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9章 旗
115 この部屋
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「お兄ちゃん、この部屋に咲ちゃんを入れるつもり?」
帰宅して真っ先に、みさぎは蓮の部屋へ向かった。
ここしばらく入っていなかったけれど、改めて見ても恋人を迎え入れる男子の部屋とは思えない。
帰りの電車で募ったお泊り会への不安を本人に吐き出す。
「いいの? 本当に咲ちゃんに見せてもいいの?」
部屋の奥から流れてくるBGMは、蓮の好きなRPGのサントラだ。
旅立ちの町で流れている緩いメロディが、みさぎの心理を反映するように戦闘シーンの激しい曲へ変わった。
「そんなに騒ぐなよ。だからギリギリまで言うなって咲に言ったんだ」
開け放たれた扉の向こうには、同じ家の中とは思えないド派手な彼の世界が広がっている。
「湊くんも泊まりに来るって言ってたよ? 湊くんにまで見られたら……」
「メガネくんは俺の彼氏でも彼女でもないだろ? お前が自分の部屋を片付けとけばいいだけの話だ。そんなだから咲がお前に気ぃ使うんだよ。大体メガネくんなら、この間お前が倒れた時にこの部屋見てると思うぞ?」
「えぇ? あの時入れたの? ここに?」
「帰るって向こうが挨拶しに来ただけだよ」
「そんな律儀な事しなくていいのに……」
「俺はお前の兄貴なんだぞ? そのくらい普通だろ」
蓮は不愉快だと言わんばかりの顔をして、自分の部屋を振り返った。
「っていうか、そんなに言う程の部屋じゃないだろ。ちゃんとゴミは捨ててるぞ? ちょっと物が多いだけだよ」
「ゴミなんて当たり前でしょ? 本気でこのままにしておくの?」
この間のお泊り会の時も、蓮は部屋の掃除をするばかりで物の移動をした様子はなかった。あの日咲がそこに入ることはなかったけれど、今度はそうはいかないだろう。
蓮は視線を返して、腕を組んだ。
「いいかみさぎ。俺の部屋を否定する様なヤツを、俺は彼女にしてるつもりはないぞ」
「見たら嫌がるコの方が多いって言ってるの!」
「そんなのは偏見だ。いいか、男の趣味は深いんだ。迂闊に外でそんなこと言ったら、男を敵に回すだけだぞ?」
かつて兄だったヒルスの部屋は雑然としていた。特にこだわりもないシンプルな部屋だっただけに、蓮との差がありすぎる。
「お前がメガネくんの部屋に行って、抱き枕でも転がってたらどうするんだよ。キモイって言って別れるのか?」
「だっ、抱き枕? 湊くんが?」
蓮の言うそれは、イルカの形やただ長いだけの枕とは違う。蓮の部屋でさえ見たことはないが、美少女キャラが描かれた枕カバーが存在することは知っている。
「いや、絶対ないよ! 持ってるわけないでしょ?」
もう絶対にだ。そのカバーを付けている枕と戯れる湊なんて想像したくない。
「けどもし、もしそんなことがあって……ううん嫌だ、絶対に嫌! けど、もしそれがあっても別れたくないよ」
チラと脳裏を過った妄想を意地で押しのけて、みさぎはぎゅっと拳を握り締める。
彼へのイメージは崩れるかもしれないけれど、嫌いになる理由にはならないはずだ。
「だろ? そういうことだよ。好きな男の趣味くらい理解してやれってこと」
ビシリと人差し指を突き付けてくる蓮に、みさぎは頬を膨らませる。
「程度の問題でしょ? けど……確かに咲ちゃんはこの部屋を見ても嫌がらないと思う……」
自分の兄はオタクだと言った時、彼女は特に気にする様子もなく笑っていた気がする。あれはまだ二人が会ってもいない頃の話だ。
「だろ? だから、いいの」
その一言で押し切られて、「そういうことで」と蓮はみさぎを廊下に残して扉を閉めた。
壁に遮られて遠くなった戦闘メロディが、一度消えてリスタートされる。
「本当に、いいのかなぁ」
お泊り会への不安が抜けきらないまま、あっという間に土曜日はやって来た。
☆
こんな気持ちは初めてだった。
朝起きた瞬間雨音に気付いて、みさぎは窓辺に駆け寄った。
暗雲が町を包み、大粒の雨粒がしきりに窓ガラスを叩いている。
いつもの休日なら、憂鬱さに二度寝してしまうところだが、今日は張り切ってスマホを開いた。
先に湊から『おはよう』のメールが届いている。
支度を整え玄関で靴を履いたところで、早朝バイトから帰って来たばかりの蓮に後ろ腕を掴まれた。
「雨降ってるぞ? 今日はメガネくん来るんだろ? 部活か?」
雨に濡れた蓮の髪がシャワー後のようにボリュームダウンしている。
「ううん、雨の日は部活免除してもらってるの。だから、その前に湊くんと出掛けてくるよ」
「だったらアイツに来てもらえばいいのに」
「私が行くって言ったんだよ。大丈夫」
湊も心配していたが、みさぎが彼の迎えを断った。
蓮はみさぎから手を放して、玄関の扉の上にある窓を伺う。
「やみそうにないし、だったら俺が駅まで送るよ」
「いいよ。雨だからって、行けないわけじゃないんだから」
不安でないと言えば嘘になるけれど、町中で傘をさして歩く分には問題ない筈だ。
「何かお兄ちゃん、昔の咲ちゃんみたい」
「ホント? それは嬉しいね」
「嬉しいのか……」
蓮はヒルスのように執着するわけではないけれど、似てる所はあると思う。兄というのはそういうものなんだろうか。
「やれると思った時くらいやらなきゃ。だから、一人で行かせて」
「──分かったよ、頑張りな」
仕方ないなと蓮は笑う。
みさぎは「行ってきます」と外へ出て、お気に入りの傘を広げた。この間駅で湊に挑んだ、赤色の傘だ。
あの時したキスの記憶が蘇って、みさぎは込み上げた動揺をふるふると振り払う。
土砂降りの雨だけれど、今日はそんなに怖いとは思わなかった。
帰宅して真っ先に、みさぎは蓮の部屋へ向かった。
ここしばらく入っていなかったけれど、改めて見ても恋人を迎え入れる男子の部屋とは思えない。
帰りの電車で募ったお泊り会への不安を本人に吐き出す。
「いいの? 本当に咲ちゃんに見せてもいいの?」
部屋の奥から流れてくるBGMは、蓮の好きなRPGのサントラだ。
旅立ちの町で流れている緩いメロディが、みさぎの心理を反映するように戦闘シーンの激しい曲へ変わった。
「そんなに騒ぐなよ。だからギリギリまで言うなって咲に言ったんだ」
開け放たれた扉の向こうには、同じ家の中とは思えないド派手な彼の世界が広がっている。
「湊くんも泊まりに来るって言ってたよ? 湊くんにまで見られたら……」
「メガネくんは俺の彼氏でも彼女でもないだろ? お前が自分の部屋を片付けとけばいいだけの話だ。そんなだから咲がお前に気ぃ使うんだよ。大体メガネくんなら、この間お前が倒れた時にこの部屋見てると思うぞ?」
「えぇ? あの時入れたの? ここに?」
「帰るって向こうが挨拶しに来ただけだよ」
「そんな律儀な事しなくていいのに……」
「俺はお前の兄貴なんだぞ? そのくらい普通だろ」
蓮は不愉快だと言わんばかりの顔をして、自分の部屋を振り返った。
「っていうか、そんなに言う程の部屋じゃないだろ。ちゃんとゴミは捨ててるぞ? ちょっと物が多いだけだよ」
「ゴミなんて当たり前でしょ? 本気でこのままにしておくの?」
この間のお泊り会の時も、蓮は部屋の掃除をするばかりで物の移動をした様子はなかった。あの日咲がそこに入ることはなかったけれど、今度はそうはいかないだろう。
蓮は視線を返して、腕を組んだ。
「いいかみさぎ。俺の部屋を否定する様なヤツを、俺は彼女にしてるつもりはないぞ」
「見たら嫌がるコの方が多いって言ってるの!」
「そんなのは偏見だ。いいか、男の趣味は深いんだ。迂闊に外でそんなこと言ったら、男を敵に回すだけだぞ?」
かつて兄だったヒルスの部屋は雑然としていた。特にこだわりもないシンプルな部屋だっただけに、蓮との差がありすぎる。
「お前がメガネくんの部屋に行って、抱き枕でも転がってたらどうするんだよ。キモイって言って別れるのか?」
「だっ、抱き枕? 湊くんが?」
蓮の言うそれは、イルカの形やただ長いだけの枕とは違う。蓮の部屋でさえ見たことはないが、美少女キャラが描かれた枕カバーが存在することは知っている。
「いや、絶対ないよ! 持ってるわけないでしょ?」
もう絶対にだ。そのカバーを付けている枕と戯れる湊なんて想像したくない。
「けどもし、もしそんなことがあって……ううん嫌だ、絶対に嫌! けど、もしそれがあっても別れたくないよ」
チラと脳裏を過った妄想を意地で押しのけて、みさぎはぎゅっと拳を握り締める。
彼へのイメージは崩れるかもしれないけれど、嫌いになる理由にはならないはずだ。
「だろ? そういうことだよ。好きな男の趣味くらい理解してやれってこと」
ビシリと人差し指を突き付けてくる蓮に、みさぎは頬を膨らませる。
「程度の問題でしょ? けど……確かに咲ちゃんはこの部屋を見ても嫌がらないと思う……」
自分の兄はオタクだと言った時、彼女は特に気にする様子もなく笑っていた気がする。あれはまだ二人が会ってもいない頃の話だ。
「だろ? だから、いいの」
その一言で押し切られて、「そういうことで」と蓮はみさぎを廊下に残して扉を閉めた。
壁に遮られて遠くなった戦闘メロディが、一度消えてリスタートされる。
「本当に、いいのかなぁ」
お泊り会への不安が抜けきらないまま、あっという間に土曜日はやって来た。
☆
こんな気持ちは初めてだった。
朝起きた瞬間雨音に気付いて、みさぎは窓辺に駆け寄った。
暗雲が町を包み、大粒の雨粒がしきりに窓ガラスを叩いている。
いつもの休日なら、憂鬱さに二度寝してしまうところだが、今日は張り切ってスマホを開いた。
先に湊から『おはよう』のメールが届いている。
支度を整え玄関で靴を履いたところで、早朝バイトから帰って来たばかりの蓮に後ろ腕を掴まれた。
「雨降ってるぞ? 今日はメガネくん来るんだろ? 部活か?」
雨に濡れた蓮の髪がシャワー後のようにボリュームダウンしている。
「ううん、雨の日は部活免除してもらってるの。だから、その前に湊くんと出掛けてくるよ」
「だったらアイツに来てもらえばいいのに」
「私が行くって言ったんだよ。大丈夫」
湊も心配していたが、みさぎが彼の迎えを断った。
蓮はみさぎから手を放して、玄関の扉の上にある窓を伺う。
「やみそうにないし、だったら俺が駅まで送るよ」
「いいよ。雨だからって、行けないわけじゃないんだから」
不安でないと言えば嘘になるけれど、町中で傘をさして歩く分には問題ない筈だ。
「何かお兄ちゃん、昔の咲ちゃんみたい」
「ホント? それは嬉しいね」
「嬉しいのか……」
蓮はヒルスのように執着するわけではないけれど、似てる所はあると思う。兄というのはそういうものなんだろうか。
「やれると思った時くらいやらなきゃ。だから、一人で行かせて」
「──分かったよ、頑張りな」
仕方ないなと蓮は笑う。
みさぎは「行ってきます」と外へ出て、お気に入りの傘を広げた。この間駅で湊に挑んだ、赤色の傘だ。
あの時したキスの記憶が蘇って、みさぎは込み上げた動揺をふるふると振り払う。
土砂降りの雨だけれど、今日はそんなに怖いとは思わなかった。
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