと一緒に駅へ下りた人も多く、寂しいなんて気持ちにはならなかった。
小さなバスのロータリーの向こうに待ち合わせのコンビニを見つけて、みさぎは濡れた傘を開いた。
早足で向かうと、雑誌コーナーにいた湊が気付いて店から出てくる。彼はみさぎの前に駆け寄ると、心配顔からの安堵を広げて「良かった」と目を細めた。
「思ったより平気だったよ。克服……できたのかな?」
「それは気が早いんじゃないのか? けど、お疲れ様」
子供のおつかいみたいだと笑うみさぎに、湊が空いた手を握り締める。
少し震えていたことに気付いて、彼の手に力が籠った。
☆
雨への不安は杞憂だったらしい。
咲が心配してみさぎにメールを送ると、昼近くになってから「平気だよ」と返事が来た。
添付された写真には、これから二人で食べるというハンバーガーが写っている。
「コレじゃなくて、顔を写せよ」
とりあえずは無事という事にホッとして、咲はタオルでぐしゃぐしゃと髪を拭いた。
朝凜にといてもらってフワフワだった髪が台無しだ。そもそも、雨の部活だというのに「男の子と一緒なんでしょ?」とうるさい姉から逃げる事ができなかったという事が問題だ。
男とは言え相手は智なのだから、咲は寝起きのままの状態だって問題ないと思っている。
さっき荷物の所まで下りてきて躊躇いなく服を脱ごうとしたところを、「ヤメロ」と智にテントへ押し込まれた。仕方なく中で着替えたけれど、荷物置き程度の小さなテントは窮屈で、服がずっとよじれている気がする。
この間雨が降った時そのまま帰って風邪をひきそうになったのを教訓に、今日はちゃんと着替えを持ってきているが、今日はあの時より大分寒い。ブルブルと肩を震わせると、智が「急ごう」と足を速めた。
雨の部活は智と二人きりだった。
中條から言われたルーティンを終えて、その後剣の稽古もしてみた。智と一対一の勝負で負けたせいで、咲はずっと機嫌が悪い。
「何? リーナからメール?」
智が「うまそう」と画面を覗き込んで、腹を押さえる。
「あぁ。二人でこれから昼だってさ。みさぎって、いつも雨がダメなわけじゃないんだよな」
けれど発作のように突然駄目になるから、油断はできない。
ハロン戦も今日のようにと思うけれど、ここで「神様どうか──」と天に任せるのは良くないだろう。
「リーナも頑張ってるんだと思うよ。お前もラルに遠慮ばっかしてないで、寂しいなら寂しいってリーナに言ってみれば?」
「僕が? 別に寂しいなんて思ってないぞ?」
「またまたぁ。この間の雨の時も言ったけど、お前最近リーナをラルに譲ってばっかじゃん。兄心も分からないわけじゃないけどさ、無理はするなって言ってんだよ」
「だから、無理なんかしてないぞ!」
咲は足を止めて、俯いたまま地面を睨んだ。
「そう?」と言う智を見上げると、身長差のせいで彼の顔が傘に隠れていて、咲はまぁいいやと視線を戻した。
「この間湊に、湊にはできなくて、僕にしかみさぎにしてやれないことがあるって言われたんだ。それって何だと思う?」
──『俺だってアンタにはなれないんだ』
漠然と理解したつもりだったけれど、実際それが何なのかは分からない。
「本人に聞いてみれば?」
「嫌だ」
その選択肢だけは突っぱねる。今更そんなことしたくない。
「頑固だね、咲ちゃんは」
「茶化すなよ」
「まぁ、恋人は結局他人ってことなんじゃない? お前は今咲ちゃんだけど、リーナの兄貴だってことに変わりはないだろ? 血縁って、いくら切っても離れても、最後の最後で絶対にブチ切れない糸がくっついてると思うから」
「僕の代わりなんてアイツがいれば十分じゃないのか?」
「卑屈になるなよ。まぁ、そういう場面が来たら分かるんじゃないか?」
「そうなのかな」
納得しきれずにいると、智が「考えすぎ」と言って、胸に貼りついたシャツを剥がした。一応着替えはしたものの、乾ききっていない身体のせいでお互い服はあっという間に重くなっている。
「お前らしくないぞ。いいか、お前もハロンと戦うんだろ? アレと戦うってことは死ぬかもしれないってことなんだぞ?」
「そのくらい分かってるよ」
「だったら忠告だ。これからカレシのとこ行くんだろ? 湊も居るんだし、みさぎちゃんはアイツに任せて甘えてきな」
「甘えて、って。僕はそんなことしないからな?」
「好きなことしろってことだよ」
智はようやく着いた駅を素通りして、咲の家の手前で「じゃあな」と立ち止まった。
今日も彼はメラーレの所に行くらしい。
「仲良いな、お前たち」
「まぁな。お前もちゃんとシャワー浴びてから行けよ? 早くカレシに会いたいとか言って適当なことしてると、風邪ひくぞ」
「お前には僕がそんな浮足立って見えるのか?」
「見える」と笑って、智は手を振って走り出す。
楽しそうな彼の背中を見送った所で、咲は大きくくしゃみをした。
雨に濡れた身体が冷たい。
「き、気のせいだよな」
悪い予感を感じながら、咲は家に飛び込んだ。
今日の待ち合わせは、彼の住む町だ。
有玖駅まで一駅分の切符を買って電車に乗ると、あっという間にそこへ着く。
みさぎはこの駅に下りるが初めてだった。
駅の周りを囲うように新しいマンションが立ち並んでいて、その奥に住宅街が広がっている。広井町のベッドタウンらしく、駅の階段には分譲マンションの広告が幾つも貼られていた。
ここが彼の住む町だと思うと、嬉しくてたまらなくなる。みさぎと一緒に駅へ下りた人も多く、寂しいなんて気持ちにはならなかった。
小さなバスのロータリーの向こうに待ち合わせのコンビニを見つけて、みさぎは濡れた傘を開いた。
早足で向かうと、雑誌コーナーにいた湊が気付いて店から出てくる。彼はみさぎの前に駆け寄ると、心配顔からの安堵を広げて「良かった」と目を細めた。
「思ったより平気だったよ。克服……できたのかな?」
「それは気が早いんじゃないのか? けど、お疲れ様」
子供のおつかいみたいだと笑うみさぎに、湊が空いた手を握り締める。
少し震えていたことに気付いて、彼の手に力が籠った。
☆
雨への不安は杞憂だったらしい。
咲が心配してみさぎにメールを送ると、昼近くになってから「平気だよ」と返事が来た。
添付された写真には、これから二人で食べるというハンバーガーが写っている。
「コレじゃなくて、顔を写せよ」
とりあえずは無事という事にホッとして、咲はタオルでぐしゃぐしゃと髪を拭いた。
朝凜にといてもらってフワフワだった髪が台無しだ。そもそも、雨の部活だというのに「男の子と一緒なんでしょ?」とうるさい姉から逃げる事ができなかったという事が問題だ。
男とは言え相手は智なのだから、咲は寝起きのままの状態だって問題ないと思っている。
さっき荷物の所まで下りてきて躊躇いなく服を脱ごうとしたところを、「ヤメロ」と智にテントへ押し込まれた。仕方なく中で着替えたけれど、荷物置き程度の小さなテントは窮屈で、服がずっとよじれている気がする。
この間雨が降った時そのまま帰って風邪をひきそうになったのを教訓に、今日はちゃんと着替えを持ってきているが、今日はあの時より大分寒い。ブルブルと肩を震わせると、智が「急ごう」と足を速めた。
雨の部活は智と二人きりだった。
中條から言われたルーティンを終えて、その後剣の稽古もしてみた。智と一対一の勝負で負けたせいで、咲はずっと機嫌が悪い。
「何? リーナからメール?」
智が「うまそう」と画面を覗き込んで、腹を押さえる。
「あぁ。二人でこれから昼だってさ。みさぎって、いつも雨がダメなわけじゃないんだよな」
けれど発作のように突然駄目になるから、油断はできない。
ハロン戦も今日のようにと思うけれど、ここで「神様どうか──」と天に任せるのは良くないだろう。
「リーナも頑張ってるんだと思うよ。お前もラルに遠慮ばっかしてないで、寂しいなら寂しいってリーナに言ってみれば?」
「僕が? 別に寂しいなんて思ってないぞ?」
「またまたぁ。この間の雨の時も言ったけど、お前最近リーナをラルに譲ってばっかじゃん。兄心も分からないわけじゃないけどさ、無理はするなって言ってんだよ」
「だから、無理なんかしてないぞ!」
咲は足を止めて、俯いたまま地面を睨んだ。
「そう?」と言う智を見上げると、身長差のせいで彼の顔が傘に隠れていて、咲はまぁいいやと視線を戻した。
「この間湊に、湊にはできなくて、僕にしかみさぎにしてやれないことがあるって言われたんだ。それって何だと思う?」
──『俺だってアンタにはなれないんだ』
漠然と理解したつもりだったけれど、実際それが何なのかは分からない。
「本人に聞いてみれば?」
「嫌だ」
その選択肢だけは突っぱねる。今更そんなことしたくない。
「頑固だね、咲ちゃんは」
「茶化すなよ」
「まぁ、恋人は結局他人ってことなんじゃない? お前は今咲ちゃんだけど、リーナの兄貴だってことに変わりはないだろ? 血縁って、いくら切っても離れても、最後の最後で絶対にブチ切れない糸がくっついてると思うから」
「僕の代わりなんてアイツがいれば十分じゃないのか?」
「卑屈になるなよ。まぁ、そういう場面が来たら分かるんじゃないか?」
「そうなのかな」
納得しきれずにいると、智が「考えすぎ」と言って、胸に貼りついたシャツを剥がした。一応着替えはしたものの、乾ききっていない身体のせいでお互い服はあっという間に重くなっている。
「お前らしくないぞ。いいか、お前もハロンと戦うんだろ? アレと戦うってことは死ぬかもしれないってことなんだぞ?」
「そのくらい分かってるよ」
「だったら忠告だ。これからカレシのとこ行くんだろ? 湊も居るんだし、みさぎちゃんはアイツに任せて甘えてきな」
「甘えて、って。僕はそんなことしないからな?」
「好きなことしろってことだよ」
智はようやく着いた駅を素通りして、咲の家の手前で「じゃあな」と立ち止まった。
今日も彼はメラーレの所に行くらしい。
「仲良いな、お前たち」
「まぁな。お前もちゃんとシャワー浴びてから行けよ? 早くカレシに会いたいとか言って適当なことしてると、風邪ひくぞ」
「お前には僕がそんな浮足立って見えるのか?」
「見える」と笑って、智は手を振って走り出す。
楽しそうな彼の背中を見送った所で、咲は大きくくしゃみをした。
雨に濡れた身体が冷たい。
「き、気のせいだよな」
悪い予感を感じながら、咲は家に飛び込んだ。
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