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31 決別(下)

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 サリクスがノエルの結婚相手に選ばれた最大の理由は、精霊使いであるからだ。
 正確には、ノエルの母である王妃が、サリクスをぜひ王太子妃にと推薦した。表向きには優秀な魔法使いの血を取り入れるため、本当の理由は、精霊からの恨みを少しでも軽減させるためである。
 だが、父であるルドウィン国王は、サリクスがノエルの婚約者であることに乗り気ではなかった。
 彼は精霊が怖いのである。
 無理もない。先王アルフレッドが精霊に殺されたとき、同等の殺意をその身に向けられたのだから。竜を裏切った者の子供というだけで、理不尽にも。ルドウィンは見えない相手にいつ殺されるかわからない恐怖を、突きつけられたのだ。
 そんな国王にとって、精霊使いのサリクスは導火線に火が付いた爆弾である。
 母が決定権を持っていたとはいえ、よく三年も我慢できたものだ。とはいえ、サリクスと会うたびに裏で怯えているものだから、ノエルは見ていられなくなった。やはり限界だったのだろう。母を説得し、婚約解消を申し出た時は、何度も何度も裏で感謝されぐらいだ。
 
 不憫だ、とノエルは思った。
 情けないとも、思わずにいられなかった。
 血筋に縛られ、他人に振り回される人間ほど、見るに耐えない。
 もっとも、次期国王ノエルという立場が一番、血筋と他人に縛り付けられているわけだが。
 
 サリクスが嫌いだったのは、そんな彼の同族嫌悪が原因だったのかもしれない。
 それか、親の顔色を伺う彼女が、精霊の姿に怯える父を思い出させたからか。
 
 ヘレナをサリクスの後釜に選んだのは、単にその方が楽だと考えたからだ。
 いきなりサリクスを婚約者から外せば、セントアイビス公爵夫妻に反発を受けるだろう。また王太子妃を選出するのも手間がかかる。だから、妹であるヘレナを選んだ。
 
 だが、一見自分勝手なヘレナも、血筋と他人に振り回されていた。
 親に愛されることに執着する姿は、精霊の呪いを解くことに囚われた母を思い出させた。
 
 実にくだらない。
 
 王太子妃、引いては次期王妃など、誰だって構いやしないのに。
 王太子である自分だって、もっと早くユーカリが現れれば、次期国王に指定されたかもわからないというのに。
 どうしてくだらないことばかり、皆躍起になるのか。
 
 だからノエルは、今日のセントアイビス公爵家との会談も、冷めた態度で参加していた。


*****


「ユーカリから話は聞いてある。サリクスよ、この度は相すまなかった。詫びに、其方の願いをできるだけ聞き入れよう」

 国王であるルドウィンが、もっともらしくサリクスに声をかける。隣にいる王妃もニコニコと笑顔を浮かべているが、目は笑っていない。サリクスを王家に引き入れられないのが、気に食わないのだ。
 賓客をもてなす際に使われる談話室にて、国王夫妻とノエル、セントアイビス公爵家の四人、そしてユーカリが集まっていた。
 玉座のある謁見室を使わないのは、サリクスに対する誠意か、あるいはユーカリに気を使ったのか。どちらにせよ些事であると、ノエルは彼らの会話を見守っていた。

「陛下の仰る通りよ。今回はノエルが迷惑をかけてしまってごめんなさいね。サリクスが望むなら、元通りの関係にだってしてみせるわ」

 自然に誘導してくる王妃に、サリクスは苦笑いを浮かべた。

「お気遣いありがとうございます、ヴィアナ陛下。両陛下のお言葉に甘えて、私からのお願いが二つあります」

 サリクスは畏まって、国王夫妻に告げた。

「一つは、予定通り、ノエル殿下と私の婚約を白紙にしてください」

 王妃からため息が漏れる。想像通りだな、とノエルはつまらなさそうに話を聞いていた。
 次はサリクスが公爵家と絶縁することでも頼むのか。そうノエルが考えた矢先、予想外の台詞が飛んできた。


「もう一つは、セントアイビス公爵の爵位を、ヘレナに譲渡することをお認め下さい」


 国王と王妃がその言葉に驚く。ノエルも、思わずサリクスを見た。

「な、なにを言っているんだサリクス!」

 事前に打ち合わせをしていなかったのだろう。クラフトが焦ってサリクスを詰める。

「両陛下の前で何を馬鹿なことを! 今すぐ撤回しなさい!」

「ルドウィン陛下。この通り父は、お心が乱れております。王家の前にも関わらず、陛下の発言に楯突くような言動が、何よりの証拠かと」

「っ!?」

 クラフトが怒りで顔を赤くするも、口を閉じた。失言をしたと自覚したからだ。これ以上墓穴を掘らぬよう、黙ったのだ。無言になった父親を尻目に、サリクスは淡々と話を続ける。

「今回の件、セントアイビス公爵家にも非があります。責任を取らせていただきたい。私は、世間を騒がした罰として、セントアイビスの姓を捨て市井で生きていきます。また、私の父であるクラフト・セントアイビスは、表向きには病で母と共に田舎に養生させ、実質社交界を引退させるのが妥当かと。そのため、爵位をまだ成人していないヘレナに譲渡させて欲しいのです」

「ふむ……」

 ルドウィンはしばし考えた後、ヘレナを目で示した。

「そうは言うが、サリクス。ヘレナには何も責任を取らせないのか? 今回のきっかけは、其方の妹が原因であると思うが」

 サリクスは「だからこそです」と微笑んだ。

「ヘレナは、ノエル殿下と恋仲でありますから。公爵家を継げば、王太子妃候補から外れます。加えて、四大公爵家としての重圧。我儘なヘレナにとって、これ以上とないほどの、罰でございませんか?」

 国王夫妻ではなく、公爵夫妻に同意を求めるよう、サリクスは言った。
 怒りで言葉が出ない夫に代わって、ルージュが口を開く。

「でもね、サリクス。いくら罰とはいえ、こんな急な話、ヘレナが可哀想でしょう? あの子はあなたより優秀ではないのだから、せめて私だけでも公爵家に残って支えてあげないと」

「そうですよ! お姉様!」

 さりげなく夫を切り捨てたルージュを遮り、ヘレナはサリクスの腕を取って、おどけてみせる。

「私、不安になりますわ。お父様とお母様から、私、公爵家の血を絶やさないための孕み袋として扱われていましたから。いきなり当主なんて、怖くて怖くて不安ですわ」

「そう。なら、あなたも私と一緒にセントアイビス家から勘当される?」

「昨日のような貧乏暮らしをしろと? それは絶対に嫌! 私、あんな安物のベッドを使うなんて、もう二度としたくありません!」

「では、私の言う通りにしなさい」

「そうしますわ。ごめんなさいね、お父様、お母様。田舎でゆるりと余生をお過ごしください」

 ヘレナの手のひら返しに、ルージュが言葉を失う。ヘレナはそんな二人を見て、清々しい笑顔を浮かべた。

「私、お姉様よりずっと我儘ですもの。最後まで、そうさせてもらいますわ」

 公爵夫妻が国王夫妻に無言で助けを訴える。だが、ルドウィンはユーカリが頷いたのを見て、訴えを無視した。

「よかろう。サリクス。其方の願い、引き受けよう。クラフトよ、其方は十日までにヘレナへ正式に爵位を譲渡し、夫人と共に王都を離れなさい。これは王命である」

「そ、そんな、ルドウィン陛下! どうかお考え直しを……!」

 セントアイビス公爵は、ルドウィンに引き下がる。公爵夫人は予想外の事態に、もぬけの殻だ。「茶番ね」と、王妃ヴィアナは呆れた顔をしていた。公爵家の四人とユーカリに退出を促し、会談を終いにしようとした。
 そんな中、ノエルは俯いて、肩を震わしていた。息子の異変に気づいた王妃が、声をかける。

「ノエル? どうかしましたか?」

「――ふふ」

 口を抑え、限界まで我慢していたが、堪えきれないと、ついに顔を上げ、


「――アハハハハハッ!!」


 爆笑した。
 談話室にノエルの笑い声が響く。子供のように腹を抱えて笑う王太子に、その場にいる全員が硬直した。
 王妃が「どうしたのですか、ノエル」と困惑を隠せない様子で尋ねた。

「ふ、ふふ。申し訳ありません、母上。少々、取り乱してしまいました」

 愉快だった。血筋と親に振り回されていた姉妹が、最後にしてやったのだ。これを愉快と笑わず何になる。
 サリクスはつまらない血筋から離れ自由になり、ヘレナは親を振り回せる立場となった。
 笑いすぎて出てきた涙を拭い、ノエルは二人を見た。
 嫌いだった姉妹は驚愕したをしていた。今まで見たことない表情だった。不思議と不快感はなく、あんな顔もできるのかと、ノエルはまた笑いそうになった。

 二人が嫌いだったのに、なぜサリクスに協力してしまったのか、今ならわかる。
 父と母の面影を重ねていたように見えて、ノエルは、サリクスとヘレナに自己投影していたのだ。
 両親の顔色を伺い、国民によって振り回される。
 王子など国の道具だ。そこに、ノエルの意思など必要ない。
 だから、似たような二人を知って、救われてほしかったのかもしれない。
 ……本当は自分が自由になりたかったのかもしれないが。

「失礼。みっともないところを見せたな。サリクス、ヘレナ」

 しかし、まあ、良しとしよう。
 今はとても、晴れ晴れとした気分なのだから。
 退出する二人に向かって――サリクスに至っては、おそらく最後の言葉をかける。

「最初に言ったな。王妃など、どちらでもよいと。もっと言えば、誰だっていいのさ。だから」

 小さく手を振って、別れを告げた。

「君らは、自由に生きなよ」

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