いもおい~日本に異世界転生した最愛の妹を追い掛けて、お兄ちゃんは妹の親友(女)になる!?

栗栖蛍

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8章 あの日と同じ雨

110 隣の部屋

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 冷たい雨の感触に震えながら、みさぎはみなとの肩にひたいを押し付けた。

「どうして、こうなっちゃうかなぁ」

 前に進もうとする意志をはばむように、身体が雨を拒絶する。
 湊はみさぎの背に手を伸ばし、「無理しなくていいよ」と抱きしめた。

「戻ろう」

 彼の言葉は心地良いけれど、みさぎは首を横に振る。

「駄目だよ。まだ二日目だよ?」
「そんなの関係ない。このまま行ったって、無理するだけだよ」
「だって、宰相さいしょうと約束したの」

 ──『雨の日も休まないで下さいね』

 昨日の今日でを上げるのは嫌だった。
 ゴールまではあと少しだと思うのに、湊の肩から顔を起こした途端に足がすくんで、再び彼の肩を求める。一度起きた不安への衝動はなかなか抜けてはくれなかった。

 湊はみさぎの手に自分のてのひらを重ね、

「約束を破って向こうがどうのって言うなら、ペナルティを受ければいいよ。走り込みでも腕立て伏せでも、俺も一緒にやるから。だから今日は帰ろう」
「けど……」
「無理なら言ってって言っただろ? みさぎはさっき駄目だって言ってた。それが本心じゃないのか?」
「…………」

 黙ったままうつむくみさぎと手を繋いで、湊は坂の下へと歩き出した。
 ハードルの横を歩く罪悪感を感じながら、みさぎは手を引かれるまま彼についていく。

「ごめんね、湊くん」
「ごめんねじゃない。迷惑掛けられてるなんて思ってないよ」
「……ありがとう」
「どういたしまして」

 先を行く彼の顔は見えなかったけれど、声のトーンで小さく微笑んだのが分かって、みさぎは彼の手を強く握りしめた。


   ☆
 坂を下りて、置いておいた傘をさすと、湊がともに電話を入れた。
 今日はもう帰るという事と、中條なかじょうへの伝言だ。特に理由は付けず、『早退します』という一言だけだったが、それだけで十分だろう。

「分かったって。二人も心配してたよ」

 湊はそう言って、今度は田中商店へ行くと言った。

「こんな格好じゃ帰れないからね」

 ズブ濡れのまま歩いて店の扉を開けると、フリフリエプロン姿のあやが音にならない奇声を上げた。持っていたトレイをテーブルへ乱暴に放し、血相けっそうを変えて詰め寄ってくる。

「ちょっと、そんな格好で入らないでちょうだい!」

 勢いのまま二人は店の外へ押し出される。
 湊が「すみません」と謝ると、絢がみさぎの様子に気付いて家の玄関へと促した。

「こっちは駄目よ。私に掃除させるつもり?」

 中から玄関に回った絢は濡れた二人を玄関に招き入れ、大判のバスタオルを渡した。

「靴下はここで脱いで。着替えはある?」

 部活動の事は知っているだろう絢に、みさぎは叱られるだろうと覚悟していた。けれど絢はいつもと変わらない様子で、甲斐甲斐かいがいしく足拭き用のマットを広げる。

「制服あります」
「なら、シャワー浴びてきなさい。二人で行ってきてもいいわよ」
「そんな、駄目ですっ!」

 ぼんやりしていたみさぎが、頭に沸いたそのシーンに慌てて声を上げた。
 絢は「面白い」と悪戯いたずらっぽく笑んで、湊を振り向く。
 彼は彼で小さく開いた口を片手で鷲掴わしづかみにしたまま、真っ赤になって硬直こうちょくしていた。

「二人とも思ったより元気そうね。雨だから心配してたのよ? けど、頼ってもらえて嬉しいわ。とにかく体を温めてらっしゃい。風邪ひくと困るから」

 絢は「向こうで待ってる」と言って、店へ戻って行った。閉店時間にはまだ少し早い。

 ここでシャワーを浴びるというシチュエーションは、みさぎにとって予想外だった。
 一緒に入るわけではないのに、同じ風呂場でシャワーを浴びるというだけで緊張してしまう。

 伏し目がちの湊に「どうする?」と聞かれて後を選んだものの、みさぎのくしゃみ一つで順番は入れ替わった。

 応接室で待っててと念を押して、みさぎは先に浴室へ入る。
 熱めのシャワーを浴びると、冷えた身体が溶けていくような気がした。
 冷たいお湯でも熱いお湯でも、それがシャワーだと分かっていれば何も抵抗はない。これは雨でないのだと頭がちゃんと理解している。
 外ではあんなに不安だったのに、今はもうすっかり落ち着いていた。

 シャワーを終えて制服に着替えてから、湊とバトンタッチする。彼のシャワーはあっという間だった。

 少し恥ずかしそうに出てきた裸眼の彼にドキドキしながら、それを紛らわすように絢の用意してくれたホットココアを飲んだ。
 店には誰も残っていない。
 絢は二人が席に着いたのを見計らって、向かいの椅子に腰を下ろした。

「あの男もひどい事させるわよね。リーナに雨に打たれろなんて、女心をまるでわかってないんだから。兵学校の男共と勘違いしてるんじゃないかしら」

 あの男というのは、鬼の宰相さいしょうギャロップメイこと、中條明和めいわの事だ。
 テーブルに頬杖ほおづえをつく彼女に、みさぎは「女心……」と想像もしていなかったワードが出てきたことに首をひねる。

「そうなのかな?」
「そうよ。そりゃあ、体力の回復は必要だから部活自体は賛成よ? けど、雨に関しては別。何回も打たれたからって克服できるものじゃないわ。私からちゃんと言っとくから、雨の日は無理に出ることないわよ?」

 湊と同じことを言う彼女に、みさぎは小さく胸をで下ろす。

「ルーシャ、ありがとう」
「いいのよ。私の可愛いリーナをあの男が我が物顔で調教する権利なんてないんだから」
「調教?」

 怪しげな単語にみさぎは耳を疑うが、絢は何事もなかったように話を進める。

「それより問題は鈴木くんよ。彼、昨日の事全部忘れてなかったんですって?」
「う、うん。そうみたい。一華いちか先生とともくんが仲良くしてたのを見ちゃったみたいで、そこは覚えてたんだって」
「へぇぇぇえ」

 何よそれと言わんばかりに、絢は不機嫌に声を吐いた。
 整った人差し指の先端で、花柄のクロスがひかれたテーブルをトントンと鳴らす。

「私の魔法、こっちじゃ効きにくい時があるのよね。この世界が私をよそ者だって拒絶してるんじゃないかしら」
「そうなんですか?」

 湊が驚いて、テーブルの上に置いた眼鏡を掛ける。

「まぁ本当によそ者だから仕方ないんだけど。だから、貴方たちも私の力はこっちじゃそういうものだって覚えておきなさい」

 ルーシャたち大人組は、転生ではなくターメイヤからの転移で日本に居る。外見が元と違うのは、絢の魔法のお陰らしい。
 よそ者がこの世界に影響を与えるのはタブーだということで、ハロン戦の主戦力にはなれないと言われた。期待してはいけないと分かってはいるものの、昨日の失敗が小さな不安要素になってしまったのは事実だ。

「それより何でメラーレはあんなにモテるのかしら。みんな若いのがいいの?」

 機嫌を損ねたまま、ルーシャは突然愚痴をこぼし始めた。

「メラーレもメラーレよ。アッシュのどこがいいのかしら。あのボンボン、しょっちゅうメラーレの部屋に来て楽しそうにしてるわよ」
「しょっちゅう来てる……? ルーシャってここに住んでるんだよね?」

 言葉に違和感を感じて首を傾げたみさぎに、絢は面食めんくらった顔をして「そうよ」と目を逸らした。

「じゃあ、何で──あ!」

 その理由はすぐに理解できた。

「ルーシャ、もしかして宰相の部屋に行ってる?」

 中條と一華の部屋は隣同士だと咲が言っていた。

「そ、そんなことあるわけないでしょ!」

 ムキになって否定する絢の顔は、シャワー上がりのみさぎよりも赤く紅潮こうちょうしていた。




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