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第33話 いつかきっと

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 絶対におかしい。

 王都にたどり着いてから一晩開けるまで考え続けたあたしの考えつく答えは結局の所そこへと行き着く。
 あたしは寝不足の為今にも落ちそうになっている瞼を強引に擦って開かせると、現在の状況をもう一度最初から考えてみた。

 今あたし達がいるのは宿屋の一室だ。
 昨日王都に到着してすぐにテオドミロから危険だから決して出るなと言われて突っ込まれてから一切外に出ていない。
 服装もそのままだ。
 理由は万が一尋ね人があった場合に異人種だと気付かれない為の変装の意味も含まれている。
 あたしは兄のやらかした事件を切っ掛けに心象の悪くなった魔人族であり、レイラは行方不明が相次いでいる獣人族であるためだ。

 そのレイラはというと、現在はベッドの片隅で丸くなっているが、決して寝ているわけではないだろう。
 夜遅くまでテオドミロが帰ってくるのをベッドの上で待っていたのだが、いよいよ帰って来なくなった頃にあたしに向かって「お兄ちゃんどこ?」と聞いてくるようになった。
 レイラの方からあたしに声を掛けること自体希なので、よほど不安になっていたのはわかる。
 しかし、生憎その頃のあたしも不安で他人を思いやるゆとりは全くなかった為、何度か「もうすぐ帰ってくるよ」と言っていたのだが、その内乱暴な口調で「うるさい!」と言い返してしまったのだ。
 その結果、泣きそうな表情をした後、テオドミロのジャケットを抱えてベッドの隅に丸くなって今に至る……という訳だ。
 要するに不貞腐れているだけである。

 あたしはそんなレイラの背中を見ながらこっそりと溜息を吐く。
 あいつはああして不貞腐れていれば気は晴れるのだろうが、あたしの方はテオドミロにその世話を頼まれた以上そうも言っていられない。
 ここで待っていろと言われた以上、あいつから帰ってこない限り迎えに行くわけにもいかないと思ってこうして我慢して待っていた。
 
 しかし、それもそろそろ限界だった。
 そもそも、ここまで我慢する必要があったのだろうか?
 あたしはテオドミロの居場所がわかる。
 今はそう遠くない距離、恐らく、城の傍にある貴族の多くいるエリアのどこかの屋敷にいるようだ。
 この部屋に入れられてからずっとその足取りを探っていたが、城には入らずに最終的にその場所に落ち着いて今に至っている。
 
 そこまで分っていながらこの時間まで動かなかった理由は2つある。
 1つはその過程でテオドミロがおかしな動きをした事。
 街の繁華街を移動していた時に、いきなり外壁の外に移動したのだ。
 一瞬で移動する術などテオドミロは持っていない筈だから、何者かの干渉があってそうなった可能性が高かった。
 ただ、目的が分からなかった以上その場に行くわけにはいかなかった。
 もしもあいつが何らかの交渉をする為に人気のない場所に移動したのなら、あたしが突然現れたらその場の話を台無しにするかもしれない。
 
 案の定、しばらくその場に留まった後は、どこかの屋敷に移動したようだし、何らかの交渉をしていた可能性は高かった。
 なら、その屋敷に迎えに行けば良かったのではないかと今なら思うが、その時はそれだけはどうしても嫌だったのだ。
 何故なら、その場にはあいつの幼馴染が一緒にいたかもしれなかったから。
 ようやく再会出来た二人があたし達の存在を忘れて手を取り合っている光景など目にしたら、きっとあたしは立ち直れなくなってしまっただろう。
 それが、2つ目の理由だった。 

 しかし、もう限界だった。
 テオドミロがその幼馴染と共に暮らす事を決めたかどうかは知らないが、こんな場所に放置されていいわけがない。
 あたしは立ち上がると、丸まったままのレイラを見下ろす。
 
「行くよレイラ」

 あたしの声にもレイラの反応は無い。
 でも、あたしにはわかっている。コイツはあたしの言う事を聞くのが嫌なだけで、決して眠っているわけではないのだ。

「あいつに会いたくないなら、そのままそこで寝てれば?」

 案の定、そう言った途端、レイラはガバッと起き上がり、あたしの方に振り向いた。
 胸にあいつのジャケットをしっかりと握り締め、目は真っ赤だ。
 声は全く聞こえなかった筈だが、ひょっとしたら泣いていたのかもしれない。

「お兄ちゃんに会えるの?」
「会えるよ」
「本当に?」
「こんな事嘘ついてどうすんの」

 レイラはあたしとジャケットを交互に見てしばらく考えていたようだが、すぐにベッドから降りてあたしの傍まで歩いてきた。

「行く」
「そう。なら、ほら」

 真剣な目で見上げてきたレイラに向かって、あたしは右手を差し出す。
 お互いの身体的接触によって一緒に転移しようとしているだけなのだが、レイラはあからさまに嫌そうな顔をした後、渋々といった感じでほんの少しだけあたしの右手に触れてきた。
 本当にコイツは……。
 どうしてこんなに嫌われてしまったのか未だにさっぱりわからないのだけど、今更言ってもしょうがない。
 あたしは嫌がるだろうと思いつつも触れてきたレイラの手をしっかり握り、転移魔術を発動した。
 テオドミロに刻まれたマーキングに向かい、あたし達の体は引っ張られるように転移した。





 こんなに心地の良い朝を迎えたのはいつ以来の事だろうか。
 ふかふかのベッドに柔らかな日差しが差し込み、美しい絹糸が目の前でサラサラと揺れていた。
 意識を失う直前まで先生と戦闘をしていたはずだが、体に痛みは感じない。
 それどころか、これ程までに心地よい気分になっているのは、この部屋に漂う懐かしい香りがそんな気分にさせているのかもしれない。

 俺は首を左に向ける。

 そこにいたのは綺麗な銀色の髪を俺の顔に垂らすように覗き込んでいる一人の少女の姿だった。
 真っ白な高級そうなワンピースに身を包んだその姿は、嘗ての姿とは程遠いものだったが、その顔は決して忘れることも間違う事も無い。
 嘗ては鬱陶しいと思っていた顰めっ面はそこには無く、あくまで心配そうな目つきでこちらを見ているその姿は、あの時、俺が居なくなった時。村に戻ったばかりの俺が目にした不安そうな彼女の表情そのもので。
 
「……フィリス……」

 無意識に出た声に、フィリスの目が見開かれる。
 やがてその瞳にみるみる涙が溜まっていき、雫として落ちる前に彼女は被さる様にその体を俺に向かって投げ出した。

「……テオ……なんだよね?」
「ああ」

 彼女の疑問に答えると、フィリスは俺の首に腕を回して強く抱きしめてくる。
 この位置からではその表情まで見る事は出来ないが、何となく想像できてしまうのは彼女との付き合いの長さ故だろう。

「会いたかった……ずっと探してたんだよ。絶対生きてるって思ったから……絶対に会えるって思ったから、ずっと探してたんだよ」
「ああ……先生から聞いたよ」

 嗚咽混じりに伝えてくるフィリスの言葉に同意しながら、俺も鼻の奥からツンとしたものが上がってくるのを感じる。
 あの頃は一緒にいる事に何の疑問も感じなかった。
 一緒にいる事が自然すぎて、お互いの事などどこかおざなりだったようにように思う。
 俺なんて、フィリスは都会に出てしまうだろうから、いつかは別れると思っていたくらいだ。
 それなのに、フィリスが死んでしまったと思ったあの時、あれ程までの絶望感を味わったのは、それだけ離れがたい存在だったという事なのだ。
 それが今回の別れで、お互いに実感したのだと思う。
 俺は布団から両手を出すと、フィリスの背中に回す。
 幼い頃は数え切れないほどしたこの行為も、鬱陶しさを感じてからはした事が無い。
 そして今、久しぶりに抱きしめたフィリスの体は、あの頃よりはずっと大きくなった筈なのに、びっくりするくらい細く小さく感じてしまった。

「会いたかった。俺もずっと会いたかったんだ。あの時死んでしまったと思ったから、今回の旅が終わったら死んでもいいと思ってた。いつでも、どこだって、死ぬ事に恐怖は感じても、この身を投げ出す事に躊躇いは無かった。でも、こうしてお前を見て、触れて、ようやく実感したよ」

 俺は自らの頬に暖かい液体が流れるのを自覚しながら、フィリスの細い体を強く抱く。
 もう二度と見る事も触れる事もないと思っていた少女に会い、俺はようやく悟ったのだ。

「……ここまで生きてきて……本当に良かった……」
「……テオ……」

 故郷の人達が死んでしまった事実に変わりは無い。
 でも、この時だけはその事は忘れ、俺達は互いの生を喜び合った。
 それだけで全ての目的が達成されたと勘違いしてしまうほどに。





「所で、ここはどこなんだ?」

 しばらく抱き合っていた俺達だったが、お互い冷静になった所で急に恥ずかしくなって離れるに至った。
 最も、それはお互いが触れ合っていないというだけで、すぐ傍にいる状態である事に違いはなかったが。
 今の俺はベッドから起き上がり壁を目の前にして天井を見上げているところだった。
 その視線の先には3つの窓が等間隔で存在しており、そこから朝の柔らかな日差しが注いでいるのである。
 最も、その距離は遠く、その窓を開けるためには俺の身長が後3倍は必要だろう。
 ちなみに、それ以外には窓は無く、外界に通じている出口は俺の背中側にある扉だけだ。

「先生の家だよ。その地下室……? 半地下室? みたいな所」

 腕を組んで首をかしげるフィリスに一度視線を移したあと、俺は改めて部屋の中を見渡す。
 中央には大きめのベッドが1つに、鏡台や水差しの置かれた机、それに大きな本棚も壁沿いに存在し、出口へ通じるドアのすぐ傍にはもう1つのドアも存在し、フィリスに聞いた所トイレとの事だった。
 見た感じ生活に必要な最低限の物は備わっているようだが、周りを壁に囲まれたこの空間は、何だか妙な圧迫感を感じた。

 俺は唯一の出口であるドアに近づくとのぶを回す。
 しかし、のぶを回しても押そうが引こうがそのドアが動くことは無かった。

「……お前……ひょっとして監禁されてるのか?」

 何度かのぶを回した後に振り向きながら訪ねた俺の言葉に、当のフィリスは特に表情を変える事なく素直に頷いた。

「うん。多分そうだと思う」
「思うってお前……」

 あまりにあっけらかんに答えられたので思わず言葉に詰まってしまた俺だったが、フィリスは「仕方ないよ」と言って首を振った。

「私が悪いんだ。テオの捜索を頼むためにお城に仕える事を決めた先生に、嫌だってごねたのは私だから。人に任せてこんな所で待ってたってテオには会えないと思っていたから」

 そうしてニッコリと微笑むと、フィリスは俺の袖をちょんと摘んだ。

「先生の言うとおり、こうしてテオに会えたのにね」

 無邪気なフィリスの態度に、俺は溜息を吐きたくなる衝動をグッと堪える。
 今回俺達が再会したのは言ってみればほぼ偶然だ。
 宮廷魔術師になってその存在を噂として広めたのはもちろんあるだろうが、先生は俺の生存を殆ど諦めていたはずだ。
 今回、王都に来て生活基盤を固めたのだって、フィリスを養う為に決断した事だろう。
 そこには“俺を探す”という目的は殆どなかった筈なのだ。
 それでもそんな事を言った理由としては、フィリスに居なくなって欲しくなかったからだろう。
 命を絶っていたかもしれないとは先生が俺に語った事だが、こうしてフィリスと話をしていて、何となくそう言った意味を理解したような気がした。

「ここにはいつから入ってるんだ?」

 それでも俺は現状を把握するためにもフィリスに質問する。
 フィリスは俺の言葉にんーと考えるような素振りを見せたあと、目をパチパチとさせながら答えてくれた。

「1ヶ月位前かな。でも、先生が帰って来ればこの部屋からは出られるし、特に不便じゃないよ」
「なるほど」

 俺は頷くと、ベッドに戻って腰掛ける。
 それに続くようにフィリスも俺の隣に腰を下ろした。

「とにかく、先生が帰ってくるまでは詳しい話は聞けないわけだ」
「まあ、そうなるね」

 はあ、と息を吐きながら天井を見上げた俺の肩に、フィリスが肩をぴったりとつけてくる。
 こうしてお互いの体を合わせなくなったのは何時からだったろうか。
 少なくとも、先生の元に通い始めてからはなかったように思う。
 切っ掛けは魔術の才能の差だ。
 あっさりと才能を見せたフィリスに対して、全く才能が無いとわかってしまった俺。
 優等生と劣等生という立場の違いは、物心付いたばかりの子供には非常に大きな壁だった。
 俺はフィリスと比べられる事を嫌ったし、フィリスは不貞腐れて真面目に授業を受けようとしない俺の態度を改めようとした。
 そして、構われれば構われる程に俺はフィリスを鬱陶しく思い、いつまでたっても言う事を聞いてくれない俺にフィリスは益々態度を硬化させた。

 結局二人共子供だったのだ。
 お互いそれに気が付いたのは一時の別れを味わってからだろう。
 フィリスは初めに俺が行方不明になった時に気がついたんじゃないかと思う。
 何故なら、ここ数年フィリスが俺を心配する事も、手を上げる事も無かったから。
 
 対する俺はフィリスが死んでしまったと思った時に気がついた。
 俺自身の単なる劣等感が、フィリスを遠ざけていただけで、本当は誰よりも傍にいたかった相手だったという事に。

「なあ、フィリス……」

 一緒に暮らさないか。
 そう続けようとした時に、突然胸に何かの抵抗を感じた。
 味わった事のない圧迫感だったが、俺はそれが何によるものかを理解し、咄嗟にフィリスの傍から離れて立ち上がった。

「テオ?」
 
 突然の俺の行動に不思議そうな顔をしたフィリスだったが、すぐにその表情が驚きに染められた。
 それもそうだろう。
 一般の人間では入る事が出来ないようなエリアにある屋敷の、それも四方を土に囲まれた地下室に、突然2人の少女が現れたのだから。

「お兄ちゃん!」

 最初に動いたのはレイラだった。
 パッと両手を広げて俺に向かって飛び込むと、そのままお腹に顔を埋めて力強く抱きついてきた。
 グリグリと押し付けてくる頭に付けられたカチューシャはヨレヨレになり、隠したいはずの耳が半分出てしまっていた。
 髪の毛も寝癖が付いたようにあちこちにハネ、朝なのに疲れ果てた衣服が、元気に抱きついてくるレイラの姿とのあまりの違いに俺は困惑してしまった。

 更に酷いのは俺の目の前に現れたリディアだ。
 普段から赤い瞳だが、今日は更に強い赤色に染まり、更に言うならその深い赤は線となって眼球の白い部分まで侵食していた。
 所謂充血眼であり、主に寝不足状態の時にでる症状であった。
 服はヨレヨレで何時もは艶のある黒髪も、今日はくすんだ墨のようだ。
 その妙にぎらついた瞳をした少女は俺をジッと見つめた後にぐるりと部屋を見渡し、ベッドで腰掛けているフィリスに目を向けたあと、再び視線を俺に戻してきた。

「あんた何やってんの?」

 完全に据わった目つきで言われたものだから俺は思わず半歩後ずさり、それでも身の潔白を証明しようと試みる。

「いや、見ただけではわからないとは思うが、実は」
「いい。大体わかった。“見ただけで”」

 俺の言葉を遮りながら、リディアは俺の右手を掴む。
 その行為にベッドに座っていたフィリスが慌てて立ち上がったが、振り向いたフィリスの視線一つでその動きを止めた。

「帰るよ。“テオ”」
「え?」

 リディアの言葉に俺は間抜けな声を上げるが、それに構わずリディアは続ける。

「魔術に対して抵抗の高い建材に、魔術を吸収する魔道具を使用したドア。完全に魔術師を捕らえる為に造られた“牢獄”に押し込められたあんたを放って置くわけにはいかないでしょ。“仲間”としては」

 あくまでフィリスの方を向いたままそう告げるリディアの言葉に、フィリスは驚いたように目を見開く。
 俺にとっては初めて知ったことばかりだったが、フィリスの反応はそうではない。
 恐らくフィリスは知っていたのだ。
 この部屋が魔術師の動きを制限する為の部屋だという事を。

「こんな事をしているのがあんたなのか、あんた達の先生なのかは知らないよ。でも、こんな事を平然とやってのける相手の元に大切な仲間を置いておけると思う? あたしは思わない。だから連れて帰る。文句はないよね?」
「そんな!」

 一気に捲し立てたリディアの言葉に、今度こそフィリスは動き出しその手を伸ばす。
 しかし、その手はリディアに無造作に払われ、2人の間に火花が飛んだ。
 比喩ではない。物質的な火花が2人の間に本当に発生したのだ。恐らく、リディアの魔術だろう。
 それを見たフィリスの目が細くなる。
 そして右手を軽く上げ、今にも何かをしそうな雰囲気だ。
 そこでようやく思い出す。
 フィリスはこれでも魔術師だ。
 本気の魔術は見た事が無かったが、先生と同じように水の魔術を得意としている筈だった。

「2人ともやめてくれ!」

 俺は叫ぶとリディアを抑えようと左手を伸ばす。
 しかし、リディアは俺の手をするりと交わすと、俺の横に張り付いて空いていた右手をレイラの頭に軽く載せた。
 すぐに理解する。
 リディアは転移魔術でこの場を脱出するつもりだ。

「待ってくれリディア! 確かにこの状況は良くないと認めるが、それはフィリスも同じなんだ! 移動をするならフィリスも一緒に……」
「それをあの娘が望んでるの?」

 俺の言葉を遮りながら冷たい声で切って返してきたリディアの声に、俺はギョッとなってフィリスに視線を移す。
 すると、そこには先程までの剣呑な雰囲気がすっかり失せて、俯くフィリスの姿があった。

「……フィリス?」
「……テオ、ごめんなさい」

 俺の言葉にフィリスは俯いたままスカートの橋をを両手で握り締めたまま、搾り出すように答える。

「私は……今先生の傍を離れる訳にはいかないの。確かに色々とやりすぎな事もある人だけど、ここまで私を守ってくれたのは先生なんだよ。その先生の想いを無下にしてまでテオと一緒に行く事は出来ない」
「フィリス……どうして……」

 信じられなかった。
 お互い最も会いたいと思っていた相手に会ったのだ。
 フィリスだって喜んでくれたいた。
 俺の事を探すためにこれまで頑張ってきたと言っていたのに。

「……私だってテオと一緒に暮らしたい。もう離れたくないよ。でも……」

 フィリスが顔を上げる。
 その両目に涙を貯めて、それでも笑顔を向けようとして。

「テオはここでは暮らせないでしょう? その人達を外に出すわけにはいかないもんね……」

 フィリスの言葉と視線に俺は気がついた。
 そもそも俺はどうして二人を残して一人で街を捜索したのか?
 何の事はない。この街では獣人も魔人も生活することが出来ないからだ。
 俺は半分露出しているレイラの耳と、もはや隠そうともしていないリディアの耳を見て落胆した。
 もしも俺がフィリスと共にこの街で暮らす事を選べば、2人と別れるか、二人を部屋に閉じ込めて生活していくことになる。
 それは、先生が俺とフィリスに対して行おうとしている事と何ら変わりがない。
 それでは唯の愛玩動物ではないか。

「……お別れ……だね」

 項垂れた俺に、フィリスの鼻声が突き刺さる。
 俺は無力だ。
 ここで先生をねじ伏せてでもフィリスを連れて行く度胸もなければ覚悟もない。
 そもそも、俺達にはレアンドロを追うという目的がある以上、必ず守るとも言うことも出来ない。
 それに、今回の先生との戦いで俺は気がついてしまった。
 恐らく、今レアンドロと対峙しても俺一人では勝つことが出来ないだろう。

「あたし達はサイレントにいる」

 そんな俺たちのやり取りを見ていたリディアが、フィリスに対してそう口にした。
 言われて気がついたのだが、確かに俺達がこれから先拠点にするとしたらそこくらいしかないだろう。
 既にこのあたりの獣人達はいなくなり、王国の兵士が国を上げて探しているのにそのしっぽも掴めない連中だ。
 口にこそ出さなかったが、先生もあの時村を襲った集団を探してくれているはずだ。
 それでも見つからないのなら、恐らくもうこの辺にはいないのだ。
 いない以上、闇雲に探した所で労力と時間の無駄になるし、どこかで実力を身に付けた方がいざという時の力になるだろう。
 そして、俺達にとってそんな場所はサイレント位しかなかった。

「もしもあんたがその先生に恩義を果たした時には訪ねてくればいい。あたし達は別に拒否するつもりはないし、家族は一緒にいるものらしいから」
「……家族?」

 リディアの言葉にフィリスは不思議そうに呟いた。
 相変わらず泣きそうな顔だったが、少し困惑しているようにも見える。

「テオからはあんたは妹だってきいてるから」

 リディアの言葉を聞いたフィリスは、俺の方に視線を向けると、「……妹……」と小さく呟いた。
 確かにリディアにそう行った事はあったが、何もこのタイミングで言う事もないだろうにとは思う。
 しかし、フィリスを説得する材料が無い以上俺から言うことは何もない。
 
 ……いや、ひとつだけあるかもしれない。
 
「フィリス」
 
 それはきっと無責任で、約束とも言えない事だけど。

「いつかっきっと。俺が自信を持って戻ってくる事が出来る日が来たならば、必ずお前を迎えに来る。待っててくれとは言わない。けどもしも、その時まで待っていてくれるなら、その時は……」

 それでもその位の約束をしなければ、お互いが前に進むことが出来なくなってしまうと思った。

「また昔のように、一緒に暮らしていこう」

 返事は無い。
 返事は無かったが、真っ直ぐに俺を見るその視線に、フィリスの想いが乗せられているように感じた。

「また会いましょう」

 既に話は終わったと判断したのか、リディアも別れの言葉を告げる。
 しかし、そんなリディアの言葉も聞こえないかのようにフィリスは一度天井を見上げると、涙を振り払うように首を振った。
 
 次第に体が引っ張られるような感覚に陥る。
 リディアの転移魔術が発動したのだ。
 このあとすぐに俺たちの体はサイレントに向けて放り出されるだろう。
 俺は最後にもう一度フィリスに別れを告げようと目を向ける。
 しかし、言葉を発する事は出来なかった。
 何故なら……

 俺達が消える最後の瞬間に見たフィリスの顔は、以前俺に対して向けていたような無表情だったから。
 
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