上 下
16 / 67

第16話・静観

しおりを挟む
 
「今朝のトースト、美味しかったよ」

 PCルーム、背後に陣取った法帖老が、ご機嫌で。

「あ、はあ、恐れ入ります」

 背中で返答する。
 ザラ場は既に開場しており、目の前の板表示は目まぐるしくピコピコしている最中だ。
 目が離せない。

「しかし、契約に朝食作りなどは入ってなかった筈だが」

 背後の法帖老、今は普通の椅子に座っている。
 車いすは無く、祢宜さんもその横に立ってニコニコしているだけだ。
 契約のサインをした直後、おもむろに車いすから立ち上がり、かくしゃくと歩み寄ってきて握手を求められたときは、少し驚いたが。

「ああ、はい、まあ日頃の癖と言うか、そんなワケで」

 隣に座ってる宇藤が、チラとこちらを見る。
 それほんと? というような横顔で。
 まったく、この女は……

 とにかく、契約さえしてしまえばこちら側の人間になったのだから、もう芝居をする必要はなくなったと言われたのだった。

「日頃? キミぐらいの年齢なら、朝は食べないとかせいぜいコンビニで菓子パンかじるとかじゃないのかね」

 それは、かなり偏った思い込みに思えた。
 しかし、館の老主とくれば車いすに乗ってるもの、と思い込んでるくらいだから、それもまあ無理もないかとも。

「え、ええ、実はそうなんですよ」

 だから、話を合わせておくことにした。

「コンビニの菓子パンって、なんか癖になるんですよね」

 確かに、菓子パンはカロリー補給には適している。
 それに、設計データの作成は頭脳的な体力仕事だからな。
 甘いものは、すぐ脳の燃料になると言われてるし、その実感もある。

「だから朝は、もっぱらコンビニで買ったもので済ませてます」

 将棋の対局で、棋士が甘そうなケーキとかをバクバク食ってるのを見たことがあるだろうか。
 それはたぶん、同じ理由なんじゃないかと。

「そうかね、ふむ……」

 もう少し話を伸ばすかな、と思ったが、法帖老はそれ以上は突っ込んでこなかった。
 それで少し気になって振り向いてみたのだが、その時は法帖老が傍らの祢宜さんに目くばせをしているところだった。

「ワタシです。はい。もうすぐ今日の銘柄が決まりますので……」

 隣の宇藤、テーブルの端にある内線電話を使い始めた。

「フォロー、よろしく」

 横目で俺を見ながら。
 それは、地下に居るサラ・美原コンビに言うのと同時に、俺にも言ったように感じた。
 つまり、雑談は止めて仕事を進めろと言う意味で。

「銘柄は、昨日のETFともう一つ」

 昨日のザラ場終了後に、サラにPCのアプリケーションをイジってもらっていた。
 今日は2銘柄のフル板が同時に見られるようになっている。

「例のメガバンクだ」

 昨日、俺が銘柄を変える前に表示されていた銘柄だ。
 サラも、それが関係しているかもと言っていた。

「聞こえた? じゃあ、動作監視の方よろしくね」

 銘柄は、昨日と同じく出来高の多いものから選ぶつもりだった。
 しかし、今日も出来高トップは、このETF。
 選択の余地は無かった。

「時刻も今ぐらいだったろ」

 受話器を持ったままの宇藤に向かって。
 時刻は10時3分前。
 このタイミングで俺が両建てをすると、板の両端がピコピコし始めたのだが。

「そうね」

 真剣な表情で首肯して、宇藤。
 本気モードになってるようだ。
 俺もそれに合わせることにする。

「では行く」

 昨日と変わらず、ティック抜きの餌食になって過熱気味な板に、両建ての注文を送り出す。
 今日は13350円(空売り)と13340円(買い)からスタートだ。

「……よし」

 今日も簡単に、1段ずつ1枚ずつの両建てが成立。
 まあ、両建てはこっからが本番なんだが。

「注文が約定、そっちに変化は? ……え?」

 宇藤が地下から何か言われてるらしい、なにやらテーブルの奥の方をゴソゴソ探り始めた。
 だが、今はそれを気にしてる場合じゃない。

 今日は値動きが鈍い。
 いや、約定数は相変わらず多いのだが、昨日のようなある意味で意思を持ったような、値動きに明確な方向性みたいなものが感じられないのだ。

 基本は下げ方向か。
 しかし、2~3段とれたら撤退する口が多いようで、上は13370円、下は13320円の間でピンポン状態だ。
 これでは、損切+建て直しすらできない……

「かじやっ!」
「うはっ!!」

 ビックリした!
 いきなり面前のディスプレイから俺を呼ぶ大声が!

「加治屋、こっち」

 声の主はサラのようだった。
 ビビりながらも音源を探す。
 それはすぐに、ディスプレイの真後ろに見つかった。
 昨夜FPSをやった時に使った、ミニコンポだった。

「こっちを見る」

 いや、こっちと言われても。

「こっちってどっちだ」
「上よ上、壁のディスプレイ」

 横から宇藤。
 壁の、正面にあるディスプレイを指さしている。

「あ、おお、元気かチビッ子」

 壁のディスプレイ(両建てには多くの情報は必要ないので、今日はテーブルの上のしか使っていなかった)の、真ん中下側の一枚に、下から覗き込んでるアングルでのサラが映し出されていた。

「チビッ子言うな」

 サラの横には、美原さんが居るのも見える。
 テーブルやキーボードは見えるのにディスプレイが見えないところを見ると、カメラはディスプレイについてるものを使ってるんだろうな。
 だから、こちらもサラが映ってるディスプレイに向かって手を振ってやった。

「見えてるぅ~?」

 昨日、PCをいじった時にこんな仕掛けもしてたのか。ミニコンポまで使って。
 チビッ子侮れず!
 しかし、なんかこういうのって、少年の心が呼び覚まされるというか、テンションが上がるというか。

「やってる場合なの? まったく……」

 呆れた声で宇藤、続けて。

「サラ、そちらに何か変化は?」
「今のところなにも無し」

 ディスプレイの中のサラが肩をすくめる。

「板の端のピコピコも、今日はまだ発生してないな」

 フル板の上端と下端を表示させた。
 しかし今日は、昨日のような注文数の増減は起きてなかった。
 気になって表示させてみたが、例のメガバンクの板も同じような状況だった。

「……いや、しかしまあ」

 抜き差しならない。典型的な両建て殺しの展開。
 まあ、手数料が無料なのが唯一の救いか。
 シミュレーションじゃないんだからな、気を入れていかなければ。

 そう、シミュレーションではないのだ。
 昨日、契約後に法帖老から伝えられた。
 もちろん、1千億円という金額も。
 全てリアルであると。

 そんなワケだから、宇藤は東証の人間として、別の人間それも免許を持ってない人間にトレードを代行させてる現場を見過ごすわけにはいかないらしい。
 
 だから、法帖老にザラ場中は必ずPCルームに居るようにと要求したそうな。
 つまり、PCの操作だけを頼んでるんであって、あくまでもトレード自体は本人の意思によって行われてる、という体裁をとりたいらしいのだ。

 いや、四角四面で分かりやすくて非常に結構だ。

 だが、実際のトレードが1枚2枚なら、そこまで几帳面な対応しなくてもいいとは思うが。
 別にすぐにゼロ円になるわけじゃないし、1段のロスはつまり1000円にすぎないのだから。

「まったく、小学いや小額投資はサイコーだぜ」

「小学生が、なんですって!?」
「加治屋、ロリコン?」
「加治屋さんって……」

 横と前方(それに恐らくは後方からも)から、一斉にクレームが付いた。
 いやちょっと待て、いくらなんでもその聞き間違いは無理ありすぎじゃね!?

「納得いかねえ!」

 因みに、例のピコピコは前引けまで発生しなかった……


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

此岸にて~失われた相場譚~

焼き鳥 ◆Oppai.FF16
経済・企業
 90年代前半の頃の東京。  稀代の相場師が少女を囲うが、彼女は難病に罹っていた。  彼は、大相場を張って莫大な富を得、それを惜しみなく少女の治療の為に使うが、それでも病の進行を遅らせるのが精一杯だった。  そこで、昔から相場に関わる者達の間でその存在を言い伝えられている“相場の神”を求め、株式相場の深遠へと入り込んで行く事になるのだが――  昔の株式相場に興味が有る方、若しくは株売買をしていた方、そしてもちろん現役の方向けの、いわゆるお伽話です。お楽しみ頂けましたら幸いです。  メロドラマも嫌いじゃない、という方も是非。 クラウドワークスに参考用として紹介済み。 また、カクヨム様でも細かい修正を加えながら投稿しています。

年収250万円の会社員がガチャ美少女のヒモになった話

フルーツパフェ
経済・企業
 35歳にして年収250万円。  もはや将来に絶望した会社員の俺は自暴自棄の赴くまま、とあるIT大企業の運営する生成AIサービスに出逢う。  ほんの出来心で試したGANと呼ばれるアルゴリズム。  その結果生成されたのはライトノベルの表紙にも遜色ないS級ルックスの美少女だった!? ――この子、可愛すぎる!?  渇望した俺の心を濡らした一筋の恵みの雨が、俺を再び奮い立たせる。  まだ俺は負けたわけじゃない。  俺を認めなかった社会にもう一度挑戦してやる!  無限に登場し続ける美少女キャラを武器に、男は奪われた十年を取り戻すべく前代未聞のビジネス戦争に身を投じる。      

借金地獄からの逆転劇 AIがもたらした奇跡

hentaigirl
経済・企業
プロローグ 篠原隆(しのはら たかし)は、40代半ばのごく普通のサラリーマンだった。 しかし、彼の人生は一瞬にして大きく変わった。 投資の失敗と親族の急病による医療費の増加で、彼は1000万円もの借金を抱えることになった。 途方に暮れる中、彼はある日一冊の本と出会い、それが彼の運命を劇的に変えることになる。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

総務部塩漬課

荒木免成
経済・企業
 岡上神株式会社《おかうえがみかぶしきがいしゃ》には塩漬課《しおづけか》と呼ばれる異常な部署が在る。そこでは無駄そうな会議のみを延々繰り返させられる。ある時、塩漬課へ新人としてやってきた茂木《もぎ》と云う男には「お屋形様《やかたさま》」と呼ばれる謎の人物の後ろ盾《だて》が有るらしく、課長を部下のようにあしらう。さらに、会議の席にて、彼は課の社員らへ向かって「皆様には、日本の未来について話し合ってもらいたい」と要求する。おおむね困惑する様子の一同だが、茂木はまったくもって真面目らしい。彼は一体何を目論《もくろ》んでいるのか。

鳴瀬ゆず子の社外秘備忘録 〜掃除のおばさんは見た~

羽瀬川璃紗
経済・企業
清掃員:鳴瀬ゆず子(68)が目の当たりにした、色んな職場の裏事情や騒動の記録。 ※この物語はフィクションです。登場する団体・人物は架空のものであり、実在のものとは何の関係もありません。 ※ストーリー展開上、個人情報や機密の漏洩など就業規則違反の描写がありますが、正当化や教唆の意図はありません。 注意事項はタイトル欄併記。続き物もありますが、基本的に1話完結、どの話からお読み頂いても大丈夫です。 現在更新休止中。

中高生は簿記を取れ‼︎

ゆみず
経済・企業
日本人のマネーリテラシーはとてつもなく低い………… そんな話を聞いたことはないだろうか?公認会計士を目指す作者が、お金の観点から将来を考え人生を豊かにするための心持ちを教える、中高生はもちろんお子さんを持つ親世代の皆さんにも役に立つ一冊です!

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

処理中です...