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30 決別(上)

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「しかし、話し込んだから腹が減ったな。何か食いにいくか」

「一階に食堂がありました。そちらでいただきますか?」

「え、あそこって食事をする場所だったのですか」

「むしろなんだと思っていたんだよ」

「……こう、謎の、無駄な空間」

「アンタ意外とイイ性格しているよな」

 三人が軽食を取るかどうか話していると、ドアが叩かれた。声をかけてきたのは、宿の女将である。

「お客さん、ちょっといいかい? アンタ達の知り合いだっていう女が来ているんだけど」

 三人は顔を合わせた。念のため、ユーカリがドアを開ければ、廊下に恰幅の良い中年の女性と、畏まった格好をした女性が立っていた。
 一人は宿の女将である。だが、彼女の横にいる女は知らない。ユーカリが訝しげな顔をすると、後ろで控えていたヘレナが驚いた。

「アリス!? どうしてここに!?」

 ユーカリを退け、ヘレナが廊下に飛び出る。駆け寄ってきたヘレナに、アリスが喜びを露わにした。

「ヘレナお嬢様……」

 目に涙を浮かべるアリスに、ユーカリはヘレナ達の味方だと判断したのだろう。女将に礼を言い、アリスを部屋の中に招いた。

「旦那様には内密に、明日の分だけでもお着替えをお持ちしました。サリクス様の分もです」

 トランクスを二つ持っていたアリスは、一つをヘレナに、もう一つをサリクスに手渡した。

「私の分まで? ありがとう、アリス」

「いえ、私の方こそ、礼させてください。サリクス様。ヘレナお嬢様を、公爵家から連れ出していただき、ありがとうございました」

 アリスが深々と頭を下げる。ヘレナを幼い頃から見てきた彼女にとって、公爵夫妻の態度には思うことがあったのだろう。
 サリクスはユーカリと顔を合わせてから、ヘレナに言った。

「ヘレナ、私達は一階で軽食を取ってくるわ。あなたは、少しここで休んでいなさい」

「鍵のスペアは机に置いておくから、二人とも下に降りてくるときは戸締りをよろしくな」

 そう言って、二人はさっさと部屋の外へ出て行ってしまった。気を使われた、とヘレナは察した。
 アリスが膝をつき、椅子に座っているヘレナの手を取る。優しい声で、彼女を気遣う。

「お嬢様、大丈夫ですか」

「大丈夫に見えるかしら? こんな物置部屋以下の部屋に無理やり泊まらされて。文句を言えばお姉様に我慢しろと怒られて。ああ、もう、嫌になっちゃうわ」

 「でもね」と、ヘレナが顔に陰を落とす。アリスの手を握り返し、ぽつりぽつりと本心をこぼす。

「屋敷にいるよりは、全然辛くないの……お父様とお母様に顔を合わせなくていいと考えたら、こんな部屋なのに、自分の部屋よりも、安心できるの……」

「お嬢様……」

「私、二人に褒めて欲しくて頑張ったのに、もう全部嫌になっちゃった。だって、どれだけ努力しても、お父様もお母様も、私のことなんか最初から気にしていないもの。ううん、私じゃなくてお姉様だって。あれだけ羨ましくて妬ましかったのに、お姉様も結局、お父様とお母様達に振り回されているだけだった」

 彼女らの手の上に、涙が落ちる。

「私、なにしていたんだろう。お姉様を勝手に目の敵にして、八つ当たりして。なのに、お姉様は私を庇ってくれて。呆れるわ。アリスだって、私のこと馬鹿だと思っているでしょう?」

「いいえ! そんなことありません!」

 アリスはヘレナの手を強く握りしめ、首を横に振った。

「子供が親の愛を求めるのは当然でございます! そのことを責めるなど、私が許しません! たとえ結果が間違っていようとも、お嬢様の心を否定されるいわれはありません!」

「でも、私は……」

「……ヘレナお嬢様、私はずっとあなたを見てきてました」

 アリスの言葉に、ハッと目を見開く。
 目の前に膝を付いている侍女は、昔から変わらぬ笑顔を、ヘレナに向けた。

「お嬢様は芯があり、目標のためなら努力を惜しまない、素晴らしい女性です。何に引け目を覚えるのでしょう。間違いを犯したのならば、罪を償えばいいのです。賢いお嬢様なら、もう自分の心に気づいているはず」

 ああ、そうか、とヘレナは気づいた。
 お父様とお母様に見放されていても、私をちゃんと見てくれている人がいたんだ。頑張っていた時間を、努力を、評価してくれる人がいたんだ。
 どうして今まで忘れていたんだろう。私には、ずっとそばに、アリスがいたじゃないか。

「ヘレナお嬢様。お嬢様は、旦那様方と、どうなされたいのですか」

 幼い頃から支えてくれた侍女が、己の主人に問いかける。
 ヘレナはしばし目を伏せた後、顔を上げ、覚悟を決めた顔でアリスに告げる。

「アリス、私は――」

*****

「しかし、二人きりにしてよかったのか? ヘレナと、あのアリスって姉ちゃんと」

「アリスはヘレナの幼い頃の侍女ですから、妹の味方でしょう。ろくに話したことない私よりも、よっぽど信頼できるはずです」

 宿に併設している食堂で、サリクスとユーカリは酒を飲んでいた。飯を頼まないサリクスに、「腹減ってないのか?」とユーカリが首を傾げた。

「実は、早めに夕食を取ってしまったんですよ」

 サリクスは苦笑しながら、酒と共に出されたナッツを摘まんだ。ユーカリは特に気分を害していないようだ。「そうか」と言って、酒を口にする。

「………」

「………」

 二人の間に沈黙が落ちる。何かを探るように、サリクスは酒の表面をそわそわと眺め、ユーカリは忙しなく視線を動かした。

「なあ」

「あの」

 話を切り出すタイミングが被る。二人とも遠慮して、一瞬口を閉じてしまう。沈黙がまたもや落ちる前に、サリクスが「ユーカリ様からどうぞ」と、話を譲った。

「あ、ああ。悪いな。といっても、すぐ済む話なんだが」

 ユーカリは酒を机に置き、姿勢を正した。

「悪かった。身分を隠して、サリクスを騙すような真似をしていて」

 頭を下げるユーカリに、サリクスが慌てて首を横に振った。

「頭を上げてください、ユーカリ様。私こそ、謝らなくてはなりません。あれだけお世話になっていたというのに、ずっと身分を秘密にしていて」

「無理もねえよ。サリクスの立場は、他人に話すには複雑だ。そりゃあ、慎重にもなるさ」

「それはユーカリ様だって同じでしょう」

 不毛な謝罪合戦になる気配を察し、ユーカリはこの話題を切り上げた。

「わかった。お互い様だってことにしておこう。この話は終いだ」

「ええ、わかりました。ただ、あと一つだけ。お礼を言わせてください」

「礼?」

「父に魔法を使われたとき――いえ、初めて会ったときから、ずっと助けていただいて、ありがとうございました」

 てっきり今日のことを話されると思っていたユーカリは、予想外の言葉に、照れて顔を逸らした。

「俺は大したことしてねえ。ちゃんと自分の両親と向き合えたのは、サリクス、アンタ自身の力だろう」

「それでも、私が一歩踏み出せたのは、ユーカリ様のおかげです。感謝してもしきれません。本当に、ありがとうございます」

 サリクスは花が咲くように笑った。酒のせいか、その頬は赤い。ユーカリも釣られて顔が赤くなり、わざとらしく話を変えた。

「それにしても、サリクス、意外と口喧嘩強いよな。『馬鹿親父』って、アンタが使うなんて驚いたぜ」

「やだ、聞いてたいのですか。恥ずかしい。ユーカリ様の真似をしたのが、ばれてしまいました」

「えっ」

「本当はすごく緊張していましたの。あのような強い口調は初めてでしたから。でも、私の中で最も威勢のある言葉使いをしていたのは、ユーカリ様だったので。あの場で自分を奮い立たせるために、頑張りましたわ」

 サリクスは頬に手を当て、恥じらいながら告白する。嬉しそうな彼女を見て、サリクスの口が悪くなったのは俺のせいか……と、ユーカリが密に落ち込む。
 そんな二人のやり取りに、口を挟む者が来た。

「なにをしているのですか、お姉様。ユーカリ様」

 ヘレナだった。部屋から一階に降りてきたのだろう。呆れた顔をして二人に現状を説明した。

「アリスとの話が終わりましたので、報告しに来ました。彼女は今部屋にいますが、もう少ししたら帰らせますわ」

「そう。わかったわ。ヘレナはお腹空いていない? 何か料理を頼みましょうか?」

「いえ、大丈夫です。それよりも――お姉様に謝らなくてはならないことが」

 ヘレナは真剣な顔をしてサリクスに向き直ると、人目も気にせず、深々と頭を下げた。

「今まで、申し訳ありませんでした。私の身勝手な行動で、お姉様の心を深く傷つけたこと。お詫び申し上げます。謝って許される罪ではないと存じております。どうか、好きなだけ誹ってください」

 「ヘレナ、頭を上げて」サリクスは言った。「今回の件、あなたが悪いわけではないわ。それに、私はヘレナを恨んでいない。いくらでも許すから、必要以上に自分を責めないで」

「お心使い、ありがとうございます。ですが、このままでは私の気が済みません。私なりの、責任を取らせてください」

 ヘレナは顔を上げ、二人に覚悟を示す。

「そのために、お姉様とユーカリ様に、お願いがあります」
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