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三.
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「その桂小五郎が北辰一刀流千葉道場の坂本竜馬という男と立ちあい敗れたという話がございましたが、坂本という御仁はご存知ですかな?」
「坂本……」
近藤はしばらく考えていたが思い当たらなかったようで、
「いや。知らぬな。北辰一刀流は食客の山南という男が詳しい故、今度聞いてみることにいたそう」
と答えた。
北辰一刀流千葉道場も江戸三大道場の1つ。後に薩長同盟の成立に大きくかかわる坂本竜馬は、そこで免許皆伝を受けた。数年前に一旦は出身の土佐藩に戻っていたが、藩政改革を進める土佐藩内で上士・下士という身分の格差による対立が激化したのをきっかけに脱藩し、再び江戸へと戻ってきていた。
実は、近藤と伊助が会っているのと同じ日、坂本は江戸赤坂の幕府軍艦奉行並・勝海舟の自宅を訪れていた。
攘夷論者であった坂本は、開国論者の勝海舟を斬って捨てるために会いに行ったのだった。ところが丸腰で壮大な夢と構想を語って聞かせた勝に心を動かされ、その場で弟子入りを志願したのだった。
後の江戸城無血開城の折、幕府側の全権代表として新政府軍との交渉役となる勝と坂本の出会いは歴史の必然であったか。坂本は勝のことを「天下第一の人物」と呼んで尊敬していたという。
その勝はといえば、古参の幕臣の生まれであるが、父は生涯無役の小普請組(四十一石)の小身旗本であった。しかし、ペリー艦隊の来日によって危機感を持った幕府は安政の改革と呼ばれる幕政改革を行い、そこで才覚を見出され、この激動の時代の中でめきめきと頭角を現していた。
大老・井伊直弼が健在であった万延元年(1860年)に、幕府から日米修好通商条約の批准書を交換するために遣米使節を送られた際は、正使を乗せたアメリカ軍艦の別船として派遣された咸臨丸の艦長格として初めて太平洋を往復する快挙を成し遂げた。
帰国後は、軍艦奉行並の任を与えられ、神戸に海軍操練所を開設することを幕府に建言した。海軍士官を養成する機関であったが、幕府の瓦解を予見し、幕府と藩の垣根を超えた新たな時代を構想していた勝の思想を強く反映したものとなり、後に倒幕に関わる反幕府思想を持った若者も坂本をはじめ、多く参加していた。
時代の変革の中で、これからの時代を担っていく者たちは着々と力を蓄え、のし上がっていく準備を整えていた。
それらのことを伊助は知る由はなかったが、時代の節目にいつだって現れていた新たな時代を担う傑物の台頭が目前に迫っていることを薄々と感じ取ってはいた。
同時に、時代が揺れ動いていることをひしひしと感じていても、そのために何をすればよいのかわからず、焦りながらも雌伏の時を過ごしている才ある者が多くいることにも、伊助は気付いていた。
雑談を続けるうちに伊助は、目の前の近藤という人物もまた、そのような一人だということに気付いたのであった。
やがて、話は本題へと入っていく。
「本日伺ったのは他でもない。刀を一振り、所望いたしたい」
ここは八百屋ではなく刀剣商なのだから刀を買うのは当然などと言われないように。刀剣商が扱うのは薙刀や槍や甲冑――戦場で使う武器全般なのである。
「坂本……」
近藤はしばらく考えていたが思い当たらなかったようで、
「いや。知らぬな。北辰一刀流は食客の山南という男が詳しい故、今度聞いてみることにいたそう」
と答えた。
北辰一刀流千葉道場も江戸三大道場の1つ。後に薩長同盟の成立に大きくかかわる坂本竜馬は、そこで免許皆伝を受けた。数年前に一旦は出身の土佐藩に戻っていたが、藩政改革を進める土佐藩内で上士・下士という身分の格差による対立が激化したのをきっかけに脱藩し、再び江戸へと戻ってきていた。
実は、近藤と伊助が会っているのと同じ日、坂本は江戸赤坂の幕府軍艦奉行並・勝海舟の自宅を訪れていた。
攘夷論者であった坂本は、開国論者の勝海舟を斬って捨てるために会いに行ったのだった。ところが丸腰で壮大な夢と構想を語って聞かせた勝に心を動かされ、その場で弟子入りを志願したのだった。
後の江戸城無血開城の折、幕府側の全権代表として新政府軍との交渉役となる勝と坂本の出会いは歴史の必然であったか。坂本は勝のことを「天下第一の人物」と呼んで尊敬していたという。
その勝はといえば、古参の幕臣の生まれであるが、父は生涯無役の小普請組(四十一石)の小身旗本であった。しかし、ペリー艦隊の来日によって危機感を持った幕府は安政の改革と呼ばれる幕政改革を行い、そこで才覚を見出され、この激動の時代の中でめきめきと頭角を現していた。
大老・井伊直弼が健在であった万延元年(1860年)に、幕府から日米修好通商条約の批准書を交換するために遣米使節を送られた際は、正使を乗せたアメリカ軍艦の別船として派遣された咸臨丸の艦長格として初めて太平洋を往復する快挙を成し遂げた。
帰国後は、軍艦奉行並の任を与えられ、神戸に海軍操練所を開設することを幕府に建言した。海軍士官を養成する機関であったが、幕府の瓦解を予見し、幕府と藩の垣根を超えた新たな時代を構想していた勝の思想を強く反映したものとなり、後に倒幕に関わる反幕府思想を持った若者も坂本をはじめ、多く参加していた。
時代の変革の中で、これからの時代を担っていく者たちは着々と力を蓄え、のし上がっていく準備を整えていた。
それらのことを伊助は知る由はなかったが、時代の節目にいつだって現れていた新たな時代を担う傑物の台頭が目前に迫っていることを薄々と感じ取ってはいた。
同時に、時代が揺れ動いていることをひしひしと感じていても、そのために何をすればよいのかわからず、焦りながらも雌伏の時を過ごしている才ある者が多くいることにも、伊助は気付いていた。
雑談を続けるうちに伊助は、目の前の近藤という人物もまた、そのような一人だということに気付いたのであった。
やがて、話は本題へと入っていく。
「本日伺ったのは他でもない。刀を一振り、所望いたしたい」
ここは八百屋ではなく刀剣商なのだから刀を買うのは当然などと言われないように。刀剣商が扱うのは薙刀や槍や甲冑――戦場で使う武器全般なのである。
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