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13 初仕事
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今日から仕事ということで、サリクスは朝早くに起きた。
昨日は一通りの生活品を買い揃えただけで、一日が潰れてしまったのだ。ユーカリはククリの客と雑談や魔道具の点検、魔石の取引をしていたが、サリクスは何も手伝っていない。実際に働くのは今日が初めてである。ようやくの仕事に、サリクスは少し気が楽になった。
買ったばかりのシャツとスカートを着て、二階にあてがわれた寝室から一階へ降りる。
それなりに早く目覚めたつもりだったが、雇い主に比べて遅かったようだ。ユーカリはすでに起きており、台所で朝食を作っていた。油が跳ねる音と肉の焼ける匂いが、サリクスの食欲を刺激する。
「おはようございます。何か手伝うことはありますか?」
「ああ、起きたか。もう少しでできるから、そこで待っていろ」
「わかりました」
サリクスに気づいたユーカリが、食卓を指し示す。机の上にはパンと苺ジャムが置かれていた。
大人しく座って待っていると、宣言通り、すぐにユーカリは皿を二つ持ってきた。ベーコンと目玉焼きが乗っているそれを貰い、サリクスは礼をした。
「ありがとうございます」
「いや、大丈夫だ。じゃあ、食べるか」
いただきます、と簡潔に言って、ユーカリはフォークで肉を刺した。サリクスも神に祈りを捧げてから、食べ始める。
猫背はみっともないため、背筋は伸ばしたまま。大口を開けなくて済むよう、ナイフとフォークで小さく切って。脂で口元を汚さないように気をつけて、ベーコンを食べる。
幼少期から染み付いた食事のマナーだ。サリクスにとっては当たり前の行動だが、ユーカリはパンを齧りながらじっと興味深く見つめてきた。
「あの……何か、気に障ることでも?」
サリクスが不安になって尋ねると、ユーカリは慌てて首を横に振った。
「あ、悪い。随分と丁寧に食べるんだなと思ってな。昨日もそうだったが、もう少し楽になってもいいんじゃないか?」
「楽にって、どういうことですか?」
サリクスはユーカリの意図がわからず、首を傾げる。ユーカリは青い鱗に覆われた手で、頬を掻いた。
「そうだな……なんだか、アンタの食事は固いというか、もっと崩しても……いや、汚く食えとか、そういうわけじゃないが」
ユーカリはしばらく言葉を探したが、やがて諦めた。
「あー、難しいな。今はいい。後でまた、教える」
勝手に話題を打ち切り、ユーカリはさっさとベーコンを食べてしまう。サリクスもまた、彼の言動に引っかかるも、食事を再開した。
朝食を済ませ、片付けも終わってから、ようやくユーカリは仕事に取り掛かった。
「まずは掃除からだ。やり方は教えるから、ちゃんと見ておけ」
そう言って、店内の掃除をサリクスに教える。
上から下の順で埃を落とすこと、箒で床を掃いてから濡れ雑巾で拭くこと、展示されている魔道具は乾拭きで磨くこと。基本的な掃除方法から魔道具の取り扱いまでを、サリクスに一つずつ伝えていく。
貴族の娘に掃除なんて! と、反抗されることもユーカリは想定していたが、サリクスは従順だった。手が汚れるのも厭わず黙々と床を拭く彼女に、ユーカリは少し心配になった。
(王都で会ったことがあるお嬢様は、良くも悪くもプライドが高かったが……この娘は、プライドの問題というより、自我が薄いというか……)
嫌がるどころか躊躇う素振りすら見せなかったサリクスに、ユーカリはますます不安を覚えた。
この娘、自分が無茶振りや理不尽なことを命じても、顔色一つ変えないで従いそうだ。昨日のムーゲとのやり取りもある。自己主張するのが苦手なのかもしれない。もしくは、それが許されない環境で育ったか。
(どちらにせよ、憶測の域を出ないがな)
ユーカリはなぜサリクスが自殺したのか、詳しい理由を知らない。サラマンダーから聞き出せた情報は、彼女が氷柱で喉を貫き、瀕死のところを精霊達が王に頼んで蘇生したということ。そして、サリクスは深い心の傷を負っていて、生きる希望を失っている状態だということだけだ。
他の精霊も似たような状況で、おそらく、サリクスを押し付けた精霊王ですら把握していない。どれほど人間と友好的であっても、所詮は人ならざる者。そこまで人に関心を持てないのだ。彼らから詳細を知ろうとしても無駄だということを、精霊界で過ごしていたユーカリは理解していた。
だが、自殺するほど追い詰められた原因を取り除かなければ、事は何も解決しない。
サリクスに命じれば、彼女はユーカリに事情を説明するだろう。それをしないのは、単純に彼の気が進まないからだ。
本人が自主的に話すならともかく、無理強いしてまで聞くことではない。話したくなったら、話せばいい、とユーカリは考えていた。
とにかく、今のサリクスに必要なのは確固たる自我と、自己主張だ。
自分の心のうちをきちんと把握し、自分の口で他人に伝える。それができてようやく、サリクスは前を向くことができるだろう。
そのためにはまず、ユーカリは彼女から信頼を得なければならない。そして少しずつ意見を主張させ、他人に気持ちを伝えるのをユーカリ相手で練習する。自分はそれを適切に判断し、倫理的に間違った意見は、できるだけサリクスを否定しないよう言葉を考えて助言して——。
(……なんで俺は、こんな赤の他人のことをクソ真面目に考えているんだろうな)
ふと我に返って、現状のおかしさを認識する。
別に知り合いでもなんでもない貴族の娘一人、放っておけばいい。精霊王の頼みなど知ったことか、と無責任になればいいものを。
わざわざ服や生活用品まで買って。物置部屋を片付けて個室をあてがって。その上、仕事を与えて、心のケアまで考えて。
我ながら人が良すぎると、ユーカリはため息を吐いた。
(仕方ねえよ。乗りかかった船だ。最後まで、責任持って面倒を見るさ)
ユーカリは心の中で独りごちてから、掃除が終わったサリクスに声をかけた。
「サリクス。道具を片付けたら、こっちに来い」
ユーカリはカウンターの上に小鍋と薬草、複数の空の瓶を置いて、サリクスに次の仕事を与えた。
昨日は一通りの生活品を買い揃えただけで、一日が潰れてしまったのだ。ユーカリはククリの客と雑談や魔道具の点検、魔石の取引をしていたが、サリクスは何も手伝っていない。実際に働くのは今日が初めてである。ようやくの仕事に、サリクスは少し気が楽になった。
買ったばかりのシャツとスカートを着て、二階にあてがわれた寝室から一階へ降りる。
それなりに早く目覚めたつもりだったが、雇い主に比べて遅かったようだ。ユーカリはすでに起きており、台所で朝食を作っていた。油が跳ねる音と肉の焼ける匂いが、サリクスの食欲を刺激する。
「おはようございます。何か手伝うことはありますか?」
「ああ、起きたか。もう少しでできるから、そこで待っていろ」
「わかりました」
サリクスに気づいたユーカリが、食卓を指し示す。机の上にはパンと苺ジャムが置かれていた。
大人しく座って待っていると、宣言通り、すぐにユーカリは皿を二つ持ってきた。ベーコンと目玉焼きが乗っているそれを貰い、サリクスは礼をした。
「ありがとうございます」
「いや、大丈夫だ。じゃあ、食べるか」
いただきます、と簡潔に言って、ユーカリはフォークで肉を刺した。サリクスも神に祈りを捧げてから、食べ始める。
猫背はみっともないため、背筋は伸ばしたまま。大口を開けなくて済むよう、ナイフとフォークで小さく切って。脂で口元を汚さないように気をつけて、ベーコンを食べる。
幼少期から染み付いた食事のマナーだ。サリクスにとっては当たり前の行動だが、ユーカリはパンを齧りながらじっと興味深く見つめてきた。
「あの……何か、気に障ることでも?」
サリクスが不安になって尋ねると、ユーカリは慌てて首を横に振った。
「あ、悪い。随分と丁寧に食べるんだなと思ってな。昨日もそうだったが、もう少し楽になってもいいんじゃないか?」
「楽にって、どういうことですか?」
サリクスはユーカリの意図がわからず、首を傾げる。ユーカリは青い鱗に覆われた手で、頬を掻いた。
「そうだな……なんだか、アンタの食事は固いというか、もっと崩しても……いや、汚く食えとか、そういうわけじゃないが」
ユーカリはしばらく言葉を探したが、やがて諦めた。
「あー、難しいな。今はいい。後でまた、教える」
勝手に話題を打ち切り、ユーカリはさっさとベーコンを食べてしまう。サリクスもまた、彼の言動に引っかかるも、食事を再開した。
朝食を済ませ、片付けも終わってから、ようやくユーカリは仕事に取り掛かった。
「まずは掃除からだ。やり方は教えるから、ちゃんと見ておけ」
そう言って、店内の掃除をサリクスに教える。
上から下の順で埃を落とすこと、箒で床を掃いてから濡れ雑巾で拭くこと、展示されている魔道具は乾拭きで磨くこと。基本的な掃除方法から魔道具の取り扱いまでを、サリクスに一つずつ伝えていく。
貴族の娘に掃除なんて! と、反抗されることもユーカリは想定していたが、サリクスは従順だった。手が汚れるのも厭わず黙々と床を拭く彼女に、ユーカリは少し心配になった。
(王都で会ったことがあるお嬢様は、良くも悪くもプライドが高かったが……この娘は、プライドの問題というより、自我が薄いというか……)
嫌がるどころか躊躇う素振りすら見せなかったサリクスに、ユーカリはますます不安を覚えた。
この娘、自分が無茶振りや理不尽なことを命じても、顔色一つ変えないで従いそうだ。昨日のムーゲとのやり取りもある。自己主張するのが苦手なのかもしれない。もしくは、それが許されない環境で育ったか。
(どちらにせよ、憶測の域を出ないがな)
ユーカリはなぜサリクスが自殺したのか、詳しい理由を知らない。サラマンダーから聞き出せた情報は、彼女が氷柱で喉を貫き、瀕死のところを精霊達が王に頼んで蘇生したということ。そして、サリクスは深い心の傷を負っていて、生きる希望を失っている状態だということだけだ。
他の精霊も似たような状況で、おそらく、サリクスを押し付けた精霊王ですら把握していない。どれほど人間と友好的であっても、所詮は人ならざる者。そこまで人に関心を持てないのだ。彼らから詳細を知ろうとしても無駄だということを、精霊界で過ごしていたユーカリは理解していた。
だが、自殺するほど追い詰められた原因を取り除かなければ、事は何も解決しない。
サリクスに命じれば、彼女はユーカリに事情を説明するだろう。それをしないのは、単純に彼の気が進まないからだ。
本人が自主的に話すならともかく、無理強いしてまで聞くことではない。話したくなったら、話せばいい、とユーカリは考えていた。
とにかく、今のサリクスに必要なのは確固たる自我と、自己主張だ。
自分の心のうちをきちんと把握し、自分の口で他人に伝える。それができてようやく、サリクスは前を向くことができるだろう。
そのためにはまず、ユーカリは彼女から信頼を得なければならない。そして少しずつ意見を主張させ、他人に気持ちを伝えるのをユーカリ相手で練習する。自分はそれを適切に判断し、倫理的に間違った意見は、できるだけサリクスを否定しないよう言葉を考えて助言して——。
(……なんで俺は、こんな赤の他人のことをクソ真面目に考えているんだろうな)
ふと我に返って、現状のおかしさを認識する。
別に知り合いでもなんでもない貴族の娘一人、放っておけばいい。精霊王の頼みなど知ったことか、と無責任になればいいものを。
わざわざ服や生活用品まで買って。物置部屋を片付けて個室をあてがって。その上、仕事を与えて、心のケアまで考えて。
我ながら人が良すぎると、ユーカリはため息を吐いた。
(仕方ねえよ。乗りかかった船だ。最後まで、責任持って面倒を見るさ)
ユーカリは心の中で独りごちてから、掃除が終わったサリクスに声をかけた。
「サリクス。道具を片付けたら、こっちに来い」
ユーカリはカウンターの上に小鍋と薬草、複数の空の瓶を置いて、サリクスに次の仕事を与えた。
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