弐式のホラー小説 一話完結の短い話集

弐式

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十五話.付け火

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 とある国の東のはずれに小さな村がある。20年かそこら前までは貧しく寂れた村だったが、そのころから羊を家畜とするようになっていた。

 村人たち全員で金を出し合って畜舎を建て、当番を決めて羊の世話をし、毛を刈ったり乳を搾ったり、食肉にしたりしていた。

 村の女たちは羊毛から糸を紡ぎ、村の男たちは羊毛や羊肉ラムや乳を近くの町――時には領主の膝元の城下町まで運んで金に換えていた。それらは高値で売れたので、稼いだ金は村の者たちで平等に分けた。

 それを村が一丸となって事業とする仕組みを考えたのは先代の村長の頃だった。村人のほとんどが何かしら仕事に関わり、事業が軌道に乗るようになってからは決して裕福とはいえないまでも貧しくはない生活を送っていた。

 しかし、事業であり仕事である以上、困難を伴う出来事に遭遇したときもイヤだからやりませんというわけにもいかないことがある。

 その中の一つが、時折山から下りてきて家畜を襲う、恐ろしいオオカミたちの存在である。

 その夜も、甲高い音の呼び笛が鳴り響いた。畜舎に異常がないか寝ずの番をしている少年が吹いたものだ。

「オオカミだー! オオカミの群が出たぞっ!」

 それを聞いた村人たちは、手に手に松明を持ち、かまくわなどを持って飛び出してきた。

「オオカミはどこだ!」

「畜舎には絶対に近づけさせるなよっ!」

 村に異常を知らせる銅鑼ドラの音が響き、村は騒然となった。

 オオカミたちは、松明の炎と大勢の村人たちの姿を見て恐れをなしたか、村に入ることなく去っていった。

「今日も何事もなく終わって良かった良かった」

 安堵の声を上げる村人たち。今夜はもう大丈夫だろう。さあ、帰って休もうか、というところになって誰かが口にした。

「そう言えば、ヤジロウはどうした?」

 村人たちは顔を見合わせ、ヤジロウという青年がいないことを確かめた。ヤジロウは40歳を過ぎたばかり。図体はでかく力持ちだが、とかくぼぉってしていて決して急がない男である。何かを話しかけてもわかっているのかいないのか、よくわからない反応をする、少々頭の足りない所がある男だった。

 村人の中には彼を「ウドの大木」だの「ノウタリン」などと呼んでバカにするものもいたが、そんなことを言われては彼はへらへらと笑っているばかりだった。

「まさか、オオカミが出たのに気づかなかったのか?」

「あの騒ぎの中で、それはないだろう」

 とにかく、ヤジロウの家に行こうと、年老いた母と二人暮らしのヤジロウのところに、村長を先頭に村の衆みんなで向かった。

 羊は村の大切な財産である。

 それを守るために、ことが起こったら村の男はなにを差し置いてでも駆けつけなければならない。それがこの村の掟であった。それを守らなければ、制裁がくわえられるのも、この村の掟であった。

 村はずれのみすぼらしい一軒家がヤジロウの家である。

 明かりがついていて、人はいるようだった。

 今年70歳をすぎた白い顎髭を蓄えた小柄な村長は、その見た目とは違って力強くヤジロウの家の戸板を叩いた。薄い戸板が割れてしまうのではと、周りの男たちが思うような叩き方だった。

「ヤジロウ! いるのなら出てきなさい」

 家の中で何かが動くような気配がある。少しして、戸板が横に開いた。

「皆……」

 村長の倍の背丈はありそうな大男がぬっと出てくる。

「オオカミはどうなった?」

 出てきた大男――ヤジロウが尋ねる。

「それはもう心配ない。だが、どうしてお前は出てこなんだ?」

「それは……」

 というと、ヤジロウは堪えきれなくなったように、おいおいと泣き出した。

「おっ母が……。おっ母が……」

 村長がヤジロウを押しのけて中にはいる。

「お前の母は、長らく寝たきりだったな……」

 中に入ると囲炉裏の横に布団を敷いて横になっているヤジロウの高齢の母親の姿があった。ヤジロウの父親は、ヤジロウが幼い頃に死んだので、母親が懸命に働いてヤジロウを育てた。ヤジロウが成長するとそれまでの無理がたたったのかある日倒れてそのまま寝たきりになった。ヤジロウはその母を一生懸命に介護していた。

 村長はヤジロウの母の傍らに膝をついた。脈をみて、呼吸を確かめ、死んでいるのを確かめるとそっと両手をあわせた。脈を確かめた細い腕を布団の中に入れたときはまだ温もりを感じられて、死んだのはつい先ほどのことだろうと思えた。

 その死に顔からは、彼女がどんな思いであの世に旅立ったか、伺い知ることできなかった。

「ヤジロウよ」

 村長は一旦外に出てからヤジロウに話しかけた。

「お前の母のことは残念に思う。弔いは村のものたちが協力して、しっかりとやろう。だが、それと掟とは別の話だ。一つの例外を認めれば、掟を破る者が次々と出てくることになる。わかるな? お前のことを、お前の母の葬儀が終わった後は、この村の住人としては扱わない。ここに住むのは勝手だが、村人はお前に手を貸さないし、寄り合いにも参加はさせん」

 それは村八分にするという宣言であった。ヤジロウはそれをうなだれて聞いていた。

   *   *   *

 ヤジロウの母の葬儀が終わり、しばらく経つと村には普段の日常が戻ってきた。

 ヤジロウは村の隅のわずかな土地で畑作業に勤しみ、村人はヤジロウに関わることはなかった。

 もっとも、こうなった経緯が経緯なだけに、ヤジロウに同情する者も多く、他の村人の目を盗んでヤジロウに何かしらの施しをする者もいた。

 そうして半月ほど経ったある夜のことだった。

「誰か―! 誰か来てくれー! 火事だー!」

 という声が響いた。声を聴いて駆けつけた村人たちが見たのは、根本が燃えている村の入り口の枯れ木と、それを消そうと悪戦苦闘しているヤジロウの姿だった。

 駆けつけた村の男たちが棒で叩いたり、砂を掛けたりして火はそれほどかからずに消えた。

「大変なことにならなくて、よかったよかった」

「しかし、何故、こんな火の気無いところで……?」

 安堵の声をあげる者。疑問を呈する者。村人の反応は様々だったが、やはりヤジロウはいないものとして扱われた。

 それから、半月ほどして、村人たちが前の火事のことを思い出さなくなった頃、再び火事が起きた。今度は、今は使われていない古井戸の壊れた井桁やつるべなどが燃えた。

 今度も、最初に見つけたのはヤジロウだった。

 そして駆けつけた村人によって消し止められ事なきを得た。そして前回と同じように「なぜこんな場所が燃えたのか」と口々に言いあった。そしてやはりヤジロウはいないものとして扱われた。

 さらに同じくらい時を経て、また火事が起きた。今度も燃えたのは人気も火の気もないはずの場所だった。そして今度も、最初に見つけたのはヤジロウだった。

 村人たちは、ヤジロウを抜きにして村の集会場に集まり、会合を開いた。

「二月と経たない間に三件の火事だ。これはただ事ではない」

 まず、村長が口にした。

 ある村人の男が言う。

「この火事では、ヤジロウが素早く見つけて声を上げてくれたから、大事にならなかった。村の功労者なのだから、そろそろ村八分を解いてやってもいいのではないか」

「いや、それがそもそもおかしい」

 他の村人が反論した。

「燃えたのは、普段、人が立ち寄らず、火の気もない場所だ。そんなところが何故燃えたのか」

 別の村人が言葉を引き継ぐ。

「それも三度とも最初に見つけたのはヤジロウだ。これは怪しい」

「しかし、ヤジロウが付け火などする理由はなんだ?」

 当然の疑問の声が上がる。

「そりゃ、村八分を解いてほしくて、自作自演の火事騒動を起こしたに違いない」

「しかし、ヤジロウの性格からしてそんなことをするだろうか」

「追い詰められたら何でもするのが、人間ではないか?」

 にわかに紛糾し始めたのを、村長がパンパンと柏手を打って沈めた。

「皆の言うことは至極もっとも。しかし、本人がいないところで、ああでもない、こうでもないと言っても、仕方ないことだろう」

 村人たちは村長の意見に頷き、その場にいた全員でヤジロウの家に向かった。

   *   *   *

「――というわけで、今、お前さんに付け火の疑いがかかっている。悪いようにはせんから、本当のことを教えてくれ」

 ヤジロウの家に入った村長は、会合での話を簡単にして、ヤジロウにそう促した。

 ヤジロウは少し困った顔をしてから、「おっ母が――」と言って何かを話そうとしたが、そこからまた口をつぐんでしまった。

「先日亡くなったお前の母のことか?」

 村長に問われると小さく頷き、

「寝ていたところをおっ母に起こされて……ついてこい、って言われたんだ。それでついていくと、いつの間にか母ちゃんはいなくなっていて……それで、燃えていて、どうすればいいか……」

 たどたどしい言い方だったが、村長には言いたいことは分かった。

 一つを除いては。

「お前の母は先日亡くなったではないか。葬式もあげて、皆で共同墓地に埋めたではないか。その母に起こされた、と?」

「そうなんだけど……そうなんだ……」

 村長は一度、家の外に出て、集まっている村人たちに話を聞かせた。

「きっと、ヤジロウを不憫ふびんに思った母の魂が、ヤジロウを助ける為にしたことに違いない。やはり、村八分を解いてやるべきではないだろうか」

「いや、そんな話は信じられない。芝居に決まっている。やっぱり、ヤジロウが付け火の犯人に違いない」

 村人たちの意見は二つに割れた。

 村長はしばらく考えて、「では、こうしたらどうだろう」と言った。

「ヤジロウをどこかに閉じ込めておくのだ。期間は一月ほどでよいだろう。その間に火事が起こればヤジロウにとがはなし。事が起こらなかったら、ヤジロウには村を出て行ってもらう」

 乱暴な話だと思わない者がいないわけではなかったが、結局は賛成が多数となり、ヤジロウには村長から村の決定として伝えられた。

 それからヤジロウは小さな納屋に連れていかれた。腰に太い縄を付けて、その反対の端は柱に括り付けられ、納屋からは一歩も出られないようにされた。

「よいな。一月の間だ。食事は一日三度、ちゃんと届けさせよう」

 村長はそう言い残すと、納屋の横開きの戸を閉め、ヤジロウだけが残された。

   *   *   *

 それから数日後の月のない夜。ヤジロウにとって、良い結果と悪い結果とが同時に起こった。再び火の手が上がったのだった。

 それは、本来ならば夜に人などいるはずのない納屋の裏手からだった。悪い結果だったのは、それがヤジロウが閉じ込められている納屋だったことだ。

 火は勢いよく燃え上がり、納屋全体を包んだ。火に気が付いて駆けつけてきた村人の誰にも、何もできないままに、火は納屋だけを焼いてやがて鎮火した。

 火が収まった後、焼け跡からはヤジロウの黒焦げの死体が見つかった。

   *   *   *

「これが……私が知っている全てです。昨日まで私は近くの町に出ていたので、難を逃れたのです」

 私の前に座った男はそう言ってうなだれた。

 その話を黙って聞いていた武官は小さく首を左右に振った。彼は、この辺りを治める代官の配下である。一昨日の夜、この村で起きた事件を調べるために、配下の者たち十人ほどと赴いて来たのである。

 事件とは、この小さな村で火が出て、村全体が焼けてしまい、ほとんど全ての村人が死んでしまうという凄惨な事件であった。

 代官所から派遣された武官は、村のはずれにテントを張って、数少ない生き残りの村人から話を聞いていた。まだ焦げ臭い匂い――その中には羊や人間の肉が焼ける匂いも含まれていた――が残る中で、混乱の只中にあるわずかな生き残りの村人たちからの聞き取りは困難極まりなかった。

 身内や同じ村の仲間を大勢失い、生活の糧である羊も全て焼け死んでしまい、住むべき家を焼き出され、しかしまだ途方に暮れるほどの心の余裕もないのだから当然だ。

 先ほどまで話を聞いていた村人の男が出ていくのと入れ替わりで、武官の部下の役人が入ってきた。

「火元は一ヶ所ではないですね。よく燃えた箇所が少なくとも二十はあります」

「放火魔が無節操に火をつけて回ったのだな。犯人は今頃、近くの町でのんびり茶でもすすっていることだろう。怪しい奴は遠慮なくしょっ引け」

 武官は腕を組んで吐き捨てるように命令を出した。村人の話を全て信じたわけではない。きっと付近を捜索すれば怪しい奴はすぐに見つかるだろう。そう思うようにしながら、どんなに探して回った所で付け火の犯人など捕まらないだろうと、妙に確信していた。
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