39 / 49
急な飲み会
しおりを挟む
「今日、飲みに行くからな」
「今日ですか?」
ナジュアムの返事も聞かぬうちに、先輩は周りの人に次々声をかけていった。職場の誘いは、基本的には断らないことにしている。二人きりでなどと、下心を感じれば別だが。
それにしても、いつもなら気軽に出かけるのだが、今は急に予定を入れられると困る。
しかたなくナジュアムは昼休みを利用して一度家に戻った。オーレンに一声かけておこうと思ったのだが、留守のようだった。マルシェは休みのはずだけど、食材の買い出しやらなにやら彼も何かと忙しいのだろう。
職場の人たちと飲みに行くから夕食は要らないとメモを残しておく。
飲み会では昇進を祝ってもらった。そこまでは和やかな雰囲気だったのだが、隣に先輩どっかりと座ってからは少々面倒くさいことになった。肩を抱かれたから内緒話でもする気かと思ったら、彼は周囲に聞かせるように絡んできた。
「おまえの恋人って男なんだって?」
一瞬ドキッとしてしまった。オーレンのことを言われたのかと思ったのだ。だが、続く言葉にヤランのことを言っているのだと気づく。
「なんであんな面倒そうな男と付き合ってたんだ? っていうかおまえ、男が好きなのか」
口角は上がっているが、目つきはやけに粘ついていた。ナジュアムはなんだかとっさに否定し損ねた。馴れ馴れしいというよりは、人の逃げ場を奪うような距離の詰め方も不快だ。それでも彼の腕を無理に振り払ったりしなかったのは、これまで築いてきた仕事の人間関係を拗らせたくなかったからだ。
「こら、そういうからかいはなし! いくら酒の席だって人の事情にずけずけ踏み込むな」
すぐに上司が叱ってくれたから、ほんの少し溜飲が下がる。けれど先輩の方は反省した様子もない。
「やだなあ、課長! コイバナじゃないですかコイバナ!」
「嫌がってるだろ」
「そうですかあ!? だけどなんか課長、ナジュアムにばっか甘いんじゃないですか」
「そんなことはない。ナジュアムはよくやっているし、来庁者や貴族のお客様からの覚えもいい。期待しているんだよ、ナジュアムに」
「そりゃこいつの顔のせいでしょ、顔の!」
さすがにカチンときた。見た目じゃなく努力を認めてもらったというのに。全部否定された気分だ。
危ういところで喧嘩を売るところだった。
けれどその前に、上司が先輩の名前を呼んだ。ゆったりとしたその声は人を引き付けるものがある。わずかに首を傾げ、視線は先輩にひたと注がれている。
「俺はお前のことも、期待しているんだけどな」
これには先輩も一瞬息をのみ、それからナジュアムを押しのけて課長にしっぽを振り始めた。
「……課長っ! 俺がんばります!」
いかにも口先だけといった様子だが、課長はゆったりと頷いている。
ナジュアムは上司に目線で謝意を伝えながら思った。
この先、ナジュアムも部下を持つことになるだろう。それが先輩のようにめんどくさい人間だったとして、課長のように接することができるだろうか。
そんなことを考えながら、さりげなく先輩から距離を取っている自分には、少々難しい課題かもしれない。
飲み会が終わるころには、ナジュアムはすっかり疲れ切っていた。チラリと店の時計を見れば十時を過ぎている。
オーレンが心配してなきゃいいけど。などと考えながら少々おぼつかない足取りで歩くナジュアムに背後から声がかかった。
皆と別れて一人になったタイミングだった。
「ナジュアム」
振りむいて、渋面を隠すのに苦労した。先輩が追いかけてきてしまったらしい。
「もう一軒行こうって言っただろ。なんで来てないんだよ」
「すみません、今日は疲れたので帰ります」
「なんでだよ。話し足りねえよ。さっきは課長の手前、話が半端になってたろ」
疲れたからと言っているし、そもそも先ほど断った話だ。素面でも面倒なところのあるこの先輩は酔うとますますそれが酷くなる。
どうやって振り切ろうか頭を痛めていたその時だ。
「ナジュアムさん」
今度は前方から呼び声がする。
「探しましたよ」
駆け足でやってきたのはオーレンだった。
「え、だって、遅くなるって」
「ええ、今度からは行き先も書いておいてください」
当たり前のようにそう言うので、それ以上疑問をぶつけることはできなかった。どうでもいいかと思う。迎えに来てくれたことが嬉しかった。
「誰これ」
唖然としている先輩に向かってナジュアムは頭を下げる。
「すみません、迎えが来たのでこれで」
「なんだ、もう新しい男がいるのかよ」
「いえ、そういうんじゃ……」
否定しかけたその時、オーレンが肩に手を置いた。パッと見上げると、オーレンは先輩を睨みつけていた。
まさか怯えたわけでもないだろうが、先輩は鼻白んだ様子で立ち去った。
なんとなくすっきりした気分で先輩の背中を見送っていると、オーレンが不機嫌そうな声で言った。
「行きたかったんですか?」
「ううん、あの人酔うとしつこいのに、ずいぶんあっさり引いたなって思って」
「ふうん、いつも」
「なんか怒ってる?」
「怒ってはいませんが、忠告はしておきます。あの人はダメです。二の舞になりますよ」
ナジュアムはギョッとして首を振った。
「別に変なことは考えてないよ。一応先輩だから立てなきゃってだけで」
「だったら本人にきちっと言わないと。伝わってませんよ、あれ」
そう言い捨てて、オーレンは歩き出した。
「オーレン、待って」
やけに歩調が速い。置いていかれるのではと慌てると、彼は急に足を止めた。そのせいで思い切り背中にぶつかってしまった。
「おぼつかないなら抱えていきましょうか?」
「いまのはオーレンが」
反論しかけていったん口を閉ざす。
というか今、抱えていくとか言わなかっただろうか。抱えて?
「大丈夫、自分で歩ける」
とっさに断ってしまったが、酔っぱらっているのも手伝って、失敗したかななんてふわふわしたことを考えたせいでよろめいてしまった。
オーレンは呆れた様子でナジュアムの手をつかんだ。そしてそのまま、歩き出した。
「今日ですか?」
ナジュアムの返事も聞かぬうちに、先輩は周りの人に次々声をかけていった。職場の誘いは、基本的には断らないことにしている。二人きりでなどと、下心を感じれば別だが。
それにしても、いつもなら気軽に出かけるのだが、今は急に予定を入れられると困る。
しかたなくナジュアムは昼休みを利用して一度家に戻った。オーレンに一声かけておこうと思ったのだが、留守のようだった。マルシェは休みのはずだけど、食材の買い出しやらなにやら彼も何かと忙しいのだろう。
職場の人たちと飲みに行くから夕食は要らないとメモを残しておく。
飲み会では昇進を祝ってもらった。そこまでは和やかな雰囲気だったのだが、隣に先輩どっかりと座ってからは少々面倒くさいことになった。肩を抱かれたから内緒話でもする気かと思ったら、彼は周囲に聞かせるように絡んできた。
「おまえの恋人って男なんだって?」
一瞬ドキッとしてしまった。オーレンのことを言われたのかと思ったのだ。だが、続く言葉にヤランのことを言っているのだと気づく。
「なんであんな面倒そうな男と付き合ってたんだ? っていうかおまえ、男が好きなのか」
口角は上がっているが、目つきはやけに粘ついていた。ナジュアムはなんだかとっさに否定し損ねた。馴れ馴れしいというよりは、人の逃げ場を奪うような距離の詰め方も不快だ。それでも彼の腕を無理に振り払ったりしなかったのは、これまで築いてきた仕事の人間関係を拗らせたくなかったからだ。
「こら、そういうからかいはなし! いくら酒の席だって人の事情にずけずけ踏み込むな」
すぐに上司が叱ってくれたから、ほんの少し溜飲が下がる。けれど先輩の方は反省した様子もない。
「やだなあ、課長! コイバナじゃないですかコイバナ!」
「嫌がってるだろ」
「そうですかあ!? だけどなんか課長、ナジュアムにばっか甘いんじゃないですか」
「そんなことはない。ナジュアムはよくやっているし、来庁者や貴族のお客様からの覚えもいい。期待しているんだよ、ナジュアムに」
「そりゃこいつの顔のせいでしょ、顔の!」
さすがにカチンときた。見た目じゃなく努力を認めてもらったというのに。全部否定された気分だ。
危ういところで喧嘩を売るところだった。
けれどその前に、上司が先輩の名前を呼んだ。ゆったりとしたその声は人を引き付けるものがある。わずかに首を傾げ、視線は先輩にひたと注がれている。
「俺はお前のことも、期待しているんだけどな」
これには先輩も一瞬息をのみ、それからナジュアムを押しのけて課長にしっぽを振り始めた。
「……課長っ! 俺がんばります!」
いかにも口先だけといった様子だが、課長はゆったりと頷いている。
ナジュアムは上司に目線で謝意を伝えながら思った。
この先、ナジュアムも部下を持つことになるだろう。それが先輩のようにめんどくさい人間だったとして、課長のように接することができるだろうか。
そんなことを考えながら、さりげなく先輩から距離を取っている自分には、少々難しい課題かもしれない。
飲み会が終わるころには、ナジュアムはすっかり疲れ切っていた。チラリと店の時計を見れば十時を過ぎている。
オーレンが心配してなきゃいいけど。などと考えながら少々おぼつかない足取りで歩くナジュアムに背後から声がかかった。
皆と別れて一人になったタイミングだった。
「ナジュアム」
振りむいて、渋面を隠すのに苦労した。先輩が追いかけてきてしまったらしい。
「もう一軒行こうって言っただろ。なんで来てないんだよ」
「すみません、今日は疲れたので帰ります」
「なんでだよ。話し足りねえよ。さっきは課長の手前、話が半端になってたろ」
疲れたからと言っているし、そもそも先ほど断った話だ。素面でも面倒なところのあるこの先輩は酔うとますますそれが酷くなる。
どうやって振り切ろうか頭を痛めていたその時だ。
「ナジュアムさん」
今度は前方から呼び声がする。
「探しましたよ」
駆け足でやってきたのはオーレンだった。
「え、だって、遅くなるって」
「ええ、今度からは行き先も書いておいてください」
当たり前のようにそう言うので、それ以上疑問をぶつけることはできなかった。どうでもいいかと思う。迎えに来てくれたことが嬉しかった。
「誰これ」
唖然としている先輩に向かってナジュアムは頭を下げる。
「すみません、迎えが来たのでこれで」
「なんだ、もう新しい男がいるのかよ」
「いえ、そういうんじゃ……」
否定しかけたその時、オーレンが肩に手を置いた。パッと見上げると、オーレンは先輩を睨みつけていた。
まさか怯えたわけでもないだろうが、先輩は鼻白んだ様子で立ち去った。
なんとなくすっきりした気分で先輩の背中を見送っていると、オーレンが不機嫌そうな声で言った。
「行きたかったんですか?」
「ううん、あの人酔うとしつこいのに、ずいぶんあっさり引いたなって思って」
「ふうん、いつも」
「なんか怒ってる?」
「怒ってはいませんが、忠告はしておきます。あの人はダメです。二の舞になりますよ」
ナジュアムはギョッとして首を振った。
「別に変なことは考えてないよ。一応先輩だから立てなきゃってだけで」
「だったら本人にきちっと言わないと。伝わってませんよ、あれ」
そう言い捨てて、オーレンは歩き出した。
「オーレン、待って」
やけに歩調が速い。置いていかれるのではと慌てると、彼は急に足を止めた。そのせいで思い切り背中にぶつかってしまった。
「おぼつかないなら抱えていきましょうか?」
「いまのはオーレンが」
反論しかけていったん口を閉ざす。
というか今、抱えていくとか言わなかっただろうか。抱えて?
「大丈夫、自分で歩ける」
とっさに断ってしまったが、酔っぱらっているのも手伝って、失敗したかななんてふわふわしたことを考えたせいでよろめいてしまった。
オーレンは呆れた様子でナジュアムの手をつかんだ。そしてそのまま、歩き出した。
10
次に読むなら
『ダンシング・オメガバース』
穂乃村 留音(ホノムラ ルノン)23歳。異世界転移しちゃいました。
ダンスで求愛するちょっと変わったオメガバース。
『あやかしの押しかけ婿と暮らしています』
大学2年生の行久(ゆきひさ)は子供のころからあやかしに狙われている。俺の先祖がその昔、あやかし相手に妙な約束を交わしたらしい。
コイツもその約束に釣られてきた一人、だけどコイツ、これまでのあやかしどもとちょっと違う?
お気に入りに追加
48
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

今夜のご飯も一緒に食べよう~ある日突然やってきたヒゲの熊男はまさかのスパダリでした~
松本尚生
BL
瞬は失恋して職と住み処を失い、小さなワンルームから弁当屋のバイトに通っている。
ある日瞬が帰ると、「誠~~~!」と背後からヒゲの熊男が襲いかかる。「誠って誰!?」上がりこんだ熊は大量の食材を持っていた。瞬は困り果てながら調理する。瞬が「『誠さん』って恋人?」と尋ねると、彼はふふっと笑って瞬を抱きしめ――。
恋なんてコリゴリの瞬と、正体不明のスパダリ熊男=伸幸のお部屋グルメの顛末。
伸幸の持ちこむ謎の食材と、それらをテキパキとさばいていく瞬のかけ合いもお楽しみください。
悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。
三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。
何度も断罪を回避しようとしたのに!
では、こんな国など出ていきます!
聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい
金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。
私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。
勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。
なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。
※小説家になろうさんにも投稿しています。

学園の俺様と、辺境地の僕
そらうみ
BL
この国の三大貴族の一つであるルーン・ホワイトが、何故か僕に構ってくる。学園生活を平穏に過ごしたいだけなのに、ルーンのせいで僕は皆の注目の的となってしまった。卒業すれば関わることもなくなるのに、ルーンは一体…何を考えているんだ?
【全12話になります。よろしくお願いします。】


某国の皇子、冒険者となる
くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。
転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。
俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために……
異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。
主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。
※ BL要素は控えめです。
2020年1月30日(木)完結しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる