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第一話 二つの魔術
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「おはよう」
挨拶しつつドアを開けると、そこには見慣れた部屋と見慣れた顔が並んでいた。
大人が5人も入れば窮屈になってしまうような狭い板張りの部屋の中央に置かれた長方形のテーブルに、向かい合うように座っているのは二人の女。
俺から左側に座っているのは大人の女性。薄緑色の長袖シャツに、膝下まで伸びる朱色のスカート。白いエプロンをつけた姿はいかにも主婦を思わせる。
腰まで伸びた長髪は、俺と同じ薄い灰色。抜ける様な白い肌からあまり外に出ないのかと思ってしまう所だが、このあたりはあまり日差しが強くないために、日焼けする人の方が珍しいくらいだ。髪の色も同じ理由……だと思う。多分。
少なくとも、生粋のこの村の住人はみな肌も髪も色素が薄い。黒髪や赤毛といった人はあまり見ないように思う。
こちらにニコニコと向ける笑顔が実に見慣れたものなのも、母親なのだから当然だった。
対して、こちらに顔を向けた瞬間真顔になった少女も見慣れた顔だ。
地味に傷つく真顔に、肩まで伸びた薄い銀色の髪が、開け放たれた窓から流れる風に小さく揺れている。
服装は白いシャツに膝丈位の水色のスカートを履いていた。
先程までの笑い声は間違いなく彼女からだろうが、今俺に向けられている真顔からあのような楽しそうな声が出てくるなんて信じられない事である。
だが、まだ真顔だからいい。いや、良くないけど、いつも俺に向けられる蔑むような視線を向けられるよりはまだましだ。
が、そんな事を思ってしまったのがまずかったのだろう。俺の姿を視線に捉えて数秒。彼女の表情がいつしか見慣れたしかめっ面へと豹変していく。
こちらの方が見慣れているというのもある意味問題だが、見慣れてしまっているのだからしょうがないとしか言い様がない。
「……おはよう。いつまでそんな格好してるの」
彼女の苦言に俺は自分の姿を見下ろす。
部屋着替わりに使っているヨレヨレのシャツに、短パン型のパンツ一つ。髪は鏡を見ていないから分からないが、薄いグレーの短髪が、あちらこちらに飛び跳ねているに違いない。
俺は腕を組んでフムと呟くと、視線を天井へと向ける。
あまり意味はないポーズだったが、起きたての頭にはちょうどいいブレイクタイムとなったらしい。直ぐに視線を少女に戻すと、頷きながら一言申す。
「パンツ一枚じゃないだけマシだろう」
「いいから。その汚らしいのすぐに視界から消してよ」
なんという事でしょう。
ほぼ生まれた時からの付き合いで、それこそ何度も一緒にお風呂に入った仲だというのに、パンツを汚らしいと申される。
すぐにでも反論したい所だったが、それが無駄である事はこれまでの長い付き合いで分かっていたので、仕方なく自室へと踵を返した。
少女の名はフィリスと言って、隣に住んでいるバシルさんの一人娘だ。
ほぼ生まれた時からとは言ったが、物心着いた時には既に一緒にいただけで、実際には俺のほうが一年程早く生まれている。
その為、実際には俺は彼女にとって兄にも等しい間柄のはずなのだが、向けられる瞳には軽蔑しか混ざらないのは実に嘆かわしいことだ。
俺は自室のクローゼットを開けると、中から茶色のズボンとシャツを取り出し身にまとうと、腰にベルトを巻き、腰の後ろにちょうどクロスになるように2本のナイフをくくりつける。
一本はククリナイフ。もう一本はブッシュナイフだ。
狩人を目指し、森に入ることが多い俺は、獲物との戦闘や草木を切り払う目的で二つのナイフを愛用している。特に大きな殺傷力を持つものではないが、まだあまり筋力のついていない俺にとっては頼りになる相棒だ。最近ではナイフがないと落ち着かないくらいである。
その事をこの間フィリスに話した所、大層不快そうに俺を見たあと、大股一歩分ほど距離を取られて帰ったのはいい思い出だ。
とはいえ、これはあくまで補助的なもの。
俺は革製のジャケットをシャツの上から羽織ると、肩から矢筒と弓矢をかける。
目指すは一流の狩人。
こいつを使いこなせるように日々練習の毎日なのだが、今日フィリスがわざわざ家まできたのは俺の練習に付き合うためではない。
俺は先ほどの部屋まで戻り母さんに声を掛けた後、フィリスと共にこの村唯一の教師の元に向かうのだった。
教師の名前はアレックス・アルバディアというベテランの魔術師だ。
なんでも昔はそれなりに名前の知れた冒険者だったが、切った貼ったの世界に嫌気が差してこの村にリフレッシュしに来た所を居着いてしまったらしい。
らしい、というのも、俺が物心着いた頃には既に彼がいたものだから、てっきりこの村の住人だと思っていたのが一つと、村の人から非常に尊敬されており、全く違和感なく生活しているものだから、まさかよそ者とは思わなかったのだ。
まあ、うちの村は『このよそ者がぁ!』等と口走りながらよその人を追い掛け回すような人はいないので、あまりそういった問題は起きていない。
そもそも、村に残ってくれる若者が殆どいないこの村で、他所からの住民を受け入れなかったら確実な死が待っているわけで。村の存続的な。
そういった理由ではないだろうが、アレックス教師がこの村にいついてくれたのはありがたい事だ。
歳は30台後半らしいが、実に若々しいのはかつて冒険者だったからだろうか。室内だからフードはかぶっていない為、自慢の黒髪がよく見える。そう、この村では非常に珍しい黒髪だ。それが着ている漆黒のローブと相成ってよく目立つ。
簡易的な教壇である背の高い机の脇に先端に赤い宝石が埋め込まれた杖を立てかけ、代わりに自作の教科書を読み上げる声は非常に優しさに溢れたものだった。
現在、教室として使われている彼の家にいるのは彼を除けば2人だけ。俺とフィリスだ。
村に住む子供が2人だけという訳ではないのだが、俺たち以外の子供はまだ彼の授業を習うのには幼すぎるため、現在の生徒は2人のみ。
俺たちよりも年上の子供は既に一人も残っていない。皆、都会……王都キリスティアに移住してしまったのだ。
ここは何もない村だ。だから、ある程度成長したら出て行く事は仕方ない。
俺はこの村に残って静かに暮らすことを望んでいるが、皆が皆そんな考えではないだろう。
今隣で一生懸命授業を聞いている幼馴染も、あと数年で村の外に出てしまうだろう。その為の勉強だ。
先生が俺たちに教えてくれるのは大きく分けて3つ。
一つは読み書き。
一つは教養。
最後に物質魔術だ。
残念な現実として、先生がこの村で教鞭を取ってから若者の流出が顕著になったのは明らかだ。
これまではろくな教えがなかったこの村において、都会で暮らすだけの力を身に付ける事は非常に困難だったらしい。
その為、都会に憧れながらも渋々村での生活をしていた人も大勢いた。
今でこそ都会への憧れは薄くなったものの、その子供達は別だ。
幼い頃から読み書きを覚え、教養を得ることで、都会で暮らす最低限の下地を手に入れた。
そして、物質魔術を覚えることで、都会で生活していくための『職』という名の『力』を手に入れたというわけだ。
最も、魔術は誰にでも使えるわけではない為、全ての子供が習得するわけではないが、読み書き教養を覚えた事が妙な自信にでもなるのか、例外なく村を出て行ってしまうようになった。
まあ、その後どうなったは俺のしっちゃこっちゃないが。
「テオ」
そんな益体もない事を考えていた俺だったが、前方からの声掛けに視線を合わせると、先生とバッチリ目が合った。
テオは俺の愛称である。テオドミロと一々呼ぶのも面倒臭いのか、両親含め、親しい人は皆そう呼んでいた。
「この世には2種類の魔術があるが、それぞれの名を挙げなさい」
「物質魔術と精霊魔術です」
「よろしい」
先生は俺の答えに頷くと、二つの魔術の説明を始める。
この世には二つの魔術がある。それは魔術の授業を受ける事で何度も教えられた事だから、知識としては知っている。
まず、前提としてこの世界に生きている存在しべては魔力を持っている。その内包量に個人差はあれど、例外はないらしい。
その魔力を望む形に変換して、顕現させるのが物質魔術だとか。
この魔術に必要なのは魔力と構成。言い換えれば燃料と妄想力だ。
要するに、魔力という材料を使って、頭の中で組み立てた設計図通りに作ったのが物質魔術。
俺が妄想力と言ったのは、その設計図を作れる人と作れない人がいるという事だ。先生の言葉を借りれば、‘具体的なイメージを詳細に思い浮かべる’ということらしいが、要するに妄想力豊かな人は使えますということなんだろう。
ちなみに俺は使えない。
例えば火なら火、水なら水と強く思い浮かべるのだが、俺の手のひらはウンともスンとも言わなかった。
実際の火や水を見たり触ったりしながらやってみても出来なかったので、これはもう才能としか言い様がない。
この才能がないと、いかに大量の魔力を持っていようが宝の持ち腐れとなってしまうという事だ。
では、妄想力が乏しい人は魔術が使えないのか? というとそうでもなく、一応例外があるらしい。
それが、二つ目の精霊魔術だ。
こちらは構成は必要なく、ただ、精霊と仲良くなればいいとは先生の談。
そもそも精霊ってなんだよと聞いた所、よくわかっていないとの返事を頂いた。
そもそも、精霊魔術師の数自体希少で、当の精霊魔術師本人がイマイチ理解が出来ていないという事だ。
理解はしていなくても使える。しかし、明らかに物質魔術とは違う特性を持っている。
物質魔術は使用するには詳細な構成が必要となるが、精霊魔術は即時発動。
物質魔術は魔力さえあればどこでも発動できるが、精霊魔術は場所によっては発動不可、もしくは上手く発動できない事があるという事。
そういった事から、精霊魔術は自然の魔力を触媒として発動する魔術というのが、現在最も信憑性のある仮説らしいのだが、どうも全ての精霊魔術師が一貫して口にしている事がその仮説を仮説たる理由にしているらしい。
曰く『魔術発動時に何者かの存在を感じる』という事だ。
どうにも胡散臭い言葉だが、実際に使用している人間がそう言っている以上、深くは突っ込めない。故に『よくわからない』という結論に至ったらしい。あくまで、先生がであって、大衆はどうなのかは知らんが。
言うまでもない事だが、俺にはこの精霊魔術も使えない。
精霊の声なんて聞こえないし、何かの存在も感じない。
結論として俺は魔術が使えないという事だが、別に悔しくともなんともない。
俺の目指すのは狩人だ。確かに魔術があれば活動するうえで便利だろうが、なければ困るというものでもない。
なので、俺はアレックス先生の魔術の授業をおざなりに聞きながら、今日の午後の事を考えていた。
午後になれば俺の時間だ。
授業が終わった後、俺の不真面目な授業態度について、フィリスから延々と説教をひたすらもらう帰り道。
思えば、ここ最近フィリスのしかめっ面しか印象に残っていないのは、この時間のせいなのだろうと思う。
昔はもっと笑う子だった。それこそ、今朝見た夢のようにニッコリと。母さんと話す時の様に可憐に笑う子だったと思う。
なのにどうだ。
最近のフィリスと言ったら、俺を見ればしかめっ面であれがダメ、これがダメ。お前は俺のかーちゃんかと言いたくなる。
俺の方が年上なのに、兄なのにと口にしたが最後、だったら少しは年上らしい事して! とキレられる。実に理不尽だ。
そんな苦行の道の最後にフィリスからゴミを見るような目で見送られた後、家に帰るとようやくホッと息をつく。
本当に母さんみたいなやつだ。俺には特殊な性癖はないので、あんな目で見られてもご褒美にはならないというのに。
俺は椅子に腰を落ち着けると、もう一度深くため息をつく。
読み書きと教養の授業はいいが、魔術が使えないのに魔術の授業なんて拷問以外の何者でもないじゃないか。それを不真面目等と……。
俺の頭の中で、手のひらに小さな水を現出させて、勝ち誇ったような視線を向けるフィリスの顔が浮かび上がった。彼女には才能のない人間の気持ちなんて一生わからないだろう。
「どうしたの? ため息なんかついて」
そんな俺の前に、お盆の上に昼食をのせた母親が声をかけてくる。
ニコニコ、ニコニコ。僕のお母さんはいつでもどこでもニッコニコです。
「別に。隣の子に今日も不真面目だって文句言われただけだよ」
「あらあら」
俺の愚痴を聞いても、母さんは特に変わらず流れるような動きでテーブルに食事を並べていく。
パンにサラダ。あとはシチュー。具材として昨日父さんが仕留めてきた子兎の肉も入っているだろう。美味しそうな匂いに嫌でも食欲が湧いてくる。そういえば、今日は朝食も食べていなかった。
「ダメよ。隣の子なんて呼び方。フィリスちゃんは授業が楽しいって言っていたから、あなたにも同じように楽しんで欲しいだけなのよ」
「どうだが」
俺はフンと鼻をなして一口サイズにちぎったパンを口に放り込む。固いパンなので、本来シチューにつけながら食べるものだが気にしない。俺は固いパンが好きなのだ。
そんな俺をニコニコと見ながら、母親はパンをシチューに浸した後口に入れる。軽く頷いた後、新たに二つちぎったパンをシチューに放り込んだ。味は満足いくものだったようだ。
「どうせあいつはあと数年もすればこの村を出て行くんだから、仲良くしたって無駄だしさ」
いなくなれば名前だってすぐに忘れるだろう。
現に、今まで村から出て行った他の人達の名前ももうすぐには出なくなってしまった。交流がなくなれば忘れてしまうのは当然だ。
「あら、どうして?」
笑顔を崩さず母さんは聞き返してくる。
俺の方がどうしてと聞きたい。今まで街に行って帰ってきた人間が、一体何人いると思っているのだ。
ゼロだ。一人もいない。全くのゼロなのだ。そんな連中と仲良くするメリットがあるとでも言うのか。
「出て行った人間の事なんてすぐ忘れるだろ? こっちも相手も」
「そうじゃなくて」
ピンと人差し指を立てる母さん。子供が赤とんぼを捕まえようとしている姿とかぶる。
「出て行くって事。フィリスちゃんがそう言ったの?」
「いや……本人からは聞いてないけど……」
言われてみて、本人から直接聞いていない事を思い出す。
だが、フィリスの授業態度、それから魔術が使えるという点から考えても、それ以外の選択は思い至らなかった。
「残るって言ってたわよ。フィリスちゃん」
「はぁ?」
思わず変な声が出た。
「出て行かないって。王都には行かないって。この村が好きだから、一生この村で暮らすんだって。フィリスちゃんはいつもそう言ってるの」
柔く微笑みながら口にする母親の目線から、思わず外す。視線の先には母さんのシチューがあり、先ほど入れたパンが一回り大きくなっているように見えた。
「……だったら、なんであんなに真剣に授業を聞いているんだ? 王都のこと、魔術の事、この村にいるだけなら別に必要ないじゃないか」
「無駄にはならないわ。勉強は」
言いながらパンごとシチューを掬って口に運ぶ母さん。釣られて俺もシチューを口にすると、少しぬるくなったとは言え、食べ慣れた、おいしい味が口内に広がった。
「テオもこの村に残るんでしょ? そうしたら、この村には殆ど若い子は残ってないし、いずれは……」
そこまで言って、母さんはムフッと意味ありげな笑みを浮かべて、
「フィリスちゃんがあなたのお嫁さんになるかもしれないわね」
そう口にした母さんの顔をたっぷり十秒ほど見つめた後、頭に浮かぶのは最近のフィリスの顔。
起きたての俺に対しての無表情。
授業中目が合った時の怒った顔。
帰り道でのしかめっ面。
止めに別れ際のゴミ虫でも見るような目付き……。
「……うん。無いな。無い」
呟き、パンをそのまま口に突っ込み強引に咀嚼していく俺は母さんは笑顔で見つめていた。
俺の食事が終わるまでずっと。
挨拶しつつドアを開けると、そこには見慣れた部屋と見慣れた顔が並んでいた。
大人が5人も入れば窮屈になってしまうような狭い板張りの部屋の中央に置かれた長方形のテーブルに、向かい合うように座っているのは二人の女。
俺から左側に座っているのは大人の女性。薄緑色の長袖シャツに、膝下まで伸びる朱色のスカート。白いエプロンをつけた姿はいかにも主婦を思わせる。
腰まで伸びた長髪は、俺と同じ薄い灰色。抜ける様な白い肌からあまり外に出ないのかと思ってしまう所だが、このあたりはあまり日差しが強くないために、日焼けする人の方が珍しいくらいだ。髪の色も同じ理由……だと思う。多分。
少なくとも、生粋のこの村の住人はみな肌も髪も色素が薄い。黒髪や赤毛といった人はあまり見ないように思う。
こちらにニコニコと向ける笑顔が実に見慣れたものなのも、母親なのだから当然だった。
対して、こちらに顔を向けた瞬間真顔になった少女も見慣れた顔だ。
地味に傷つく真顔に、肩まで伸びた薄い銀色の髪が、開け放たれた窓から流れる風に小さく揺れている。
服装は白いシャツに膝丈位の水色のスカートを履いていた。
先程までの笑い声は間違いなく彼女からだろうが、今俺に向けられている真顔からあのような楽しそうな声が出てくるなんて信じられない事である。
だが、まだ真顔だからいい。いや、良くないけど、いつも俺に向けられる蔑むような視線を向けられるよりはまだましだ。
が、そんな事を思ってしまったのがまずかったのだろう。俺の姿を視線に捉えて数秒。彼女の表情がいつしか見慣れたしかめっ面へと豹変していく。
こちらの方が見慣れているというのもある意味問題だが、見慣れてしまっているのだからしょうがないとしか言い様がない。
「……おはよう。いつまでそんな格好してるの」
彼女の苦言に俺は自分の姿を見下ろす。
部屋着替わりに使っているヨレヨレのシャツに、短パン型のパンツ一つ。髪は鏡を見ていないから分からないが、薄いグレーの短髪が、あちらこちらに飛び跳ねているに違いない。
俺は腕を組んでフムと呟くと、視線を天井へと向ける。
あまり意味はないポーズだったが、起きたての頭にはちょうどいいブレイクタイムとなったらしい。直ぐに視線を少女に戻すと、頷きながら一言申す。
「パンツ一枚じゃないだけマシだろう」
「いいから。その汚らしいのすぐに視界から消してよ」
なんという事でしょう。
ほぼ生まれた時からの付き合いで、それこそ何度も一緒にお風呂に入った仲だというのに、パンツを汚らしいと申される。
すぐにでも反論したい所だったが、それが無駄である事はこれまでの長い付き合いで分かっていたので、仕方なく自室へと踵を返した。
少女の名はフィリスと言って、隣に住んでいるバシルさんの一人娘だ。
ほぼ生まれた時からとは言ったが、物心着いた時には既に一緒にいただけで、実際には俺のほうが一年程早く生まれている。
その為、実際には俺は彼女にとって兄にも等しい間柄のはずなのだが、向けられる瞳には軽蔑しか混ざらないのは実に嘆かわしいことだ。
俺は自室のクローゼットを開けると、中から茶色のズボンとシャツを取り出し身にまとうと、腰にベルトを巻き、腰の後ろにちょうどクロスになるように2本のナイフをくくりつける。
一本はククリナイフ。もう一本はブッシュナイフだ。
狩人を目指し、森に入ることが多い俺は、獲物との戦闘や草木を切り払う目的で二つのナイフを愛用している。特に大きな殺傷力を持つものではないが、まだあまり筋力のついていない俺にとっては頼りになる相棒だ。最近ではナイフがないと落ち着かないくらいである。
その事をこの間フィリスに話した所、大層不快そうに俺を見たあと、大股一歩分ほど距離を取られて帰ったのはいい思い出だ。
とはいえ、これはあくまで補助的なもの。
俺は革製のジャケットをシャツの上から羽織ると、肩から矢筒と弓矢をかける。
目指すは一流の狩人。
こいつを使いこなせるように日々練習の毎日なのだが、今日フィリスがわざわざ家まできたのは俺の練習に付き合うためではない。
俺は先ほどの部屋まで戻り母さんに声を掛けた後、フィリスと共にこの村唯一の教師の元に向かうのだった。
教師の名前はアレックス・アルバディアというベテランの魔術師だ。
なんでも昔はそれなりに名前の知れた冒険者だったが、切った貼ったの世界に嫌気が差してこの村にリフレッシュしに来た所を居着いてしまったらしい。
らしい、というのも、俺が物心着いた頃には既に彼がいたものだから、てっきりこの村の住人だと思っていたのが一つと、村の人から非常に尊敬されており、全く違和感なく生活しているものだから、まさかよそ者とは思わなかったのだ。
まあ、うちの村は『このよそ者がぁ!』等と口走りながらよその人を追い掛け回すような人はいないので、あまりそういった問題は起きていない。
そもそも、村に残ってくれる若者が殆どいないこの村で、他所からの住民を受け入れなかったら確実な死が待っているわけで。村の存続的な。
そういった理由ではないだろうが、アレックス教師がこの村にいついてくれたのはありがたい事だ。
歳は30台後半らしいが、実に若々しいのはかつて冒険者だったからだろうか。室内だからフードはかぶっていない為、自慢の黒髪がよく見える。そう、この村では非常に珍しい黒髪だ。それが着ている漆黒のローブと相成ってよく目立つ。
簡易的な教壇である背の高い机の脇に先端に赤い宝石が埋め込まれた杖を立てかけ、代わりに自作の教科書を読み上げる声は非常に優しさに溢れたものだった。
現在、教室として使われている彼の家にいるのは彼を除けば2人だけ。俺とフィリスだ。
村に住む子供が2人だけという訳ではないのだが、俺たち以外の子供はまだ彼の授業を習うのには幼すぎるため、現在の生徒は2人のみ。
俺たちよりも年上の子供は既に一人も残っていない。皆、都会……王都キリスティアに移住してしまったのだ。
ここは何もない村だ。だから、ある程度成長したら出て行く事は仕方ない。
俺はこの村に残って静かに暮らすことを望んでいるが、皆が皆そんな考えではないだろう。
今隣で一生懸命授業を聞いている幼馴染も、あと数年で村の外に出てしまうだろう。その為の勉強だ。
先生が俺たちに教えてくれるのは大きく分けて3つ。
一つは読み書き。
一つは教養。
最後に物質魔術だ。
残念な現実として、先生がこの村で教鞭を取ってから若者の流出が顕著になったのは明らかだ。
これまではろくな教えがなかったこの村において、都会で暮らすだけの力を身に付ける事は非常に困難だったらしい。
その為、都会に憧れながらも渋々村での生活をしていた人も大勢いた。
今でこそ都会への憧れは薄くなったものの、その子供達は別だ。
幼い頃から読み書きを覚え、教養を得ることで、都会で暮らす最低限の下地を手に入れた。
そして、物質魔術を覚えることで、都会で生活していくための『職』という名の『力』を手に入れたというわけだ。
最も、魔術は誰にでも使えるわけではない為、全ての子供が習得するわけではないが、読み書き教養を覚えた事が妙な自信にでもなるのか、例外なく村を出て行ってしまうようになった。
まあ、その後どうなったは俺のしっちゃこっちゃないが。
「テオ」
そんな益体もない事を考えていた俺だったが、前方からの声掛けに視線を合わせると、先生とバッチリ目が合った。
テオは俺の愛称である。テオドミロと一々呼ぶのも面倒臭いのか、両親含め、親しい人は皆そう呼んでいた。
「この世には2種類の魔術があるが、それぞれの名を挙げなさい」
「物質魔術と精霊魔術です」
「よろしい」
先生は俺の答えに頷くと、二つの魔術の説明を始める。
この世には二つの魔術がある。それは魔術の授業を受ける事で何度も教えられた事だから、知識としては知っている。
まず、前提としてこの世界に生きている存在しべては魔力を持っている。その内包量に個人差はあれど、例外はないらしい。
その魔力を望む形に変換して、顕現させるのが物質魔術だとか。
この魔術に必要なのは魔力と構成。言い換えれば燃料と妄想力だ。
要するに、魔力という材料を使って、頭の中で組み立てた設計図通りに作ったのが物質魔術。
俺が妄想力と言ったのは、その設計図を作れる人と作れない人がいるという事だ。先生の言葉を借りれば、‘具体的なイメージを詳細に思い浮かべる’ということらしいが、要するに妄想力豊かな人は使えますということなんだろう。
ちなみに俺は使えない。
例えば火なら火、水なら水と強く思い浮かべるのだが、俺の手のひらはウンともスンとも言わなかった。
実際の火や水を見たり触ったりしながらやってみても出来なかったので、これはもう才能としか言い様がない。
この才能がないと、いかに大量の魔力を持っていようが宝の持ち腐れとなってしまうという事だ。
では、妄想力が乏しい人は魔術が使えないのか? というとそうでもなく、一応例外があるらしい。
それが、二つ目の精霊魔術だ。
こちらは構成は必要なく、ただ、精霊と仲良くなればいいとは先生の談。
そもそも精霊ってなんだよと聞いた所、よくわかっていないとの返事を頂いた。
そもそも、精霊魔術師の数自体希少で、当の精霊魔術師本人がイマイチ理解が出来ていないという事だ。
理解はしていなくても使える。しかし、明らかに物質魔術とは違う特性を持っている。
物質魔術は使用するには詳細な構成が必要となるが、精霊魔術は即時発動。
物質魔術は魔力さえあればどこでも発動できるが、精霊魔術は場所によっては発動不可、もしくは上手く発動できない事があるという事。
そういった事から、精霊魔術は自然の魔力を触媒として発動する魔術というのが、現在最も信憑性のある仮説らしいのだが、どうも全ての精霊魔術師が一貫して口にしている事がその仮説を仮説たる理由にしているらしい。
曰く『魔術発動時に何者かの存在を感じる』という事だ。
どうにも胡散臭い言葉だが、実際に使用している人間がそう言っている以上、深くは突っ込めない。故に『よくわからない』という結論に至ったらしい。あくまで、先生がであって、大衆はどうなのかは知らんが。
言うまでもない事だが、俺にはこの精霊魔術も使えない。
精霊の声なんて聞こえないし、何かの存在も感じない。
結論として俺は魔術が使えないという事だが、別に悔しくともなんともない。
俺の目指すのは狩人だ。確かに魔術があれば活動するうえで便利だろうが、なければ困るというものでもない。
なので、俺はアレックス先生の魔術の授業をおざなりに聞きながら、今日の午後の事を考えていた。
午後になれば俺の時間だ。
授業が終わった後、俺の不真面目な授業態度について、フィリスから延々と説教をひたすらもらう帰り道。
思えば、ここ最近フィリスのしかめっ面しか印象に残っていないのは、この時間のせいなのだろうと思う。
昔はもっと笑う子だった。それこそ、今朝見た夢のようにニッコリと。母さんと話す時の様に可憐に笑う子だったと思う。
なのにどうだ。
最近のフィリスと言ったら、俺を見ればしかめっ面であれがダメ、これがダメ。お前は俺のかーちゃんかと言いたくなる。
俺の方が年上なのに、兄なのにと口にしたが最後、だったら少しは年上らしい事して! とキレられる。実に理不尽だ。
そんな苦行の道の最後にフィリスからゴミを見るような目で見送られた後、家に帰るとようやくホッと息をつく。
本当に母さんみたいなやつだ。俺には特殊な性癖はないので、あんな目で見られてもご褒美にはならないというのに。
俺は椅子に腰を落ち着けると、もう一度深くため息をつく。
読み書きと教養の授業はいいが、魔術が使えないのに魔術の授業なんて拷問以外の何者でもないじゃないか。それを不真面目等と……。
俺の頭の中で、手のひらに小さな水を現出させて、勝ち誇ったような視線を向けるフィリスの顔が浮かび上がった。彼女には才能のない人間の気持ちなんて一生わからないだろう。
「どうしたの? ため息なんかついて」
そんな俺の前に、お盆の上に昼食をのせた母親が声をかけてくる。
ニコニコ、ニコニコ。僕のお母さんはいつでもどこでもニッコニコです。
「別に。隣の子に今日も不真面目だって文句言われただけだよ」
「あらあら」
俺の愚痴を聞いても、母さんは特に変わらず流れるような動きでテーブルに食事を並べていく。
パンにサラダ。あとはシチュー。具材として昨日父さんが仕留めてきた子兎の肉も入っているだろう。美味しそうな匂いに嫌でも食欲が湧いてくる。そういえば、今日は朝食も食べていなかった。
「ダメよ。隣の子なんて呼び方。フィリスちゃんは授業が楽しいって言っていたから、あなたにも同じように楽しんで欲しいだけなのよ」
「どうだが」
俺はフンと鼻をなして一口サイズにちぎったパンを口に放り込む。固いパンなので、本来シチューにつけながら食べるものだが気にしない。俺は固いパンが好きなのだ。
そんな俺をニコニコと見ながら、母親はパンをシチューに浸した後口に入れる。軽く頷いた後、新たに二つちぎったパンをシチューに放り込んだ。味は満足いくものだったようだ。
「どうせあいつはあと数年もすればこの村を出て行くんだから、仲良くしたって無駄だしさ」
いなくなれば名前だってすぐに忘れるだろう。
現に、今まで村から出て行った他の人達の名前ももうすぐには出なくなってしまった。交流がなくなれば忘れてしまうのは当然だ。
「あら、どうして?」
笑顔を崩さず母さんは聞き返してくる。
俺の方がどうしてと聞きたい。今まで街に行って帰ってきた人間が、一体何人いると思っているのだ。
ゼロだ。一人もいない。全くのゼロなのだ。そんな連中と仲良くするメリットがあるとでも言うのか。
「出て行った人間の事なんてすぐ忘れるだろ? こっちも相手も」
「そうじゃなくて」
ピンと人差し指を立てる母さん。子供が赤とんぼを捕まえようとしている姿とかぶる。
「出て行くって事。フィリスちゃんがそう言ったの?」
「いや……本人からは聞いてないけど……」
言われてみて、本人から直接聞いていない事を思い出す。
だが、フィリスの授業態度、それから魔術が使えるという点から考えても、それ以外の選択は思い至らなかった。
「残るって言ってたわよ。フィリスちゃん」
「はぁ?」
思わず変な声が出た。
「出て行かないって。王都には行かないって。この村が好きだから、一生この村で暮らすんだって。フィリスちゃんはいつもそう言ってるの」
柔く微笑みながら口にする母親の目線から、思わず外す。視線の先には母さんのシチューがあり、先ほど入れたパンが一回り大きくなっているように見えた。
「……だったら、なんであんなに真剣に授業を聞いているんだ? 王都のこと、魔術の事、この村にいるだけなら別に必要ないじゃないか」
「無駄にはならないわ。勉強は」
言いながらパンごとシチューを掬って口に運ぶ母さん。釣られて俺もシチューを口にすると、少しぬるくなったとは言え、食べ慣れた、おいしい味が口内に広がった。
「テオもこの村に残るんでしょ? そうしたら、この村には殆ど若い子は残ってないし、いずれは……」
そこまで言って、母さんはムフッと意味ありげな笑みを浮かべて、
「フィリスちゃんがあなたのお嫁さんになるかもしれないわね」
そう口にした母さんの顔をたっぷり十秒ほど見つめた後、頭に浮かぶのは最近のフィリスの顔。
起きたての俺に対しての無表情。
授業中目が合った時の怒った顔。
帰り道でのしかめっ面。
止めに別れ際のゴミ虫でも見るような目付き……。
「……うん。無いな。無い」
呟き、パンをそのまま口に突っ込み強引に咀嚼していく俺は母さんは笑顔で見つめていた。
俺の食事が終わるまでずっと。
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