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38 王立魔法学院
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「レクティタ隊長? 起きてますか? 朝食の時間ですよ」
朝、ヴィースはレクティタの部屋をノックしていた。いつもは早起きの彼女が、今日に限って時間になっても食堂に降りてこなかったからだ。
「隊長、失礼しますよ」
ヴィースは静かに扉を開けた。薄暗い部屋の中で、ベッドの上の布団が盛り上がっている。部屋の主はどうやら、布団を被って寝ているらしい。
レクティタは昨晩、眠いと言って早めに就寝していた。もしかしたら日頃の疲れが出て、風邪を引いたのかもしれない。心配になったヴィースは、ベッドに近づいて優しく声をかけた。
「隊長、具合でも悪いのですか? 身体が怠いようであれば、朝食をこちらに持ってきますが──ん?」
話の途中で、ヴィースは違和感を覚えた。「まさか」と、寝息すら聞こえてこない布団を掴み、勢いよく捲った。
もぬけの殻となったベッドには、複数のクッションと、一枚の紙きれが置いてあった。
「な──」
拙い字で書かれているそれを手に取り、ヴィースはぷるぷると震えた。
【アルカナと、いっしょに、がくいんに、行ってきます。あとゴーイチも。じごほうこく、すまない。レクティタより】
「──なんですかこれはあああああっ!」
オルクス砦に、朝からヴィースの叫び声が響く。
アルカナ達が乗った船が王都に到着する、およそ数分前の出来事であった。
*****
「いひひ……レクティタ隊長。本当に、本当に、お願いだから、大人しくしてね……ひひ、絶対、僕から離れないで。一人になっちゃダメだよ……ゴーイチも、隊長のこと見張ってて」
「だだだだだ大丈夫……レクティタ、もうアルカナといっしょ、へいきだもん……わっ! 大きいいぬ!」
『リョウカイ。ミハリヤク、ヒキウケル』
船から降りた一同は、馬車で学院に向かっていた。
アルカナは窮屈そうに背中を丸め、長い足を持て余して座っている。相対するレクティタは、宙に浮いた足をぶらぶらさせながら、胸の前でゴーイチを抱えていた。
窓から流れる王都の街並みにレクティタがはしゃいでいるのに対し、アルカナは随分と疲れた様子である。
実際、幼い隊長を発見後、部下の彼はなすべき事が多かった。
乗船券は一人分しか買っていなかったため、無銭乗客にならないよう乗務員に賄賂を渡し、融通を利かせ問題を起こさないようにした。
レクティタが眠っている間にヴィース達へ彼女と共にいると手紙を書き、下船した後、最寄りの郵便で速達を送った。ついでにパンと果物を買い、移動している間に彼女に朝食を取らせる。
そして今は、学院に在籍している兄、エフォリウスにどうやって助力を乞うべきか考えている最中であった。
(協力してくれるかな……エフォリウス兄様は、面倒事を避けるきらいがあるから)
アルカナは前髪で隠れている眉間に皺を寄せた。
現状を整理すると。
王都、つまり、国王ジェロイの足元で。彼との問題を抱えている第四王女レクティタが、独断でオルクス砦から離れている。
加えて、彼女は暗殺されかけた経験あり。とても不味い。王命を破ったのも不味いが、単独行動が国王の耳にでも入ったら非常に不味い。部隊を取り潰す口実を与えてしまうのは言わずもがな、今日のレクティタの安全も保障できない。
アルカナは即決した。エフォリウス兄様に頼ろう、と。
自分一人では手に負えない事態だ。レクティタと共にオルクス砦へ帰ることも考えたが、今日の便は夜も含め全て満席だった。兄の家に彼女を預ける案も、また一人で行動されても困るため、結局、アルカナが傍にいた方が最善である。
だが、アルカナは兄の性格を懸念していた。エフォリウスは保守的な男だ。噂の王女のことを知ったら学院から追い出される可能性がある。
(エフォリウス兄様が不在だったり、門前払いされたら、どこか宿を取って一晩過ごして……ただ、そしたら例の本はどうやって借りようか……)
アルカナが頭を悩ましていると、レクティタが声をかけてきた。一拍置いて返事すれば、彼女はゴーイチで顔を隠しながら、おずおずとアルカナに尋ねてくる。
「アルカナ……お、おこってる?」
「……ひひっ。どうして、そう思ったの?」
誤解されないよう、アルカナはできるだけ優しい声で問いかけた。レクティタは隠していた顔を少しだけ見せる。
「勝手についてきて……めーわくだと、おもった、から」
「いひ、そうだね。びっくりした。鞄の中に入るのは危ないから……もうしたらダメだよ」
「……それだけ?」
「ひひっ。僕、叱るの苦手だし、人のこと言えない性格だから……隊長が自覚して、ちゃんと反省しているなら僕からは何も言わない。ただ、帰ったら、ヴィースのお説教は覚悟してね、いひっ」
「それは、ぬかりありません。ちゃんと書きおき、残してきたから。今ごろヴィ―スは、レクティタの成長ぶりに、かんるいしているところです……たぶん」
「……ひひひひひっ」
レクティタが読み書きを始めてから約一か月。短期間で書き置きを残せる程度には字が書けるようになったのは、確かに成長したと言える。その成果がこれではヴィースは喜べないだろうが、アルカナは大人なので笑って誤魔化した。
それよりも、レクティタから話しかけられたことにアルカナは嬉しくなった。学習しないのか、口角をぐんっと上げにやけてしまい、レクティタが「ひょぇっ!」と慌ててゴーイチを盾にした。
そんな他愛のないやり取りをしていると、ガタンと馬車が揺れて止まった。目的地に着いたのだろう。馬車を降りる前に、アルカナが再度二人に注意する。
「いひ、隊長。学院内では、大人しく。特に、名前は秘密に。ゴーイチも喋っちゃダメ……王女様が訪問してきたって知ったら、皆ビックリしちゃうから。いひひ、今日は、おしのび。魔法を使うのも我慢。わかった?」
「うん、わかった」
ちょうど御者が扉を開いたので、レクティタ達は外に出た。
まばらな通行人は皆同じ制服を着用している。黒いローブ姿の彼らが正門に吸い寄せられていく中、レクティタは目の前の建築物を見上げた。
「ほわぁー……」
城を模して造られた学院は、まるでその地の支配者のような荘厳な雰囲気を醸し出していた。
ロクフォート王立魔法学院は王都の南端に位置している。丘の上に建てられたそれは、元々、兵役ができない病弱な王族のための教育機関であった。時代を経て国内で一番の研究機関となった学院は、巨大な本塔を中央に据えて、四方に伸びるよう施設が設置されている。
オルクス砦よりあるのではないかと思わせるほど広大な学院に、レクティタはただただ感嘆の声を上げた。
「これが、魔法がくいん……」
「いひ、用があるのはこっちだから、付いてきて」
アルカナが促せば、レクティタはとことこと彼の後ろを歩き始めた。彼女の小さい歩幅に合わせ、アルカナは学生の流れとは別の方向を行く。
中に入れば、レクティタは物珍しい様子で周囲を見渡した。来客を歓迎する噴水や本を持った青年の石像、外壁にはステンドグラスなどの装飾が施されている。それに混じって、一部の窓からは怪しい光が漏れ出ていた。
アルカナにとっては見慣れた光景なのか、脇目も振らず舗装された煉瓦の道を歩いていく。案内板の誘導に従って、扉が無い開けた施設の中に入る。
建物は吹き抜けとなっていた。横長に伸びた構造で、扉の数からかなりの部屋数がある。この三階の奥の部屋が、アルカナの兄、エフォリウスの教授室だ。
「ここに、アルカナのお兄さんがいるの?」
「ひひ、そう。急用が無ければ、いるはず……まあ、エフォリウス兄様なら、僕の行動を先読みしているだろうけど」
二人は階段を上って、部屋の前まで来た。アルカナは独り言ちたあと、名前を告げながら扉をノックする。数秒の間をおいて、「入れ」と短く許可が出された。
扉を開ければ、机の前に座っている男がすぐ目に入った。三十半ばほどの見た目で、髪を全て後ろに流しており、神経質そうな目つきをしている。
彼こそがアルカナの兄であり、ロクフォート王立魔法学院の教授の一人、エフォリウスだ。
「そろそろ来る頃合いだと予想していた」
エフォリウスはこめかみを押さえ、わざとしらくため息を吐いた。アルカナは気まずげに兄に挨拶する。
「ひ、ひひ……お久しぶりです、エフォリウス兄様。手紙、読んでくださったのですね。返事が待ちきれず、訪ねに来てしまいました」
「白々しい。急に古い魔導書を請求してくるとは、アルカナ、何を企んで──」
エフォリウスがふと視線を下にやれば、弟は別の存在に気づいて、目を見開いた。
アルカナの足を盾にするよう身体を隠している子供。着せ替え人形ほどのゴーレムを抱えて、ちらりとこちらを不安気に窺っている。
その顔立ちと、自分を捉える青くて大きな瞳が──かつての教え子の姿を思い出させ、エフォリウスは声を失った。兄の様子を察したアルカナが、手を揉みながら弁明する。
「ええと……ひひ、兄様。おそらく勘の良い兄様ならもうお気づきかと思いますが……ひひっ。この方は、僕の所属する第七特殊部隊の隊長に就任した、第四王女レクティタ殿下になります」
「……例の、王の隠し子だと? ああ、そうか。だから、面影が……」
エフォリウスは思わず口を押さえた。どんどん顔色が青くなっていく兄に、アルカナが心配そうに声をかける。
「エ、エフォリウス兄様……ここからが本題なのですが、実はこちらに殿下をお連れしたのは不慮の事故でして……彼女を匿うのを、兄様にも手伝ってほしいのです。僕一人では、手に余るので……ひ、ひひ」
「私に恨みでもあるのか?」
「ひっ!? ご、誤解です、兄様。エフォリウス兄様しか頼れる人がいないんです! 助けてください!!」
アルカナをギロリと睨めば、彼は猫背をさらに丸めて頭を下げてきた。
弟の懇願は無視して、エフォリウスはレクティタを見る。母親そっくりの青い瞳と目が合えば、彼女はぺこりと会釈してきた。その仕草すら教え子の面影を感じ取り、エフォリウスはバツが悪そうに顔を逸らす。
「……身から出た錆か」
エフォリウスは眉根を寄せ、諦めたように呟いた。おもむろに席を立ち、レクティタの前で膝を突く。
「お初にお目にかかります、レクティタ殿下。私はエフォリウス・ドゥ・ラミネル。アルカナの兄ですが、結婚したため、今はラミネル子爵家の姓を名乗っております。エフォリウスでもラミネルでも、お好きにお呼び下さい」
「は、はい。えっと、じゃあ、エフォリウスさん……?」
「本来なら敬称も必要ありませんが、今回はお忍びのためその方がよろしいでしょう。私も、レクティタ殿下をお呼びになる際は、偽名を使わせていただきます」
「は、はい。レクティタもそう思います……?」
エフォリウスの厳格な雰囲気に押され、レクティタは見当違いな返答をしてしまう。だがエフォリウスは何も言わず、ただその表情にひっそりと影を落とした。
そんな兄の様子に、アルカナが首を傾げる。
「エフォリウス兄様?」
「……貴様だけならともかく、殿下もいるなら話は別だ」
エフォリウスは立ち上がり、アルカナに言った。
「どうせ魔導書を借りにきただけではないのだろう。協力する代わりに、事情は全て話してもらうぞ、アルカナ」
朝、ヴィースはレクティタの部屋をノックしていた。いつもは早起きの彼女が、今日に限って時間になっても食堂に降りてこなかったからだ。
「隊長、失礼しますよ」
ヴィースは静かに扉を開けた。薄暗い部屋の中で、ベッドの上の布団が盛り上がっている。部屋の主はどうやら、布団を被って寝ているらしい。
レクティタは昨晩、眠いと言って早めに就寝していた。もしかしたら日頃の疲れが出て、風邪を引いたのかもしれない。心配になったヴィースは、ベッドに近づいて優しく声をかけた。
「隊長、具合でも悪いのですか? 身体が怠いようであれば、朝食をこちらに持ってきますが──ん?」
話の途中で、ヴィースは違和感を覚えた。「まさか」と、寝息すら聞こえてこない布団を掴み、勢いよく捲った。
もぬけの殻となったベッドには、複数のクッションと、一枚の紙きれが置いてあった。
「な──」
拙い字で書かれているそれを手に取り、ヴィースはぷるぷると震えた。
【アルカナと、いっしょに、がくいんに、行ってきます。あとゴーイチも。じごほうこく、すまない。レクティタより】
「──なんですかこれはあああああっ!」
オルクス砦に、朝からヴィースの叫び声が響く。
アルカナ達が乗った船が王都に到着する、およそ数分前の出来事であった。
*****
「いひひ……レクティタ隊長。本当に、本当に、お願いだから、大人しくしてね……ひひ、絶対、僕から離れないで。一人になっちゃダメだよ……ゴーイチも、隊長のこと見張ってて」
「だだだだだ大丈夫……レクティタ、もうアルカナといっしょ、へいきだもん……わっ! 大きいいぬ!」
『リョウカイ。ミハリヤク、ヒキウケル』
船から降りた一同は、馬車で学院に向かっていた。
アルカナは窮屈そうに背中を丸め、長い足を持て余して座っている。相対するレクティタは、宙に浮いた足をぶらぶらさせながら、胸の前でゴーイチを抱えていた。
窓から流れる王都の街並みにレクティタがはしゃいでいるのに対し、アルカナは随分と疲れた様子である。
実際、幼い隊長を発見後、部下の彼はなすべき事が多かった。
乗船券は一人分しか買っていなかったため、無銭乗客にならないよう乗務員に賄賂を渡し、融通を利かせ問題を起こさないようにした。
レクティタが眠っている間にヴィース達へ彼女と共にいると手紙を書き、下船した後、最寄りの郵便で速達を送った。ついでにパンと果物を買い、移動している間に彼女に朝食を取らせる。
そして今は、学院に在籍している兄、エフォリウスにどうやって助力を乞うべきか考えている最中であった。
(協力してくれるかな……エフォリウス兄様は、面倒事を避けるきらいがあるから)
アルカナは前髪で隠れている眉間に皺を寄せた。
現状を整理すると。
王都、つまり、国王ジェロイの足元で。彼との問題を抱えている第四王女レクティタが、独断でオルクス砦から離れている。
加えて、彼女は暗殺されかけた経験あり。とても不味い。王命を破ったのも不味いが、単独行動が国王の耳にでも入ったら非常に不味い。部隊を取り潰す口実を与えてしまうのは言わずもがな、今日のレクティタの安全も保障できない。
アルカナは即決した。エフォリウス兄様に頼ろう、と。
自分一人では手に負えない事態だ。レクティタと共にオルクス砦へ帰ることも考えたが、今日の便は夜も含め全て満席だった。兄の家に彼女を預ける案も、また一人で行動されても困るため、結局、アルカナが傍にいた方が最善である。
だが、アルカナは兄の性格を懸念していた。エフォリウスは保守的な男だ。噂の王女のことを知ったら学院から追い出される可能性がある。
(エフォリウス兄様が不在だったり、門前払いされたら、どこか宿を取って一晩過ごして……ただ、そしたら例の本はどうやって借りようか……)
アルカナが頭を悩ましていると、レクティタが声をかけてきた。一拍置いて返事すれば、彼女はゴーイチで顔を隠しながら、おずおずとアルカナに尋ねてくる。
「アルカナ……お、おこってる?」
「……ひひっ。どうして、そう思ったの?」
誤解されないよう、アルカナはできるだけ優しい声で問いかけた。レクティタは隠していた顔を少しだけ見せる。
「勝手についてきて……めーわくだと、おもった、から」
「いひ、そうだね。びっくりした。鞄の中に入るのは危ないから……もうしたらダメだよ」
「……それだけ?」
「ひひっ。僕、叱るの苦手だし、人のこと言えない性格だから……隊長が自覚して、ちゃんと反省しているなら僕からは何も言わない。ただ、帰ったら、ヴィースのお説教は覚悟してね、いひっ」
「それは、ぬかりありません。ちゃんと書きおき、残してきたから。今ごろヴィ―スは、レクティタの成長ぶりに、かんるいしているところです……たぶん」
「……ひひひひひっ」
レクティタが読み書きを始めてから約一か月。短期間で書き置きを残せる程度には字が書けるようになったのは、確かに成長したと言える。その成果がこれではヴィースは喜べないだろうが、アルカナは大人なので笑って誤魔化した。
それよりも、レクティタから話しかけられたことにアルカナは嬉しくなった。学習しないのか、口角をぐんっと上げにやけてしまい、レクティタが「ひょぇっ!」と慌ててゴーイチを盾にした。
そんな他愛のないやり取りをしていると、ガタンと馬車が揺れて止まった。目的地に着いたのだろう。馬車を降りる前に、アルカナが再度二人に注意する。
「いひ、隊長。学院内では、大人しく。特に、名前は秘密に。ゴーイチも喋っちゃダメ……王女様が訪問してきたって知ったら、皆ビックリしちゃうから。いひひ、今日は、おしのび。魔法を使うのも我慢。わかった?」
「うん、わかった」
ちょうど御者が扉を開いたので、レクティタ達は外に出た。
まばらな通行人は皆同じ制服を着用している。黒いローブ姿の彼らが正門に吸い寄せられていく中、レクティタは目の前の建築物を見上げた。
「ほわぁー……」
城を模して造られた学院は、まるでその地の支配者のような荘厳な雰囲気を醸し出していた。
ロクフォート王立魔法学院は王都の南端に位置している。丘の上に建てられたそれは、元々、兵役ができない病弱な王族のための教育機関であった。時代を経て国内で一番の研究機関となった学院は、巨大な本塔を中央に据えて、四方に伸びるよう施設が設置されている。
オルクス砦よりあるのではないかと思わせるほど広大な学院に、レクティタはただただ感嘆の声を上げた。
「これが、魔法がくいん……」
「いひ、用があるのはこっちだから、付いてきて」
アルカナが促せば、レクティタはとことこと彼の後ろを歩き始めた。彼女の小さい歩幅に合わせ、アルカナは学生の流れとは別の方向を行く。
中に入れば、レクティタは物珍しい様子で周囲を見渡した。来客を歓迎する噴水や本を持った青年の石像、外壁にはステンドグラスなどの装飾が施されている。それに混じって、一部の窓からは怪しい光が漏れ出ていた。
アルカナにとっては見慣れた光景なのか、脇目も振らず舗装された煉瓦の道を歩いていく。案内板の誘導に従って、扉が無い開けた施設の中に入る。
建物は吹き抜けとなっていた。横長に伸びた構造で、扉の数からかなりの部屋数がある。この三階の奥の部屋が、アルカナの兄、エフォリウスの教授室だ。
「ここに、アルカナのお兄さんがいるの?」
「ひひ、そう。急用が無ければ、いるはず……まあ、エフォリウス兄様なら、僕の行動を先読みしているだろうけど」
二人は階段を上って、部屋の前まで来た。アルカナは独り言ちたあと、名前を告げながら扉をノックする。数秒の間をおいて、「入れ」と短く許可が出された。
扉を開ければ、机の前に座っている男がすぐ目に入った。三十半ばほどの見た目で、髪を全て後ろに流しており、神経質そうな目つきをしている。
彼こそがアルカナの兄であり、ロクフォート王立魔法学院の教授の一人、エフォリウスだ。
「そろそろ来る頃合いだと予想していた」
エフォリウスはこめかみを押さえ、わざとしらくため息を吐いた。アルカナは気まずげに兄に挨拶する。
「ひ、ひひ……お久しぶりです、エフォリウス兄様。手紙、読んでくださったのですね。返事が待ちきれず、訪ねに来てしまいました」
「白々しい。急に古い魔導書を請求してくるとは、アルカナ、何を企んで──」
エフォリウスがふと視線を下にやれば、弟は別の存在に気づいて、目を見開いた。
アルカナの足を盾にするよう身体を隠している子供。着せ替え人形ほどのゴーレムを抱えて、ちらりとこちらを不安気に窺っている。
その顔立ちと、自分を捉える青くて大きな瞳が──かつての教え子の姿を思い出させ、エフォリウスは声を失った。兄の様子を察したアルカナが、手を揉みながら弁明する。
「ええと……ひひ、兄様。おそらく勘の良い兄様ならもうお気づきかと思いますが……ひひっ。この方は、僕の所属する第七特殊部隊の隊長に就任した、第四王女レクティタ殿下になります」
「……例の、王の隠し子だと? ああ、そうか。だから、面影が……」
エフォリウスは思わず口を押さえた。どんどん顔色が青くなっていく兄に、アルカナが心配そうに声をかける。
「エ、エフォリウス兄様……ここからが本題なのですが、実はこちらに殿下をお連れしたのは不慮の事故でして……彼女を匿うのを、兄様にも手伝ってほしいのです。僕一人では、手に余るので……ひ、ひひ」
「私に恨みでもあるのか?」
「ひっ!? ご、誤解です、兄様。エフォリウス兄様しか頼れる人がいないんです! 助けてください!!」
アルカナをギロリと睨めば、彼は猫背をさらに丸めて頭を下げてきた。
弟の懇願は無視して、エフォリウスはレクティタを見る。母親そっくりの青い瞳と目が合えば、彼女はぺこりと会釈してきた。その仕草すら教え子の面影を感じ取り、エフォリウスはバツが悪そうに顔を逸らす。
「……身から出た錆か」
エフォリウスは眉根を寄せ、諦めたように呟いた。おもむろに席を立ち、レクティタの前で膝を突く。
「お初にお目にかかります、レクティタ殿下。私はエフォリウス・ドゥ・ラミネル。アルカナの兄ですが、結婚したため、今はラミネル子爵家の姓を名乗っております。エフォリウスでもラミネルでも、お好きにお呼び下さい」
「は、はい。えっと、じゃあ、エフォリウスさん……?」
「本来なら敬称も必要ありませんが、今回はお忍びのためその方がよろしいでしょう。私も、レクティタ殿下をお呼びになる際は、偽名を使わせていただきます」
「は、はい。レクティタもそう思います……?」
エフォリウスの厳格な雰囲気に押され、レクティタは見当違いな返答をしてしまう。だがエフォリウスは何も言わず、ただその表情にひっそりと影を落とした。
そんな兄の様子に、アルカナが首を傾げる。
「エフォリウス兄様?」
「……貴様だけならともかく、殿下もいるなら話は別だ」
エフォリウスは立ち上がり、アルカナに言った。
「どうせ魔導書を借りにきただけではないのだろう。協力する代わりに、事情は全て話してもらうぞ、アルカナ」
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