美味しいだけでは物足りない

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 急な飲み会

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「今日、飲みに行くからな」
「今日ですか?」
 ナジュアムの返事も聞かぬうちに、先輩は周りの人に次々声をかけていった。職場の誘いは、基本的には断らないことにしている。二人きりでなどと、下心を感じれば別だが。
 それにしても、いつもなら気軽に出かけるのだが、今は急に予定を入れられると困る。

 しかたなくナジュアムは昼休みを利用して一度家に戻った。オーレンに一声かけておこうと思ったのだが、留守のようだった。マルシェは休みのはずだけど、食材の買い出しやらなにやら彼も何かと忙しいのだろう。
 職場の人たちと飲みに行くから夕食は要らないとメモを残しておく。

 飲み会では昇進を祝ってもらった。そこまでは和やかな雰囲気だったのだが、隣に先輩どっかりと座ってからは少々面倒くさいことになった。肩を抱かれたから内緒話でもする気かと思ったら、彼は周囲に聞かせるように絡んできた。
「おまえの恋人って男なんだって?」
 一瞬ドキッとしてしまった。オーレンのことを言われたのかと思ったのだ。だが、続く言葉にヤランのことを言っているのだと気づく。

「なんであんな面倒そうな男と付き合ってたんだ? っていうかおまえ、男が好きなのか」
 口角は上がっているが、目つきはやけに粘ついていた。ナジュアムはなんだかとっさに否定し損ねた。馴れ馴れしいというよりは、人の逃げ場を奪うような距離の詰め方も不快だ。それでも彼の腕を無理に振り払ったりしなかったのは、これまで築いてきた仕事の人間関係を拗らせたくなかったからだ。
「こら、そういうからかいはなし! いくら酒の席だって人の事情にずけずけ踏み込むな」
 すぐに上司が叱ってくれたから、ほんの少し溜飲が下がる。けれど先輩の方は反省した様子もない。

「やだなあ、課長! コイバナじゃないですかコイバナ!」
「嫌がってるだろ」
「そうですかあ!? だけどなんか課長、ナジュアムにばっか甘いんじゃないですか」
「そんなことはない。ナジュアムはよくやっているし、来庁者や貴族のお客様からの覚えもいい。期待しているんだよ、ナジュアムに」
「そりゃこいつの顔のせいでしょ、顔の!」
 さすがにカチンときた。見た目じゃなく努力を認めてもらったというのに。全部否定された気分だ。
 危ういところで喧嘩を売るところだった。

 けれどその前に、上司が先輩の名前を呼んだ。ゆったりとしたその声は人を引き付けるものがある。わずかに首を傾げ、視線は先輩にひたと注がれている。
「俺はお前のことも、期待しているんだけどな」
 これには先輩も一瞬息をのみ、それからナジュアムを押しのけて課長にしっぽを振り始めた。
「……課長っ! 俺がんばります!」
 いかにも口先だけといった様子だが、課長はゆったりと頷いている。

 ナジュアムは上司に目線で謝意を伝えながら思った。
 この先、ナジュアムも部下を持つことになるだろう。それが先輩のようにめんどくさい人間だったとして、課長のように接することができるだろうか。
 そんなことを考えながら、さりげなく先輩から距離を取っている自分には、少々難しい課題かもしれない。

 飲み会が終わるころには、ナジュアムはすっかり疲れ切っていた。チラリと店の時計を見れば十時を過ぎている。
 オーレンが心配してなきゃいいけど。などと考えながら少々おぼつかない足取りで歩くナジュアムに背後から声がかかった。
 皆と別れて一人になったタイミングだった。
「ナジュアム」
 振りむいて、渋面を隠すのに苦労した。先輩が追いかけてきてしまったらしい。
「もう一軒行こうって言っただろ。なんで来てないんだよ」
「すみません、今日は疲れたので帰ります」
「なんでだよ。話し足りねえよ。さっきは課長の手前、話が半端になってたろ」

 疲れたからと言っているし、そもそも先ほど断った話だ。素面でも面倒なところのあるこの先輩は酔うとますますそれが酷くなる。
 どうやって振り切ろうか頭を痛めていたその時だ。
「ナジュアムさん」
 今度は前方から呼び声がする。
「探しましたよ」
 駆け足でやってきたのはオーレンだった。
「え、だって、遅くなるって」
「ええ、今度からは行き先も書いておいてください」
 当たり前のようにそう言うので、それ以上疑問をぶつけることはできなかった。どうでもいいかと思う。迎えに来てくれたことが嬉しかった。

「誰これ」
 唖然としている先輩に向かってナジュアムは頭を下げる。
「すみません、迎えが来たのでこれで」
「なんだ、もう新しい男がいるのかよ」
「いえ、そういうんじゃ……」
 否定しかけたその時、オーレンが肩に手を置いた。パッと見上げると、オーレンは先輩を睨みつけていた。
 まさか怯えたわけでもないだろうが、先輩は鼻白んだ様子で立ち去った。

 なんとなくすっきりした気分で先輩の背中を見送っていると、オーレンが不機嫌そうな声で言った。
「行きたかったんですか?」
「ううん、あの人酔うとしつこいのに、ずいぶんあっさり引いたなって思って」
「ふうん、いつも」
「なんか怒ってる?」
「怒ってはいませんが、忠告はしておきます。あの人はダメです。二の舞になりますよ」

 ナジュアムはギョッとして首を振った。
「別に変なことは考えてないよ。一応先輩だから立てなきゃってだけで」
「だったら本人にきちっと言わないと。伝わってませんよ、あれ」
 そう言い捨てて、オーレンは歩き出した。
「オーレン、待って」

 やけに歩調が速い。置いていかれるのではと慌てると、彼は急に足を止めた。そのせいで思い切り背中にぶつかってしまった。
「おぼつかないなら抱えていきましょうか?」
「いまのはオーレンが」
 反論しかけていったん口を閉ざす。
 というか今、抱えていくとか言わなかっただろうか。抱えて?

「大丈夫、自分で歩ける」
 とっさに断ってしまったが、酔っぱらっているのも手伝って、失敗したかななんてふわふわしたことを考えたせいでよろめいてしまった。
 オーレンは呆れた様子でナジュアムの手をつかんだ。そしてそのまま、歩き出した。

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