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25 大したことない理由

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『やけに帰りが遅かったが、何があったんだ?』

「仕事を片づけにいったはずなのに、逆に仕事が増えました」

『なんだって?』

 いつもの夕食の時間が過ぎ、夜も更けた頃。
 蝙蝠の羽音を聞いたリタースが外に出れば、買い出しに行ったヴィース達が中庭に着陸したところだった。げんなりした副隊長が、すっかり寝てしまったレクティタを抱きながら、籠から降りてくる。

『隊長は寝てしまったか』

「最初にはしゃぎすぎて疲れたんですよ。その後も色々ありましたから。今日はこのまま寝かせてあげましょう」

 レクティタはヴィースの服にしがみつき、彼の胸元で寝息を立てていた。時折、にへへと笑って「ケーキのじゅうたんばくげきは……マフィンでたいこーです」などと、独特な寝言を呟いている。
 どんな夢を見ているんだと二人が苦笑していると、留守番していたリーベルとアルカナも庭に出てきた。

「おかえりなさーい。今日は遅かったですね」

「ひひ、なんか人増えてるし」

 アルカナは猫背をさらに丸めて、ヴィースの後ろを指した。ちょうどフトゥが籠から縄に縛られた男を取り出し、続いて、旅人らしい格好をした青年が出てきたところだった。
 フトゥは男の縄を握ったまま、リタース達を手招きする。

「ちょうど良い。荷物を運ぶのを手伝ってくれ。客人に持たせるわけにはいかんしのう」

「いひひ、こちらはどなた様?」

 アルカナが青年を手で示した。

「シルヴィウス伯の弟君である、アヴェンチュラ殿じゃ」

「噂の第七特殊部隊の面々に会えて光栄だ。俺のことはヴェンって呼んでくれ」

 フトゥに紹介され、ヴェンは「よろしくな!」と気安げに挨拶をする。続いてリーベルが男を指差した。

「こっちの半裸で縄に縛られている人は?」

「こいつは変質者のアンバーじゃ。ワシを襲ってきたバツとして、下っ端としてこき使う予定じゃ。リーベルも好きに使っていいぞ」

「やったー。じゃあ早速明日から私の代わりに薬草摘んできてもらおっと」

「………」

 アンバーが忌々し気にフトゥを睨む。フトゥをそれを無視し、手の空いている三人に買ってきた荷物を運んでもらう。
 リーベルがレクティタの画材道具を持ちながら、顎に人差し指を立てる。

「そういえば、ヴェンさんって家出中なんですよね? シルヴィウス伯の屋敷に帰らなくていいんですか?」

「いやー、流石に今日帰るのはちょっと心の準備が。それに、色々とあなた達にも話をしないといけないし、しばらく泊めてもらうことになったんだよ」

「ひひひ……話って?」

「それは食堂で話します。皆さんはとりあえず荷物を運んで、私は隊長を部屋に寝かせてきます。フトゥはそいつを地下牢へ入れておいてください。彼の処遇もあとで決めましょう」

 アンバーが国王から差し向けられた暗殺者だと、ヴィースはフトゥから説明を受けていた。その情報が手に入った時点でさっさと殺すべきだと本来なら考えるが、フトゥ・・・から逆らえないよう手を打ったと報告され、「折角だから活用しよう」と提案されれば、彼は頷くほかなかったのだ。なお、活用法を考えるのはヴィースである。さらに仕事が増えた。
 ヴィースは疲れきった顔でレクティタを抱き直し、「ああ……仕事が終わらない……腹減った……」とぶつぶつ言いながらその場を去る。

『ヴィース、夕食のパスタはまだ残っているぞ』

「それ俺も貰えない? 実は昼食ってないから腹減ってんだよね」

「私も小腹が空いてきたし、一緒に食べようかな」

「ひひ……二回おかわりしてたじゃん、リーベルちゃん」

 フトゥ以外の四人がヴィースにつられてぞろぞろと歩いていく。彼らの背が小さくなっていき、十分距離が離れてからようやく、フトゥは握っていた縄を引っ張った。

「それじゃ、ワシらも行くかのう。ほら、立って歩け」

「………」

 アンバーはフトゥの命令に素直に従い、のろのろと彼の後ろを付いていく。
 地下牢への階段を降り、フトゥが手前の牢の鉄格子を引き、アンバーを中に入れた。

「とりあえず、ここに入っておれ。近いうちに王都へ帰してやるから、それまで我慢しろ」

「………」

 アンバーは石畳の地面に座り、無言でフトゥに抗議する。反抗的な彼の視線に、フトゥが「お? なんじゃ?」と挑発するように笑った。

「不服気じゃのう。良いぞ、喋っても。ワシは寛容じゃからな。お主の不平不満を聞いてやろう」

「死ね、化け物が」

「直球じゃのう! 威勢が良いのは結構じゃが、口が悪いのは問題じゃな。隊長が真似をする。以降、口汚い言葉を使うのはやめろ。わかったな・・・・・?」

「……っ」

 アンバーは反論しようとしたが、できなかった。
 罵ろうと口を開くも、言葉が出てこない。どくどくと心臓が鳴り、冷や汗が背に滲む。口の中が渇き、頭は真っ白になり、思考は放棄される。
 長らく忘れていたこの感覚は、恐怖だ。
 アンバーはフトゥに逆らうことに、恐怖を感じているのだ。
 カタカタと震え始めたアンバーを見て、フトゥは顎に手をやった。

「寒そうじゃのう、お主。あとで上着と毛布ぐらい持ってきてやるわい」

 フトゥの言葉と同時に、アンバーの恐怖心が和らいだ。怪訝に思ってフトゥを見れば、彼は不敵に笑っている。
 手加減されている、とアンバーは直感的に理解した。彼の生死は目の前の男が握っているのだ。

「……お前は」

 未だみっともなく震える手を放置し、アンバーは脱力しながら問うた。

「お前は、吸血鬼なのか?」

 お伽話でしか聞いたことがない亜人。自分でも馬鹿馬鹿しいと思うが、「血を吸い」「蝙蝠などに変身でき」「不死身である」という条件に当てはまるのは、アンバーの知識ではそれしか考えられなかったのだ。
 アンバーの台詞に、フトゥが大口を開けて笑った。

「それこそあんな化け物どもと比べるな! まあ、ワシも一応その類ではあるが、末裔の末裔の末裔もいいところの、吸血鬼もどきじゃ」

「もどき?」

「そうじゃ。ワシはか弱いし、そもそも太陽の下を歩いていたじゃろ。本物はもっと怪力だが、太陽に焼かれて死んでしまうわい。お主もとっくにグールになっていたぞ、ワシが本物なら。良かったのう、洗脳と服従程度で済んで」

 ワハハ、とフトゥの笑い声が地下牢に響く。アンバーにとってはどちらにせよ化け物には変わりない。堪らず、呟いてしまった。

「なぜお前みたいな化け物が、人間のふりをしているんだ……」

 フトゥは「んー」と考える素振りをした。
 正体がバレた人間から何度も何度も問われてきたこと。

「たしかに、ワシは昔はイケイケで調子に乗っていたが……」

 吸血鬼もどきといえど、フトゥの力は普通の人間からしたら脅威には違いない。
 ゆえに彼は大昔、その力を振る舞い、財と地位を築き、好き勝手に自由に生きて――次第に飽きていき、周囲との時の差を感じながら生きていくことに、段々と苦痛を覚えていった。

 親しい者は死んでいき、人でないから子は成せず、完全な吸血鬼でもないため同族も生み出せない。
 人にも化け物にもなり切れない中途半端な己は、ただ孤独を癒したいがために、人の世に紛れて道化のように生きた。

 そんな中、出会ったのがあの姫で。
 自棄になっていたフトゥを見抜き、彼の孤独を癒し、共に時を過ごし、互いに恋に落ち――病に侵された姫は、最期にフトゥを拒絶した。

『いやよ。私は、あなたの血なんて飲まないわ』

 差し出されたフトゥの血を、姫は手で払った。「飲めば助かるかもしれない」と彼が泣いて懇願しても、姫は首を横に振った。

『私は人よ。病気で死んでしまうような、弱くて無力な生き物。でもそれでいいの。それが私。私の人生なの。私は、私から逃げないわ』

 フトゥの血だらけになった手を握り、姫は頬擦りをする。

『だから、あなたもあなたから逃げないで。自分の命を差し出して、私を助けようとしないで。私はあなたになれないし、あなたは私になれない。あなたの未来を信じてあげて。私は、信じている』

 吸血鬼は血を分け与えることで、眷属を生み出す。不完全な自分の場合なら、己の血を全て姫に差し出せば、彼女だけは死なずに済むのではないかと、フトゥは考えたのだ。
 勝手な女だ、共に生きてくれないのに、と項垂れるフトゥに、姫が微笑む。

『そうね、私、わがままだから。ねえ、最期に一つ、お願いを聞いてくれる?』

 そして、宣言通りとびっきりの我儘を言ってきた姫を思い出して、フトゥは笑った。

「大したことない理由じゃが、お主には内緒じゃ。長生きしている分、人には言えぬ秘密の一つや二つあるのじゃよ」

 軽口を叩いてから、フトゥはアンバーに背を向けた。捕えた暗殺者に反逆は不可能だと確認できた以上、ここにいる必要はないからだ。
 地上へ帰ろうとする彼に、アンバーが皮肉げに返す。

「少年の姿に化けているのも、秘密の一つか?」

「このくらいの年は使い勝手が良いのじゃ。過去についても詳しく考えなくて済むしのう。九十にしては若々しいじゃろ?」

「はっ、ほざけ。真実など、お前しか知りえないだろうが」

「ちがいない」

 フトゥは笑って返答を濁し、その場を後にした。階段を登りながら、ふむと顎をさする。

「流石に一桁サバを読むのは無理があったかのう……」

 足を止め、己の年齢についてしばし考えたあと、フトゥは開き直った。

「ま、バレたらまた、あやつへの手土産にすればいい」

 フトゥはまた階段を登り始めた。
 これから、ヴィース達と今後について話し合わなければならない。魔法と科学の融合など前例の少ない試みだ。一筋縄ではいかないだろう。アヴェンチュラとシルヴィウス伯の仲も取り持つ必要もある。ヴィースやアルカナはもちろん、フトゥもしばらく忙しくなる。いや、いつも通りだ。むしろ、ここ一年で忙しくない日々を数えた方が早い、とフトゥは思い直した。
 もっとも、彼らと過ごす時間もきっと、すぐに過去になってしまうのだろうが。
 それでもフトゥは階段を登る。歩みを止めず、また人の世に紛れる。
 己の孤独を癒すためじゃない。

『あなたの話が聞きたい』

 最後に交わした約束を果たすため。

『私が死んだ後の世界の、面白い話をいっぱい聞きたいの。ふふ、私の死後の楽しみよ。会えたらたくさん、聞かせてね』

 胸の奥底にしまっている、九百年前に交わした、姫との約束を果たすために。

『さようなら、愛しい人。――未来で、待ってるわ』

 彼もまた、己の信じる未来へと進むのだ。
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