23 / 49
彼の勤める店へ行く
しおりを挟む
仕事帰りに、オーレンの勤めるレストランへ行った。
すごく雰囲気のいい店だ。壁は淡い夕焼け雲みたいなオレンジで、布張りの椅子は座り心地がいい。人との距離が近すぎず、落ち着いて飲める。
ナジュアムはカウンター席の端のほうに通された。出入口や他の席からも微妙に死角になる位置で、それでいて店主と話しやすい、本来な常連客の座るような席だ。
ナジュアムはそこから、こっそりと立ち働くオーレンの姿を盗み見た。
こっそりのつもりだったのだが、彼はさり気なくあたりに気を配っていたのだろう。すぐに気づいて歩み寄ってくる。
「なにを召し上がりますか?」
いつもより、ほんの少し丁寧な物腰で、オーレンがニコリとする。マズい、まだ全然決めてなかった。
「おススメで」
「はい。お待ちください」
無茶ぶりしたかと思ったが、オーレンはむしろ喜んだ。
前菜は野菜が中心だった。ナスに綺麗な焼き色を付けたマリネ。キュウリやパプリカのピクルス。それから、イチジクにヤギのチーズを合わせたもの。すこし癖のあるチーズなのだが、オイルがそれをまろやかにしブラックペッパーが爽やかな余韻を残す。ピクルスは、オーレンの作るものよりも酸味がかなり控えめだ。とはいえ、バランスを考えれば悪くない。
最初の一皿はエンドウ豆のリゾットだ。味付けがシンプルで豆のうま味がしっかり感じられる。好きな味だ。
メインは舌平目だった。淡白な味がバターの風味とよく合う。付け合わせはほうれん草で、ほのかな苦みのおかげであまりくどく感じない。
そんな感じで料理は美味しいのだが、ナジュアムは今、ほかのことに気を取られていた。
ははっと、明るい笑い声が聞こえてくる。
オーレンが客の女性に柔らかく話しかけていた。なんだか一気に胸焼けしてきた気がする。
オーレンのバカ野郎。そういう子が好みなのか。脳内で罵ったのが聞こえたみたいなタイミングでオーレンが振り向き、ナジュアムを見て、パッと顔を輝かせた。幼い子供が大好きな相手に向けるような、屈託のない笑顔に見えて、ぐっと喉が詰まりそうになった。
なんなんだ、その顔は。
そのとき、ちょうど店のドアが開いたので、ナジュアムはそちらに気を取られたフリをした。
一見したところ、身なりのいい男だ。だが、酔っぱらっているのか足元がおぼつかない。ナジュアムはあることに気づいて、慌てて顔を引っ込めた。
顔は見ていないが、ヤランではないかと思ったのだ。
慌てすぎたせいでかえって目を引いてしまったのか、おそるおそる様子をうかがうと、彼もこっちを見ていた。椅子から身を乗り出すようにして、三白眼気味の目を胡乱げに細めている。
おまえが出ていけということだろうか。彼に従うようで業腹だが、騒ぎを起こしてオーレンに迷惑をかけたくない。
ナジュアムが席を立つと、厨房とやり取りしていたオーレンが驚いた様子で近寄ってくる。
「どうしました?」
「ごめん、今日はもう帰るよ」
「けど、デザートがまだ」
「うん、ごめんね」
「送っていきます」
「仕事中だろ」
気持ちは嬉しかったので、ナジュアムは微笑んだ。
「いいんだ、大丈夫――」
その時突然、ヤランが下品で不快な笑い声を上げた。店にいた人たちがギョッとした様子でヤランに視線を向ける。
「おい、そこのおまえ! そいつは止めておけ。そいつはな、そのお綺麗な顔で何人も男をたぶらかしているんだ」
ヤランはナジュアムを指さしせせら笑った。
「……え?」
ナジュアムは戸惑った。どうしてそんなふうに、あることないこと言うんだろうか。
けれど思えば時々発作みたいにそういう疑いをもたれてた。
ヤラン以外は知らないのに。
怒るよりも悲しくなって、ナジュアムはじっとヤランを見つめた。
いや、見ていたって彼が改めてくれるなんて思えない、やはり自分が去るのが穏当だろう。
だがオーレンは、そんなナジュアムを引き留めるように肩に手を置いた。
そしてヤランの元へ歩み寄り、「お客様」と呼びかけながら腕を掴んで無理やりヤランを立たせる。
「なにをしやがる。俺が誰だかわかっているのか! 俺は貴族なんだぞ!」
「だったら余計、ふるまいには気を付けてください。他の客様にご迷惑ですので」
オーレンはあくまで笑顔だ。それでも手加減したりはしなかったのだろう。ヤランはぐいぐいと店の外に追いやられていく。オーレンまで外に出ていってしまったので、ナジュアムはとっさに追いかけようとした。すると今度は店主に引き止められる。
締め出されてなお、ヤランは店の前で騒いだ。
「聞こえねえのか、俺は貴族だ!」
「ナジュアム! てめえこの、裏切り者!」
「出てこいナジュアム!」
ヤランの叫び声だけが聞こえる。
裏切者ってなんだ。自分で要らないと言って突き放したくせに。
ナジュアムはギュッと下唇を噛んだ。
そもそも、自分たちの関係を漏らすなと言ったのはヤランのはずだった。それをどうして自分でひっくり返してしまうのだろう。
表が静かになったと思ったら、扉を開けてオーレンが入ってくる。ナジュアムは彼に駆け寄った。
「オーレン!」
怪我などはしてないように見えるけど、イラついているように見えた。ナジュアムを見て微笑んではくれたけど。
「あいつは」
「お帰りになりました」
ナジュアムはほっと息を吐く。
そうとわかればこれ以上店に迷惑をかけるわけにはいかない。
「すみません、お騒がせしました」
「あなたが悪いんじゃない。あの酔っ払いが、おかしなことを言っていただけです」
「……けど」
どちらにしても、やっぱり帰ろう。
ナジュアムは店主に頭を下げ、カバンに手を伸ばす。
「送っていきます。まだ近くにいるかもしれないから」
「一人で――」
「送りますから。店長、すこし抜けます!」
オーレンは譲らなかった。ナジュアムのカバンをサッとひっつかみ、肩を抱くようにして歩き出すから驚いた。
「オーレン、誤解されるから」
離れようとすると、ますます強く抱き寄せられた。
確かに彼のぬくもりには、抗いがたいものがった。彼がいなければ店の外で崩れ落ちていたかもしれない。
「ごめんね、オーレン。せっかく誘ってくれたのに、店に迷惑までかけちゃった」
「ナジュアムさんのせいじゃないです。絶対に違います」
オーレンは繰り返した。
すごく雰囲気のいい店だ。壁は淡い夕焼け雲みたいなオレンジで、布張りの椅子は座り心地がいい。人との距離が近すぎず、落ち着いて飲める。
ナジュアムはカウンター席の端のほうに通された。出入口や他の席からも微妙に死角になる位置で、それでいて店主と話しやすい、本来な常連客の座るような席だ。
ナジュアムはそこから、こっそりと立ち働くオーレンの姿を盗み見た。
こっそりのつもりだったのだが、彼はさり気なくあたりに気を配っていたのだろう。すぐに気づいて歩み寄ってくる。
「なにを召し上がりますか?」
いつもより、ほんの少し丁寧な物腰で、オーレンがニコリとする。マズい、まだ全然決めてなかった。
「おススメで」
「はい。お待ちください」
無茶ぶりしたかと思ったが、オーレンはむしろ喜んだ。
前菜は野菜が中心だった。ナスに綺麗な焼き色を付けたマリネ。キュウリやパプリカのピクルス。それから、イチジクにヤギのチーズを合わせたもの。すこし癖のあるチーズなのだが、オイルがそれをまろやかにしブラックペッパーが爽やかな余韻を残す。ピクルスは、オーレンの作るものよりも酸味がかなり控えめだ。とはいえ、バランスを考えれば悪くない。
最初の一皿はエンドウ豆のリゾットだ。味付けがシンプルで豆のうま味がしっかり感じられる。好きな味だ。
メインは舌平目だった。淡白な味がバターの風味とよく合う。付け合わせはほうれん草で、ほのかな苦みのおかげであまりくどく感じない。
そんな感じで料理は美味しいのだが、ナジュアムは今、ほかのことに気を取られていた。
ははっと、明るい笑い声が聞こえてくる。
オーレンが客の女性に柔らかく話しかけていた。なんだか一気に胸焼けしてきた気がする。
オーレンのバカ野郎。そういう子が好みなのか。脳内で罵ったのが聞こえたみたいなタイミングでオーレンが振り向き、ナジュアムを見て、パッと顔を輝かせた。幼い子供が大好きな相手に向けるような、屈託のない笑顔に見えて、ぐっと喉が詰まりそうになった。
なんなんだ、その顔は。
そのとき、ちょうど店のドアが開いたので、ナジュアムはそちらに気を取られたフリをした。
一見したところ、身なりのいい男だ。だが、酔っぱらっているのか足元がおぼつかない。ナジュアムはあることに気づいて、慌てて顔を引っ込めた。
顔は見ていないが、ヤランではないかと思ったのだ。
慌てすぎたせいでかえって目を引いてしまったのか、おそるおそる様子をうかがうと、彼もこっちを見ていた。椅子から身を乗り出すようにして、三白眼気味の目を胡乱げに細めている。
おまえが出ていけということだろうか。彼に従うようで業腹だが、騒ぎを起こしてオーレンに迷惑をかけたくない。
ナジュアムが席を立つと、厨房とやり取りしていたオーレンが驚いた様子で近寄ってくる。
「どうしました?」
「ごめん、今日はもう帰るよ」
「けど、デザートがまだ」
「うん、ごめんね」
「送っていきます」
「仕事中だろ」
気持ちは嬉しかったので、ナジュアムは微笑んだ。
「いいんだ、大丈夫――」
その時突然、ヤランが下品で不快な笑い声を上げた。店にいた人たちがギョッとした様子でヤランに視線を向ける。
「おい、そこのおまえ! そいつは止めておけ。そいつはな、そのお綺麗な顔で何人も男をたぶらかしているんだ」
ヤランはナジュアムを指さしせせら笑った。
「……え?」
ナジュアムは戸惑った。どうしてそんなふうに、あることないこと言うんだろうか。
けれど思えば時々発作みたいにそういう疑いをもたれてた。
ヤラン以外は知らないのに。
怒るよりも悲しくなって、ナジュアムはじっとヤランを見つめた。
いや、見ていたって彼が改めてくれるなんて思えない、やはり自分が去るのが穏当だろう。
だがオーレンは、そんなナジュアムを引き留めるように肩に手を置いた。
そしてヤランの元へ歩み寄り、「お客様」と呼びかけながら腕を掴んで無理やりヤランを立たせる。
「なにをしやがる。俺が誰だかわかっているのか! 俺は貴族なんだぞ!」
「だったら余計、ふるまいには気を付けてください。他の客様にご迷惑ですので」
オーレンはあくまで笑顔だ。それでも手加減したりはしなかったのだろう。ヤランはぐいぐいと店の外に追いやられていく。オーレンまで外に出ていってしまったので、ナジュアムはとっさに追いかけようとした。すると今度は店主に引き止められる。
締め出されてなお、ヤランは店の前で騒いだ。
「聞こえねえのか、俺は貴族だ!」
「ナジュアム! てめえこの、裏切り者!」
「出てこいナジュアム!」
ヤランの叫び声だけが聞こえる。
裏切者ってなんだ。自分で要らないと言って突き放したくせに。
ナジュアムはギュッと下唇を噛んだ。
そもそも、自分たちの関係を漏らすなと言ったのはヤランのはずだった。それをどうして自分でひっくり返してしまうのだろう。
表が静かになったと思ったら、扉を開けてオーレンが入ってくる。ナジュアムは彼に駆け寄った。
「オーレン!」
怪我などはしてないように見えるけど、イラついているように見えた。ナジュアムを見て微笑んではくれたけど。
「あいつは」
「お帰りになりました」
ナジュアムはほっと息を吐く。
そうとわかればこれ以上店に迷惑をかけるわけにはいかない。
「すみません、お騒がせしました」
「あなたが悪いんじゃない。あの酔っ払いが、おかしなことを言っていただけです」
「……けど」
どちらにしても、やっぱり帰ろう。
ナジュアムは店主に頭を下げ、カバンに手を伸ばす。
「送っていきます。まだ近くにいるかもしれないから」
「一人で――」
「送りますから。店長、すこし抜けます!」
オーレンは譲らなかった。ナジュアムのカバンをサッとひっつかみ、肩を抱くようにして歩き出すから驚いた。
「オーレン、誤解されるから」
離れようとすると、ますます強く抱き寄せられた。
確かに彼のぬくもりには、抗いがたいものがった。彼がいなければ店の外で崩れ落ちていたかもしれない。
「ごめんね、オーレン。せっかく誘ってくれたのに、店に迷惑までかけちゃった」
「ナジュアムさんのせいじゃないです。絶対に違います」
オーレンは繰り返した。
10
お気に入りに追加
49
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

長風歌
桂葉
BL
中華風のBL。地方のお役所に勤める青年(攻)と、そこに赴任してきた超絶美人上官(受)との物語です。
今回は、いい男二人の恋を中心に、周囲を含めた人間関係を描きました。ちょっともどかしくて、でも最後はハッピーエンドです。
※時代考証については、雰囲気に合う要素をいろんな時代からひっぱって来ていますので、彼の国の史実からは程遠いです。

愛などもう求めない
白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。
「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」
「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」
目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。
本当に自分を愛してくれる人と生きたい。
ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。
ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
真夜中の仕出し屋さん~料理上手な狛犬様と暮らすことになりました~
椿蛍
キャラ文芸
「結婚するか、化け物屋敷を管理するか」
仕事を辞めた私に、父は二つの選択肢を迫った。
料亭『吉浪』に働いて六年。
挫折し、料理を作れなくなってしまった――
結婚を断り、私が選んだのは、化け物屋敷と父が呼ぶ、亡くなった祖父の家へ行くことだった。
祖父が亡くなって、店は閉まっているはずだったけれど、なぜか店は開いていて――
初出:2024.5.10~
※他サイト様に投稿したものを大幅改稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる