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第19話 俺が彼女といる理由

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 一瞬体温が急激に低下し、まさか氷漬けにされるんじゃないかと思ったが、すぐに辺りに漂った熱気に痺れるような感覚が戻ってくる。
 相変わらず視界は晴れないが、俺は気配を追って後退し、両手を広げて近くに触れるものが無いか確認する。
 すると、すぐに目的の物は発見でき、それはすぐに俺の胴体に張り付いてきた。

「しっかり捕まってろよ」

 俺は張り付いてきたレイラをしっかりと抱きとめると、嫌がるフラウと無理やり意識を繋げて魔術を展開する。
 吹雪に対して吹雪をぶつける。
 一見矛盾したような行為だが、こちらの吹雪の風圧によって辺りの結晶は霧散し、何とか視界が晴れてきた。
 すると、視界の先にいたのは、陽炎のような揺らぎを纏ったリディアと、氷柱を纏った男だった。
 視界が遮られる間際に聞いたリディアの言葉が本当なら、あいつがジャックフロストなのだろう。
 俺は自分とレイラの体の周りにも熱のこもった揺らぎを確認すると、彼女の背中に近づいていく。
 その気配を感じたのか、リディアは俺に近づくように後退した。

「……撤退。した方がいいかも」

 驚いた事に、リディアから出たのはそんな提案だった。
 いつも不遜な態度を取るリディアらしからぬ発言に、俺は素直に頷いた。
 当初の不安が的中した形になってしまったが、命を失う事に比べればずっといい。
 だが。

「……逃げられるのか?」
「…………」

 返事は無い。
 ただじっとジャックフロストに目を向けて、いつでも魔術を発動できるようにしているだけだ。
 ひょっとしたら、既に牽制はしているのかもしれない。
 それこそ、背を向けたと同時に襲いかかられてしまうほどに。
 俺の方も、意識を繋げたままにしているフラウからの声が煩いくらいだ。
 ここから離れて、気が狂うと……と。

「……まずは俺とレイラがこの場を離れる。その後、この場から離れられるか?」
「大丈夫。お願い」

 ジャックフロストから目を離さずに頷くリディアから離れると、俺はレイラに目配せする。
 レイラは何も言わない。ただ、不安そうな表情を見せるだけだ。
 俺は見上げるレイラの手を取ると、未だ吹雪が吹きすさぶ街道を町に向かって引き返す。

 そこで変化が訪れた。

「あっ!」
 
 短い声だ。
 だが、その一言にどれだけの意味が込められていただろう。
 体感温度が急激に下がり、レイラの体に纏わりついていた熱を帯びた陽炎が掻き消える。自分の体も同様だ。
 慌てて後ろを振り向くと、リディアの脇腹を氷の槍が掠めているのが見て取れた。
 ローブが裂け、血飛沫があがるが、一瞬で凍りつき大地に紅い結晶が落ちる。
 魔術が解けたからだろう。
 首だけ後ろに回したリディアと目があった。
 初めは痛みに顔を歪め、すぐに驚いたような顔に変わった後──

 俺を非難するような、失望したような顔になった。

「馬鹿ッ!!」

 初めは何の事かわからなかった。
 分かったのは誰かに思い切り突き飛ばされて、地面に転がってしまった事。
 そして、起き上がって見上げた俺が見たものは……。

 吹雪をまともに浴びて、真っ白になりながら吹き飛ばされるレイラの姿だった。

「レイラ!」
「火蜥蜴の鱗!」

 すぐに起き上がり、駆け出した俺に追従するように、リディアの魔術が展開される。
 リディアは吹き飛ばされた俺よりも早くレイラに駆け寄っていた。
 そこへ、駆け込んだ俺が近くに来たのを見計らって炎の壁を張ったようだった。
 体に魔力の圧迫感を感じる大きな魔術だ。
 恐らく、それくらい強いものではないと防げないほどのものなのだろう。
 それほど、天候を操るというのは大きな力なのだ。

「怪我は!?」
「凍傷にやられてる! すぐに治療しないとまずい!」
「お前は!?」
「大したことない!!」

 リディアの脇腹に伸ばした俺の手を払うと、リディアはレイラの顔についた霜を丁寧に拭き取る。
 蒼白な顔に紫色の唇に俺は心底ゾッとした。

「レイラ!」

 息はある。
 苦しそうに吐き出してはいるが、呼吸するたびに肺に痛みを感じるのか、苦痛に顔を歪めていた。
 俺はすぐさまドライアドに意識を繋げようとする。
 近くに森は無く、通年冬であるようなこの地域にドライアドの意識は感じない。
 しかし、魔力を使い切ってもいいと全力で意識を求めても、全く、その欠片すらも掴めなかった。
 以前先生は言っていた。
 精霊魔法は使えない時が存在する。と。

「……う、嘘だろ……?」

 自分でも震えているのがわかる。
 小刻みに震えた手が、冷え切ったレイラの頬を何度も撫でる。
 死ぬ。このままだとレイラが死んでしまう。
 
「……くっ! 直ぐにでもここから離れて、町に連れて行かないと……!」

 焦ったように魔術を展開するリディアの言葉に、俺は考える。
 町に戻って治療する?
 ここまで来るのに半日かかったのに、今から戻って間に合うのか?
 そもそも、この場を離れる事が出来るのか?
 相性がいいと思っていたリディアの魔術が目の前の相手には全く通用していない。
 そう言えば、数年前のリディアも炎の魔術が得意だったのに、山を下りるのに6ヶ月の月日を費やしている。
 今回のように荷物を抱えた状態で、果たして本当に逃げる事が可能なのか?
 リディア本人にしても負傷しているし、今は魔術を使って防いでいるものの、これがいつまでも続く保証はない。
 ひょっとしたら、すぐに切れるかも知れない。さっき、俺達が後退しようとした時に破られたように。

 レイラの頬を両手で包み込むように温める。
 しかし、レイラの頬はいつまでたっても暖かくならない。
 そもそも、俺の両手の感覚さえ怪しいものだ。
 既に俺達の体の周りには冷気を遮断してくれる炎の鎧は存在しない。
 恐らく、リディアにそこまで魔力の余裕がないのだ。
 魔術による体温維持の効果が期待できない以上、ここにいてはレイラがよくなる事はない。
 ここにいる限りよくはならない。

「レイラを治療してくれ」

 俺は立ち上がり、膝をついた状態で魔術を展開している魔人の少女に声をかける。

「……見てわかんないの? 今魔術を解いたら3人仲良くお陀仏するのよ?」
「吹雪は俺が止める」

 俺の言葉に、リディアは驚いたような声をあげる。

「冗談言わないで! あたしの魔術でさえやっとなのに、ただの人間のあんたがどうにか出来るわけないでしょ!!」

 ただの人間。
 確かに、彼女に比べれば俺は力のない人間だろう。
 特に、この国に来てからはドライアドは使えず、寒冷地でフラウを使う必要性を感じなかった事から、俺はもっぱらナイフのみで戦ってきた。
 リディアもそんな俺しか見た事が無かったからこそ、俺の護衛役を申し出たのだろうから。

「止められる。さっき実践して効果は確認した。奴を倒すことは出来ないかもしれないけど、一時吹雪を止めることは出来る」

 吹雪に対して吹雪をぶつける。
 さっきは上手くいったが、それはジャックフロストの意識がリディアに行っていたからだろう。
 しかし、奴の吹雪と同等か、それ以上であれば止める事はできるのだ。
 
 ジャックフロストとフラウ。
 
 その力には大きな差があるかもしれないが、それを何とかする方法を、俺は‘知っている’。

「回復魔術が使えるって言ってたよね? 今この場でレイラを助ける事が出来るのは君だけなんだ。だから頼む。吹雪は必ず抑えてみせる。だから、君もその力でレイラを助けて欲しい。君は俺の……俺達の護衛なんだろう?」

 俺の必死の願いに、リディアは困惑したように言葉を詰まらせる。
 彼女の魔力は凄い。それは間違いない。
 多少苦手分野があるだろうが、彼女はそれが出来る人間なのだ。
 ……出来るのならば、やらなければいけない。
 そう、やらなければいけないのだ。

「でも、私の回復魔術は──」
「レイラまで殺す訳にはいかないんだよっ!! 俺はっ!!」

 リディアの言葉を遮り、俺は叫ぶ。
 そう、俺はあの時約束したのだ。
 言葉はわからなかったかもしれない。
 理解していなかったかもしれない。
 それでも俺は約束したのだ。

「レイラ……まで?」

 俺のせいで村の人達は死んだ。

「俺のせいで故郷の人は死んだ。俺が殺した。俺が弱かったからレイラの家族は連れ去られた」

 俺のせいで両親は死んだ。

「俺達は天涯孤独の身になった。でも、レイラの家族はまだ死んだと決まったわけじゃない。追えば間に合うかもしれなかったんだ」

 俺のせいでフィリスが死んだ。

「お前の言う通りだリディア」

 俺が弱かったからレアンドロに追いつけなかった。

「こんな所でチマチマ小銭を稼いでいる暇なんかなかったんだ。俺がしなければいけなかったのは、どんな事をしてでも先に進むことだった」

 だからこそ、俺は躊躇いなく力を使うことを決めたんじゃなかったのか?
 後先考えずに生きていく事を決めたんじゃなかったのか?

「この仕事で大金稼いで一気に南下すること。これがここで行うべき事だ」

 その為の力の使い方を、俺はこの旅で学んだ筈だ。
 
「奴を倒す。物理攻撃は通用しないかもしれないけど、冷気の力とは言え、魔力のこもった力ならダメージを与えることは出来るはず」

 シグルス・ファフニールの時の様に。
 フロストジャイアントの時の様に。

「冷気? なんの事を言っているかわからないけど、炎の力を直接当てないと、あいつはきっと倒せない」
「そんな事はわかってる。俺がやるのは奴の力を削ぐだけだ」

 あの時の気持ちを思い出せ。
 何の為に力を願った?

「止めは君が差すんだリディア。天才魔術師なんだろ?」

 何の為に?
 誰の為に?
 そんな事は最初から決まっている。

「‘俺達’が倒すんだ。怖いかも知れない。自分よりも強いものに感じる恐怖も、自分のせいで死んでしまう仲間を見る悲しみも、俺にはよくわかっている。それでも、助けて欲しい。俺は君を受け入れても決して心を壊したりしないし、君をこの身に封じる事もしない。君の精神も、君のダメージも、全て俺が引き受けよう。だから頼む」

 俺はレイラを家族に合わせたかったのだ。
 それまでの間、寂しさを紛らわせてあげたかった。
 たとえ少しの間であろうと──

「俺に力を貸してくれ。俺と一つになる事で、この俺に、『家族』を守る力を貸してくれ」

 ──レイラと、家族になりたかったのだ。

「行くぞフラウ!! 俺と共に!!」

 氷の精霊との意識は完全に融合し、体の内側で混じりあった2つの魔力が爆発した。

「……嘘……」

 リディアの呟きが聞こえる。
 しかし、今の俺にはそんなものはどうでもいい。
 ただ、目の前の敵を打ち倒す。

「……まさか……精霊、憑依……?」

 魔力の高ぶりと共に冷気の力が湧き上がる。
 イメージ通りに力が展開しているのがわかる。
 ナイフを引き抜く。
 なんの変哲もないナイフだが、冷気を纏えばこんなものでも立派な武器になるのだ。
 全身が氷の塊になったかのように錯覚すると共に、通常の精霊魔術とは比べ物にならない程の魔力の流出を感じるが、そもそもこの戦いは時間をかける必要がない。
 かけるわけにはいかない。

「俺の妹を傷つけた代償。その身で払ってもらうぞ!!」

 リディアの炎の壁を突き破り、突進する。
 すぐにジャックフロストの氷の槍が飛んでくるが、俺はそれをナイフで一刀両断にしつつ、吹雪を吹雪で押し返した。

 相殺され、荒れ狂うダイヤモンドダスト。

 だが、俺の後ろには一つの雪も通さない。
 通すものか。

 俺は全魔力を込めてジャックフロストに飛びかかった。
 
 さながら一塊の氷の様に。
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