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しおりを挟む公爵家に来て、一週間ほど経ちました。
炊事洗濯仕事をしなくて良い生活にも徐々に慣れ始めてきた頃です。問題が発生しました。
暇です!
やることがないですわ!
お昼ご飯を食べたあと、私は部屋で悩みました。午後に予定はありません。正確には、無くなってしまったと言うべきでしょうか。
お母様がウィステリア様に仰ったように、私は貴族としての教育を受けたつもりがありませんでした。公爵夫人としての振る舞い以前に、マナーや教養が完璧ではないと思っていました。
ですから、ウィステリア様はそれを考慮して、わざわざ私のために家庭教師を雇って下さり、一通りマナーが身についてから挨拶回りをしようと提案してくださったのです。
端的に言えば、両親に嵌められました。
マナーも教養も完璧だと、教師の方から太鼓判を押されてしまったのです。
どうやら、私が夕食で守っていたテーブルマナーはただの我が家特有のルールではなく貴族のそれであり、毎夜寝る前に読まされた詩集や小説は、貴族が教養として読んでおくべき本だったようで。教えることは、若い方の流行りとダンスぐらいだと先生から言われてしまいました。
しかも、貴族の名前や交友関係に関しても、仕立て屋で働いていたのですから、何となく把握しております。私が働いていた店の主なお客様は貴族のご夫人ご令嬢です。流行のドレス一着を作るだけでも、どこぞの伯爵の青いドレスとは被らないように、あそこの子爵家よりもっとフリルを足して豪華になどなど、色々注文内容から察せられるのです。そういえば、仕立て屋で働くのを勧めたのもお母様でしたね。なるほど、こういう目論見があったというわけですか。
お母様の策略により、私は、知らず知らずのうちに貴族としての振る舞いを身に着けていたのです。
できていることを二度も習う必要はないな、と、ウィステリア様は怒ることもなく家庭教師の方々を解散させました。もちろん、お給料は予定通り全額お払いになって。かかったお金は全てお返します、と謝罪すれば、「これくらいはした金だから気にするな」と気を使ってくださいました。……もしかしたら、ウィステリア様のことですし、本当にはした金かも知れませんが。それとこれとは話が別です。何かお返しをしなければ。
こういった理由から、私の予定はほとんど白紙になってしまいました。ウィステリア様がお忙しい方ですから、挨拶回りもそうすぐにはできません。彼の知人への紹介が済まなければ、他の貴族との社交なども無理です。
以前までは、仕事で夜遅くまで店に居残ったり、空いている時間に家事を手伝っていたので、あまり暇を感じませんでした。
ですが、公爵家にはたくさんの使用人がいらっしゃいます。私の出る幕ではありませんし、そもそも手伝わせてくれません。私も、店長の旦那様が店に顔を出しに来たときは、いやに緊張したので気持ちはわかります。嫌ですよね、雇い主の関係者が職場に来るのは。
なので、やることがないのです。
こういう時、普通のご令嬢なら、読書や刺繍をして時間を潰すのでしょう。しかし、私は読書がそこまで好きでなく、刺繍も仕事で散々してきたのでやりたくありません。編み物も同様。細かい作業は、もうこりごりですわ。
私は伸びをしました。正直、あまり身体を使っていないので、元気があり余っています。運動したいです。
貴族のご令嬢がする運動ってなんでしょうか? 乗馬かしら? 馬って気難しくて怖いんですよね。私のような小娘は舐められそうですわ。
ここでうだうだ言っていても仕方ありません。執事のブラッドリーさんに何か良い案がないか聞いてみましょう。
私は廊下に出ました。公爵家の間取りにも少し慣れました。ブラッドリーさんは、この時間はおそらく彼の執務室にいるので、そちらを目指しましょう。確か、こっちだったはずです!
迷いました。
なんということでしょう。私、実は方向音痴だったのでしょうか。森の道はすぐ覚えられたのに……。
とぼとぼと人を探して歩いていると、曲がり角から話し声が聞こえてきました。助かりました。早く道案内をお願いしましょう。
「それで、ラヴァンダ様ってどんな感じなの?」
「今のところ普通のお方。良くも悪くもね」
私はすぐさま姿を隠しました。聞き耳を立てれば、使用人の方々が私の話をしています。仕方ありません。いきなり勤めている屋敷に没落した貴族の娘が現れたら、話題にも出したくなるでしょう。おそらく、内容は私への不満でいっぱい――
「偽装結婚よねえ。明らかに」
――契約のことバレてるっ!?
まさかの事態に、私は口を開けてしまいました。慌てる私を露知らず、彼女達の会話は続いていきます。
「大丈夫かな、ウィステリア様。実は騙されているとか」
「別に結婚詐欺とかではないと思うけど。ウィステリア様だし。詐欺に引っかかるほど、あの方は他人に興味ないわよ」
「むしろラヴァンダ様が大丈夫かしら。ウィステリア様、腹芸なんてできる性質じゃないでしょう」
「苦労しそうよね。社交とかで。今だって、私達に体質のこと隠しきれていると思っていますし」
そっちもバレているのですかっ!?
「第一、グレード家の精霊については雇われたときにブラッドリーさんから、それとなく教えて貰っているのに。ウィステリア様の場合、特殊だから皆察しても口に出さないだけで」
「ブラッドリーさんも大変よ。ウィステリア様が抜けているから、自分がしっかり支えないとって。話したところ、ラヴァンダ様もウィステリア様と考えが似ているお方だったし」
「旦那様が心配するのも仕方ないわ。ウィステリア様、体質のこともある上に、ああいう性格だから。裏表のない良い人だけど、次期公爵としてやっていけるのかしらねえ……あ、そういえば、聞いたかしら? 今度、庭師のベンが結婚するって話――」
話題が変わって、使用人達は庭師の青年の馴れ初めの話で盛り上がり始めました。私はそっと壁から離れて、ふらふらとその場を立ち去ります。
とてもショッキングな話でした。まさか、ウィステリア様が使用人に頼りないと思われているなんて。疑念が確証に変わりました。やはり、ウィステリア様は天然だったのです。天然氷なのです。汚れなき純水でできた透明な氷の貴公子。
ダ、ダメです。私がなんとかしなければ……! ウィステリア様に全てを任せてはいけない……!!
でないと、私も同類扱いされてしまいます。というかされています。私まで天然だと思われるのは不本意です。ここは、ウィステリア様と私の社交性を見せて、屋敷の方々から信頼を得ないと……!
私は作戦を考えながら、屋敷を歩き回りました。結局、部屋に戻れたのは、作戦を粗方立て終わったあと、日が落ちる寸前の頃でした。
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