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第三章 はた迷惑な居候
05 二人だけの秘密
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千堂家の玄関にたどり着いたまでは良かったものの、乱れた息を整えるのに暫くの時間を要してしまったのはここまで全力で走ってきてしまったからだろう。
よくよく考えたら翠が家に来たのは『昼間』なのだから、今急いでもどうにもならない事に気がついたのは千堂家の敷地に入った後だった。
我ながら慌てていたのを感じるが、こればかりは仕方ない。
俺はようやく息が整った事を確認するとインターホンを鳴らす。
すると、しばらくして顔を出したのは翠の母親である明美夫人だった。
「あらあら悠斗君いらっしゃい。今日はどうしたの? ひょっとしてまた何か壊れた? お父さん呼ぶ?」
俺が訪ねる。イコール何かの修理という図式が前回の事でできてしまったのだろうか? そんな事を言ってくる明美夫人に俺は首を横に振る。
「いえ。今日は千堂さんじゃなくて娘さんに話がありまして……」
「あら。翠に? あらあらあらあら」
あらあら言いながら明美夫人は俺の事を上から下までたっぷり三往復は眺め、口元に右手を当ててニィッと笑う。
「そう。翠に。それならあの子いま部屋にいるから上がってくださいな。積もる話もあるんだろうし」
「いえ。別にここに呼んでもらえれば散歩がてら──」
「いいからいいから。後でお茶でも持って行くからゆっくりしていってよ」
言いつつ手を掴んで引っ張り込む明美夫人のなすがままに中に入れられてしまう。
流石にここまでされてやめときますとも言えないので、仕方ないので言われた通りにした。
その後は案内されるがままに翠の部屋に通される事になった。
ここまで実に見事な早業であった。
「どうして俺はここにいるんだろう……」
「どうしてってぇ……悠斗さんが訪ねてきたからじゃない?」
促されるままに座布団に腰を下ろした俺に、翠が呆れたような声を上げる。
まあ、ここまでのやり取りを知らないのだから仕方ない部分はあった。
「まあ、そうだな。お前に話があってここに来たのは間違いないからな」
追先ほど明美夫人が持ってきてくれた湯呑に手を伸ばし、注がれていたお茶を口に含む。
うん。いいな。今度は紅茶じゃなくてお茶も買ってくるか。
「あぁ。きっとあのお話だよねぇ……」
俺の言葉を聞いて翠は苦笑すると同じように湯呑を両手で包むように持って続ける。
「この場合ってぇ、『おめでとう』って言っといた方がいいのかなぁ?」
「やめろ。お前まで子供の戯言に付き合うんじゃない」
思わず乱暴に湯呑をテーブルに置いてしまった俺に翠は悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「戯言なの?」
「お前は俺を何だと思ってるんだ?」
「だよねぇ。悠斗さんの趣味ではないなぁとは思ってたんだけど……」
なんとも歯切れの悪い言葉である。
今の翠はいつものアホ面そのものだったが、はっきりズケズケと口にするいつもの様子とは少し違った。
「何か真剣だったから? あの子が」
真剣……ね。
俺はその時の2人の様子を予想して、何となく手持ち無沙汰になった状態で湯呑を手にした。
「まあ……な。あいつは俺の知人から預かった子なんだけど、色々とあってな」
「色々ってぇ……悠斗さんみたいに逃げてきちゃった系?」
「どっちかっていうとお前のパターンに近いかな」
詳しいことは聞いていないから確定ではないが、恐らくカリスがやらかした何かの荒事に巻き込まれて逃げてきた……。って所だろう。そういう意味では俺よりも翠のパターンに近いと思ったのだが、翠は少し予想外だったのか、湯呑を手にしたままパチパチと大きめの目を瞬かせた。
「ひょっとして……家庭内暴力?」
「当たらずとも遠からずってとこだな」
「そっかぁ……」
翠は結局湯呑には口をつけずにテーブルに静かに置き、俺は湯呑の中身を一気に煽ってテーブルに戻した。
「あいつにとって今はデリケートな時期だからな。縋る何かが欲しいんだろうさ。それから、今まで半ば監禁に近い扱いを受けてたみたいだから、ひょっとしたら今後訳の分からない奇行をする事もあるかと思うけど、暖かく見守ってくれると嬉しい」
「うん。わかった」
咄嗟に思いついただけの付け焼刃の嘘話だったが、どうやら翠はわかってくれたらしい。やっぱりアホだ。
今も俺の方にニコニコとした笑顔を向けて、スゥッと口を三日月のように細め……て?
「それじゃあ、この事は二人だけの秘密にしとく」
一瞬心臓を無造作に掴まれたような気がした。
俺はいつの間にか止まっていた呼吸に気がついて咳き込んだ後、翠に目を向けるが今ではいつものアホ面だ。得体の知れない笑顔はない。
「べ……別に秘密にしてもらわなくてもいいぞ? 誰かに聞かれたらそのままの事を言ってもらえれば……」
「うーん。でも、深く突っ込まれてボロが出てもマズイでしょう? だったら、今はこのまま隠れて貰ってた方が都合がよくない?」
「何を言って……」
「何を……て」
そこで翠は俺に体を寄せると耳元に口を寄せて。
「そういう事にしたいんでしょ? 悠斗さんは」
お前はどこまで知っているんだ?
喉元まで出かかったその言葉は寸での所で止める事に成功する。
代わりに出たのは別の言葉。
「……本気で隠しきれると思ってるのか?」
「出来るんじゃなぁい? あそこの別の呼び名。悠斗さんも知ってるでしょう? 誰かになにか言われたら『多分お化けです』って言えばいいんだよ」
翠は本気で言っているのだろうか?
ニコニコニコニコ。
浮かべているのはいつもの緩みきったアホ面だ。
だが、出てくる言葉がそれじゃない。これではまるで、自首しようとしている俺を、翠が甘い言葉で引き止めているようにも見える。
断じて、俺は犯罪者ではないのに……だ。
「言っとくが、俺は何もやましい事はしてないからな?」
「ふふ。そう。別に念を押さなくたって大丈夫だよぉ? お姉ちゃんは信じてるから」
ニコニコニコニコ翠が笑う。
妙に目に残る真っ赤な三日月が俺に向けられる。
その三日月が、何故かここに来る前の金色の瞳と被って見えた。
「……帰るわ」
そう言って立ち上がった俺に釣られるように、翠も立ち上がって俺に近づく。
「そう? じゃあ、送ってあげるねぇ?」
「……勘弁してくれ」
「でも、このタイミングで悠斗さんが一人で部屋から出て行ったら、お母さん変に勘ぐるんじゃないかなぁ?」
「……わかった。でも玄関までにしてくれ」
「はぁい」
翠の送るという言葉に金色の瞳が脳裏に浮かび、背中の中心がズクリと疼く。
俺は思わず吐きそうになって右手で口元を押さえながら翠の部屋の扉のノブに右手を添える。
「……結局、“二人だけの秘密”って事でいいんだよね?」
背中越しに伸ばされた手が俺の右手に重ねられる。
この体勢では翠の表情を見る事は出来ないが、少なくとも口調はいつもの翠のものだ。
「……そうだな。お前に任せる……」
「わかった。大丈夫だよぉ」
左手が胸元に回され、背中に人肌の感触。
それだけで翠が寄りかかっているのだろうという事がわかった。
「悠斗さんが変なことしない限りは、私は悠斗さんの味方のつもりだから」
その言葉を振り払うように。
俺は半ば強引にドアを開けると廊下に出る。
翠も廊下に出た後は話を続けるつもりは無かったようで、すっかりいつもの翠に戻って俺の隣で微笑みを浮かべていた。
その姿に明美夫人も得には何も思わなかったようで、最終的には何事もなく俺は千堂家を後にする事ができた。
だが、俺がようやく人心地着いたのは、自宅の敷地内に入ってからの事だった。
正直、どういう足取りでここまで帰って来れたのかわからない。千堂家を出てからここに来るまでの記憶がすっぽりと抜け落ちたようだった。
「……何だあれは」
すっかりと薄暗くなってしまった田園風景の向こうに見える千堂家の明かりに目を向けながら思わず呟く。
「あれじゃまるで別人じゃないか。それとも、あれが本当の千堂翠?」
いつものふわふわした翠は外向けの顔とでもいうのか?
だが、そんな面倒な事をするメリットも思い浮かばない。
何かに取り憑かれているとでも言われた方がしっくりするくらいだ。
「……お化け屋敷……か」
俺は明かりの付いた自宅を見上げる。
「あいつらの事情を聴くのは勿論だけど、今回の件も少し相談してみるか」
どうせ、背中の『眼』を通して一部始終を見ていたのだろうし。
俺は白髪の猫耳少女の顔を頭に思い浮かべて足を動かす。
化け物なんかよりも生きている人間の方がよほど怖い。
俺は改めてそんな事を考えていた。
よくよく考えたら翠が家に来たのは『昼間』なのだから、今急いでもどうにもならない事に気がついたのは千堂家の敷地に入った後だった。
我ながら慌てていたのを感じるが、こればかりは仕方ない。
俺はようやく息が整った事を確認するとインターホンを鳴らす。
すると、しばらくして顔を出したのは翠の母親である明美夫人だった。
「あらあら悠斗君いらっしゃい。今日はどうしたの? ひょっとしてまた何か壊れた? お父さん呼ぶ?」
俺が訪ねる。イコール何かの修理という図式が前回の事でできてしまったのだろうか? そんな事を言ってくる明美夫人に俺は首を横に振る。
「いえ。今日は千堂さんじゃなくて娘さんに話がありまして……」
「あら。翠に? あらあらあらあら」
あらあら言いながら明美夫人は俺の事を上から下までたっぷり三往復は眺め、口元に右手を当ててニィッと笑う。
「そう。翠に。それならあの子いま部屋にいるから上がってくださいな。積もる話もあるんだろうし」
「いえ。別にここに呼んでもらえれば散歩がてら──」
「いいからいいから。後でお茶でも持って行くからゆっくりしていってよ」
言いつつ手を掴んで引っ張り込む明美夫人のなすがままに中に入れられてしまう。
流石にここまでされてやめときますとも言えないので、仕方ないので言われた通りにした。
その後は案内されるがままに翠の部屋に通される事になった。
ここまで実に見事な早業であった。
「どうして俺はここにいるんだろう……」
「どうしてってぇ……悠斗さんが訪ねてきたからじゃない?」
促されるままに座布団に腰を下ろした俺に、翠が呆れたような声を上げる。
まあ、ここまでのやり取りを知らないのだから仕方ない部分はあった。
「まあ、そうだな。お前に話があってここに来たのは間違いないからな」
追先ほど明美夫人が持ってきてくれた湯呑に手を伸ばし、注がれていたお茶を口に含む。
うん。いいな。今度は紅茶じゃなくてお茶も買ってくるか。
「あぁ。きっとあのお話だよねぇ……」
俺の言葉を聞いて翠は苦笑すると同じように湯呑を両手で包むように持って続ける。
「この場合ってぇ、『おめでとう』って言っといた方がいいのかなぁ?」
「やめろ。お前まで子供の戯言に付き合うんじゃない」
思わず乱暴に湯呑をテーブルに置いてしまった俺に翠は悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「戯言なの?」
「お前は俺を何だと思ってるんだ?」
「だよねぇ。悠斗さんの趣味ではないなぁとは思ってたんだけど……」
なんとも歯切れの悪い言葉である。
今の翠はいつものアホ面そのものだったが、はっきりズケズケと口にするいつもの様子とは少し違った。
「何か真剣だったから? あの子が」
真剣……ね。
俺はその時の2人の様子を予想して、何となく手持ち無沙汰になった状態で湯呑を手にした。
「まあ……な。あいつは俺の知人から預かった子なんだけど、色々とあってな」
「色々ってぇ……悠斗さんみたいに逃げてきちゃった系?」
「どっちかっていうとお前のパターンに近いかな」
詳しいことは聞いていないから確定ではないが、恐らくカリスがやらかした何かの荒事に巻き込まれて逃げてきた……。って所だろう。そういう意味では俺よりも翠のパターンに近いと思ったのだが、翠は少し予想外だったのか、湯呑を手にしたままパチパチと大きめの目を瞬かせた。
「ひょっとして……家庭内暴力?」
「当たらずとも遠からずってとこだな」
「そっかぁ……」
翠は結局湯呑には口をつけずにテーブルに静かに置き、俺は湯呑の中身を一気に煽ってテーブルに戻した。
「あいつにとって今はデリケートな時期だからな。縋る何かが欲しいんだろうさ。それから、今まで半ば監禁に近い扱いを受けてたみたいだから、ひょっとしたら今後訳の分からない奇行をする事もあるかと思うけど、暖かく見守ってくれると嬉しい」
「うん。わかった」
咄嗟に思いついただけの付け焼刃の嘘話だったが、どうやら翠はわかってくれたらしい。やっぱりアホだ。
今も俺の方にニコニコとした笑顔を向けて、スゥッと口を三日月のように細め……て?
「それじゃあ、この事は二人だけの秘密にしとく」
一瞬心臓を無造作に掴まれたような気がした。
俺はいつの間にか止まっていた呼吸に気がついて咳き込んだ後、翠に目を向けるが今ではいつものアホ面だ。得体の知れない笑顔はない。
「べ……別に秘密にしてもらわなくてもいいぞ? 誰かに聞かれたらそのままの事を言ってもらえれば……」
「うーん。でも、深く突っ込まれてボロが出てもマズイでしょう? だったら、今はこのまま隠れて貰ってた方が都合がよくない?」
「何を言って……」
「何を……て」
そこで翠は俺に体を寄せると耳元に口を寄せて。
「そういう事にしたいんでしょ? 悠斗さんは」
お前はどこまで知っているんだ?
喉元まで出かかったその言葉は寸での所で止める事に成功する。
代わりに出たのは別の言葉。
「……本気で隠しきれると思ってるのか?」
「出来るんじゃなぁい? あそこの別の呼び名。悠斗さんも知ってるでしょう? 誰かになにか言われたら『多分お化けです』って言えばいいんだよ」
翠は本気で言っているのだろうか?
ニコニコニコニコ。
浮かべているのはいつもの緩みきったアホ面だ。
だが、出てくる言葉がそれじゃない。これではまるで、自首しようとしている俺を、翠が甘い言葉で引き止めているようにも見える。
断じて、俺は犯罪者ではないのに……だ。
「言っとくが、俺は何もやましい事はしてないからな?」
「ふふ。そう。別に念を押さなくたって大丈夫だよぉ? お姉ちゃんは信じてるから」
ニコニコニコニコ翠が笑う。
妙に目に残る真っ赤な三日月が俺に向けられる。
その三日月が、何故かここに来る前の金色の瞳と被って見えた。
「……帰るわ」
そう言って立ち上がった俺に釣られるように、翠も立ち上がって俺に近づく。
「そう? じゃあ、送ってあげるねぇ?」
「……勘弁してくれ」
「でも、このタイミングで悠斗さんが一人で部屋から出て行ったら、お母さん変に勘ぐるんじゃないかなぁ?」
「……わかった。でも玄関までにしてくれ」
「はぁい」
翠の送るという言葉に金色の瞳が脳裏に浮かび、背中の中心がズクリと疼く。
俺は思わず吐きそうになって右手で口元を押さえながら翠の部屋の扉のノブに右手を添える。
「……結局、“二人だけの秘密”って事でいいんだよね?」
背中越しに伸ばされた手が俺の右手に重ねられる。
この体勢では翠の表情を見る事は出来ないが、少なくとも口調はいつもの翠のものだ。
「……そうだな。お前に任せる……」
「わかった。大丈夫だよぉ」
左手が胸元に回され、背中に人肌の感触。
それだけで翠が寄りかかっているのだろうという事がわかった。
「悠斗さんが変なことしない限りは、私は悠斗さんの味方のつもりだから」
その言葉を振り払うように。
俺は半ば強引にドアを開けると廊下に出る。
翠も廊下に出た後は話を続けるつもりは無かったようで、すっかりいつもの翠に戻って俺の隣で微笑みを浮かべていた。
その姿に明美夫人も得には何も思わなかったようで、最終的には何事もなく俺は千堂家を後にする事ができた。
だが、俺がようやく人心地着いたのは、自宅の敷地内に入ってからの事だった。
正直、どういう足取りでここまで帰って来れたのかわからない。千堂家を出てからここに来るまでの記憶がすっぽりと抜け落ちたようだった。
「……何だあれは」
すっかりと薄暗くなってしまった田園風景の向こうに見える千堂家の明かりに目を向けながら思わず呟く。
「あれじゃまるで別人じゃないか。それとも、あれが本当の千堂翠?」
いつものふわふわした翠は外向けの顔とでもいうのか?
だが、そんな面倒な事をするメリットも思い浮かばない。
何かに取り憑かれているとでも言われた方がしっくりするくらいだ。
「……お化け屋敷……か」
俺は明かりの付いた自宅を見上げる。
「あいつらの事情を聴くのは勿論だけど、今回の件も少し相談してみるか」
どうせ、背中の『眼』を通して一部始終を見ていたのだろうし。
俺は白髪の猫耳少女の顔を頭に思い浮かべて足を動かす。
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