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第58話・自分の色彩センスについて考えてみるのも悪くありませんがそんな場合じゃないかもしれません

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 気合いを入れ直す。
 服もゴルフウェアからタキシードへ着替え直した。
 誰もいないんだし、楽な格好の方が作業性も上がると思っていたが。

 実際、着替え終わると背筋が伸びる感じがした。
 同時に、優しさの中にも一本芯の通った感じの、あの衣料品店の女性を思い出して。
 やると言ったからには、そりゃもう顔面徹底的にやる。
 これは信用の問題なのだ。

 そして席に着き、PCに一緒に送られて来ていたCADソフトをインストールし、即立ち上げて基板データを開いた。
 (仕事で使い慣れているソフトだったのはラッキーだった)
 まずはマスタの基板から。
 すると。

「こっ、これは……」

 先ずは部品が付いている最外層を開いたのだが。
 なんというか、物凄い緊張感のある銅箔パターン図だった。
 思わず固唾を飲んでしまったほどに。

 他社の設計データを見るなんて、めったにある事じゃない。
 だから異質な感じを受けるだろう事は、ある程度は想定していたが。

 しかしこれは異常だ。
 それになんだろう、この感じ。
 割と最近似たような感じを受けたことがあるような……

 喉に引っかかった小骨に煩うが、それはわずかな時間だった。
 そう、それは初めてここに来た時の、館に対して持った印象そのものだったのだ。

 しつこいくらいにくり返される、真四角のモチーフ。
 直線以外の角度を許さない、部品の配置や銅箔の接合部。
 それは見たことのない緊張感に満ちていて……

 何故こんな配置や接続が可能になるんだ?

 俺もコンピュータの基板は何枚か設計したことがある。
 しかし、それらはほぼ全て色々な大きさの部品を使っているので。
 部品配置や接続は、こんなに直線基調にはなり得なかった筈なのだが。

 しかし、このスーパーサーバーの基板はそれを成している。
 どこの設計会社の仕事だこりゃ。いや、宇治通の社内設計なのか?
 いずれにしても凄すぎる。
 こんな凄いモノを、俺なんかがダメ出し出来るのか……

 いったん席を立つ。
 そして、厨房から持って来ておいたカートの前に行く。
 カートの上にはお茶セット。

 淹れておいたコーヒーをカップに注ぐ。
 少し落ち着いた方が良いと思ったのだ。

 カートの前で一口飲んで。
 そう言えば、先週の金曜日に、地下室で黒服組にお茶を貰って来ると言って。
 結局持って行けなかったことを思い出した。

 特に美原さんの落ち込み方は、見てて居たたまれなくなるほどだったな……

 と思い出したところで、もっと大事なことを思い出した。
 美原さんは初日に、このコンピュータのシャーシは液冷だと言ってたと。
 だから地下室では、クーラントを冷却する為の設備が冷蔵庫のようなうなり音を立てていたのだ。

 つまり、この基板はクーラントの中にジャブ漬けされている。
 それ故に、普通の基板では使用されている放熱板が不要になっているのだ。

 ああ、それで部品配置の自由度が増して、このレイアウトが可能になってるのか。
 なるほどっ、ありがとう美原さん謎が解けたぜ。

 と、美原さんが聞いてたら困惑しそうなことを考えながら、再び席に着く。
 そして、PCの別画面に送られてきた回路と基板の仕様書を開いた。
 うむ、まずは仕様の確認からだな。
 設計の基本だな(検図だが)。

 基板の仕様は2-4-2の8層でBH無し。
 (1-2-3層と6-7-8層の間は小信号用レーザーVIA、それと全層貫通のスルーホール)

 意外とシンプルなものだった。
 スーパーコンピューター用っていうから、もっとこう大袈裟な、12層で何でもありな満艦飾を想像してたんだが。

 ちょっと肩透かし、というか肩の荷が下りた感じだ。
 これならなんとかチェックできるかも。

 そこで、持って来てたカップに口をつける。
 さっきは気にならなかったが少し苦めだったかな。
 なかなか祢宜さんのように上手くは淹れられないか。

 っと思ったところで、基本的な事に気が付いた。
 検図と言いながら、この基板はすでに部品を装着されて稼働しているのだ。
 つまり、基板設計会社で行っているような検図はとっくにクリアしてるということ……

 コーヒーの苦みが増したような気がした。

 実機はいじれない(黒服組全員から固く禁止されている)。
 俺がやるべきなのは、先週の金曜に起きた現象を反芻しながら、基板と配線図のデータのみで不具合点を洗い出すという甚だ困難な作業だということだ。

 もちろん21世紀のCADシステムで描かれた基板だから、配線図と接続が合わないなんてことはあり得ない。
 配線図内部の接続ネットデータも、設計者たちによって確認済みだろう。
 だから、回路も基板も仕様通りに稼働しているという前提で見なきゃならん。

「ど、どうすれば……」

 困ったときは基本に戻れ。
 これは俺に仕事を教えてくれた先輩社員の常套句だった。
 それを思い出して、再度気持ちを落ち着ける。

 今回の場合は、とにかく動作中にダウンしたのだから。
 負荷の上昇が原因の異常動作と見なすべきだろう。

 それは普通、発熱が原因の場合が多いだろう。
 熱で何かの部品の内部が焼けて、動作を止めたと。
 停止後、放置してただけで動作が復帰したのがその証拠だ。

 それは、+Bとかの電源系ではないだろう。
 負荷の上昇でキツくなるのは、増えた情報を直接扱う信号系のLSIの方が先だからだ。

 そう考えて、主にデータのバスラインを中心に見ていくことにした。
 等長配線が出来てないところとかは要チェックだ。
 あとはクロックラインと離れすぎてないか、とかもな。

 銅箔ライン上で微妙な遅延が起きると、それはLSI内部のチップの負荷になるかもしれんからだ。

 そこで、対象となるバスラインを配線図上から引き出すことにした。

 元々ネットゲーム用に据え付け直した、三面鏡状態のディスプレイ。
 その真ん中には基板図、右側には配線図、左端には接続データのリストを表示させた。
 おお、見易い……ウチの会社もこの環境で仕事させてくれ……ないだろうなあ、社長しみったれだから(涙)。

 と感動だか失望だかをしながら、リスト上からそれっぽい名前の接続データを選択し、基板図と配線図に適用した。
 分かりやすく、選択したデータを赤色に変えたのだ。
 すると……

「ぐはっ……」

 員数が数千の接続データが、基板図と配線図を真っ赤に染めたのだ。
 基板は8層全てにわたってだ!

「これ全部チェックするのか……」

 目の前が真っ暗になるかと思ったが、画面はそれすら許さない程に赤かった。


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