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5章 10月1日のハロン
55 大昔の大失恋
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「えっ、みさぎちゃん?」
智の慌てた声の後に、炎はみるみると縮まっていく。
視界一面を赤く染めた魔法がキンという音を鳴らし、振り上げた手中に白い筋をたてて吸い込まれた。
炎が薄れて、黒い影に彼の表情が滲み出る。
炎と熱が全部消え去った所で、ザッと強い風が吹いた。
呆然と見入るみさぎに駆け寄って、智は「どうしたの?」と戸惑いを見せる。
「邪魔してごめんなさい。智くんと話がしたいと思ったの。咲ちゃんに言ったら、ここに居るだろうって言うから」
「邪魔じゃないよ。一人で来たの?」
「咲ちゃんが下で待ってる」
来た道を一瞥したみさぎに、智は「そういうことか」と笑った。
「別にわざわざこんなトコまで来なくても良かったのに」
智はみさぎが来た理由を悟って「ありがとね」と礼を言う。頬についた煤を指で拭うと、彼の顔は余計に黒くなってしまった。
みさぎはふと気付いて頭上を見上げる。
厚い雲に覆われた空の下、広場一面が炎で覆いつくされたというのに、辺りの木々には焼けた跡が一つもなかった。みさぎ自身も熱を感じてはいたが、服も綺麗な状態のままだ。
「さっきの魔法、凄い炎だったけど全然焼けてないんだね」
「びっくりしたでしょ。魔法は攻撃の対象を定めて撃つから、それがないとダメージはないんだよ。アイツ……咲ちゃんも言ってたでしょ? パフォーマンスだとかって」
「うん、でも結構熱かったのに」
みさぎは頬に手を当てるが、もう冷たくなっている。
「みさぎちゃんが来てること、湊は知ってるの?」
「ううん、言ってないよ」
「そうなんだ。話ってのは昨日の事? 湊といいことあった?」
自分から話そうと思っていたのに、先に智が切り出してしまう。
「ごめんなさい。私、湊くんが……」
「わかってるよ」
全部言う前に智が返事をくれた。みさぎは黙って顎を引く。
「謝ることじゃないよ。それに俺もダメなのわかってて、みさぎちゃんに告ったから」
「でも、あの時はまだ……」
保健室で告白された時は湊への気持ちも曖昧で、ハッキリと智へ答えを出すことができなかった。
けれど智は「バレバレだったよ」と笑う。
「みさぎちゃんのこと好きだってのは本当だけど、ちゃんと諦めるから。今まで通りに――って、この間も同じこと言ったっけ」
小さく歯を見せた智に、みさぎはぎこちなく笑みを返した。
「ほら、また申し訳なさそうな顔してる。いいんだよ、みさぎちゃんは湊の事助けてやって。アイツ昔から根暗だから、みさぎちゃんにちゃんと話せないことも多いと思うんだ。だから、側に居てやるだけでも違うと思うよ」
「うん」
みさぎは少し考えて、もう一度智に笑顔を向けた。
「そんな感じ。可愛いよ」
そう言うと、智は少しだけ過去の話をしてくれた。
「俺さ、大昔にもすっごい失恋して、ずっと引きずってるんだ。まぁ、ガキの頃の話だし、今じゃなくてアッシュの時の事だけど。相手の彼女、向こうの世界でまだ生きてるのかなって思う事がある」
「ラルにもヒルスにも話したことないんだぜ」と智は唇の前に人差し指を立てた。
「へぇ、そんな人がいたんだ」
「向こうは覚えてもいないだろうし、もう会えないんだけど。だから、それは俺のいい思い出。そうじゃなかったら、みさぎちゃんに好きだなんて言わないから」
向こうで死んで異世界転生した湊や智は、元の世界に戻ることはできないと聞いている。
「智くんも、湊くんも、元の世界の思い出がいっぱいなんだね」
あぁやっぱり羨ましいと思いながら、みさぎは昨日の夢の話をした。智がどんな反応をするのか聞きたかった。
「私昨日ね、崖から落ちる夢を見たの。それを言ったら湊くんが、私がリーナじゃないかって言ったんだよ」
「そうなの?」
智の表情が一瞬固まった。
「智くん達もそうやってこの世界に生まれ変わったって聞いたよ。だから、私も仲間なのかって期待しちゃったけど、それ以外は思い出せないから違うんだろうな。智くんはどう思う?」
「湊は他になんか言ってた?」
「私が違うと思うって言ったら、それきり」
「そっか。俺たちはリーナが来るとは聞いてないし、偶然見た夢なのかもね。ほら、崖から落ちる夢って、背が伸びるとか聞かない?」
「何それ、夢占い?」
見上げる程に背の高い智を仰いで、みさぎは笑った。確かにもう少し背が高くなったらいいなとは思う。
そんな時、またあの匂いがみさぎの鼻腔をくすぐった。
「甘い匂いだ……」
昨日感じたのと同じ、砂糖を煮詰めたような濃い匂いだ。崖の向こうから漂ってくるような気がするが、はっきりとその発生源を掴むことはできない。
「ちょっと待って」
突然智の手がみさぎの肩を掴む。ビクリと身体を震わせると、智は「ごめん」とすぐにそれを解いた。
「みさぎちゃん、これ分かるの?」
緊張と困惑を滲ませる智に驚いて、みさぎはこくりと頷いた。
「智くんも?」
湊は分からないと言っていた。今日は昨日より匂いが強い気がする。
「みさぎちゃん、何かあっても勝手に動いちゃ駄目だよ?」
「何かあったら……って? どういう意味?」
「それは……」
返事に躊躇う智が、みさぎの背後に視線を止めた。
「お迎えだ。いい? 匂いの事は俺とみさぎちゃんの秘密にしておいて。湊や咲ちゃんには言わないでね」
声のトーンを落として早口に言った智が何を考えているのか、みさぎにはさっぱり分からない。
背後に足音がして振り向くと、不機嫌な顔をした咲が仁王立ちで立っていた。
「遅いぞ、みさぎ」
咲は「もういいか?」と聞きつつ「行こう」と下山を促してくる。
「う、うん」
智とまだ話したいことがあったが、咲には内緒だと言われたことを口にすることはできなかった。
「二人とも、また学校でね。今日はありがとう」
何事もなかったように手を振る智を、みさぎは何度も振り返った。
「智くん……」
別れ際「じゃあな」と言った咲に、智がそっと声を掛けるのがみさぎの耳に届く。
「言わないの?」
けれど咲は「何をだよ」と不機嫌に答えて、彼から顔を逸らした。
智の慌てた声の後に、炎はみるみると縮まっていく。
視界一面を赤く染めた魔法がキンという音を鳴らし、振り上げた手中に白い筋をたてて吸い込まれた。
炎が薄れて、黒い影に彼の表情が滲み出る。
炎と熱が全部消え去った所で、ザッと強い風が吹いた。
呆然と見入るみさぎに駆け寄って、智は「どうしたの?」と戸惑いを見せる。
「邪魔してごめんなさい。智くんと話がしたいと思ったの。咲ちゃんに言ったら、ここに居るだろうって言うから」
「邪魔じゃないよ。一人で来たの?」
「咲ちゃんが下で待ってる」
来た道を一瞥したみさぎに、智は「そういうことか」と笑った。
「別にわざわざこんなトコまで来なくても良かったのに」
智はみさぎが来た理由を悟って「ありがとね」と礼を言う。頬についた煤を指で拭うと、彼の顔は余計に黒くなってしまった。
みさぎはふと気付いて頭上を見上げる。
厚い雲に覆われた空の下、広場一面が炎で覆いつくされたというのに、辺りの木々には焼けた跡が一つもなかった。みさぎ自身も熱を感じてはいたが、服も綺麗な状態のままだ。
「さっきの魔法、凄い炎だったけど全然焼けてないんだね」
「びっくりしたでしょ。魔法は攻撃の対象を定めて撃つから、それがないとダメージはないんだよ。アイツ……咲ちゃんも言ってたでしょ? パフォーマンスだとかって」
「うん、でも結構熱かったのに」
みさぎは頬に手を当てるが、もう冷たくなっている。
「みさぎちゃんが来てること、湊は知ってるの?」
「ううん、言ってないよ」
「そうなんだ。話ってのは昨日の事? 湊といいことあった?」
自分から話そうと思っていたのに、先に智が切り出してしまう。
「ごめんなさい。私、湊くんが……」
「わかってるよ」
全部言う前に智が返事をくれた。みさぎは黙って顎を引く。
「謝ることじゃないよ。それに俺もダメなのわかってて、みさぎちゃんに告ったから」
「でも、あの時はまだ……」
保健室で告白された時は湊への気持ちも曖昧で、ハッキリと智へ答えを出すことができなかった。
けれど智は「バレバレだったよ」と笑う。
「みさぎちゃんのこと好きだってのは本当だけど、ちゃんと諦めるから。今まで通りに――って、この間も同じこと言ったっけ」
小さく歯を見せた智に、みさぎはぎこちなく笑みを返した。
「ほら、また申し訳なさそうな顔してる。いいんだよ、みさぎちゃんは湊の事助けてやって。アイツ昔から根暗だから、みさぎちゃんにちゃんと話せないことも多いと思うんだ。だから、側に居てやるだけでも違うと思うよ」
「うん」
みさぎは少し考えて、もう一度智に笑顔を向けた。
「そんな感じ。可愛いよ」
そう言うと、智は少しだけ過去の話をしてくれた。
「俺さ、大昔にもすっごい失恋して、ずっと引きずってるんだ。まぁ、ガキの頃の話だし、今じゃなくてアッシュの時の事だけど。相手の彼女、向こうの世界でまだ生きてるのかなって思う事がある」
「ラルにもヒルスにも話したことないんだぜ」と智は唇の前に人差し指を立てた。
「へぇ、そんな人がいたんだ」
「向こうは覚えてもいないだろうし、もう会えないんだけど。だから、それは俺のいい思い出。そうじゃなかったら、みさぎちゃんに好きだなんて言わないから」
向こうで死んで異世界転生した湊や智は、元の世界に戻ることはできないと聞いている。
「智くんも、湊くんも、元の世界の思い出がいっぱいなんだね」
あぁやっぱり羨ましいと思いながら、みさぎは昨日の夢の話をした。智がどんな反応をするのか聞きたかった。
「私昨日ね、崖から落ちる夢を見たの。それを言ったら湊くんが、私がリーナじゃないかって言ったんだよ」
「そうなの?」
智の表情が一瞬固まった。
「智くん達もそうやってこの世界に生まれ変わったって聞いたよ。だから、私も仲間なのかって期待しちゃったけど、それ以外は思い出せないから違うんだろうな。智くんはどう思う?」
「湊は他になんか言ってた?」
「私が違うと思うって言ったら、それきり」
「そっか。俺たちはリーナが来るとは聞いてないし、偶然見た夢なのかもね。ほら、崖から落ちる夢って、背が伸びるとか聞かない?」
「何それ、夢占い?」
見上げる程に背の高い智を仰いで、みさぎは笑った。確かにもう少し背が高くなったらいいなとは思う。
そんな時、またあの匂いがみさぎの鼻腔をくすぐった。
「甘い匂いだ……」
昨日感じたのと同じ、砂糖を煮詰めたような濃い匂いだ。崖の向こうから漂ってくるような気がするが、はっきりとその発生源を掴むことはできない。
「ちょっと待って」
突然智の手がみさぎの肩を掴む。ビクリと身体を震わせると、智は「ごめん」とすぐにそれを解いた。
「みさぎちゃん、これ分かるの?」
緊張と困惑を滲ませる智に驚いて、みさぎはこくりと頷いた。
「智くんも?」
湊は分からないと言っていた。今日は昨日より匂いが強い気がする。
「みさぎちゃん、何かあっても勝手に動いちゃ駄目だよ?」
「何かあったら……って? どういう意味?」
「それは……」
返事に躊躇う智が、みさぎの背後に視線を止めた。
「お迎えだ。いい? 匂いの事は俺とみさぎちゃんの秘密にしておいて。湊や咲ちゃんには言わないでね」
声のトーンを落として早口に言った智が何を考えているのか、みさぎにはさっぱり分からない。
背後に足音がして振り向くと、不機嫌な顔をした咲が仁王立ちで立っていた。
「遅いぞ、みさぎ」
咲は「もういいか?」と聞きつつ「行こう」と下山を促してくる。
「う、うん」
智とまだ話したいことがあったが、咲には内緒だと言われたことを口にすることはできなかった。
「二人とも、また学校でね。今日はありがとう」
何事もなかったように手を振る智を、みさぎは何度も振り返った。
「智くん……」
別れ際「じゃあな」と言った咲に、智がそっと声を掛けるのがみさぎの耳に届く。
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