いもおい~日本に異世界転生した最愛の妹を追い掛けて、お兄ちゃんは妹の親友(女)になる!?

栗栖蛍

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6章 隠し扉の向こう側

79.5【番外編】 初めて会った日のことはあまり覚えていない

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 休暇明けでヒルスが兵学校の寄宿舎きしゅくしゃへ戻った途端、家の中が静かになった。
 ずっといるとうるさいと思うのに、いなくなると寂しい。

「兄様、次はいつ帰ってくるのかなぁ」

 十二歳のリーナは魔法使い見習いとして、城にいる魔女ウィッチのルーシャの所へ通っている。
 城へ行く時間にはまだ早く、リーナはテーブルの上に魔導書を広げながら果実水を飲んでいた。
 ルーシャから次城へ行くまでに覚えておけと言われた魔法陣発動の文言もんごんが、半分も頭に入っていない。覚えようとすればするほど集中力が飛んで行って、リーナは諦めて本を閉じた。

 ルーシャの小言を浮かべながら「はぁ」と溜息をついたところで、

「リーナ、リーナぁ!」

 二階からハリオスがリーナを呼んだ。
 戦争で両親を亡くしたリーナとヒルスは、縁あってハリオスの家で暮らしている。城下町の外れにある一軒家は、狭いながらも今まで住んでいたところとは比べ物にならないくらい立派だった。

 ハリオスは賢者という肩書から皆に慕われていたが、すでに現役を離れていて家に居ることが多く、リーナにとっては『優しいおじいちゃん』だ。

「どうしたの、おじいちゃん」
「ヒルスのやつ、教本を忘れていきおった。わしはちと忙しいから、届けてもらっても良いか?」

 今日は他国の傭兵ようへいとして戦場に出ているパラディンの男が前線から帰還するという事で、数日前から城はその迎え入れの準備で慌ただしかった。
 ハリオスも久しぶりの再会らしく、昨夜は「前祝いだ」と理由を付けて普段飲まない酒を一人で飲んでいたほどだ。

 けれどそんなパラディンの帰還も一部の人間が盛り上がっているだけで、リーナや兵学校に入ったヒルスにはあまり関係のない事だった。戦争の時に大活躍した英雄だと噂には聞いているが、城下にすらいなかった一般人の二人は顔すら見たことが無い。

「兄様、昨日あんなに言ってたのに忘れ物したの?」

 忘れ物や遅刻の罰則は鬼教官の気分で決まるのだと、夕食時にヒルスが熱く語っていた。
 過去にあった数々の見せしめ行為を連ねて「僕は優等生を目指すよ」と締めたのに、翌日からこれだ。

「仕方ないなぁ」

 駄目だなと思いながらも、ヒルスが昨日夜遅くまで教本を読み込んでいたことは知っている。無下むげにするわけにもいかず、リーナは「分かったよ」とハリオスに返事した。

「けど、兵学校って女子禁制だってメラーレが言ってたよ」

 鍛冶屋の娘のメラーレは、リーナと同じ歳で一番の仲良しだ。

「まぁ入口までならいいじゃろ。何か聞かれたら、詰め所で儂の名前を出せばいい」

 ハリオスは短い顎髭あごひげでながら、やさしく目を細めた。


   ☆
 城には毎日のように通っているが、併設へいせつされた兵学校に行くのは初めてだった。
 届け物の後に城へ行くことも考えて、リーナは持っている服の中で三番目に好きなワンピースを着て家を出た。

 城の裏側にある大きな門の前で立ちすくんでしまったのは、中からたくさんの男子の声が響いていたからだ。町に居る同年代の男子と言えば、十二歳頃になると大体が兵学校に入っていて、会う機会なんてほとんどない。

 リーナは大きな石造りの門の陰に隠れて、こっそりと中を覗き込んだ。

「わぁ、女の子だ!」

 建物から出てきた男子が、あっという間にリーナを見つけて近付いてくる。
 生徒がそろいで着る平服に短剣を下げる彼は、ヒルスと同じ赤色の紋章を胸に付けていた。この色が在学年数を表すのだとヒルスが言っていたのを思い出して、リーナはハッと顔を上げる。
 同期ならばきっと兄の事を知っているだろう。

「えっと、あの……」

 ただ、如何いかんせん男子と話すのは得意じゃない。
 おどおどとうつむいていると、背の高い彼は金色の髪を風になびかせながら屈託くったくのない笑顔でリーナを覗き込んだ。

「用があるんでしょ? 聞こうか?」

 落ち着きのない兄とは大分タイプが違う。リーナはホッとして持ってきた本を彼に見せた。

「あの、兄様の忘れ物を届けに来たんです」
「教本か。へぇ、誰だろう。呼んで来るよ?」
「兄の名前はヒルスです」
「えっ?」

 その名前を口にした途端、彼の表情がいぶかしげに歪んだ。
 どうやら心当たりがあるらしい。

「ヒルスって、これ?」

 これと言って、彼はピンと広げた手を自分の顔の横に当てて、おかっぱの髪を表した。
 兄自身が「最先端なんだよ」と豪語する、顔のラインで真っすぐに切りそろえられたヘアスタイルだ。

「そ、それです」

 急に恥ずかしくなってリーナは肩をすくめた。最先端だという割に、兄と同じ髪形を他で見たことが無い。

 金髪の彼は「意外だね」と呟いて、

「じゃあ、呼んで来るからここで待ってて」

 そう言い残して建物の中へ行ってしまった。
 一人残されてぼんやり待っていると、あっという間にヒルスが全力疾走で現れる。

「リーナぁぁあああ!」

 鬱陶うっとうしいくらいの愛を振り撒いてやって来たヒルスにリーナが抱きしめられるまで、たったの数秒だ。
 バフッという衝撃と兄の香りにホッとしつつ、リーナは「恥ずかしいよ」と呟いて、追い掛けてきた金髪の彼を一瞥いちべつした。

「気にするなよ、兄妹だろ? それより教本届けてくれたんだって? ありがとな。リーナが来てくれなかったら、この後の授業で僕ははりつけにされるとこだったよ」

 そう言ってヒルスはリーナを抱きしめて、名残惜しそうに身体を離した。

「それより、こんな所にずっといたら悪い虫が付くから、早く帰った方がいいよ」
「悪い虫って誰の事だよ」

 すかさず金髪の彼が言葉を挟んだ。

「お前の事だよ、アッシュ。僕の妹に手を出したらただじゃ済まないからな?」
「はぁあ?」

 一方的に敵視されて、アッシュと呼ばれた金髪の彼は眉をしかめた。
 リーナは恥ずかしさを募らせて「兄様!」とヒルスを睨む。

「変な兄でごめんなさい。妹のリーナです」
「変な兄とはなんだ、リーナ。僕はお前が大事なんだよ! そのワンピースだって、僕が可愛いって褒めたやつじゃないか。男たちの目につくだろう?」
「兄様はどれ着たって褒めてくれるじゃない。もう、本当にごめんなさい」

 騒ぐ兄を無視して、リーナはアッシュにぺこりと頭を下げた。彼は「気にしないで」と優しく笑う。

「俺たちいつもこんなだし。それより聞いてるよ、リーナは魔法使いなんだって?」
「はい。見習いですけど……」
「見習いでもルーシャ様の所に行ってるんだろ? 凄いよ。俺も魔法使いだし、仲良くしてもらえると嬉しいな」
「はい、よろしくお願いします!」
「ありがとう。俺はヒルスと同期でルームメイトのアッシュ。こちらこそよろしく」

 アッシュが差し出した右手を、何故か素早くヒルスがつかむ。

「お前には触らせない」
「はぁ?」

 がんとして二人の間に壁を作るヒルスに諦め顔を向けて、アッシュはリーナに「まぁ、よろしく」と伝えた。

「それよりリーナ、朝ここに来る時、お前の友達に会ったぞ」

 そういえば、とヒルスがポンと手を叩いた。

「名前何だったかな。眼鏡かけた大人しそうな……メ、め……」
「メラーレ?」

 リーナの声にアッシュの声が重なった。えっと彼を振り向いて、リーナは首を傾げる。

「知ってるんですか?」
「コイツは町の女の子の名前くらい全部知ってるんじゃないか? ナンパ野郎だからな」
「変な言い方するなよ。そうじゃなくて、メで始まる名前ならって思った……だけだよ」

 ほおを紅潮させてそっぽを向いたアッシュに、ヒルスは「ふぅん」と疑いの目を向けるが、それ以上の興味は示さず話を続けた。
 アッシュの動揺の理由をリーナが知るのは、まだまだずっと先の事だ。

「そう、それでそのメラーレにおはようって挨拶されたんだ」
「へぇ。前に一回会っただけなのに、兄様の顔覚えてたんだ。それで?」
「いや、それだけだけど。今日はパラディンが帰還するって楽しそうにしてたぞ。僕もそのパラディンを見てみたいなと思うけど、まぁ無理かな」
「だな。普通に訓練の予定びっしり入ってるもんな」

 アッシュが苦笑する。

「私は城に行くから、ちょっと見れたらいいな」

 英雄を一目見てみたいというのは興味本位でしかないけれど、リーナは二人に別れを告げるとワクワクしながら城へ向かった。


   ☆
 まだ時間が早いせいか、城はいつも通り静かだ。
 門番に挨拶して中に入ると、中庭の真ん中に見知らぬ人物が立っていた。
 栗色の長髪と、長い剣を腰に提げた華奢なシルエットで、リーナは少女だと思った。

 こんな所でどうしたんだろうと思い声を掛けようか迷っていると、相手がリーナの視線に気付いてこちらを振り向いた。その瞬間、リーナは予測を頭の中で撤回する。

 少女ではなく少年だ。

 リーナたちが住む平和な日常から逸脱いつだつした、迷い込んだ狼のような殺気立つ空気をまとったその姿に、リーナは息を呑む。

 すすに汚れた肩ににじむ茶色の染みは、恐らく血だろう。
 今日来るというパラディンが頭をよぎったが、それはもっと年上だった筈だ。彼はリーナやヒルスと同年代に見える。

 無視することもできず、掛ける言葉も見つからず、リーナは視線を落とすように顔を下げた。

 怖いと思った。
 一度抱いたその感情に、そこから彼を見上げることができなくなってしまう。

 それが、リーナとラルフォンの出会いだ。
 後にリーナの側近となる二人との出会いは同じ日だったけれど、リーナはその日の事をあまり覚えてはいなかった。







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