いもおい～日本に異世界転生した最愛の妹を追い掛けて、お兄ちゃんは妹の親友(女)になる！？

４章 決断

５２ 夜の闇に惑わされる

「そういう意味じゃなかったの？」

　突然のキスに怒りだした咲さきの肩に両手を乗せたまま、蓮れんは「えっ」と眉をひそめた。

「だって、僕は男なんだぞ？」
「それは当人同士の問題じゃないかな。さっきだってナンパ野郎に声掛けられてたでしょ」
「あれは、あの男が僕を女だと思ってたからだよ」

　今まで言い寄ってくる男なんて星の数ほどいた。けどそれは、自分を女として見てるからだと知っているから、相手になんかできなかった。

「まぁそうかもしれないけど。俺は気にしてないよ」
「変態だ」

　声を震わせて訴うったえると、蓮は「そうなのかも」と笑う。

「けど、嫌だった？」
「…………」
「俺は、咲ちゃんの事好きだって言ったよ」
「…………」

　返す言葉が見つからない。
　キスされて驚いたけれど、突き飛ばすほど嫌ではなかったし、蓮の事を嫌いではない。ただそれを『好き』という言葉にまとめて、自分の気持ちを認めてしまうのは嫌だった。

　蓮は黙ったままの咲から両手を離して、困り顔を見せる。

「ごめん。やっぱり俺調子に乗ってたかも。前の時、二股ふたまたされて泣いたって話したでしょ？　だから、ちゃんと言っておきたかったんだよね」
「……蓮」

　何故だろう、急に腹が立った。咲は離れた距離を取り戻すように、蓮の腕を掴む。

「他の女の話なんて、聞きたくないんだよ」

　自分でも何を言ってるのか分からないが、イライラの原因がそこだという自覚はある。
　蓮は驚いた顔をして、小さく笑顔を零した。

「それって、嫉妬しっとしてくれてるってこと？」
「違う、そうじゃない！　けど……」

　咲は言い掛けた言葉を飲み込んだ。こんな話をするためにここへ来たわけじゃないのに。

　夜には夜の魔法があると、姉の凜りんに言われたことがある。

『夜の闇に惑わされないように――』

　夜は相手の顔も、自分の気持ちも、いつもと違って見える事があるらしい。
　けれど咲は「いや……」と首を振った。

「蓮に相談したり、愚痴ったり、泣きたいときに側に居てくれたらって思う。けどそれって僕の都合で振り回してるって事にならないか？」
「俺を都合のいい相手にって事？　咲ちゃんのそんな相手が俺だけだって言うなら大歓迎だけど？」

　咲は黙って頷うなずく。

「他にこんな話できる奴なんていないんだからな？　僕は今日蓮に会えたのも嬉しかった。そういうのが好きだってことになるなら、僕は蓮が好きだよ」

　言い切る前に、蓮に引き寄せられた。彼の肩に頬ほおを押し付けて、咲はそっとその背中を抱きしめる。

「けど、僕は男なんだ」
「分かってるよ」

　大変な時に、こんなことをしていていいのかと思う。
　自分が男だと知っている奴に見られたら笑われてしまうかもしれないけれど、それでもいいと思えるくらい蓮の腕の中は心地良かった。

「みさぎには絶対に言わないで」
「分かった。今のところはね」

　頭を撫でた蓮の笑顔を一瞥いちべつして、咲は昼間智にした質問を彼にぶつけた。

「蓮は、運命ってのは委ゆだねるものだと思うか？　それとも抗あらがうものだと思うか？」
「そんなのは自分の都合に合わせて考えればいいんだよ。もしその運命が自分にとって良くないなら、抗えばいいと思うよ」

　智とは違う答えだった。二人とも『らしい』なと思って、咲は苦笑する。

「じゃあ、極端きょくたんな話だぞ？　大事な人を守って他の数えきれない人たちを見捨てるのと、大事な人を見捨てて他を全部守るなら、どっちをとる？」
「そんなの決まってる。俺は大事な人を取るよ」

　蓮は即答して、咲を強く抱きしめる。

「もし誰かが俺に選択を委ねるなら、俺の特権ってことでしょ？　だったら大事な人を切り捨てる我慢なんて、俺はしないよ」
「……うん」

　咲は「そうか」と頷うなずいて、蓮を見上げた。

「ありがとな、蓮。それが聞けて満足だ。決断に迷ったら、僕は蓮の事を思い出すよ」


　　　☆
　その後、炊けたご飯で作ったおにぎりを食べて、和室で夜を過ごした。
　少しだけ隙間すきまを空けて並べた布団は、蓮の寝相の悪さで朝には更に間隔が広がっていた。

　朝目覚めた時右手にあった彼の手は、寝る前に繋いだものだ。
　ヒルスの時、自分はいつもリーナの手を繋ぐばかりで、身内以外の誰かにこうして手を握られているのを新鮮に感じてしまう。

　開いた手に自分の指を絡めて、咲は逆の手もそこへ重ねた。

「おっきい手だな」

　夜の魔法は朝になっても解けることが無かった。
　お泊り会の時のような後悔はない。

　みさぎに良く似た寝顔がくしゃりと震えて瞼まぶたが開く。
　うつろな目が咲を見つけてにこりと笑った。

「おはよう、咲ちゃん」

　前に、好きというのはどんなことだと聞かれて、咲はみさぎにこう答えた。

　――『そりゃあ、相手が笑ったら自分も嬉しくて、泣いてたら自分も辛いなって思う相手の事なんじゃないか？』

　自分で言ったことなのに、ちょっと恥ずかしいと思ってしまう。

「おはよう、蓮」

　まだ自分の気持ちをちゃんと自覚したわけではないけれど、今、少し嬉しいと思った。


　　　☆
「咲って呼んでもいい？」

　帰り際、片付けを終えた部屋で蓮がそんなことを言った。

「駄目だ、恥ずかしいから」

　即答して、咲は蓮から目を逸らす。

「何で？　俺の事は蓮って呼ぶのに？」
「……じゃあ、みさぎの前で絶対に言わない自信があるならいいよ」

　ぶっきらぼうに答えると、蓮は「やった」と喜んで、咲を抱きしめる。そして耳元でそっと囁ささやいた。

「絶対無事でいて。咲はちゃんと俺のとこに帰って来てね」

　「うん」と小さく頷いた咲は、彼の声に不安を汲み取って「ごめん」と謝る。

「ちゃんと話してやれなくて、申し訳ないと思ってる」
「俺にできることはない？」
「ないよ。僕にだって殆どない」
「わかった。じゃあ話せるときに話してくれればいいよ」
「うん、ありがとう」

　少し屈かがんだ蓮の顔が近付いて、今度は短いキスをする。すぐに離れた唇は額に触れて、蓮は咲を抱きしめた。

「蓮……」

　帰りたくないと思ってしまうのは、やっぱり好きという事なのだろうか。

「蓮にまた会えるか？」
「当たり前でしょ。会いたくなったら会いたいって言えばいいんだよ？　俺たち、付き合ってるんだし。今度はメールだけじゃなくて電話もするから」
「じゃあ、来月になったらまた僕が会いに来るよ」
「わかった。じゃあ楽しみにしてるね。俺からも会いに行くから」

　まず一つの答えが出た後に、蓮とまた笑顔で会えたらいいと思う。
　「うん」と頷いて、咲はそっと背伸びをする。少し背の高い彼の肩を掴つかんで、咲は自分からキスをした。

　今日は九月二十三日。秋分の日で、三連休の初日だ。
　咲にとって、少し長い一日が始まった。



四章『決断』終わり
五章『１０月１日のハロン』に続く