美味しいだけでは物足りない

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 貴族

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「ナジュアム、ローザ家まで、書類を受け取りに行ってくれないか」
 上司の指示により、今日は朝から外回りだ。
 貴族のお嬢様の婚姻届けを受け取りに屋敷まで来ている。

 貴族とのやり取りは、気を遣うちょっと厄介な仕事なのだが、どうしてナジュアムに行けと言われたのか、その理由はすぐにわかった。
 花婿とその見届け人は、ナジュアムもよく知っている人だったのだ。マッローネ家の当主は親のいない子供を憐れんで、孤児院にもよく寄付や慈善事業に参加してくれていた人だった。幼いころはお孫さんも連れてきていた。その孫さんが花婿となる人だ。彼らの顔を見てすこし緊張が和らいだ。

「拝見いたします」
 ナジュアムは婚姻届けを受け取り、記載に誤りや抜けがないか確認した。
 丁寧できれいな文字だった。夫婦同士視線を合わせたときの柔らかな笑顔。この二人はきっと幸せになる。ナジュアムは微笑んで頷き、頭を下げる。

「確かにお預かりいたしました。お祝い申し上げます」

 お祝いの雰囲気の中、目立たぬよう帰り支度をしていたら、マッローネ家の当主に声をかけられる。
「ナジュアム君、市役所でがんばっているようだね」
「はい、マッローネ様のお力添えがあってのことです」
 実際、ナジュアムが市役所の職員となるための試験を受けられたのは、マッローネ様の口添えがあったからだ。
 孤児が試験を受けるなど、という風潮だったところに風穴を開けてナジュアムに機会を与えてくれた人なのだ。

「いやいや、私などなにもしておらんよ。すべては君のがんばったからだ。君の行いが孤児院の子らの行く先を照らすだろう。これからも励みなさい」
 彼は鷹揚に頷いた。ナジュアムとしては気が引き締まる思いだ。
「はい」
「ああ、それから、なにか困ったことがあったら気兼ねなく言いなさい」
 チラリとヤランのことが頭をよぎるが、巻き込んでいいことではない。
「ありがとうございます」
 けれど、こんなふうに気にかけてもらえることが嬉しかった。

 ナジュアムは職場に戻り、婚姻届けを提出する。
「問題なかったか」
 上司に問われ、ナジュアムは笑顔で頷く。
「はい、マッローネ家のご当主様にお声がけいただきました」
「そうか」
 上司はこだわりなく頷いたが、うしろで聞いていた先輩は鼻で笑った。

「施設育ちはいいよな。ご貴族様とお知り合いになれて」
「施設は市営ですから、望めば移動できるのではないですか?」
 ナジュアムがそう返すと先輩は鼻白んで、席を立った。

「君も言うようになったな」
 上司が笑いをかみ殺している。

「あ、すみません。俺だけの話なら、聞き流せばよかったんですが……」
 市役所やほかの市営の施設で下働きをする子は何人もいるし、ナジュアムのように試験を受けて正規の職員を目指す後輩もいる。
 ナジュアムがあいまいにすれば彼らが困ることになる。多少ナジュアムに対して風当たりが強くなろうと構わない。彼らの風よけになるつもりである。
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