ダンシング・オメガバース

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5 バスに乗って

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 次の日に僕の様子を見に来たのは、イケオジのディマだった。
 懲りずに期待した僕は、彼を見てそれを顔に出してしまったらしい。ディマは苦笑した。

「ごめんね、ミラロゥじゃなくて。ミラロゥは休みでね、代わりを頼まれたんだよ」
「ごめん。別にディマが不服ってわけじゃないんだ」
「わかってるわかってる」
「僕、本当にもう大丈夫だから。そう心配しなくてもひとりでなんとかするよ」
「わかってる。これ届けに来ただけだから。まあ、なにかあったら研究所においで。みんなルノンがいなくなって寂しがってるよ」
 失礼な態度をとったのに、ディマはこだわらず、ひらひらと手を振り去っていった。

 僕のほうはそううまく切り替えができるわけもなく、それからしばらく研究所には顔を出さなかった。だがついに、薬が心もとなくなった。

「ルノン! 久しぶりじゃないか。薬かい?」
 赤い髪のイケオジがミラロゥの椅子に座っていた。
 僕は驚いて、研究所のプレートを確かめた。
「先生は? お休み?」
「え? まさかミラロゥからなにも聞いていないのかい?」
「先生が、どうしたって!?」

 僕の声を聞きつけたのか、イケオジたちがひょいと顔を出した。
「そうか、ミラロゥのヤツ、言わなかったのか。気まずかったのかなあ?」
「だけど、そりゃあんまりだろ」
 青ざめる僕を見て、彼らは顔を見合わせた。

 ミラロゥが研究所を辞めた。
 僕は日に二本しか走っていないというバスに乗るため走った。
 頭の中でイケオジたちの会話がぐるぐる回っていた。
「別にルノンのせいってわけじゃないさ。まあ、ルノンのせいで間違いないけどね」
「だからさ、ミラロゥにはまだ早いって言ってたんだよ」
「だけどルノンに言ってなかったなんて驚いたよ。なにを考えているのやら」

 なにを言われているのか、さっぱり意味がわからなかった。ただ、先生に置いて行かれたんだってことはわかった。不安と不満で、頭がゴチャゴチャだった。慌ててバスに飛び乗って、後悔した。

 なにも言わずにいなくなったってことは、もう僕に会いたくないってことじゃないのか。
 何度も引き返そうと思ったが、次のバス停までやけに遠い。すでに歩いて帰れる距離とは思えなかった。
 バスは海沿いをゆっくりと進んでいた。海を眺めるうちに、迷いは決意に変わった。
 もしもこのまま、逃げ帰ったら、もう二度と先生に会えない気がした。

 手あたりしだいに道を尋ね、ミラロゥの部屋の前にたどり着く。
 ベルを三度鳴らして、しんと静まり返った部屋の前で、僕は力なく笑ってしゃがみこんだ。
「そりゃそうか。仕事があるよな……」
 固まったと思った決意は案外もろくて、僕はここにきてぐずぐずと考えた。

 みっともないな。なにをやってるんだろう。そんな思いが浮かんでは消える。
 こんなふうに、誰かを追いかけるようなところが、自分にあるとは知らなかった。
 オメガになったから?
 いちばん心細いときに、いつもいつも、そばにいてくれた人だから? ひな鳥みたいに刷り込まれてしまったんだろうか。

 このまま、帰ってしまおうか。
 自分の気持ちに蓋をして、勘違いだったんだと思い込むほうが、たぶん楽だ。拒絶されるよりも、ずっと。
 帰ろう。ミラロゥに気付かれないうちに。帰ろう。この世界を憎む前に。
 重たい足を引きずってノロノロと僕はミラロゥのアパートに背を向けた。

 だけど。
 足音が聞こえる。僕を追いかけるように力強く駆けてくる音が。
 期待なんて、したくない。逃げ出そうとした瞬間、名前を呼ばれた。

「ルノン!」
 たまらず振り返れば、ミラロゥがそこにいた。スリーピーススーツの上着を脱いで、どうやら全力でかけてきたらしい。息を切らして立っていた。
 久しぶりに会うミラロゥから僕は目をそらせなかった。
 なんか、イケメンっぷりが増してない!?

 ミラロゥのほうも僕を見つめたまま、早足にこちらへ近づいてくる。
 なにか言わなきゃ。
 そう思ううちに、抱きしめられていた。

「せ、先生っ」
「心配した。ディマからひとりでこっちに向かったと聞いて。なんて無茶なことを!」
 明後日の方向に心配されて、僕は思わず身を引きはがして突っ込んだ。
「いや、バスくらい一人で乗れるよ!」
「きみはオメガなんだぞ! しかも、道を歩けば求愛されるような!」
「ば、バスで踊る人はいない」
「見境のない人間というのはどこにでもいる。それに、その場で求愛しなくても、さらわれるかもしれないだろ」

 真剣な顔して、この人なに言ってるんだ。
 ひとたび冷静さを取り戻せば、道の往来でほかならぬミラロゥと抱き合うみたいになっていることとか、ひどく恥ずかしかった。

「とにかくいったん離して!」
「あ、ああ。すまない」
「それより先生のことだよ。どうして急に研究所を辞めちゃったの? みんな、僕のせいだって……」
「きみのせいでは……。ああ、いや、ルノンのせいではあるんだが」
「どっちなんだよっ!」

 思わず大きな声を出してしまった。僕はそろりと彼を見あげる。迷惑そうには、してないよな。僕が嫌になったのなら、こんなふうに心配なんてしないはずだ。
 ミラロゥは困ったように笑って、僕の髪をさらりと掬った。
 何気ない仕草に、ぼくはいちいちドキドキしてしまう。

「ルノン、お腹空いてないか」
「別に」
「あっちにきみの好きそうなアイスが売ってるんだ。フルーツがいっぱい入った奴だよ」
「それは、……食べる。けど、ちゃんと話してよ」
「わかってる」
 ミラロゥは僕の手を取り、歩き出した。いままでそんなことしたことないのに。
 具合の悪いとき、支えてもらったことならあるけど。ベッドまで抱えられたこともあるけれど!

 この人は、本当にミラロゥなんだろうか。
 間違えるはずもない。だけど、あまりに態度が違うので、僕は混乱した。
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