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3章 命の猶予
28 あの人とあの人があの人とあの人で
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ハリオスはヒルスにとって親代わりのような存在だった。
出会いはヒルスが戦争で両親を亡くして、二つ歳の離れたリーナと町を彷徨っていた十二歳の頃だ。
「身寄りが誰も居なくて、僕たちは糊口をしのぐ生活を強いられた。そこいらの家の軒下に寝たこともあるし、雑草を食べて腹を壊したことだってある。建物の被害が少なかった王都まで逃げたある日、リーナが居なくなってしまったことがあるんだ。半日探しても見つからなくて途方に暮れてたところで、アイツはアンタを連れて帰って来た」
「魔法使いってね、感覚が鋭いの。たまたま迷子の彼女を見つけて、唯一の家族だっていう貴方を探すのを手伝った。その時に手を繋いで、魔法使いだって分かったのよ。まさかウィザードにまでなる逸材だとは思わなかったけど」
懐かしむように絢は呟く。
うつむいたままの咲は少し顔を上げたが、彼女のヒラヒラのスカートが視界に飛び込んできて、慌てて目を逸らした。
「僕たちが孤児だと知って、アンタはハリオス様を紹介してくれたんだ」
「国は戦争で魔法使いを大量に失った。リーナは貴重だったのよ」
ハリオスは元々、王に仕えるワイズマンだったが、戦後ヒルスが初めて会った時はもう現役を退いていて『本好きのお爺さん』くらいにしか見えなかった。
「リーナが魔法使いだったから、僕たちはあの人の所で暮らすことができた。リーナはアンタの所で魔法を学んで、僕も兵学校に行かせてもらった。だからアンタには感謝してるよ」
「私はリーナを育てたかっただけよ」
「僕はただのおまけなのに、ハリオス様は僕にとっても優しかったんだ。爺さんって呼ぶと周りの奴等は慌ててたけど、あの人は嫌な顔一つしなかった」
リーナをあの高校に誘ったのは校長だという。けれど先を越されたという嫉妬は全く沸かなかった。
咲も大分探したつもりだったが、ずっと見つけられなかったのは事実なのだ。
「校長が爺さんだって気付けなかった自分が恨めしいよ」
ターメイヤに居た頃と今では、ハリオスの外見はまるで違う。けれど年の頃は変わらないように見えた。
「爺さんは今家にいるのか?」
その経緯は不明だが、異世界では他人だったはずの校長と絢が、こっちでは父娘という事になっている。つまり校長の家はここなのだ。滅多にない事だが、校長が店番をしていることもある。
「今はいないわよ。結構神出鬼没なところがあるから、散歩にでも行ったんじゃないかしら」
「そうか」
「けど貴方が私たちに気付けなかったことなんて、全然気にしなくていいわよ。こっちもバレないままでいいと思ってたし」
ハリオスとの思い出を語り終えたところで、咲はようやくメイド服姿の絢を直視した。口に出してはいけないような違和感を感じながら、話を続ける。
「爺さんもアンタも、見てくれのからくりはまだ企業秘密のままなのか?」
「歳がおかしいってこと?」
「あぁ」
「外見なんてどうでもいいじゃない。私は魔法使いよ? そんなのどうにでもなるのよ」
「おい、それじゃあ今の姿は偽物ってことか? 中はまさか婆さ……」
「やめてくれる?」
ピシャリと声を上げる絢。
そんなことができるなら、もっと若作りしてメイド服でも何でも着ればいいのにと思ってしまう咲だが、口には出さないでおく。
「けど、ハリオス様やルーシャがこっちの世界に来たってことは、アッシュが死ななくてもいい策が見つかったのか?」
「そんなのがあるなら、会った時点でちゃんと言うわよ。私たちはこの世界の未来を見届けるために来ただけなの」
「このまま正体を隠して、アッシュに何も知らないまま死ねって言うのか?」
「じゃあ聞くけど、貴方はこの世界に来て彼にそれを言うつもりだったの? それとも私にさせるつもり?」
「それは……。けどさ、だったら湊だけに言えばいいんじゃないのか? アイツならハロンに勝てるんだろう?」
湊の力があれば智の死を回避できるだろうという咲の考えに、絢は賛同どころか声を荒げた。
「そりゃラルは勝てるわよ。けど十月に戦って、彼に何かあったら困るのよ。十二月には次が来るのよ? あれはアッシュ一人じゃ勝てないの。ラルが万全の状態で挑むことが勝利の必須条件よ? いい、ヒルス。未来を知った人間は、慎重にならなきゃ駄目。運命に逆らって未来を変えたら、この世界に大きな影響を与えるかもしれない。それは良くないことなのよ」
「運命を呆然と受け入れろってことか」
「そうよ」
切り捨てるように絢は言う。
咲はワンピースの裾を強く握りしめた。
「じゃあ、あそこで智は……」
湊があの広場を見つけたことが偶然でないとすれば、その答えはきっと一つだ。
「昨日貴方たちが行ったあの場所に、次元の歪みがある。つまりあそこにハロンが現れるのよ」
リーナとルーシャが逃がしたハロンは、十二月一日にやって来る。だから湊と智は迎え撃つためにターメイヤからこの世界へ来たのだ。
けれど二人が向こうの世界を発った後、もう一つの事実が発覚した。
リーナとヒルスの両親が死んだ過去の戦争の最中、もう一体のハロンが存在していたのだ。
まだウィザードと言われる最強クラスの魔法使いが居ない時代、戦場で苦戦を強いられたルーシャが最初の『次元隔離』を発動させる。
次元の外へ追い出した最初のハロンが、十月一日に地球へ現れ、智を殺すという。
「あそこで智は……死ぬのか?」
「そうよ。何度も言ってるわ」
絞り出すように呟いた咲の声に対して、絢の声は冷たい。
未来は変えることができない。
アッシュの未来を知った上で、十二月一日の対ハロン戦に向けた武器を彼から引き継ぐために、リーナがこの世界に来た。
アッシュの武器は、魔法使いにしか扱えない剣だ。魔法を失ったリーナでも、その潜在能力で発動させることができるという。だから、咲ではその代わりは務まらない。
「最強の武器を手にしたラルは、昔の彼よりずっと強い。このままみさぎにリーナの記憶が戻らなくても、彼女が戦わなくても、この世界は救われると思う」
「けど……智が死んだら、みさぎは悲しむだろう?」
「お兄ちゃん、貴方はリーナを戦わせたくなかったんじゃないの? あの二人だってそう思ってあの子を置いてきたのよ? それを無理矢理戦場へ送り出すつもり?」
アッシュとラルが何も言わずにターメイヤを離れた時の泣き崩れたリーナを思い出して、咲は「違うだろ?」と訴える。
「そうは言ってないだろ? 僕はアイツを戦いに使おうなんてこれっぽっちも思ってない。けど、僕はアイツの泣く顔も見たくないんだ。僕は、どうすればいいんだよ!」
向こうの世界に居た時からアッシュが死ぬのは分かっていた。
この世界に生まれて記憶を戻したのは小学生の時だ。ハロンが来るなんてまだまだの事だと思っていたのに、昨日カレンダーを見てあまりにもその期日が迫っていたことにゾッとした。
「貴方は十月一日をどう迎えるつもり? 良く考えなさい。貴方なりの答えが出たら、私は貴方に話すことがあるから」
「何だよ、話す事って」
「さっき言ったでしょ? 貴方がこの世界に来た理由よ」
絢は妖艶な笑みを見せつけて立ち上がった。
「妹の為を思うのか、親友に真実を話すのか。まだ少し時間はあるから、悩むだけ悩みなさい」
「悩んだら、どうにかなるのかよ」
「まぁ、ならないでしょうけど。けど、自分なりの答えを探して」
「…………」
「貴方がそんなに落ち込んでどうするのよ。いいわ、じゃあ今日は特別に楽しいことを教えてあげる」
未来を悲観してドンと沈む咲に、絢は右手の人差し指を銃のように伸ばして「バン」と撃つ真似をした。
のっそりと見上げる咲に、絢はハリオスの正体にも勝る事実を話し始める。
「メラーレの事は覚えてる?」
「メラーレ? 誰だっけ?」
どこかで聞いたことはある気がしたけれど、どんな人なのかは全く覚えていない。
「ほら、リーナと仲の良かった子よ」
「あぁ、あの髪の長い子か」
それでもぼんやりと浮かぶ程度だ。リーナと同年代の大人しい感じの少女で、二人で一緒に居る所をよく見かけた気がする。
「うんうん、何となく思い出した」
こくりこくりと頷く咲に、
「彼女、保健室の一華先生だから」
「はあっ?」
何でそんなことになっているのかは全く分からないが、それを聞いて咲の脳裏に不安がよぎった。
「ちょっと待ってよ……」
メラーレが一華だという事は、驚く以外に問題も害もない事だが、この世界には二度あることは三度あるという言葉が存在するのだ。その法則を当てはめると、ここで終わるわけがないような気がした。
「あと誰が居るんだ……」
「やっぱり今日のお兄ちゃんは冴えてるわね」
にっこり笑う絢を見て、嫌な汗が掌に滲んできた。
咲は向こうの世界の住人で、二度と会いたくない男がいた。まさかそんなことはないだろうと思っては見るが、よくよく考えたらある人物と名前が似ていることに気付いて「ぐうっ」と息を詰まらせる。
「いや、まさか、うちの担任の中條先生じゃあないですよね……?」
そうであってほしくないと願いを込め、咲はかしこまって答えを待った。
しかし、
「大正解ですぅ、御主人様ぁ!」
絢はその場でくるりと回り、気持ち悪いくらいに屈託のない笑顔を広げる。
「中條明和先生は、兵学校の鬼教官『鬼の宰相』の異名を持つ、ギャロップメイなのですぅ」
「ひぃぃぃい」
全っ然、楽しくも嬉しくもない情報だ。
断固として認めたくない現実を突きつけられて、咲は本日二度目の背面飛びよろしくソファへのダイブを決めた。
出会いはヒルスが戦争で両親を亡くして、二つ歳の離れたリーナと町を彷徨っていた十二歳の頃だ。
「身寄りが誰も居なくて、僕たちは糊口をしのぐ生活を強いられた。そこいらの家の軒下に寝たこともあるし、雑草を食べて腹を壊したことだってある。建物の被害が少なかった王都まで逃げたある日、リーナが居なくなってしまったことがあるんだ。半日探しても見つからなくて途方に暮れてたところで、アイツはアンタを連れて帰って来た」
「魔法使いってね、感覚が鋭いの。たまたま迷子の彼女を見つけて、唯一の家族だっていう貴方を探すのを手伝った。その時に手を繋いで、魔法使いだって分かったのよ。まさかウィザードにまでなる逸材だとは思わなかったけど」
懐かしむように絢は呟く。
うつむいたままの咲は少し顔を上げたが、彼女のヒラヒラのスカートが視界に飛び込んできて、慌てて目を逸らした。
「僕たちが孤児だと知って、アンタはハリオス様を紹介してくれたんだ」
「国は戦争で魔法使いを大量に失った。リーナは貴重だったのよ」
ハリオスは元々、王に仕えるワイズマンだったが、戦後ヒルスが初めて会った時はもう現役を退いていて『本好きのお爺さん』くらいにしか見えなかった。
「リーナが魔法使いだったから、僕たちはあの人の所で暮らすことができた。リーナはアンタの所で魔法を学んで、僕も兵学校に行かせてもらった。だからアンタには感謝してるよ」
「私はリーナを育てたかっただけよ」
「僕はただのおまけなのに、ハリオス様は僕にとっても優しかったんだ。爺さんって呼ぶと周りの奴等は慌ててたけど、あの人は嫌な顔一つしなかった」
リーナをあの高校に誘ったのは校長だという。けれど先を越されたという嫉妬は全く沸かなかった。
咲も大分探したつもりだったが、ずっと見つけられなかったのは事実なのだ。
「校長が爺さんだって気付けなかった自分が恨めしいよ」
ターメイヤに居た頃と今では、ハリオスの外見はまるで違う。けれど年の頃は変わらないように見えた。
「爺さんは今家にいるのか?」
その経緯は不明だが、異世界では他人だったはずの校長と絢が、こっちでは父娘という事になっている。つまり校長の家はここなのだ。滅多にない事だが、校長が店番をしていることもある。
「今はいないわよ。結構神出鬼没なところがあるから、散歩にでも行ったんじゃないかしら」
「そうか」
「けど貴方が私たちに気付けなかったことなんて、全然気にしなくていいわよ。こっちもバレないままでいいと思ってたし」
ハリオスとの思い出を語り終えたところで、咲はようやくメイド服姿の絢を直視した。口に出してはいけないような違和感を感じながら、話を続ける。
「爺さんもアンタも、見てくれのからくりはまだ企業秘密のままなのか?」
「歳がおかしいってこと?」
「あぁ」
「外見なんてどうでもいいじゃない。私は魔法使いよ? そんなのどうにでもなるのよ」
「おい、それじゃあ今の姿は偽物ってことか? 中はまさか婆さ……」
「やめてくれる?」
ピシャリと声を上げる絢。
そんなことができるなら、もっと若作りしてメイド服でも何でも着ればいいのにと思ってしまう咲だが、口には出さないでおく。
「けど、ハリオス様やルーシャがこっちの世界に来たってことは、アッシュが死ななくてもいい策が見つかったのか?」
「そんなのがあるなら、会った時点でちゃんと言うわよ。私たちはこの世界の未来を見届けるために来ただけなの」
「このまま正体を隠して、アッシュに何も知らないまま死ねって言うのか?」
「じゃあ聞くけど、貴方はこの世界に来て彼にそれを言うつもりだったの? それとも私にさせるつもり?」
「それは……。けどさ、だったら湊だけに言えばいいんじゃないのか? アイツならハロンに勝てるんだろう?」
湊の力があれば智の死を回避できるだろうという咲の考えに、絢は賛同どころか声を荒げた。
「そりゃラルは勝てるわよ。けど十月に戦って、彼に何かあったら困るのよ。十二月には次が来るのよ? あれはアッシュ一人じゃ勝てないの。ラルが万全の状態で挑むことが勝利の必須条件よ? いい、ヒルス。未来を知った人間は、慎重にならなきゃ駄目。運命に逆らって未来を変えたら、この世界に大きな影響を与えるかもしれない。それは良くないことなのよ」
「運命を呆然と受け入れろってことか」
「そうよ」
切り捨てるように絢は言う。
咲はワンピースの裾を強く握りしめた。
「じゃあ、あそこで智は……」
湊があの広場を見つけたことが偶然でないとすれば、その答えはきっと一つだ。
「昨日貴方たちが行ったあの場所に、次元の歪みがある。つまりあそこにハロンが現れるのよ」
リーナとルーシャが逃がしたハロンは、十二月一日にやって来る。だから湊と智は迎え撃つためにターメイヤからこの世界へ来たのだ。
けれど二人が向こうの世界を発った後、もう一つの事実が発覚した。
リーナとヒルスの両親が死んだ過去の戦争の最中、もう一体のハロンが存在していたのだ。
まだウィザードと言われる最強クラスの魔法使いが居ない時代、戦場で苦戦を強いられたルーシャが最初の『次元隔離』を発動させる。
次元の外へ追い出した最初のハロンが、十月一日に地球へ現れ、智を殺すという。
「あそこで智は……死ぬのか?」
「そうよ。何度も言ってるわ」
絞り出すように呟いた咲の声に対して、絢の声は冷たい。
未来は変えることができない。
アッシュの未来を知った上で、十二月一日の対ハロン戦に向けた武器を彼から引き継ぐために、リーナがこの世界に来た。
アッシュの武器は、魔法使いにしか扱えない剣だ。魔法を失ったリーナでも、その潜在能力で発動させることができるという。だから、咲ではその代わりは務まらない。
「最強の武器を手にしたラルは、昔の彼よりずっと強い。このままみさぎにリーナの記憶が戻らなくても、彼女が戦わなくても、この世界は救われると思う」
「けど……智が死んだら、みさぎは悲しむだろう?」
「お兄ちゃん、貴方はリーナを戦わせたくなかったんじゃないの? あの二人だってそう思ってあの子を置いてきたのよ? それを無理矢理戦場へ送り出すつもり?」
アッシュとラルが何も言わずにターメイヤを離れた時の泣き崩れたリーナを思い出して、咲は「違うだろ?」と訴える。
「そうは言ってないだろ? 僕はアイツを戦いに使おうなんてこれっぽっちも思ってない。けど、僕はアイツの泣く顔も見たくないんだ。僕は、どうすればいいんだよ!」
向こうの世界に居た時からアッシュが死ぬのは分かっていた。
この世界に生まれて記憶を戻したのは小学生の時だ。ハロンが来るなんてまだまだの事だと思っていたのに、昨日カレンダーを見てあまりにもその期日が迫っていたことにゾッとした。
「貴方は十月一日をどう迎えるつもり? 良く考えなさい。貴方なりの答えが出たら、私は貴方に話すことがあるから」
「何だよ、話す事って」
「さっき言ったでしょ? 貴方がこの世界に来た理由よ」
絢は妖艶な笑みを見せつけて立ち上がった。
「妹の為を思うのか、親友に真実を話すのか。まだ少し時間はあるから、悩むだけ悩みなさい」
「悩んだら、どうにかなるのかよ」
「まぁ、ならないでしょうけど。けど、自分なりの答えを探して」
「…………」
「貴方がそんなに落ち込んでどうするのよ。いいわ、じゃあ今日は特別に楽しいことを教えてあげる」
未来を悲観してドンと沈む咲に、絢は右手の人差し指を銃のように伸ばして「バン」と撃つ真似をした。
のっそりと見上げる咲に、絢はハリオスの正体にも勝る事実を話し始める。
「メラーレの事は覚えてる?」
「メラーレ? 誰だっけ?」
どこかで聞いたことはある気がしたけれど、どんな人なのかは全く覚えていない。
「ほら、リーナと仲の良かった子よ」
「あぁ、あの髪の長い子か」
それでもぼんやりと浮かぶ程度だ。リーナと同年代の大人しい感じの少女で、二人で一緒に居る所をよく見かけた気がする。
「うんうん、何となく思い出した」
こくりこくりと頷く咲に、
「彼女、保健室の一華先生だから」
「はあっ?」
何でそんなことになっているのかは全く分からないが、それを聞いて咲の脳裏に不安がよぎった。
「ちょっと待ってよ……」
メラーレが一華だという事は、驚く以外に問題も害もない事だが、この世界には二度あることは三度あるという言葉が存在するのだ。その法則を当てはめると、ここで終わるわけがないような気がした。
「あと誰が居るんだ……」
「やっぱり今日のお兄ちゃんは冴えてるわね」
にっこり笑う絢を見て、嫌な汗が掌に滲んできた。
咲は向こうの世界の住人で、二度と会いたくない男がいた。まさかそんなことはないだろうと思っては見るが、よくよく考えたらある人物と名前が似ていることに気付いて「ぐうっ」と息を詰まらせる。
「いや、まさか、うちの担任の中條先生じゃあないですよね……?」
そうであってほしくないと願いを込め、咲はかしこまって答えを待った。
しかし、
「大正解ですぅ、御主人様ぁ!」
絢はその場でくるりと回り、気持ち悪いくらいに屈託のない笑顔を広げる。
「中條明和先生は、兵学校の鬼教官『鬼の宰相』の異名を持つ、ギャロップメイなのですぅ」
「ひぃぃぃい」
全っ然、楽しくも嬉しくもない情報だ。
断固として認めたくない現実を突きつけられて、咲は本日二度目の背面飛びよろしくソファへのダイブを決めた。
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