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あなただけ
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あなただけ。そんな言葉に浮かされるほど澄也は初心じゃない。けれどなぜか、いつものように笑い飛ばせない。たぶん、やたらとコイツの見目がいいせいだ。メイクをしているわけでもないのに、なにもかもハッキリして見える。少したれ目気味の瞳は冷たく見えるのに、澄也を視界に入れたとたん嘘みたいに輝く。高い鼻、上品に微笑む口元。美形ぞろいのアルファの中にいても、彼は格別だ。そんな相手に求められて悪い気はしない。
それに、すっぽりと包み込んでくれそうな大きな体の、隙のないスーツの下を見てみたいという興味もあった。
彼の匂いのついた服までまとって、澄也はすっかりその気になっていた。まさか断られるなんて。
「帰る」
「ああ、すぐにタクシーを呼ぼう」
あっさりと見送られたことも不服だった。引き留めてくれないのか。それに、キスもくれないのか。
一晩たって冷静になった。昨夜はなんだか、すごく変なことを考えた気がする。きっと溜まってるんだ。澄也はそう判断してテキトーな相手を捕まえた。
けれどキスをひとつ交わしただけで、すでに猛烈な違和感があった。
誰に抱かれようが同じだと思っていた。いつだってセックスは楽しくて、気持ちよくて、すこし虚しい。
なのにキスが不快だ。臭いが嫌いだ。この人じゃない。
「……あ、やっぱ今日はよそうかな」
「なんだって? 自分から誘っておいて」
「はは……。冗談だよ。燃えた?」
澄也は怯えを押し隠し、冗談にしてそのままそいつに抱かれた。大好きなセックスのはずなのに、ちっとも気持ちよくなれなかった。
それから数日後、澄也はひとりでカフェに来ていた。開襟シャツにスラックスというラフな格好だが、それでも視線を集めている自覚はあった。それらを無視して澄也は写真を撮ってSNSに上げる。アイスラテをいくらも飲み進めないうちに、リプライが付いた。
澄也は何気なく画面に目を落とし、青ざめてさっと辺りを見回す。
もうその場にいることもできず、家に帰るのも怖かった。
「今日、泊めて」
「もちろんだ。歓迎する」
急に押しかけても、一嶌は理由を問おうともしない。澄也のほうが言わずにいられなかった。
「……SNS、特定されたっぽい」
「まっすぐ家に帰らなかったのは賢明だ。好きなだけいていい。必要なものはあるか? 買いに行かせる。それともあなたの家から必要なものを取ってこようか?」
「ううん。大事なものは持ち歩いてる。それに、あんたのとこなら着替えくらいありそうだし」
「誤解しないでくれ! いつか来るそのときを楽しみに買ってあっただけで、決して下心など」
「いや、下心まみれだろ」
軽口を叩いているうちに、すこし落ち着いてきた。
「どの部屋でもいいんだよね?」
てきとうに開けた扉を、澄也は無言で閉じた。
「どうした、気に入らないか?」
「なんか、また変わってんだけど」
「ああ、あなたの好みをまだ知らないから」
「どうかしてる!」
もういちどそろりと中をのぞくと、やたらと少女趣味な部屋に、ぬいぐるみがずらりと並んでいた。
「怖っ!」
「ぬいぐるみは嫌いか? 残念だ。好きなものを持ち帰ってもらおうかと思っていたんだが」
「……俺が拒否ったらアレ、捨てちゃうの?」
「いいや、どこかに寄付する」
ホッとして、澄也は笑った。
「なんだ。じゃあもらえねえよ」
「嫌いじゃないならもらって欲しい。あなたのために職人が一点一点手作りしたものだから」
「重てえよ」
とはいえ、うんと幼いころなら澄也もきっと喜んだ。自分だけのぬいぐるみ。甘美な響きだ。
「俺には必要ないけど、喜ぶといいな」
幼いころの自分の代わりに、誰かが受け取ってくれるならそのほうがいい。想像して優しい顔になっていることに、澄也は気づかない。一嶌がそれに見とれていることも。
気を取り直してほかの部屋を確認し、澄也は深くため息をついた。一嶌の用意した部屋は、ファンシー、宇宙空間、アウトドアだった。
特に真ん中の部屋がわからない。プロジェクトマッピングとかそういうのだろうか。一歩足を踏み入れたら、どこまでも落ちてしまいそうで、そっと扉を閉じてしまった。
「俺、ここにする」
テントのある部屋を澄也は選んだ。まともに過ごせそうな場所が一つでもあってよかった。虫がいっぱいいるからキャンプは嫌いだが、冒険みたいでハンモックやテントに浮かれる気持ちはある。
キャンピングカー風の狭いベッドまであって、潜ってみたくてうずうずした。テントの中に寝袋を発見した澄也は、引っぱりだして胸に抱き、うっと呻いた。
「これ、あんたのニオイがするんだけど」
「匂いだけでも覚えてもらいたくて」
「もう覚えたよ! イチシマさんだろ!」
「久希」
「呼ばねえからな」
口ではそう言ったものの、澄也は心の中で彼の名前を転がした。久希さん。
今夜、彼の香りに包まれて眠るのだと思ったら、なんだかやけに胸が詰まった。
「ああ、心配しなくてもそっちに新品も用意してある。あなたの匂いを残してくれるなら、それはそれで嬉しい」
澄也の気も知らず、一嶌は得意げに指さした。澄也はカチンとして、彼に手を差し出す。
「ああ、必要なものあるわ。消臭スプレー」
一嶌がわかりやすく肩を落とすので、澄也は笑った。そのときだった。耳慣れた通知音が響いた。澄也は青ざめて、SNSを確認した。
その様子をじっと見つめていた一嶌が、口を開く。
「もうひとつ私を信用してもらえるなら、その件、私に預けてもらえないか」
それに、すっぽりと包み込んでくれそうな大きな体の、隙のないスーツの下を見てみたいという興味もあった。
彼の匂いのついた服までまとって、澄也はすっかりその気になっていた。まさか断られるなんて。
「帰る」
「ああ、すぐにタクシーを呼ぼう」
あっさりと見送られたことも不服だった。引き留めてくれないのか。それに、キスもくれないのか。
一晩たって冷静になった。昨夜はなんだか、すごく変なことを考えた気がする。きっと溜まってるんだ。澄也はそう判断してテキトーな相手を捕まえた。
けれどキスをひとつ交わしただけで、すでに猛烈な違和感があった。
誰に抱かれようが同じだと思っていた。いつだってセックスは楽しくて、気持ちよくて、すこし虚しい。
なのにキスが不快だ。臭いが嫌いだ。この人じゃない。
「……あ、やっぱ今日はよそうかな」
「なんだって? 自分から誘っておいて」
「はは……。冗談だよ。燃えた?」
澄也は怯えを押し隠し、冗談にしてそのままそいつに抱かれた。大好きなセックスのはずなのに、ちっとも気持ちよくなれなかった。
それから数日後、澄也はひとりでカフェに来ていた。開襟シャツにスラックスというラフな格好だが、それでも視線を集めている自覚はあった。それらを無視して澄也は写真を撮ってSNSに上げる。アイスラテをいくらも飲み進めないうちに、リプライが付いた。
澄也は何気なく画面に目を落とし、青ざめてさっと辺りを見回す。
もうその場にいることもできず、家に帰るのも怖かった。
「今日、泊めて」
「もちろんだ。歓迎する」
急に押しかけても、一嶌は理由を問おうともしない。澄也のほうが言わずにいられなかった。
「……SNS、特定されたっぽい」
「まっすぐ家に帰らなかったのは賢明だ。好きなだけいていい。必要なものはあるか? 買いに行かせる。それともあなたの家から必要なものを取ってこようか?」
「ううん。大事なものは持ち歩いてる。それに、あんたのとこなら着替えくらいありそうだし」
「誤解しないでくれ! いつか来るそのときを楽しみに買ってあっただけで、決して下心など」
「いや、下心まみれだろ」
軽口を叩いているうちに、すこし落ち着いてきた。
「どの部屋でもいいんだよね?」
てきとうに開けた扉を、澄也は無言で閉じた。
「どうした、気に入らないか?」
「なんか、また変わってんだけど」
「ああ、あなたの好みをまだ知らないから」
「どうかしてる!」
もういちどそろりと中をのぞくと、やたらと少女趣味な部屋に、ぬいぐるみがずらりと並んでいた。
「怖っ!」
「ぬいぐるみは嫌いか? 残念だ。好きなものを持ち帰ってもらおうかと思っていたんだが」
「……俺が拒否ったらアレ、捨てちゃうの?」
「いいや、どこかに寄付する」
ホッとして、澄也は笑った。
「なんだ。じゃあもらえねえよ」
「嫌いじゃないならもらって欲しい。あなたのために職人が一点一点手作りしたものだから」
「重てえよ」
とはいえ、うんと幼いころなら澄也もきっと喜んだ。自分だけのぬいぐるみ。甘美な響きだ。
「俺には必要ないけど、喜ぶといいな」
幼いころの自分の代わりに、誰かが受け取ってくれるならそのほうがいい。想像して優しい顔になっていることに、澄也は気づかない。一嶌がそれに見とれていることも。
気を取り直してほかの部屋を確認し、澄也は深くため息をついた。一嶌の用意した部屋は、ファンシー、宇宙空間、アウトドアだった。
特に真ん中の部屋がわからない。プロジェクトマッピングとかそういうのだろうか。一歩足を踏み入れたら、どこまでも落ちてしまいそうで、そっと扉を閉じてしまった。
「俺、ここにする」
テントのある部屋を澄也は選んだ。まともに過ごせそうな場所が一つでもあってよかった。虫がいっぱいいるからキャンプは嫌いだが、冒険みたいでハンモックやテントに浮かれる気持ちはある。
キャンピングカー風の狭いベッドまであって、潜ってみたくてうずうずした。テントの中に寝袋を発見した澄也は、引っぱりだして胸に抱き、うっと呻いた。
「これ、あんたのニオイがするんだけど」
「匂いだけでも覚えてもらいたくて」
「もう覚えたよ! イチシマさんだろ!」
「久希」
「呼ばねえからな」
口ではそう言ったものの、澄也は心の中で彼の名前を転がした。久希さん。
今夜、彼の香りに包まれて眠るのだと思ったら、なんだかやけに胸が詰まった。
「ああ、心配しなくてもそっちに新品も用意してある。あなたの匂いを残してくれるなら、それはそれで嬉しい」
澄也の気も知らず、一嶌は得意げに指さした。澄也はカチンとして、彼に手を差し出す。
「ああ、必要なものあるわ。消臭スプレー」
一嶌がわかりやすく肩を落とすので、澄也は笑った。そのときだった。耳慣れた通知音が響いた。澄也は青ざめて、SNSを確認した。
その様子をじっと見つめていた一嶌が、口を開く。
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