いもおい~日本に異世界転生した最愛の妹を追い掛けて、お兄ちゃんは妹の親友(女)になる!?

栗栖蛍

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8章 あの日と同じ雨

100 染み付いた習慣

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 白樺町しらかばちょうの外れに、二階建ての小奇麗なマンションが建っている。
 こんな辺ぴな町に部屋を借りてまで住もうなんて人が居るのを昔から不思議に思っていたが、八室分あるポストには全部名前が入っていた。

 目的の部屋の隣に、これまた見覚えのある苗字が並んでいる。

「隣同士で住んでるのか」

 怪しげな関係を妄想しつつ、さきはスマホで時間を確認した。
 まだ少し余裕がある。
 横の階段を上って教えられた部屋の前で足を止めると、ふわりとカレーの匂いが漂った。

 隣の部屋からだ。ポストについていた名前が『佐野』だったので、恐らく一華いちかの部屋だろう。
 咲はタイミングを逃してまだ夕飯を食べていない。空腹感を助長させるスパイスの香りにお腹を押さえたところで、

一華いちか

 ともの声がした。
 廊下側の窓が細く開いている。聞き間違いかと思ったけれど、二人は付き合っているのだから本人なのだろう。
 部屋の奥から聞こえてくる楽しそうな話声に耳を澄ますが、内容までは分からなかった。

 それよりもう約束の時間だ。

「くそぅ、僕がこんな思いをしてるのに」

 音にならない愚痴ぐちを吐いて、咲は改めてスマホを確認した。
 腕につけたアナログ時計は秒数の誤差があるから、ここではスマホの正確な数字に頼る。

 十九時ジャストを狙って、部屋の呼び出しボタンを押した。
 インターフォン越しに聞こえた電子交じりの声が「はい」と短く返事する。
 部屋主の声に緊張を走らせ、咲は今の名前を伝えた。

「海堂です」

 言い終わるのと同時に扉が開く。
 ニコリと笑った目は冷たかった。昔から変わらない、表情の少ない笑顔だ。
 ギャロップメイこと担任の中條明和なかじょうめいわは「どうぞ」と咲を迎え入れて扉を閉める。

 整然とした玄関にほこり一つない廊下は、彼の性格を物語るようだった。

「ちょうどの時間に来ましたね。良い心がけだ」

 細い廊下を奥へと移動しながら、中條はそんなことを言う。
 兵学校時代、彼が時間に厳しかった記憶は山のようにあった。さっきすぐに出てきた彼は、咲が七時ちょうどに来るのを予測して待ち構えていたのだろう。

「けど今は兵学校でも有事ゆうじでもないので、次に来る時があれば前後三分くらいなら問題ありません」

 次は多分ないだろうと思いながら、咲は「はい」と答える。たった六分の猶予を過ぎたらどうなるか考えただけで恐ろしい。

 通されたのは、突き当りのリビングだった。
 れんの叔父の部屋より二回りほど狭い、一人暮らし用の部屋だ。
 殺風景な窓際の隅には、何故かベンチプレスが鎮座ちんざしている。床にはドーナツ型のウエイトが大中小と並んでいて、咲は思わず中條の身体を見やった。
 今まで気にもしなかったが、白いシャツに隠れた筋肉が確かにその習慣を物語っている。

 向かい合わせでソファに座った所で、咲は早速話を切り出した。
 彼と二人きりの空間は息が詰まりそうで、はやく用件を済ませて帰りたいと思ってしまう。

「前に僕もハロンと戦いたいと言った時、教官はまだ駄目だと言いましたよね。あれはみさぎが今リーナとして本来の力を発揮できないのと同じで、僕も今の状態じゃダメってことですか?」

 中條は表情一つ変えずに両手を膝の上に組むと、咲に一つ質問をした。

「ヒルス、貴方が次のハロン戦に加わることで勝利の確率は上がると思いますか?」
「そりゃ……少しは上がるんじゃないですか?」

 単純に数で考えた答えを出すと、中條はサラサラの髪をかき上げて「どうでしょう」と苦笑する。

「私は減る要因になるのではと踏んでいます」
「何で?」
「自分で言ったんでしょう? 今の貴方では足手纏あしでまといになるという事です」
「あぁ……ですね」

 その通りだとうなずく咲に中條は、

「けどリーナは別です。万全ばんぜんの状態でなくとも、誰も彼女を足手纏いとは言いません。ウィザードの彼女と一般兵の貴方とでは比べ物になりませんよ」

 自分がどれだけ特別でないかを自覚させられているようで、咲は耳が痛かった。
 どれも間違っていないのが悔しい。

「兵の増えることがプラスにだけはならない。百の剣士よりいちのウィザードとは、国力こくりょくはかる時に良く言ったものだ。とは言え、リーナがその一の存在として力を発揮できるかどうかも、ある程度運が必要です。現に、前の戦いでは敗れていますからね」
「そうですね……」
「アッシュが今生きているという事で、ラルフォン単体での勝利は見込めません。これは運命をゆがませた結果だ。今何も起きていなくても、影響は出るでしょう。当初考えていたよりも激しい戦闘になることを覚悟してくださいね」
「はい……覚悟してるつもりです」

 先日のハロン戦で死ぬ運命だったアッシュを助けた。その後の運命が狂うのは百も承知の上で、咲が出した決断だ。

「兵士の数で勝利する確率を上げようと言うなら、せいぜいお互いの足をひっぱらないように。貴方が出した決断なのですから、全員で生き残って見せて下さい。ハロンとの戦いは、勝利しか許されませんよ」
「はい」

 この世界にはウィザードの力にも勝る兵器がたくさんあるけれど、国を動かすのは最終手段だと中條は説明した。
 ハロンの存在をおおやけにするわけにはいかない。

 異世界、魔法、ハロン──二次元の世界ではよくあることだけれど、現実として好意的に受け入れてくれる人なんてまずいないだろう。未知の存在は恐怖しか生まない。

「もし国を頼る時があるなら、それは僕たち全員が死んだらってことですか?」
「それよりも前に、町に巡らせる防御壁を突破されたらですね。ハロンが一般人の目に触れたらアウトですよ」

 咲は過去に見たハロンの姿を思い出そうとするが、その姿ははっきりと浮かんではこなかった。あの時もヒルスは戦力外通告をされて家で祈るばかりだった。
 いや、ほとんどの兵がそうだった。ハロンと戦ったのは、リーナの周りにいたほんの一握ひとにぎりの兵士だけだ。

「いいですか、貴方に剣はまだ早い。自己防御すらできない剣士がハロン戦で生き抜くには、それなりの力が必要だ。私はかつての教え子に無駄死にさせたくないだけです。戦いたいと思うなら、ラルフォンに少しでも近付くよう励みなさい」

 それは彼の優しさなのだろうか。あまりにも表情が薄く、好意的に受け取ることはできない。

「近付くって。剣のない僕は、今何をすればいいと思いますか?」

 咲は答えを彼にゆだねた。
 それは失敗だったのか良い考えだったのかは分からないけれど、

「やりますか?」

 中條はまた髪をかき上げて、涼しい顔に何か企むような笑顔をにじませたのだ。



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