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2章 甘い香り
25 甘い香り
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「油断しすぎ」
呆然とする智の肩を叩いて、苦笑する湊。
「いや、だってアレってさ……」
口元に拳を押し付けて、智は言葉を飲み込んだ。
咲に隙を突かれた智は、その状況に偶然以外の何かを感じているようだが、
「……そういうこと?」
そっと呟いた智の声は、ひゅうっと吹いた風に掻き消える。智の口元が薄く笑みを滲ませた途端、彼からどんよりとした空気が消え去った。
「じゃあ、海堂にわざと負けてやったのか?」
「いや、わざとじゃないよ。俺の負けだ。すごいな咲ちゃん」
きっぱりと負けを認める智に、咲は「やったぁ」と声を上げて、くるくると回した木の棒を「さんきゅう」と湊へ返した。
「ほんと凄かったね、咲ちゃん。速すぎて殆ど見えなかったもん」
「だろ? 智もまさかこんな可愛い女子に負けるとは思わなかっただろうよ」
どんと胸を叩いて、咲はニヤリと笑った。智への怒りの余韻をその笑みに感じて、みさぎは「もう」と溜息をつく。
「剣で湊には敵わないと思ってたけど、まさか咲ちゃんに負けるとはね」
智は「残念だよ」と口にするが、悔しがっているようには見えなかった。むしろ嬉しそうな、面白がっているような顔を咲に向けて、「じゃあ、そろそろ」とみさぎを振り向く。
「魔法見てみる? カッコ悪いところ見せちゃったから、名誉挽回しとかなきゃね」
「うん、見たい!」
みさぎはいよいよだ、と興奮を募らせる。これを見る為に来たと言っても過言ではない。
「智の魔法は凄いからな」
湊でさえ彼を褒めるが、ここにきて咲が急に不機嫌になった。
「まぁ、せいぜいカッコつけてみろよ」
「どうしたの、咲ちゃん」
「何でもない」
不貞腐れたようにそっぽを向く咲に、智は「これくらいはさせてよ」と苦笑して女子二人に向き合った。
「俺たちが居た世界で、魔法を使えるのは一割以下。その中でもリーナみたいに最強魔法を使えるのは、その時代ごとに一人いるかいないかってくらいなんだ。魔法を使えるのは、血縁とかは全く関係のない突発的なものだよ」
魔法について説明する智に、みさぎは「うんうん」と目を輝かせる。
隣では機嫌を損ねたむくれ顔の咲が、仁王立ちで聞いていた。
「見てて」
そう言って智は広場の中央へ駆け出した。真ん中より少し奥まで行って足を止め、ゆっくりと晴天の空を仰ぐ。
空へと伸ばした右手の指先が小さく動いて、宙に何かをなぞりだした。指先に赤い光が丸く灯り、指の起動が空中に貼りついていく。
刻まれた光は文字のようにも見えるが、何が書いてあるかを読み取ることはできない。
耳の奥でキンと音が鳴って、みさぎはそっと掌を当てた。
赤い光が智の周りを一周して書き始めの位置と繋がったところで、智の口が「行け」と動く。
「魔法陣だ!」
みさぎがそう確信して声を上げる。
智が頭上へ伸ばしたままの指をくるりと回転させたのを合図に、魔法陣は彼の足元にズンと落ちて、地面に文字を刻み込んだ。
光が生き物のように地面を這い、炎を立ち上らせる。赤い文字列が幾重にも重なって彼を包み込むように回転する様は、その魔法の威力よりも見た目の華やかさに目を奪われてしまう。
「凄い、智くん」
光からの熱を感じて、みさぎは自分の頬に手を当てた。
そんな日常からは想像できないような現実を目の当たりにしても尚、咲は驚きもせず仏頂面を貼り付けている。
「あんなの、ただのファイヤーショーじゃないか。こんなの見せられても、羨ましくなんかないんだからな」
強い目で智を睨んで、咲は豪快に笑い出した。
☆
「智が好きなら、付き合えばいいと思うよ」
帰り際、咲がそんなことを言った。
駅のホームまで送ってくれた彼女が、電車のドア越しに立った所で、その時を狙ったように言ってきた。
山で二人と居る時は智に対して敵対心剥き出しな感じだったのに、咲の急な心変わりに、みさぎは驚いて「えっ」と目を丸くする。
「突然どうしたの?」
「思ったことを言っただけだよ。智じゃなくて湊が良いって言うなら、それでもいいけどさ……私には止める権利なんてないんだと思って」
「咲ちゃん……?」
発車のベルが響き渡って、咲は「じゃあな」とドアを離れる。
ピシャリと閉まるドアの向こうで、物憂げな表情の咲が小さく手を振った。
☆
「海堂のアレって、本当にまぐれだったの?」
残った男子二人は、それから一時間ほどで山を下りた。
駅までの下り坂を歩きながら、湊が問う。
アレというのは勿論、咲が剣で智に勝利した件だ。あの時は智が油断したと思ったけれど、よくよく考えれば、ちょっと運動神経がいいだけの女子が偶然に勝てるとも思えない。
「うん、まぐれだよ。だって俺がお前以外に剣で負けるなんてありえないだろ? いたとしても、ギャロップかアイツくらいだからね」
「まぁそうだな」
智の言う二人の顔を頭に浮かべて、湊は「納得」と頷いた。
「記憶を戻して間もないなら、感覚が鈍ってるのかもな。十二月なんてあっという間だぞ」
「もちろん、万全にしておかないとね。それより、みさぎちゃんはお前の目から見てどうだった? リーナに見えた?」
「いや……分からなかった」
「鈍感」
肩をすくめるように智は笑うが、湊はその話をどうしても受け入れることができなかった。
そうあって欲しくない気持ちが、そうさせているだけかもしれないけれど。
ハロンが現れるのは十二月一日。その日付と場所の情報は、向こうの世界を出る時ルーシャに教えられた。
坂の途中で智がふと足を止め、来た道を振り返る。
「智……?」
さっきまで居た広場を遠くに見据えて、智は自分の鼻を指でそっと撫でた。
「甘い香りがする……」
「そうか?」
けれど湊にはそれを感じ取ることはできなかった。
2章『甘い香り』終わり
3章『命の猶予』へ続く
呆然とする智の肩を叩いて、苦笑する湊。
「いや、だってアレってさ……」
口元に拳を押し付けて、智は言葉を飲み込んだ。
咲に隙を突かれた智は、その状況に偶然以外の何かを感じているようだが、
「……そういうこと?」
そっと呟いた智の声は、ひゅうっと吹いた風に掻き消える。智の口元が薄く笑みを滲ませた途端、彼からどんよりとした空気が消え去った。
「じゃあ、海堂にわざと負けてやったのか?」
「いや、わざとじゃないよ。俺の負けだ。すごいな咲ちゃん」
きっぱりと負けを認める智に、咲は「やったぁ」と声を上げて、くるくると回した木の棒を「さんきゅう」と湊へ返した。
「ほんと凄かったね、咲ちゃん。速すぎて殆ど見えなかったもん」
「だろ? 智もまさかこんな可愛い女子に負けるとは思わなかっただろうよ」
どんと胸を叩いて、咲はニヤリと笑った。智への怒りの余韻をその笑みに感じて、みさぎは「もう」と溜息をつく。
「剣で湊には敵わないと思ってたけど、まさか咲ちゃんに負けるとはね」
智は「残念だよ」と口にするが、悔しがっているようには見えなかった。むしろ嬉しそうな、面白がっているような顔を咲に向けて、「じゃあ、そろそろ」とみさぎを振り向く。
「魔法見てみる? カッコ悪いところ見せちゃったから、名誉挽回しとかなきゃね」
「うん、見たい!」
みさぎはいよいよだ、と興奮を募らせる。これを見る為に来たと言っても過言ではない。
「智の魔法は凄いからな」
湊でさえ彼を褒めるが、ここにきて咲が急に不機嫌になった。
「まぁ、せいぜいカッコつけてみろよ」
「どうしたの、咲ちゃん」
「何でもない」
不貞腐れたようにそっぽを向く咲に、智は「これくらいはさせてよ」と苦笑して女子二人に向き合った。
「俺たちが居た世界で、魔法を使えるのは一割以下。その中でもリーナみたいに最強魔法を使えるのは、その時代ごとに一人いるかいないかってくらいなんだ。魔法を使えるのは、血縁とかは全く関係のない突発的なものだよ」
魔法について説明する智に、みさぎは「うんうん」と目を輝かせる。
隣では機嫌を損ねたむくれ顔の咲が、仁王立ちで聞いていた。
「見てて」
そう言って智は広場の中央へ駆け出した。真ん中より少し奥まで行って足を止め、ゆっくりと晴天の空を仰ぐ。
空へと伸ばした右手の指先が小さく動いて、宙に何かをなぞりだした。指先に赤い光が丸く灯り、指の起動が空中に貼りついていく。
刻まれた光は文字のようにも見えるが、何が書いてあるかを読み取ることはできない。
耳の奥でキンと音が鳴って、みさぎはそっと掌を当てた。
赤い光が智の周りを一周して書き始めの位置と繋がったところで、智の口が「行け」と動く。
「魔法陣だ!」
みさぎがそう確信して声を上げる。
智が頭上へ伸ばしたままの指をくるりと回転させたのを合図に、魔法陣は彼の足元にズンと落ちて、地面に文字を刻み込んだ。
光が生き物のように地面を這い、炎を立ち上らせる。赤い文字列が幾重にも重なって彼を包み込むように回転する様は、その魔法の威力よりも見た目の華やかさに目を奪われてしまう。
「凄い、智くん」
光からの熱を感じて、みさぎは自分の頬に手を当てた。
そんな日常からは想像できないような現実を目の当たりにしても尚、咲は驚きもせず仏頂面を貼り付けている。
「あんなの、ただのファイヤーショーじゃないか。こんなの見せられても、羨ましくなんかないんだからな」
強い目で智を睨んで、咲は豪快に笑い出した。
☆
「智が好きなら、付き合えばいいと思うよ」
帰り際、咲がそんなことを言った。
駅のホームまで送ってくれた彼女が、電車のドア越しに立った所で、その時を狙ったように言ってきた。
山で二人と居る時は智に対して敵対心剥き出しな感じだったのに、咲の急な心変わりに、みさぎは驚いて「えっ」と目を丸くする。
「突然どうしたの?」
「思ったことを言っただけだよ。智じゃなくて湊が良いって言うなら、それでもいいけどさ……私には止める権利なんてないんだと思って」
「咲ちゃん……?」
発車のベルが響き渡って、咲は「じゃあな」とドアを離れる。
ピシャリと閉まるドアの向こうで、物憂げな表情の咲が小さく手を振った。
☆
「海堂のアレって、本当にまぐれだったの?」
残った男子二人は、それから一時間ほどで山を下りた。
駅までの下り坂を歩きながら、湊が問う。
アレというのは勿論、咲が剣で智に勝利した件だ。あの時は智が油断したと思ったけれど、よくよく考えれば、ちょっと運動神経がいいだけの女子が偶然に勝てるとも思えない。
「うん、まぐれだよ。だって俺がお前以外に剣で負けるなんてありえないだろ? いたとしても、ギャロップかアイツくらいだからね」
「まぁそうだな」
智の言う二人の顔を頭に浮かべて、湊は「納得」と頷いた。
「記憶を戻して間もないなら、感覚が鈍ってるのかもな。十二月なんてあっという間だぞ」
「もちろん、万全にしておかないとね。それより、みさぎちゃんはお前の目から見てどうだった? リーナに見えた?」
「いや……分からなかった」
「鈍感」
肩をすくめるように智は笑うが、湊はその話をどうしても受け入れることができなかった。
そうあって欲しくない気持ちが、そうさせているだけかもしれないけれど。
ハロンが現れるのは十二月一日。その日付と場所の情報は、向こうの世界を出る時ルーシャに教えられた。
坂の途中で智がふと足を止め、来た道を振り返る。
「智……?」
さっきまで居た広場を遠くに見据えて、智は自分の鼻を指でそっと撫でた。
「甘い香りがする……」
「そうか?」
けれど湊にはそれを感じ取ることはできなかった。
2章『甘い香り』終わり
3章『命の猶予』へ続く
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