美味しいだけでは物足りない

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 紛らわしいんだよ

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「今日は早く帰っていいぞ」
 ナジュアムの手元から書類をひょいと取り上げたのは先輩だった。
 一瞬何を言われたのかわからず、ナジュアムはポカンと口を開けた。なんせ相手は、いつも面倒くさいことしか言わなくて、なんなら仕事の邪魔をしてくるような先輩だ。

「なんだその顔は! 俺が、代わりに、やっておいてやるって言ってるんだよ」
「……他に回したい仕事でもあるんですか?」

 ナジュアムは警戒した。コレをやってやるからアレをやれと、仕事のことで取引ならまだいいが、変なことを頼まれるのは困る。
「はあ? そうじゃねえよ。ただ、おまえ、最近忙しくしてるだろ。ちゃんと手伝えってジノがよ」
「ジノ?」
 つまり、下働きの少年に言われたから、ナジュアムの仕事を手伝うと? 最近妙に仲がいいとは思っていたが、でもどうしてそんなことを?
 ひたすら疑問である。
 先輩は、ジノにいいところでも見せたいのだろうか。でもなぜ――。
 そう考えてまさかの考えに行きつく。

「先輩、ジノはまだ子供ですよ……」
 ナジュアムが若干引きながら訪ねると、向こうもドンびいたらしい。
「ばっか! そんなんじゃねえっての。おまえお綺麗な顔して頭ん中そんなことばっかりか!」
 ビシッと指を突き付けられてしまった。
 先輩に言われると無性に腹が立つが、仕事で気を紛らわせないとオーレンのことばかり考えてしまう以上、否定もしづらかった。

「……否定しろよ。ってか何、なんか悩んでんの? コイバナか? このあいだの男か。よし、話を聞こうか」
 下世話な顔をして急に前のめりになるから、ナジュアムはきっぱり断った。
「いえ、結構です」
「なんだよ。やっぱおまえ、可愛くないな」

 先輩つまらなさそうにしたけれど、書類を返してはくれなかった。本気でやるつもりらしい。
 疑問がよほど顔に出ていたのだろう。先輩はうるさそうに手を振って、事情を話してくれた。

「おまえがあんまり忙しそうにしてると、ジャムをねだりにくいんだとよ」
 しかも、ジノのためばかりでもないらしい。先輩はカリカリと頬を掻きながら「あれ、うまかったもんな」と呟いた。
 どうやら先輩も食べたいらしい。

 やっぱりオーレンはすごいな。こんなところにまで影響を及ぼしている。
 姫様が、戻ってきてほしいと使いを贈るくらいだもんな。
 思い出したら、まっすぐ帰る気にもなれなかった。足は自然と魔法屋へ向かっていた。カウンターにはいつも通りロカがいて、ニカッと笑って迎えてくれた。

「ナジュアム! そろそろ来る頃だと思ってたよ」
 なにか約束でもしていただろうかと、まばたきしたが、続く言葉にサッと青ざめた。
「魔石、そろそろだろ?」
「あ」
 ナジュアムの反応を見てロカは「あ?」と顔をしかめた。

 魔石のことはすっかり頭から抜け落ちていた。とはいえ取りに戻るのも、すごすご帰るのも気まずい。
「えっと、今日はその……アレを見せてもらおうと思って」
 ナジュアムは店の中を適当に指さした。
 以前ロカに見せてもらった、壁に星明りのような光を投影するランプ。アレをもう一度見せてもらおうと探したのだが、見当たらなかった。
「ナジュアム、あれはさ……」
 いつのまにか、ロカがそばまで来ていた。
「売れたんだね。良かったじゃないか、ロカ。すごく綺麗だったもんね。うん、よかったよ」

 ロカがなにか言いかけたが、気を使わせたくなかったナジュアムは、かぶせるように早口でまくしたてた。
 あのランプを気に入っていたのは本当だ。けれど、買わないと選択したのも自分だ。
 ロカも出来栄えを自慢するくらいだし、かなり自信作だったのだろう。
 だから、いつまでもぐずぐずとナジュアムが悩むより、さっさと買い手がついて良かったのだ。

「あのさ、ナジュアム」
「うん」
「あいつと喧嘩でもした?」
「してないよ」
「ふうん、したら?」

 彼らしくない静かな声で囁くので、ナジュアムは思わずロカを見おろした。ロカは丸い形の魔法道具を一つ手に取って眺めていて、視線は合わなかった。
 いつもなら、目を見てずばずば言うはずなのに。
 どうしてそんなことをと困惑していると、ロカはようやく顔をあげた。すごくめんどくさそうな顔つきだった。
「したほうがいいよ、おまえらはさ」
 彼はくるりと背を向けて、なにかぶつぶつ言いながらカウンターに戻ってしまった。

 それ以上時間をつぶすこともできなくて、ナジュアムはとうとう家の前までやって来た。
 ところが少し変だ。家の中がやけに暗いのだ。オーレンは出かけているのだろうか。

 玄関から見たところ、リビング全体は暗いのに、うっすらと明りが漏れている。何が光っているんだろう。
 不審に思ってゆっくりと扉を開けると、テーブルランプがキラキラと光を放っていた。ナジュアムが魔法屋で探したあのランプだ。
「なんでこれがここに?」
 オーレンが買ったのだろうか。
 まさかプレゼント?
 浮かれかけた心が、今度はぞっと冷え込む。

 テーブルの上には無造作に、厚みのある封筒が置いてあった。
 ナジュアムは叫び出しそうになるのをぐっとこらえ、外に飛び出した。

 扉を押し開いたところで、「わっ!」と声が聞こえた。
 紙袋を抱えたオーレンが目をパチパチさせた。
「ナジュアムさん、今日は早かったんですね。出かけるところですか?」
「……オーレン?」
「はい」

 きょとんとした様子のオーレンを見て、ポロリと涙がこぼれた。
「え!? どうしたんですか、とりあえず中へ!」
 慌てた様子で紙袋を脇に置き、ナジュアムを覗き込む。
「帰ってきたんだ……」
「そりゃ帰ってきますよ。ワインが足りないかなと思って買いたしてきただけですから。……え、まさかナジュアムさん、俺がいなくなったと思ったんですか」

 ナジュアムは頷く代わりに視線をそらした。
 すると、小さなため息のようなものが聞こえた。
「挨拶もせずいなくなったりしませんよ」
 オーレンは、ナジュアムの涙を指先で拭った。いちいちドキッとしてしまうから腹が立つ。

「紛らわしいんだよ! あの封筒はなんだよ! また手切れ金かと思っただろ!」
「手切れ金て」
 彼は呆れたように呟いて、ナジュアムの手を引きリビングに向かった。
「これのことですか?」
 と、テーブルの上の封筒を逆さに振ってみせた。バサバサと落ちたのは瓶詰用に巻き付けるためのラベルだった。

 ナジュアムはくずれ落ちそうになって、テービルに手をついてなんとか堪えた。
 本当に、紛らわしい。
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