美味しいだけでは物足りない

のは

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 断る理由が特にない

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「……あの部屋って、どなたのものだったんですか」
「恋人」
「え!? じゃあ俺、間男扱いされて大変な目に合うんじゃ!」
 ナジュアムが言葉少なに答えると、オーレンはガタっと音を立て、今にもあの部屋から男が出てくるんじゃないかと怯えるようにキョロキョロした。
 本当に可愛げがあって面白い。

「大丈夫。もう終わったから。捨てられたんだ、俺」
「捨て? え……ナジュアムさんがですか?」
「そんなに驚くことかな。俺には君が追い出されたってことのほうが驚きだけど」

 オーレンは理解できないって顔をしている。本気なんだけどな。
 わかって欲しかったわけでもないが、つい余計なことを言いたくなった。

「まあ、今となっては付き合ってたかどうかも怪しいところなんだけど。思い出したようにフラッと来て、気のすむまでヤッて帰るだけだったから」
「やって?……あ」
 意味に気付いてオーレンは真っ赤になった。

 なんなんだ、その初心うぶな反応は。体ばかりが大きくなって、変に青いと言うか。
「年、ごまかしてないよね?」
「ごまかしてません!」
 どうも気を悪くしたようだ。なら信じようか。彼は真面目そうだし、嘘は付けない性質に見える。
 ナジュアムはふと思う。オーレンを追い出した女は後悔しているんじゃないかな。もしかしたら、今頃必死になって探しいるかも。

「その……、借りたお金は後程お返しします」
「お金?」
 急な話題の変換に、ナジュアムは一瞬とまどった。
「食材を買うのに、使ってしまったので」
「ああ、アレか……。別に返さなくていい」

 ということは元手を知らずに食べてしまったのか。少々複雑だが、食材に罪はないと気持ちを切り替えた。
「アレは君にあげるよ」
「聞き間違いじゃなかったんですね、それ。理由もなくあんな大金いただけませんよ。二十枚はありましたよ!」
「へえ、あいつにしては奮発したな」

 ヤランの給料だと、ちょうどひと月分くらいじゃなかろうか。
「数えてもいなかったんですか」

 彼は呆れた様子でつぶやいた。
 そうはいってもアレは、ナジュアムにとっては触れたくないものだったのだ。
 薄汚くて、呪わしくて、視界に入れるのも嫌だった。そのくせ、完全に忘れ去ることもできなくて扉を閉め切った。

「俺には使えないから……」

 妙なことだが、口にしたおかげで自分の本心に気付いてしまった。
 あの部屋に入りたくない理由。
 捨てられたという現実が、形となって残っているから見たくないのだ。言葉だけならきっと、ヤランのことをまだ待っていた。
 かと言って、パーッと使ってしまおうという気にもならなかったのも、どこかでまだ、待っていたからだ。ヤランがひょいと現れて「あのお金、やっぱり返せよな」なんて理不尽なことを言いに来るのを。

 なんて、未練がましい。
 ナジュアムはぐしゃっと髪をかき上げ、そのまま顔を覆った。

「……泣いてるんですか?」
「いいや、ただ、自分で自分が恥ずかしくなっただけ」

 ナジュアムは考えに沈み込んだ。
 といっても、モヤモヤしたものが胃のあたりに燻るだけで、まともなことは何ひとつ浮かばなかったのだけど。
 しばらくそうしていたら、やがてコトン、コトンと音がした。
 心が落ち着くような香りにつられて顔をあげれば、ハーブティーがふたつ、彼のぶんと自分のぶん、ほかほかと湯気を立てていた。

「ああ、ありがとう……」

 かすれた声で礼を言い、すぐには飲まずカップのふちで手を温める。
「話しちゃったな」
「なにをですか?」
「あのお金、口止め料なんだ。俺があいつと関係してたこと、誰にも言うなって。まあ君はあいつを知らないんだし、この先会うことも無いだろうから無効かな」

 かすれた声で笑い、ナジュアムがまたうつむきそうになった時、オーレンが音を立てて息を吸い入れ、すぐに吐き出した。

「よくわかりませんが、わかりました!」

 オーレンは覚悟を決めたように大きく頷いた。
「ナジュアムさん、だったらそのお金、俺に預けてください。そしたら全部、俺が美味しいものに変えてみせます!」
「は?」
 マジメな顔でなにを言ってるんだろう彼は。呆けたまま、まぬけな返しをしてしまった。
「いっぺんに食べるのは無理だよ」

「はい。だから、毎日作ります!」
「毎日って、このまま居座るつもり?」
「……ダメですか? せめて、あのお金を使いきるまでは」
 そんな捨て犬みたいな顔で見ないで欲しい。断りづらい。

 というか、困ったことに断る理由が特にないのだ。
 部屋は空いているし、料理を作るお金だって、ナジュアムの給料から出すわけでもないのだから痛手にもならない。
 なによりオーレン自身が、目の保養になる。

「けど、俺、君のこと襲うかもしれないよ?」
 かなり本気で言ったのだが、オーレンは取り合わなかった。

「あまり軽々しくそういうことを言わないでください。まだ俺はナジュアムさんのこと全然知りませんが、それでも思うんです。ナジュアムさんはもっと自分のことを大切にするべきだって」
「知ってから言おうよ、そういうセリフはさ」
「はい。だから教えてください、ナジュアムさんのこと。まずはそうですね……。朝食に食べたいものは、なんですか?」

 オーレンはにっこりした。
 断られるなんて思ってもないって顔だ。すこしばかり面白くない。
「やっぱ飲んじゃおうかな」
「え、やめたほうが……」
「君を案内するついでだよ」

 なんてうそぶいて食糧庫へ向かうと、オーレンもついてきた。
 彼は空の瓶や容器がずらりと並ぶ棚をみて目を輝かせ、温度管理ができる箱、湿度を保てる箱などの魔法道具を次々開けてみては歓声をあげている。

「すごい、なんでもそろってるじゃないですか! なのに、空っぽ!」
「そのあたりの箱は、すごく魔力を食うんだよ。現状、うちにはそこまで余裕はない」
「魔石自体はあるんですか?」
「うん、まあ」
「じゃあ、使わせてください」
「お金は出さないよ」
「はい。大丈夫です!」
 すげなく言っても、オーレンはうっとり食糧庫を見回わすばかりだ。
「端から端までみっちり食材を詰め込みたいです!」
「そんなに食べきれないって」

 ナジュアムの声も届いているのか怪しいものだ。
 けれどこの分なら、案外早くお金を使いきって出ていくかもしれない。
 食料だけぱんぱんに詰め込んで、作る人がいないんじゃ無意味だし、むしろ乗っ取られる心配をしたほうがいいだろうか。

「まあ、好きなだけ見てて」
 はしゃぐ姿を眺め続けるのもなんなので、ワインを持ってリビングに戻ろうとしたところ、オーレンが遮った。
「飲むんなら、もうすこし食べてもらわないと」
「オーレンはお酒嫌いなの? 一緒に飲まない?」
 こちらに引き込んでしまおうという作戦だ。
「そんなことないですよ。料理にも使いますし。けど、まだ二十歳になっていないので」
「え?」
「しきたりなんです」
「へえ、それは残念だね」
「二十歳になったら、一緒に飲みたいです」

 屈託のない笑顔に一瞬息が詰まる。
 ……というかやっぱり、居座る気なんだな。




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