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3章 命の猶予

34 一緒に風呂に入るのはやめておく

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 夕飯はカレーを作った。
 さきが手土産の代わりに持参した牛肉の効果で、見た目も味も豪華になった。
 咲は、みさぎより自分の方が包丁に慣れているのが、兵学校時代の野営訓練の賜物たまものだと思っている。

「すっごい、咲ちゃん。女子力高すぎる」
「へへん、これくらいはな」

 だからと言ってみさぎができないわけではないのだが、服装よりもこっちを褒められると何だか嬉しくなってしまう。

 そこからゲームをして風呂に入ったら、あっという間に十時近くになっていた。
 みさぎが「一緒にお風呂に入ろう」と提案したが、咲はそれを断った。女同士とはいえ、かつて兄妹でそういうシチュエーションがあったとはいえ、やっぱり今だと恥ずかしいと思ってしまったからだ。
 しかも一緒に入ったなんて後から智にバレてしまっては、何を言われるか分かったものじゃない。

「お布団、ここでいいかな」

 みさぎは隣の客間に敷いてあった布団一式を両手に抱えて来て、自分のベッドの横に並べた。どうやら、れんが勝手に隣の部屋へ用意してしまったらしい。

 みさぎの着ている水色とオレンジのチェック柄のパジャマは、彼女のイメージに良く合っている。
 ちなみに、今日の夜のコンセプトは『パジャマパーティ』で、いつもタンクトップと半ズボンで寝ている咲は、姉に準備されてしまったピンク色のヒラヒラパジャマを不本意ながら着ている。
 だから、蓮が夜いないと知って、内心ほっとしていた。

「折角だし、一緒に寝たいよね」
「うん、ありがとう」

 雨の気配がして、咲がカーテンを閉める。
 「あぁ」とカーテンの隙間に見える闇を覗いたみさぎの顔が、不安気にゆがんだ。

「みさぎ、下行ってテレビでも見ようか?」
「ううん、今日は……」

 みさぎが言い掛けたところで、彼女のスマホが鳴った。

「お兄ちゃんだ」

 ベッドに腰掛けたみさぎの横に並んで、咲は向けられたモニターを覗いた。

『雨、大丈夫か?』

 心配する蓮にみさぎは小さく微笑ほほえんで、『平気』と返す。

「咲ちゃんがいるから、平気だよ」
「なら良かった。アニキ、心配してくれるんだ」
「雨の時だけは優しいかな。私が怖がるからね」

 みさぎはスマホを机の充電器に繋いで戻って来ると、「ねぇ」と咲をうかがった。

「咲ちゃん最近元気なかったけど、何かあった? 上の空の時とかあったよ」

 自分では自覚していなかったが、智の死へ対する不安がここのところずっと響いていたのは確かだ。

「ごめん。心配かけてた? 大したことじゃあないんだけど」
「そうなの? 恋の悩みとか、何でも私に相談してね」

 バンと自信あり気に自分の胸を叩くみさぎ。

「はぁ?」
「だって、お泊り会といえば恋バナじゃない?」
「そ、そうなのか?」

 リーナに夢中で、みさぎに夢中で、自分の恋愛なんて考えたこともなかった。
 咲はムッとほおふくらませて、みさぎを横からのぞき込む。

「恋の相談したいのはみさぎの方なんじゃないのか? 智とは友達のままなのか? 湊だって……」
「それは……」

 黙ってうつむくみさぎの肩に、咲はそっと手を乗せた。

「まぁ、好きでもないやつに好きって言うのもおかしいけどな」
「ねぇ咲ちゃん、誰かを好きになるってどういうことだと思う?」

 何だか大昔にもこんなことがあったのを思い出して、咲は眉をしかめた。

 ――『ねぇ兄様、このままじゃダメなのかな』

 リーナも同じようことを言っていた。魔法を使えば誰よりも強い彼女が、恋愛になるとからっきし臆病になってしまう。

「そりゃあ、相手が笑ったら自分も嬉しくて、泣いてたら自分も辛いなって思う相手の事なんじゃないか?」

 ちなみにそれは、みさぎに対する自分の想いに重ねた経験論だ。
 自分で言っておいて、嫉妬しっと心が湧いてくる。少なくとも今みさぎが頭に浮かべている顔は、自分じゃない。
 ハッとしたみさぎの目が泣きそうになって、咲は「泣くな」となだめた。

「好きって、そんな簡単な事なの?」
「簡単だよ。諦めるのは難しいけど」
「そっか……」

 彼女の中で、何かがに落ちたようだ。けれどみさぎは胸元をぎゅっと握り締めて、今度は不安げな顔をする。
 これじゃあまた同じことの繰り返しだ。

「いいか、男と付き合うってのは一かゼロの話なんだからな。一になれなかったヤツがみんな嫌いって訳じゃないだろう? お前とは付き合えないって伝えるのは、申し訳ないって思っても悪い事じゃないんだからな?」
「うん――」

 みさぎはどこか宙に視線を漂わせながら、苦笑する咲に小さく顔を傾けた。
 みさぎが誰を好きかなんては聞かないし、聞きたくもない。リーナが好きなヤツが誰かなんて、大昔から知っている。

 けれど、みさぎはいつ誰にどんな思いを伝えるのだろうか。

「……けど、急ぐ必要はないからな」

 命のタイムリミットは迫っているのだ。


   ☆
 雨の気配はやまず、強くなる一方だ。
 窓を打ち付ける雨音に強がっていたみさぎも流石さすがに不安になったのか、早めに布団に入った。

「怖いか?」
「ちょっとだけね」

 咲が起き上がってベッドの中に手を入れると、みさぎの手が震えていた。

「私もそっちの布団で寝ようか?」
「ううん、これだけで大丈夫」

 つないだ手の体温が溶け合って震えがようやく収まったところで、みさぎの安堵あんどがこぼれる。

「咲ちゃんの手って、あったかいね」
「そうかな」
「うん。ホッとしちゃう。この間、山で咲ちゃんが手を繋いでくれたでしょう? あの時、懐かしいなって思ったんだ。いつのことかわからないけど、昔咲ちゃんはこの町に住んでたんだよね? もしかしてどこかで会って、手を繋いだことがあったのかなとか考えてたんだ」
「…………」
みなとくんやともくんが前の世界の事を思い出すのも、こんな感じなのかなって思うと、何だか楽しくなっちゃって」

 急に涙が込み上げて、咲は泣き出してしまいそうになるのを全身でこらえた。
 説明できない涙で、これ以上みさぎを不安にさせたくなかった。

 電気を消した後だったことにホッとして、「どうなのかな」と平静を装った一言を呟くのが精一杯だった。

 この町で過去にみさぎと手を繋いだことなんてない筈だ。そんなことがあれば絶対に気付くことができた自信はある。だからそれは、それよりもずっと昔の事だろう。

 リーナと手を繋いだ記憶なんてヒルスだった自分にはたくさんありすぎて、全部思い出すことなんてできない。
 両親を亡くして城下へ逃げる時も、ヒルスはずっとリーナの手を握りしめていた。

 みさぎにはリーナの記憶なんかないのに、その感触を覚えていてくれたことが嬉しくてたまらない。

「生まれる前の記憶かぁ。湊くんたちはハロンと戦う使命を持ってこの世界に来たんだよね。大変なのかもしれないけど、絶対に無事でいて欲しいって思う。そしたらまたずっとみんなで一緒に居れるよね」

 みさぎも、あの二人も、智の運命を知らない。
 あと数週間でその日が来ることを考えたら胸が詰まりそうになって、声を上げて泣きたくなった。

 「咲ちゃん?」と様子に気付いて声を掛けてくるみさぎに、咲は「おやすみ」と言って手を握りしめた。

「うん。今日はありがとうね、咲ちゃん」

 みさぎがそのまま目を閉じたのが暗闇の中にぼんやりと見えて、咲は自分の口を空の手で押さえつけた。

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