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30 思い出の星空

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前回の29話ですが、最後の展開を変更させていただきました。
改稿前の29話とは繋がっていないのでご注意ください。

*****


「おおー! お月さまが綺麗ですー!」

「本当ですねー。星が良く見えます~」

 レクティタとリーベルは見張り台に登り、星空を眺めていた。
 昼間晴れていたおかげが、夜になっても空には雲一つ無い。
 澄んだ空気の中、月明かりを中心に星々が夜空を埋めるように輝いている。レクティタは湯気が立つコップを持ちながら、人差し指を動かし、星と星を繋いでいく。

「あれとあれでふくろう座でー、こっちがトナカイ座。あっ! みつばち座も見つけた!」

「おお、隊長さん物知り。私、星座は全然わからないので、是非とも教えてください」

「おまかせあれ。お母さんといつも見ていたので、お星さまは得意なのです」

 二人は見張り台の石造りの柵に寄りかかって、夜空を見上げる。レクティタが星の名前を言うたびに、リーベルは楽しそうに頷いた。あらかた有名な星座を一通り見つけ終わったあと、レクティタは一仕事を終えたかのように額を腕で拭った。

「ふぅ、こんなものでしょう」

「隊長さんすごーい! 星座博士みたいでした!」

 リーベルが星座の知識に感心し拍手を送れば、レクティタは照れ臭そうに頭を掻いた。

「そ、そうでもないよ。でも、リーベルお姉ちゃんが星座しらないの、意外。薬草とかいっぱい知ってたから、こういうの得意かとおもってた」

「そうなんですよねぇ。私、植物は得意なんですけど天体はちょっと苦手で。というのも、故郷では星が見えませんでしたから、学ぶ機会がなかったんです」

 リーベルの発言に、レクティタは首を傾げた。

「星が見えない?」

「ええ。故郷の谷はいつも濃い霧が空を覆っていたんです。昼だろうと夜だろうと変わらず、空は常に灰色。太陽も月も星も、あの谷にはありませんでした」

「レクティタ、想像できない。ゆーうつそうな場所です」

「ふふ、無理もありません。私も、故郷を出るまで空は灰色が当たり前だと思っていましたから」

 リーベルはコップに口を付けた。温かくて甘いミルクが、口の中に広がっていく。優しくて、どこか懐かしい、そして安心する味だ。
 リーベルはコップを柵の上に置いて、再び夜空を見上げた。

「でも、谷での『当たり前』は、地上での『当たり前』ではありませんでした。そして、地上での『当たり前』すらも、国や身分で違う。だけど必ずしも統一されているわけではない。どれを『当たり前』と信じるのは、その人次第なんですよ。面白いですよね」

「? うーん、よくわからない」

「お鍋は最強ですけど、空は青くていいんです! ということです!」

「??」

 レクティタは肩と水平になるほど首を傾げたが、リーベルからそれ以上の返事はこなかった。彼女の中では会話は完結してしまっているようだ。背伸びをして、何てことないように話題を変えた。

「ねえ、隊長さん。私のことなんかよりも、もっと大事なことがありますよ」

「明日の朝ごはんのこととかですか?」

「あはは、それも大事ですけど――隊長さん、何か困っていませんか?」

 突然の問いかけに、レクティタはびくりと肩を震わせた。幼き隊長はもごもごと言い訳を考えたが、リーベルに見透かされている気がしたので、すぐに諦めた。
 そわそわと身体を揺らし、窺うように栗毛の少女を見上げる。

「笑わないできいてほしいんだけど……」

 一度言葉を区切り、レクティタは蚊の鳴くような声で言った。

「レクティタね、魔法……つかえるのかも、しれない」

 レクティタはゆっくりと話を続ける。

「でも、一回つかえただけで、そのあとはダメ……今日も、レクティタには、魔力なかった。魔法使えたの、気のせいかも。ちょっと火花がバチってしただけだったし……」

「火花? ……その時、どんな魔法を使おうとしたのですか?」

「え、えっと。ヴィースみたいに、炎でごろつき顔を倒せないかなって……怖い人たち、みんな、あんな風にやっつけれたらいいのに、て。こう、ペンダントを握りながらお願いしたの」

 レクティタがその時の場面を再現するよう、服の下に隠していたペンダントを取り出し、ぎゅっと両手で握った。夜闇よりも暗く黒い水晶に、リーベルが目を細めた。

「話してくれてありがとうございます、隊長さん。そうですか、魔法が使えたかもと……」

 やっぱり、とリーベルは呟く。己の違和感は当たっていた。
 リーベルは俯いてしまったレクティタの正面で膝を付き、彼女と顔を合わせる。

「隊長さん、突拍子もありませんが、今から私の推測をお伝えしますね」

 怪訝そうな顔をするレクティタの手を握り、リーベルは告げた。


「隊長さんは、魔力を持っていませんが、魔法・・は使えるんです」


 その言葉に、レクティタは動揺した。

「えっ!? で、でも、魔力がなかったら魔法ははつどーできないんじゃ……」

「その通りです。だから普段の隊長さんは魔法が発動できませんでしたが、ゴーイチを作ったときは違う状況でした」

 魔力が無い状態で魔法を発動させるのは、火種を使わず暖炉に火を灯す行為と同義であり、現実的に考えれば不可能な現象だ。
 レクティタは他人と違い火種を持っていない状態のため、暖炉に火を点けられない。
 だが、前提を変えれば話は違う。

「隊長さんは、私や水晶の魔力を使って、魔法を発動したんです」

「お姉ちゃんや水晶の魔力……?」

「はい。まだ効果は定かではありませんが、おそらく、隊長さんの魔法が発動したおかげで、ゴーイチは通常のゴーレムより長生きしているんです。火花を散らせたのも、ペンダントの魔力を使用したのでしょう。水晶には、わずかに魔力が宿りますから」

「―――」

 レクティタの青い瞳が大きく見開かれる。一瞬、その目にわずかな期待が宿ったが、すぐに影が落ちてしまった。

「……それって、本当に、レクティタの力なのかな」

 レクティタは不安そうな顔をして、ペンダントを握る手を強めた。

「魔法つかえたら嬉しいけど……でも……」

「なので、ちゃんと証明しましょう! 今ここで! そのためのお鍋です!」

 弱気なレクティタの前に、リーベルは持ってきていた鍋をドンっと置いた。人の頭ほどの大きさのそれを見て、レクティタが目を丸くする。

「い、いまからやるの!?」

「そうですよ! 何事も勢いが大事ですから! ささ、隊長さん、手はこちらに」

 リーベルはペンダントを握っているレクティタの手を解き、取っ手へと誘導した。上から重ねて手を合わせるも、レクティタは尻込みしたままだ。そんな彼女に、リーベルは優しく語り掛ける。

「隊長さん。失敗するのが怖いですか?」

「……うん」

「やっぱり魔法が使えないって確認するのが、怖いですか?」

「………」

 こくり、と小さく頷く。リーベルが「そうですよねー」と同意した。

「あ、これ、できるかもーと思ってダメだったとき、すごく辛いですから。弱気になっちゃいますよねー」

 でも、とリーベルは笑った。

「『魔法を使えない』って、隊長さんの『当たり前』、変えてみたくありませんか?」

 レクティタがバッと顔を上げる。

「当たり前を、変える?」

「はい! どうせ『当たり前』なんて人によって違うんですから、私達の好きに変えちゃいましょう! 魔力が無くても魔法は使えるという、当たり前に!」

「……っ! で、でも、失敗したら?」

「その時は泣けばいいんです! いっぱい泣いてスッキリしたあと、また挑戦しましょう。そしたらいつか成功しますから」

 失敗は成功の母とはそういうことなんです、とリーベルが誇らしげに言う。自信満々な彼女を見て自信がついたのか、レクティタはしばし考えた後、真剣な顔をして答えた。

「……わかった! やってみる!」

「そのいきです! では、隊長さん。今から私が魔力を取っ手を伝ってお鍋に注ぎます。隊長さんは、発動したい魔法を強く想像してみてください」

「火花をバチってしたときみたいに?」

「ええ、そうです。……ただ、怒りや憎しみよりも、楽しい感情でやっていきましょう! 隊長さんの中で、嬉しかったり、楽しかった魔法の思い出ってありませんか?」

 負の感情を幼い子供に植えつけたくないためか、リーベルはレクティタの想像力をポジティブな方へと誘導する。レクティタはすぐさま返事をした。

「ある! お母さんの魔法! キラキラして綺麗だった!」

「ではそれでいきましょう。どんな魔法だったか具体的に思い出せますか?」

 重ねられたリーベルの手のひらが温かくなっていく。魔力を注いでいるのだろう、緑色の光が鍋の底で薄っすらと溜まっていった。

「えっとね、星空! お母さん、いまの夜空みたいに、お部屋にお星さまいっぱいつくってみせてくれたの!」

「きっと、光の魔法ですね。姿隠しなんかにも応用されているんですよぉ。じゃあ、キラキラしたお星様を想像してみましょう!」

 レクティタは詳細を思い出すため、強く目を瞑った。

「お星さま、お星さま……雨の日に見せてくれた、きらきらの流れ星」

 レクティタの瞼の裏で、かつて母と過ごした部屋が映された。
 まともな生活すら難しかったレクティタにとって、娯楽など無いに等しかった。
 日々の楽しみは、母から聞かされる昔話と子守歌、そして窓から見える星々の観察。母の膝に乗せられ、優しい声で紡がれる暦の物語が、レクティタは大好きだった。
 ある日、酷い大雨が王都を襲った。その日は何十年かに一度の流星群が見える日だった。一か月も前から楽しみにしていたレクティタは、普段から考えられないほどぐずった。
 レクティタの母ネイオニーが魔法を使ったのはその時だった。いつまでも泣き止まない娘を心配した彼女は、レクティタの前で初めて魔法を披露したのだ。

 灯りを落とされ、真っ黒な部屋の天井に映されたのは、眩いほど輝く星々。

 軌跡を描いて落ちていく無数の光に、レクティタは目を奪われた。
 すぐに涙を拭い、食い入るように流れ星を見つめる。そんな自分の背にそっと母が寄り添う。あやすように頭を撫でる手は温かい。触れあっているリーベルの肌が、母の体温を彷彿とさせる。

「……お母さん」

 持っている鍋がカタカタと揺れる。底に溜まっていただけの魔力が、緑色から黄金へと変化し、渦を巻く。
 リーベルは目を見開くが、レクティタは目を瞑ったままで異変に気づけない。
 瞼の裏で、母の口癖を思い出す。

 ――魔法なんて、使えなくていいのよ。
 ――使わないで、レクティタ。

 思い出の母は、いつも寂しそうな顔で、レクティタに警告していた。

 ――分不相応な力は不幸の元でしかないの。
 ――魔法への憧れは捨てなさい。
 ――どれだけ焦がれても、手に入れてはいけないものが、この世にはあるのよ。

 母の警句が何を意味するか、レクティタには理解できていない。
 ただ、母が魔法を嫌っていて、レクティタに魔法に触れてほしくない、という気持ちだけは、幼い彼女でも汲み取れた。
 レクティタは母が好きだ。悲しませるようなことはしたくない。
 しかし、まだ子供である彼女だが、すでにその心には母親ですら譲れない夢を持っていた。

(ごめんなさい、お母さん)

 ゆえに、レクティタは心の中で母に謝罪する。
 今から彼女は、母親の言い付けを破るのだ。

「――こ、れは」

 リーベルの震えた声は、レクティタに届かない。
 鍋の揺れはさらに酷くなる。黄金の輝きが目に痛い。もうすでにリーベルは注ぐのを止めたというのに、魔力が鍋底で渦を巻いてひとりでに増殖していく。まるで悲鳴を上げるように音を立て、鍋全体に亀裂が走っていった。
 鍋がどんどん重くなっていくのも構わず、レクティタはただただ、あの時の魔法を思い出していた。

 閉じ込められていた部屋に映し出された、数多の流れ星を。
 窓越しでしか見たことがなかった、満天の星空を。


 ――目の前で世界が広がった、あの感動を。


「きれいだったなぁ」

 微笑んで、呟いた。
 その瞬間。

 色を失うほどの光が、二人を包んだ。

 リーベルが咄嗟に目を瞑り、鍋から手を離す。同時に金属が割れる不快な音が耳を劈く。白黒に点滅した視界で、最悪の事態を想定し、リーベルはすぐさま顔を上げた。

「隊長さん! 無事ですか――!?」

「リーベルお姉ちゃん! みてみて!!」

 レクティタは無邪気に上を指し示していた。どうやら怪我はない様子だ。リーベルがホッと胸を撫でおろし、彼女の指示通り空を見上げる。

「流れ星! できた! りゅーせーぐん!! レクティタ、魔法つかえた!!」

 彼女の頭上で、もう一つの小さな夜空が作られていた。小部屋の壁を一つ切り取ったかのような空間で、絶えず流れ星が落ち続けている。現実そっくりの作られた星空にリーベルが言葉を失っていると、はしゃいでいるレクティタに腕を引っ張られ返事を促された。

「ねえ、これ成功したんだよね、お姉ちゃん!?」

「え、ええ……」

「やったー!! レクティタ、魔法つかえるんだー!!」

(ちょっと、想像以上ですねこれは……お鍋、普通なら底が抜けるぐらいなのに……)

 地面に転がっている鍋の残骸をリーベルは拾った。鍋の底は熱で焼け落ち、表面は亀裂が走った通りバラバラに割れてしまっている。
 おそらくレクティタは、先程の魔法で光を生じさせただけでなく、空間も弄っていた。それがどれほどの難易度なのか、専門外のリーベルには計り知れない。ただ、容易ではないということだけは、彼女にも理解できた。
 初めての魔法でこれなら、成長したらどうなるか。レクティタの末恐ろしさに、リーベルは無意識に冷や汗を浮かべ笑っていた。

(だから地上は好きなんです。『当たり前』に縛られないから――)

「うわっ!」

 レクティタの短い悲鳴に、リーベルがようやく現実に戻る。
 見れば、彼女は顔から地面に突っ伏していた。慌ててレクティタの小さな体を抱き上げれば、青い目がぐるぐると回っていた。

「うー……なんだか、きゅうに眠気が……身体がおもいぃぃ……」

「もしかしたら、初めての魔法で疲れちゃったのかもしれません。魔力切れに近い状態でしょうか。今日はもうお休みしましょう」

「えー……レクティタ、寝たくない。せっかく、魔法、つかえたのに……」

 腕の中でレクティタがいやいやと首を横に振る。リーベルはそんな彼女を宥めるように頭を撫でた。

「そうですねえ、勿体ないですよねえ。折角発動できたのに、もう寝ちゃうなんて。まだ見ていたいですよねー」

「そうです、さすが……お姉ちゃんは、子供心をわかってます……」

「じゃあギリギリまでこうして見ていましょうか。眠くなったらそのまま寝ちゃって大丈夫ですからねー」

「やったぁ……リーベルお姉ちゃん大好き……」

 リーベルはレクティタを膝の上に座らせ、好きなだけ作った流れ星を眺めさせた。柔らかい金髪に指を通すたび、レクティタはうとうとと船を漕ぐ。

「……お姉ちゃん」

「なんですか、隊長さん」

「今って、夢じゃないよね……」

「ええ、夢じゃありませんよ。隊長さんは、魔法を使えたんです。隊長さんの『当たり前』を変えたんです」

「えへへへ……」

 だんだんとレクティタの口数が少なくなっていく。やがて揺らいでいた頭が動かなったかと思えば、くうくうと寝息が聞こえてきた。
 彼女の意識が無くなった途端、魔法の流れ星の輝きも薄くなっていった。どんどん現実の夜空に飲み込まれていき、やがて作られた星々は完全にその姿を消した。
 リーベルはレクティタの頭を撫でながら、しばらく跡形も無くなったその空間を眺めていた。

「これで、謎は一つ解明できましたね」

 レクティタを抱え、掛け声と共に立ち上がる。見張り台から降りようと階段に近づけば、段差に隠れている存在に気付いた。
 座っていたのは、ゴーイチであった。リーベルは片眉を上げ、皮肉気に言った。

「ゴーイチ、あなた。隊長さんの秘密、とっくにわかっていましたね?」

「………」

「まあ、不問としてあげましょう。隊長さんを部屋に連れて行くので、付き合ってください。私はまだ仕事が残っているので、彼女の護衛はあなたに任せます~」

 リーベルは器用に足の甲でゴーイチを掬い上げ、そのまま自分の肩まで登るよう指示をする。大人しく命令に従った岩人形に、リーベルはため息を吐いた。

「杞憂だったらいいんですけど。一応、確認しませんと。あーあ、お酒、明日まで残っているかなぁ」

 食堂に放置された空の酒瓶に思いを馳せ、リーベルは独り言ちる。

「ほんと、谷の皆は頭が固いんだから。残業の鬱憤は、お鍋の魔法で晴らさせていただきましょう」

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