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第三章 はた迷惑な居候
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ポタリポタリと涙が落ちる。
──最悪だ。
十歳近く歳下の女の子の瞳から涙が溢れて頬を伝う瞬間を目にしてしまった俺の頭に真っ先に浮かんだ一言がそれだった。
別に俺が泣かせたわけじゃない。
他部署の同僚から辛く当たられても平気な顔をしていた異性の部下。
直後は「大丈夫です」と言って少し微笑んだ彼女だったが、どうも同性にはある程度異変がわかるらしい。
彼女が席を外した後に、別の女性社員が俺の傍に来ると耳打ちしたのは、「すぐに追いかけて慰めて」だった。
一応理由は聞いたが、返ってきた答えは「いつもと様子が違う」という実に不確かな返答。
本音は本人が大丈夫だと言っているのだからほっときゃいいじゃないかという気持ちにしかならなかった。
時間は限られている。同僚を慰めている暇があったら少しでも仕事を進めて、後の仕事に余裕を持たせる。その方が結果的に彼女の負担も減って喜ばれる。本気でそう思っていたから。
実際、今日のトラブルだって業務がカツカツだったから起こったトラブルだ。余裕があればそうはならなかった。
だが、周りの目は兎も角、件の女性社員はそうは思っていないらしく、ディスプレイから目を離さない俺のそばから離れない。
本人だって仕事はかなり抱えているはずだ。実際に、一緒に朝まで残っていたことが何度もあるからわかっている。
それでも、あの子を慰めろ……か。
「……分かりました。後は任せてください」
「お願いします。多分、彼女茨城さんになら弱さを見せると思うんです」
「あんまり期待せんで下さい。行ってきます」
そう答え、席を立った俺にお辞儀をすると、彼女は自分の席に戻っていった。
明らかにいつもと違うやりとりなのに、周りの人間は誰一人声を出す者がいない。
当然だ。この中で余裕のある人間など一人もいないのだから。
俺は溜息を吐き出すと、社内を歩く。
彼女の行き先は何となく予想できていた。
社員食堂の給湯室の傍にある自販機の影のテーブル席。
そこは元々俺がよく食事休憩を取っていた場所で、周りからの干渉を嫌っていた俺にちょうど良い隠れ家だった。
それがいつからだろう。
やがて部下になった彼女がそこに顔を出すようになり、俺が食事休憩を取らなくなってからは彼女の定位置となり……。
食堂に入り、給湯室の横を通り抜け、自販機を回り込む。
すると、予想通りそこには身動き一つなくテーブル席に座ってぼーっとしている部下の女の子がいた。
「大丈夫か?」と声をかけても帰ってくるのは「大丈夫です」の返事。
何度それを繰り返しただろう。
やがて面倒くさくなった俺は、「本当に大丈夫なんだな? 大丈夫ならそれでいい。俺はこのまま戻るだけだ。でも、大丈夫じゃないんだったら隠すんじゃない。愚痴でもいい。言ってみろ」と言った。
それは、この場からさっさと立ち去りたいから言った言葉だった。
ただ、それだけだった。
だが、この言葉を言った直後、彼女は真顔のまま涙を零した。
──最悪だった。
最悪の筈だった。
なのに、俺は何故かその場からは立ち去らず、彼女の隣に腰を下ろすと色々な事を一方的に喋った。
ゆっくりと、それでいて返答は期待しないつまらない話だ。
それは俺が若い頃にした失敗談で。
それは未だに直らない焦りグセで。
それは今までひたすら一人で生きてきた自虐で。
それは今の会社の上層部と肩を並べて仕事していた頃の地獄のような、それでいて上の人とも同じ気持ちで働いていた頃の体験談で。
多分、もっと色々な事を喋ったと思う。
午前10時位から話し始めて、17時まで話していたから相当だ。
本来こんな事は時間外にやらなければならない事だ。でも、散々サービス残業をやらせているんだから、これくらい目を潰れと、珍しくそんな事を考えていた。
ほかの同僚も何も言わずにただ、俺達の事を遠巻きに見ていた。
いつの間にか彼女は泣いていなかった。
時折相槌を打ちながら、俺に話の続きを促した。
やがてその合間に自身の愚痴も織り交ぜて、気がついたら彼女は笑っていた。
「もう仕事にならないだろう。帰るか?」
俺は言った。
「いいえ。こんなに長い時間茨城さんの仕事を止めてしまって帰れません。手伝います」
彼女は苦笑しつつ答えた。
その日。
俺たちは朝まで帰れなかった。
けれど、何故かお互い笑い合い、変なテンションで帰宅したものだ。
──そして──
この一年後に彼女は退職した。
あの時と同じような無表情で。
俺に申し訳ないと頭を下げて。
ただ、あの時と違い涙は流さなかった。
──最悪だ。
十歳近く歳下の女の子の瞳から涙が溢れて頬を伝う瞬間を目にしてしまった俺の頭に真っ先に浮かんだ一言がそれだった。
別に俺が泣かせたわけじゃない。
他部署の同僚から辛く当たられても平気な顔をしていた異性の部下。
直後は「大丈夫です」と言って少し微笑んだ彼女だったが、どうも同性にはある程度異変がわかるらしい。
彼女が席を外した後に、別の女性社員が俺の傍に来ると耳打ちしたのは、「すぐに追いかけて慰めて」だった。
一応理由は聞いたが、返ってきた答えは「いつもと様子が違う」という実に不確かな返答。
本音は本人が大丈夫だと言っているのだからほっときゃいいじゃないかという気持ちにしかならなかった。
時間は限られている。同僚を慰めている暇があったら少しでも仕事を進めて、後の仕事に余裕を持たせる。その方が結果的に彼女の負担も減って喜ばれる。本気でそう思っていたから。
実際、今日のトラブルだって業務がカツカツだったから起こったトラブルだ。余裕があればそうはならなかった。
だが、周りの目は兎も角、件の女性社員はそうは思っていないらしく、ディスプレイから目を離さない俺のそばから離れない。
本人だって仕事はかなり抱えているはずだ。実際に、一緒に朝まで残っていたことが何度もあるからわかっている。
それでも、あの子を慰めろ……か。
「……分かりました。後は任せてください」
「お願いします。多分、彼女茨城さんになら弱さを見せると思うんです」
「あんまり期待せんで下さい。行ってきます」
そう答え、席を立った俺にお辞儀をすると、彼女は自分の席に戻っていった。
明らかにいつもと違うやりとりなのに、周りの人間は誰一人声を出す者がいない。
当然だ。この中で余裕のある人間など一人もいないのだから。
俺は溜息を吐き出すと、社内を歩く。
彼女の行き先は何となく予想できていた。
社員食堂の給湯室の傍にある自販機の影のテーブル席。
そこは元々俺がよく食事休憩を取っていた場所で、周りからの干渉を嫌っていた俺にちょうど良い隠れ家だった。
それがいつからだろう。
やがて部下になった彼女がそこに顔を出すようになり、俺が食事休憩を取らなくなってからは彼女の定位置となり……。
食堂に入り、給湯室の横を通り抜け、自販機を回り込む。
すると、予想通りそこには身動き一つなくテーブル席に座ってぼーっとしている部下の女の子がいた。
「大丈夫か?」と声をかけても帰ってくるのは「大丈夫です」の返事。
何度それを繰り返しただろう。
やがて面倒くさくなった俺は、「本当に大丈夫なんだな? 大丈夫ならそれでいい。俺はこのまま戻るだけだ。でも、大丈夫じゃないんだったら隠すんじゃない。愚痴でもいい。言ってみろ」と言った。
それは、この場からさっさと立ち去りたいから言った言葉だった。
ただ、それだけだった。
だが、この言葉を言った直後、彼女は真顔のまま涙を零した。
──最悪だった。
最悪の筈だった。
なのに、俺は何故かその場からは立ち去らず、彼女の隣に腰を下ろすと色々な事を一方的に喋った。
ゆっくりと、それでいて返答は期待しないつまらない話だ。
それは俺が若い頃にした失敗談で。
それは未だに直らない焦りグセで。
それは今までひたすら一人で生きてきた自虐で。
それは今の会社の上層部と肩を並べて仕事していた頃の地獄のような、それでいて上の人とも同じ気持ちで働いていた頃の体験談で。
多分、もっと色々な事を喋ったと思う。
午前10時位から話し始めて、17時まで話していたから相当だ。
本来こんな事は時間外にやらなければならない事だ。でも、散々サービス残業をやらせているんだから、これくらい目を潰れと、珍しくそんな事を考えていた。
ほかの同僚も何も言わずにただ、俺達の事を遠巻きに見ていた。
いつの間にか彼女は泣いていなかった。
時折相槌を打ちながら、俺に話の続きを促した。
やがてその合間に自身の愚痴も織り交ぜて、気がついたら彼女は笑っていた。
「もう仕事にならないだろう。帰るか?」
俺は言った。
「いいえ。こんなに長い時間茨城さんの仕事を止めてしまって帰れません。手伝います」
彼女は苦笑しつつ答えた。
その日。
俺たちは朝まで帰れなかった。
けれど、何故かお互い笑い合い、変なテンションで帰宅したものだ。
──そして──
この一年後に彼女は退職した。
あの時と同じような無表情で。
俺に申し訳ないと頭を下げて。
ただ、あの時と違い涙は流さなかった。
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