1 / 9
一.
しおりを挟む
亜米利加から日本に開国を迫るべく、マシュー・ペリー提督が率いる4隻の黒船が浦賀沖に出現したのは嘉永六年(1853年)のことであった。
長年鎖国政策を敷き一部を除いて外国との交易をしてこなかった江戸幕府は、ペリーの一戦交えることも辞さずという砲艦外交の前に、成す術もなく開国へと向かっていく。
しかし、外国人嫌いで知られた当時の孝明天皇は開国を断固拒否して勅許を出さなかった。そのため、国内は大混乱に陥った。この国の主権は誰にあるのかという根本が問われたのである。
幕府側を支持すべきとする佐幕派、朝廷側を支持すべきという尊王派、外国勢力を断固追い払うべしという攘夷派、今戦ってもとても敵わないのだから今は開国して力を蓄えようという消極的な開国派、国を開き外国と交易を推進していくべしという積極的な開国派。
個人レベル、藩レベルでの様々な思惑が入り乱れる中、徳川幕府はこの事態を収拾する有効な手が打てず、幕府の威信は揺らいでいった。
――が、その辺りの話は、他の良書に譲るとしよう。
* * *
文久二年(1862年)も、残すところ一か月をきっていた。最初の黒船来航から10年近くが過ぎても、世の中は混迷の度を日々深めていた。とはいえ混乱に陥り、日々流血の惨事が絶えなかったのは、京だけでの話。遠く離れた江戸の民衆は、まだまだ泰平の世が続くと思っていたし、幕府の中心にいる幕閣の面々や徳川家を守る直参たちでさえ、そのうち何とかなるだろうと思っていた。
もっとも、登城中の大老、井伊直弼が水戸藩士らによって白昼堂々襲撃を受け、殺害された桜田門外の変からはまだ2年も経っていなかったし、10ヶ月ほど前にも、幕府を仕切っていた老中、安藤信正が水戸藩士らの襲撃を受け負傷したばかりである。
安藤信正が襲撃された坂下門外の変は、安藤が配下の武士たちを指揮して襲撃者を撃退し、桜田門外の変の二の舞とはならなかった。ところが、この幕府の危機の中、時流を見極めもせず前時代的な権力闘争に終始する幕閣たちに格好の攻撃材料を与えた形となり、安藤はほどなく老中を罷免され失脚してしまう。
このままでは徳川幕府に日本国を統治することなどおぼつかなくなってしまうだろう。そうなれば待っているのはさらなる混乱。それどころか群雄割拠の戦国時代の再来となってしまうかもしれない。このまま「安穏とはしていられない」と考える者も大勢いた。
その日、芝愛宕下日影町に店舗を構えている刀剣商の相模屋伊助が出会ったのも、そんな男の一人だった。
それは、この時期にしては暖かい陽気の日であった。
所用の為に朝から留守にしていた伊助が、昼前に店に戻ってきたところ、番頭から来客があった旨を伝えられたのである。
「練兵館からの紹介がありましたので一応奥の座敷に通しているのですが……」
番頭は四十前とまだ若いながらも、この店の隅々まで知り尽くしている。伊助が全幅の信頼を置いている男だが、客を選り好みするところがある。言いにくそうにしているのはそういうことだろうと思った伊助は、先を促した。
長年鎖国政策を敷き一部を除いて外国との交易をしてこなかった江戸幕府は、ペリーの一戦交えることも辞さずという砲艦外交の前に、成す術もなく開国へと向かっていく。
しかし、外国人嫌いで知られた当時の孝明天皇は開国を断固拒否して勅許を出さなかった。そのため、国内は大混乱に陥った。この国の主権は誰にあるのかという根本が問われたのである。
幕府側を支持すべきとする佐幕派、朝廷側を支持すべきという尊王派、外国勢力を断固追い払うべしという攘夷派、今戦ってもとても敵わないのだから今は開国して力を蓄えようという消極的な開国派、国を開き外国と交易を推進していくべしという積極的な開国派。
個人レベル、藩レベルでの様々な思惑が入り乱れる中、徳川幕府はこの事態を収拾する有効な手が打てず、幕府の威信は揺らいでいった。
――が、その辺りの話は、他の良書に譲るとしよう。
* * *
文久二年(1862年)も、残すところ一か月をきっていた。最初の黒船来航から10年近くが過ぎても、世の中は混迷の度を日々深めていた。とはいえ混乱に陥り、日々流血の惨事が絶えなかったのは、京だけでの話。遠く離れた江戸の民衆は、まだまだ泰平の世が続くと思っていたし、幕府の中心にいる幕閣の面々や徳川家を守る直参たちでさえ、そのうち何とかなるだろうと思っていた。
もっとも、登城中の大老、井伊直弼が水戸藩士らによって白昼堂々襲撃を受け、殺害された桜田門外の変からはまだ2年も経っていなかったし、10ヶ月ほど前にも、幕府を仕切っていた老中、安藤信正が水戸藩士らの襲撃を受け負傷したばかりである。
安藤信正が襲撃された坂下門外の変は、安藤が配下の武士たちを指揮して襲撃者を撃退し、桜田門外の変の二の舞とはならなかった。ところが、この幕府の危機の中、時流を見極めもせず前時代的な権力闘争に終始する幕閣たちに格好の攻撃材料を与えた形となり、安藤はほどなく老中を罷免され失脚してしまう。
このままでは徳川幕府に日本国を統治することなどおぼつかなくなってしまうだろう。そうなれば待っているのはさらなる混乱。それどころか群雄割拠の戦国時代の再来となってしまうかもしれない。このまま「安穏とはしていられない」と考える者も大勢いた。
その日、芝愛宕下日影町に店舗を構えている刀剣商の相模屋伊助が出会ったのも、そんな男の一人だった。
それは、この時期にしては暖かい陽気の日であった。
所用の為に朝から留守にしていた伊助が、昼前に店に戻ってきたところ、番頭から来客があった旨を伝えられたのである。
「練兵館からの紹介がありましたので一応奥の座敷に通しているのですが……」
番頭は四十前とまだ若いながらも、この店の隅々まで知り尽くしている。伊助が全幅の信頼を置いている男だが、客を選り好みするところがある。言いにくそうにしているのはそういうことだろうと思った伊助は、先を促した。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愚鈍(ぐどん)な饂飩(うどん)
三原みぱぱ
歴史・時代
江戸時代、宇土と呼ばれる身体の大きな青年が荒川のほとりに座っていた。
宇土は相撲部屋にいたのだが、ある事から相撲部屋を首になり、大工職人に弟子入りする。
しかし、物覚えが悪い兄弟子からは怒鳴られ、愚鈍と馬鹿にされる。そんな宇土の様子を見てる弟弟子からも愚鈍と馬鹿にされていた。
将来を憂いた宇土は、荒川のほとりで座り込んでいたのだった。
すると、老人が話しかけてきたのだった。
命の番人
小夜時雨
歴史・時代
時は春秋戦国時代。かつて名を馳せた刀工のもとを一人の怪しい男が訪ねてくる。男は刀工に刀を作るよう依頼するが、彼は首を縦には振らない。男は意地になり、刀を作ると言わぬなら、ここを動かぬといい、腰を下ろして--。
二人の男の奇妙な物語が始まる。

新選組徒然日誌
架月はるか
歴史・時代
時は幕末、動乱の時代。新撰組隊士達の、日常を切り取った短編集。
殺伐とした事件等のお話は、ほぼありません。事件と事件の間にある、何気ない日々がメイン。
基本的に1話完結。時系列はバラバラ。
話毎に主人公が変わります(各話のタイトルに登場人物を記載)。
土方歳三と沖田総司が多め。たまに組外の人物も登場します。
最後までお付き合い下さると嬉しいです。
お気に入り・感想等頂けましたら、励みになります。
よろしくお願い致します。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―
馳月基矢
歴史・時代
徳川幕府をやり込めた勢いに乗じ、北進する新政府軍。
新撰組は会津藩と共に、牙を剥く新政府軍を迎え撃つ。
武士の時代、刀の時代は終わりを告げる。
ならば、刀を執る己はどこで滅ぶべきか。
否、ここで滅ぶわけにはいかない。
士魂は花と咲き、決して散らない。
冷徹な戦略眼で時流を見定める新撰組局長、土方歳三。
あやかし狩りの力を持ち、無敵の剣を謳われる斎藤一。
schedule
公開:2019.4.1
連載:2019.4.19-5.1 ( 6:30 & 18:30 )
北宮純 ~祖国無き戦士~
水城洋臣
歴史・時代
三国時代を統一によって終わらせた晋(西晋)は、八王の乱と呼ばれる内紛で内部から腐り、異民族である匈奴によって滅ぼされた。
そんな匈奴が漢王朝の正統後継を名乗って建国した漢(匈奴漢)もまた、僅か十年で崩壊の時を迎える。
そんな時代に、ただ戦場を駆けて死ぬ事を望みながらも、二つの王朝の滅亡を見届けた数奇な運命の将がいた。
その名は北宮純。
漢民族消滅の危機とまで言われた五胡十六国時代の始まりを告げる戦いを、そんな彼の視点から描く。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる