美味しいだけでは物足りない

のは

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◆未来のために

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 珍しいことに、オーレンがキッチンでぼうっとしていた。
 ナジュアムが覗き込んでも気づきもしなかった。

「オーレン? それ焦げてない?」
 フライパンの中身はどうやらオムレツで、彼は「わ!」と悲鳴を上げて慌てて火を止めた。
「……す、すみません」
 どう考えても、昨日のことが原因だろう。
 あの後、つまり――オーレンの唇を奪ってしまった後、ナジュアムは彼を先に帰そうとした。一人になって頭を冷やしたかった。だが、そう伝えるとダメだと返って来た。

「それなら、俺が残ります。ナジュアムさんは帰って食事にしてください」
「は?」
 たった今、あんなふうに拒否しておいて?
 意味が分からなくて、思わず荒っぽく聞き返してしまうと、彼はざかざかと歩き出しナジュアムの横を通り過ぎる。

「ちょっと待ってよ、どこ行く気!?」
「確か、あっちに公園が」
「雨だよ!」
「知ってます」
「そんなことしなくていいよ」
 引き留めるために手を伸ばしかけ、途中で引っ込めた。触るなと言われたばかりだ。
 ナジュアムがため息をつくと、なぜかオーレンの方がギクリと肩を震わせた。

「いいから、帰ろう」
 そこからさらに馬鹿げたやり取りをして、結局二人で家に帰り気まずいまま食事をした。
 今朝になって元通りとはいかなかった。

「昨日のことだけど……」
「は、はい!」
「ははっ。心配しなくてももうしないよ。魔が差しただけだから」
 ナジュアムが笑い飛ばすと、オーレンは居心地悪そうに身じろぎした。
 本当に、どうしてキスなんてしてしまったんだろう。こうなるってわかり切っていたのに。
 だけど、どうせだったらもっとしっかり味わっておくんだった。なんてことを考えられるくらい、どうやら自分は図太いらしい。うん、大丈夫。ちゃんと笑えてる。

「ごめんね、おかしなことして。オーレンには恋人だっているのに」
「え?」
「このあいだデートしてただろ」
「いったいなんの話……いや、それまさかあの人のことですか!? 違いますあの人は仕事のことで――」
 オーレンは言いかけて途中で口をつぐんだ。マルシェの客かと尋ねると、違うと首を振る。
「すみません」
 彼は何度目かの謝罪を重ねた。
「ナジュアムさんには関係のないことですから」
「あー。そっか、ごめんね」

 失敗した、あんな言い方するつもりはなかったのに。
 オーレンはキッチンで一人頭を抱えた。
 ごめんねと言ったとき、彼は笑顔だった。他人行儀なその態度に胸のあたりがズキッと傷んだ。
 どう考えても言い方を間違えた。それにも関わらず、ナジュアムは気にしてないそぶりで食事をすませ、いつも通り仕事に出かけた。
「なにやってんだ、俺は……」

 ナジュアムに美味しいものを食べてもらうことが、オーレンがこの家に住まう条件で、何よりの楽しみだったのに。このままでは約束を果たせない。それどころか我慢させている。
 こうなった以上、出ていくほうが彼のためだろうか。
 答えを出せず、オーレンは深いため息をついた。

 関係ない、か。
 そうもいかないみたいだよ、オーレン。
 ナジュアムは心の中でつぶやいた。
 
 一日の仕事を終えて、ナジュアムは帰るところだった。職場を出てからいくらもしないうちに、人影が立ちはだかった。オーレンと一緒にいた女性だとすぐにわかった。
「あなたは、ナジュアムという名前で間違いないかしら。わたくしはイバー。お話ししたいことがあります」
 その物言いから、貴族なんじゃないかと思った。これはもはや命令で、断ることなどできないのだ。

 場所をカフェに移して、小さな丸テーブルでナジュアムはイバーと向き合った。
 昼間見かけた時は遠目だったし年まではわからなかったのだが、こうして見れば彼女はナジュアムよりも年上に見える。三十代半ばぐらいだろうか。
「単刀直入に言います。オーレンを返していただきたいのです」
「それは、どういう意味でしょうか」
「わたくし共は彼に復職してほしいのです」

 オーレンが仕事の関係だと言っていたのはこういうことか。
「さるお方が、彼の料理を望んでいるのです。ですがオーレンは、あなたとの約束があるからとそれを断りました」
 ナジュアムはハッと彼女の顔を見つめかけ、慌てて目を伏せた。
「約束の内容までは知りません。興味もありません。あなたにしてほしいことはひとつ。オーレンを説得してもらいたいのです」
 そこで、彼女はパッと席を立った。
「話は以上です。頼みましたよ」

 拒否権などないというように、一方的に言い置いて去ってしまった。
 手つかずのワインと、この店の料金を残して。


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