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第32話 物質魔術の使い方

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「ゲルガー!」

 俺は振り下ろされる先生の右手の動きに合わせるようにゲルガーを憑依させると右手側に跳躍する。
 すると、先程まで俺がいた場所に一抱えもありそうな水球が落下し、辺りに水飛沫と土の飛沫を舞い上がらせた。

「おや? それはひょっとして精霊魔術かい?」

 俺は先生の問いには答えずに魔封石のナイフを引き抜くと、街に繰り出す前にリディアに“お守り”として預かっていた魔力を解放する。

「炎帝の宝剣!」

 キーワードを唱えたことで解放された魔力は、俺とリディアの構成の力を与えられ、俺の身長程の長さはある炎の剣へと変質する。
 
「……更に物質魔術……か」

 俺に対して追撃を行おうとしていた先生だったが、炎の剣を見た所で動きを止める。
 それはそうだろう。
 この世界がいくら広くとも精霊魔術と物質魔術を同時に扱う人間はそうはいない。
 何しろ、本来は全く違う性質と才能を持つとされる魔術なのだ。
 それは教師であった先生ならばよく分かっていることであったから、警戒するのも当然の事だった。

 対する俺の方は対魔術師戦においてのここ最近のスタイルである接近戦仕様になったものの、すぐ傍にリディアがいない事に少なからず不安を感じていた。
 基本的に凍結型の魔術発動は使い捨てだ。
 魂の深い所で繋がっている俺とリディアだからこその裏技ではあるが、一度込められた魔術は破壊されるか込められた魔力が尽きると消えて、もう一度込められるまで発動できなくなる。
 しかも、リディアが俺に込める事が出来る魔術は一つだけである為、大抵の場合は発動時間が長く使い勝手の良い炎の剣が選ばれる。
 放出型の魔術では一発ぶっぱなせば終わりだし、戦乙女の神剣では数秒で消える。
 しかし、炎の剣と言えども魔術を切ったり防いだりした場合砕ける事も結構な頻度で起こる為、本来ならば切り札として使用しなければいけない筈なのだ。
 だが、それが出来ない理由が今正に俺の頭上に存在していた。

「流石に気がついていたか」

 先生は先程から掲げたままの左手の杖を見せながら、苦笑する。
 しかし、俺は笑えない。
 笑うどころではない。

「順調に成長していた事は嬉しいが、あまり時間はかけられないのでね。悪いが一気に決めさせてもらうよ」

 頭上に広がるのは夕日に照らされて光り輝く魔力で造られた水晶の網。

「捕えろ。プリズムネット」

 俺は走る。

 頭上に広がっている水晶の網の効果範囲から逃れるためだったが、俺のスピードよりもネットの範囲と落ちてくるスピードが速い。
 俺は逃げる事を諦めると、ブレーキをかけて一転先生に向かって駆ける。
 右手には炎の剣を掲げ、落ちてくるネットに垂直に立てるようにして。

 やがて目の前に眩いくらいの魔力の網が降り注ぐが、俺の炎の剣は水晶の網を音もなく切り裂く。
 切られた網はガラス細工のように辺りに飛び散りながら俺の服を切り裂き、皮膚を裂いたが深いものは一つもない。
 俺は水晶の網を切り裂いたことで力を失いつつある炎の剣を掲げて先生に向かって飛び込む。
 しかし、先生は水球を落とした後に自由になっていた右手を再び振り下ろした。

 今度は目の前に現れる水の壁。
 どうやら、先生は水系の魔術は無詠唱で発動する事が出来るらしい。
 今思えば、姉さんもフィリスも初めて覚えた魔術は水系だった。
 恐らく、先生は水系魔術が得意なのだろう。

 しかし、今この状況で迂回する事は出来ない。
 周りは未だに生きた水晶の網。
 更には炎の剣は後ひと振りで確実に消えてしまうだろう。
 ならば、目の前の水の壁を炎の剣で切り裂き、すぐにドリスを呼び出して樹木の檻で反対に俺が先生の動きを止める。

 俺は右手に力を込めると水の壁に炎の剣を叩きつけた。
 すると、俺の予想通りに水の壁は蒸発するように消え失せ、同時に右手の魔力も霧散する。
 しかし、俺は止まらない。
 今度は即座にドリスに意識を繋げて魔術を展開。
 先生を囲むように……。

「及第点だな。ブラックミスト」

 俺の意識した地点に先生は見える。だが、見えるだけだ。今なら分かる。

 そこにはいない。

 いや、もしかしたら最初からその場所にはいなかったのかもしれない。
 何故なら、先生はまるで初めからそうであったように“右手に持っていた赤い宝玉の杖”を俺に向かって振り下ろしたのだから。
 そう。
 “俺の背後から”。

「フラウ!!」

 俺は先程繋げたばかりのドリスの意識を強制的に切り離すと、即座にフラウと連結する。
 冷気と無縁のこの場所でフラウと意識を繋げるのは骨が折れたが、そうは言っていられない。
 俺は周りにまとわりつく様に取り囲む黒い霧を手当たり次第に凍らせると、スルスルと後方に下がっていく。
 黒い霧。
 はっきり言ってコイツは俺たち魔術師にとっては最悪の相性を持つ魔術だった。

「驚いたな。まさか氷の精霊とも契約していたのかい? それに、この霧の本質が水ではなく泥だとよく気がついたね」

 本気で感心したように手を止めた先生をに対して、俺は肩で息をしながらもなんとか答える。

「最初の水球の攻撃……水と泥を辺りに撒き散らしてたろ。多分、あれは俺を狙ったんじゃなくて、何かの伏線だと思った」
「流石だな。君は昔から魔術はからっきしだったが頭はそれなりに良かったからね」

 先生は腕を組みながら満足そうに頷く。
 いきなり攻撃をやめたのは不気味だったが、魔力が一気に減ってしまった俺にとってはありがたい小休止だ。
 俺はなんとか息を整えようと小さく息を吐き出しながらも、この休憩を少しでも伸ばそうと先生の会話にあえて乗る。

「頭がいいとか酷い冗談だ。俺は先生の生徒の中では劣等生だと思ってましたよ」
「魔術に関しては確かにそうだ。しかし、それ以外に関しては感心していたよ。私はね」

 そう言うと先生は右手の杖をクルリと一回転させると俺の右側に差し向ける。
 すると、先生が杖で指した所に左手に杖を持ったもう1人の先生が現れた。

「シャドウミラー。私の得意とする魔術の一つだ。これが魔術だと気がついたのはいつ?」
「水の壁を破った直後。先生の魔力が背後で感じた瞬間です」
「ブラボー」

 そう言うと先生はパンパンと嬉しそうに拍手をした。

「魔力を体感出来る魔術師は多いが、戦闘に活かす事が出来る魔術師は多くはない。何しろ、魔術師は体力的には劣っている人間が多いからね。最も、基本的に魔術師は後方での支援が本業であるから、接近戦、格闘戦に慣れていないのは当然だ。それが……」

 そう言って先生は微笑みながら杖をクルクルと回す。
 クルクルクルクル目の前で。

「接近戦を得意とする魔術師。それがこうも厄介だとは思わなかったよ」

 言葉が終わると同時に、俺の目の前に魔術で作り出された先生の虚像が5体現れる。
 俺は一瞬判断に迷ったが、すぐにドリスに意識を繋げる。
 本来ならばフラウで凍らせてしまうのが良かったのかもしれないが、この場所、今の魔力ではフラウを使い続けるのは効率が悪すぎる。
 ならば、守護精霊であるゲルガーとドリスで回したほうがまだ戦いようがあるというものだった。

 俺は魔術を展開しながら後方に飛び、先生の姿を目で探す。
 しかし、虚像を出した後に展開したのだろう。既に周りは深い霧に覆われ、その姿を視界で追うことは出来なくなっていた。
 しかし、あちらが攻撃の中継点として使用しようと考えていたであろう虚像は既にドリスの作り出した蔦で動きを封じている所だ。
 離れてしまえばそうそう大きな攻撃が来ることはないだろう。

「……大きい攻撃?」

 意識を周りに飛ばしながら考えた事だったが、俺は自分の思考に思わず疑問を投げかける。
 先生のこれまでの魔術で何か一つでも大きい攻撃があっただろうか?
 俺を捕らえるために範囲の広い魔術を使用してはいても、攻撃系の魔術でそれ程大きいものはなかったように思う。
 俺が教え子だから手加減しているのだろうか?
 それもあるだろう。
 しかし、先生は俺に向かってレアンドロの事を『危険』だと言った。
 確かにレアンドロは危険だが、シグルズに比べればその実力は劣るはず。
 
 俺はこれまで攻撃魔術というとシグルズの魔術を基本として考えていたが、よく考えてみたらあの男の魔術が平均であるはずがないのだ。
 レアンドロのレベルの攻撃魔術が危険なレベルであるのなら、それ以外の魔術師の魔術はそれ以下という事になる。
 ならば……

「ドライアド!」

 俺は展開範囲を先生が作り出した霧を囲むほど大きく取ると、その目的をドリスに告げる。
 受けたドリスはその目的を理解すると、即座に魔術を発動した。

 リーフストーム。

 普段使うリーフブレットとは違い木の葉に魔力のコーティングはされていない。
 単純に目眩ましを目的としたこの魔術に攻撃力は必要ないからだ。
 威力に割く魔力をほぼゼロにする事で、広い範囲に展開する事を可能とした魔術であり、これまで先生が使用してきた魔術と方向性は同じだった。
 
 だが、先生と俺が違うのはここからだ。

 視界一杯に木の葉が吹き荒れる中で、俺はドライアドの意識を切るとゲルガーへ意識を繋ぎ直す。
 先生が言ったように魔術師というのは基本的には前衛のバックアップを本業とする。それは、これまでの旅でのリディアの役回りを見ていてもよくわかる。
 そして、これまでの先生の立ち回りを見ていても、やっている事は幻惑と遠距離からの捕縛術のみ。
 それは、明らかに俺を自分に近づけさせないようにしている結果だった。

 ならば、それを一瞬で破ってしまえばいい。

「ゲルガー」

 残っている魔力を一点に集中。
 これまで何度も使用してきた時と同様に、俺の中の守護精霊との意識の繋がりを最も深い所まで融合させる。
 ここ最近はリディアが常に傍にいた事もありあまり使用していなかったが、使い方を忘れたわけではない。
 リディアどころかドリスにさえも危険だからあまり使わないようにと釘を刺された。
 俺が持つ最強の攻撃魔術。

 精霊魔術の最終到達点である憑依魔術。

 視界がクリアになる。
 世界がコマ送りのようにゆっくりと進みゆくのを感じる。
 荒れ狂う木の葉の隙間、辺りに立ち込める濃霧の水滴の一つ一つまでもはっきりと確認する事が出来る。

 そして、その先にいる先生の姿まではっきりと。

「今、見せましょう」

 魔人族の魔術も、精霊の攻撃も全て掻い潜ってきた魔術にして、最速の物理攻撃を。

「俺のこれまでの成長過程!」

 ナイフは手にせず、先生までの距離を最短距離で突っ込む。
 本来ならばこのような愚かな突進はするものではないが、辺りに立ち込めているのはどれも攻撃性の全くない魔術ばかりだ。
 先生から他の魔術の追撃があれば別だが、完全憑依した俺とゲルガーの動きに、魔術師である先生が対応できるわけがない。
 俺からすればゆっくりとした流れであっても、先生からすれば瞬きするほどの一瞬の時間の中で展開発動出来る魔術は無い。
 何故なら、先生自身が嘗て自分で言ったのだ。

『精霊魔術は即時発動が可能だが、物質魔術は構成が必要な分だけ発動が遅れる』と。

 かなりの距離を一瞬でゼロにして先生の懐に飛び込む。
 先生はいきなり現れた俺の姿に驚いたように目を見開いたようだったが、それだけだ。それだけの時間しか経過していない。
 俺は拳を握ると先生の腹に狙いを付ける。
 打撃で動きを封じた後に先生を拘束し、フィリスの居る場所まで案内してもらう。
 フィリスの安全さえ確認してしまえば、後はどうにか逃げてレイラとリディアと合流して、再びレアンドロを探す旅に戻ればいいだけだ。
 この先フィリスと共にいられないのは確かに辛いが、先生の下にいれば危険な目にあう事もないだろう。
 なにより、レイラの両親さえ見つけてしまえば、俺にとっての旅は終わるのだ。
 その時に改めてフィリスを迎えに来ればいい。
 レイラとは離れてしまうだろうが、リディアは共にいてくれるかもしれない。
 そうしたら、故郷の村に戻って、村のみんなの魂を慰めながら3人で静かに暮らしていこう。
 あの村で静かに暮らす事が、俺にとっての最大の目的であるのだから。

 全ての想いを乗せて拳を振るう。
 躊躇いはない。ここで躊躇っていたら全ての行動が無になってしまうと思ったから。
 しかし……。

 そんな俺の想いは、振り抜いた拳と共に空を切った。

「!?」

 単純な事だ。目の前から先生の姿が消えた。
 今度は虚像ではない。
 確かに先生自身の魔力を感じたし、確かな質量を持った物体だった筈だ。
 何よりも確定的だったのは、先生の魔力が一瞬で移動したことだ。

「トラップだよ」

 先生の声に反応するように振り向いた俺だったが、その言葉で状況を理解する。
 体にかかる急激な圧力。
 発する事の出来ない声。
 そしてなによりも……殆ど呼吸が出来ない。

「発動条件は“私以外の人間が展開範囲に進入する事”。既に魔術は展開し終わった後だから、発動自体は一瞬だ。にも関わらずここまで侵入出来た事に正直驚いている」

 俺は今にも押しつぶされそうな圧力の中で、何とか首を回して自分が走ってきた道程を確認する。
 そこで初めて、霧を抜けてからここまでの距離が全てこの魔術の展開範囲だったことに気がついた。

「……本当に凄いね。その魔術は『ウォータープリズム』と言って、対象を水圧でもって動きを封じる強力な魔術だ。以前使用した時は怪力自慢の幻獣でさえ指一本動かす事さえ敵わなかった水圧が掛っているはずなのに、動く事が出来るなんて」

 掛かる圧力に俺はとうとう膝を付くと、その視線を先生に向ける。
 疑問点はたくさんあったが、そんな俺の疑問を解消するかのように、先生は穏やかな口調で俺に話しかけた。

「これまでの君の実力を見て、君が私の場所までたどり着く事が出来る事はわかっていた。だから、私があらかじめ準備していた魔術は3つ。一つ目は『自動発動』、二つ目は『ウォータープリズム』、そして、三つ目は『ランダムシュート』」

 指を1本ずつ立てながら先生は説明する。

「自動発動はその名の通り発動条件を満たした時に準備した魔術を発動させるだけの魔術。ウォータープリズムは今君が味わっている通りだ。そして、ランダムシュートはここに来る時も見せたよね? これは目的地の設定は出来ないけれど、指定した距離をランダムで移動する事が出来る転移魔術だ」

 転移魔術……。
 その言葉を聞いて、俺は噂を聞いた後に感じていた疑問が解けたような気がした。
 そんな魔術が使えるのなら、検問を抜けるのも簡単だっただろう。
 目的地も方角も指定できないようだが、距離の調節が出来るのなら何度か使用すればいずれは抜ける事も出来るからだ。

「テオ、君は強くなった」

 酸素が不足し、既に意識が朦朧としてきた俺の耳に、先生の言葉が聞こえてくる。

「単純な魔術の威力だけならば、君は既に私を超えているだろう。しかし、魔術師の優越は魔術の強弱で決まるものでは断じてない。そう、君が今正に味わっているようにね」

 俺はついに支えていた膝も腕も放り投げて、押しつぶされるままに大地の上で横臥する。
 既にゲルガーの意識は遠く離れ、ただ、ドリスの声だけがガンガンに脳裏に響いていた。

「自分よりも強力な敵に会ったなら、どうやって戦えばいいのか? 簡単な話だ。ただ、相手ができない事をやればいい」

 意識が遠くなっていく。
 先生の言葉もどこまで理解しているのかわからない程に。

「今回私は一度に2つの魔術しか扱う事の出来ない君に対して、同時に3つの魔術を使用してみせた。これから先、君が強くなろうと思うのならば、こういった技術も必要になる。それを、私ならば君に教える事も出来るのだよ」

 理解していないようで何となく理解していた脳が先生の言葉を一言で説明する。
 これは授業だ。
 そう、先生は初めから俺に戦い方を教えるためにこんな事をしていたのだ。
 初めから俺なんか相手になると思ってすらいなかったのだ。

「私の下にいなさい。私の下にはフィリスもいる。故郷の村ではないかもしれないが、君の望む理想がここにはある。君達の為に私はここでの立場も手に入れた。王都で3人静かに暮らしていこう」

 先生の言葉を聞きながら、俺はその内容を理解しようとしなかった。
 ただ、悔しさのみで思考を塗りつぶし、薄れゆく意識にその身を委ねていった。
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