弐式のホラー小説 一話完結の短い話集

弐式

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五話.赤い目

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 私は確かにあの時見たんです……。 

 あれは11年前。私が9歳のころの、今くらいの時期でした。つまり、夏休みの中頃――お盆のころのことです。

 私自身記憶の隅っこにしまいこんでいたその話をある日突然思い出したのは、7月の中ごろに大学の同期生が雑誌に投稿する怖い話を探しているから何かないか、と聞いてきたことが理由だったかと思います。

 不思議なのもので、一度思い出してしまうと、あの得体のしれない恐怖が詳細に思いだされてきました。

 京都から真っ直ぐ北に行った自衛隊の基地がある港町が私の故郷です。2年前に大学生になって京都で一人暮らしを始めた私は、あまり実家に寄りついていませんでした。

 今年のお盆に帰省しようと思ったのは、それがきっかけだったのかもしれません。

 帰省していたのは、私だけではなく姉夫婦もでした。

 私には4歳年上の姉がいますが、すでに結婚して北陸の地方都市に暮らしています。特に申し合わせたわけではないのですが、旦那と、1歳になる男の子――私から見れば甥っ子になるわけですが――と一緒に帰省しています。

 姉もあの夜の音を知っていたので、つい姉夫婦を含めて食卓を囲んだ夕食の席の話題にあげてしまいました。姉は相変わらずの呆れたような顔をしていましたが、姉よりさらに2つ上の、スポーツマンで姉には少々もったいないくらい格好いい旦那は、真剣に私の話に耳を傾けてくれました。

     *     *     *

 そう、あれは、いわゆる草木も眠る丑三つ時……午前2時過ぎのことでした。二階にある私の部屋がその舞台です。

 ……別に、当時の私が夜ふかしの常習だったとか、休みにかこつけて昼夜逆転の生活をしていたとかではありません。当時の私の部屋にはエアコンが入っていなかったので非常に寝苦しかったので目が覚めてしまっただけです。

 枕元の目覚まし時計を取り上げて時間を確かめてから、「暑いなぁ……」と呟いて、私は水でも飲もうと、お腹の上にかけていたタオルケットを横にどかして、ベッドを下り、天井の電灯から伸びた紐を引っ張って、明かりをつけました。

 その時、何故だか気になって窓の方に目をやりました。ちょうど、私のベッドの頭の上の方が窓になっています。もちろん、閉められた薄水色のカーテン越しにも外が真っ暗闇なのが分かります。

 何かに覗かれているような気がする……。

 そんなふうに思ったのです。

 私は、勇気を出して思いっきりカーテンを横に開き――次の瞬間、声を上げることもできないくらいに驚きました。

 夜空に大きな一つだけの目が浮かんでいるのです。

 その眼球は真っ赤で、寂しそうでもあり、感情の籠らないようでもあり、何とも言えないような悲しみを抱いているようにも見えました。

 私は悲鳴を上げることも出来ず、転がるようにして部屋を飛び出しました。パニックを起こしていたので扉の外の廊下の壁に激突して、派手な音を立てました。

 私は壁に背を預けてへたり込むと、悲鳴を上げることもできないまま、茫然と扉が開けっ放しになった自分の部屋を見つめていました。その体勢では、窓は見えませんでした。その向こうがどうなっているのかも分かりませんでした。

 騒ぎを聞きつけて、隣室から当時中学生だったお姉ちゃんが「一体どうしたのよ」と、寝ぼけ眼をこすりながら出てきました。

 私は震える指を部屋に向けて、「目が……目が……」と歯を鳴らしながら呟くことしかできませんでしたが、それを聞いたお姉ちゃんは、「誰かが覗いているの!」と言うと、はじかれたように私の部屋の中に入ると窓をがばっと開けて、身を乗り出すようにして辺りを探りました。

 その頃には両親も駆けあがって来て、父が懐中電灯で窓の外を照らしましたが、結局何も見つけることはできませんでした。

 私も恐る恐る部屋の中に入りましたが、すでに窓の外にあの目はありませんでした。よく晴れていて夜空いっぱいに星が煌めいていたことだけは良く覚えています。

 私は見たことを話しましたが、姉も、両親も、実際にあったことだとは考えてくれず、つまりは寝ぼけて夢でも見たのだろう、ということで収まったのです。

 今では、あれが8月の何日のことだったのかさえ覚えていません。多分、お盆の間のことだったと思うのですが……。

     *     *     *

 その話をすると、姉は「全く、いつまでそんなことを言っているんだか」と言いましたが、姉の旦那は真顔で、「いや、何でもかんでも見間違いと決めつけるのは良くない」と言いました。

「この町には戦争中は軍港があったし、空襲もあった。時期もお盆だし。戦争で亡くなった軍人や、犠牲者の思いが、目になって現れたのかもな。……きっと、いつまでも見守ってくれているってことさ」

 と続けた旦那に姉は、「戦争中に何万人の人が死んだと思っているんだか……。それを言っていたら、日本中が目だらけになっちゃうよ」と至極冷静に返して、旦那も苦笑を返して、それでこの話は終わりになりました。

     *     *     *

 その夜――。

 浅い眠りがしばらく続いた後、ふと目を覚ましたのは、夕食の時にあんな話をしたからでしょうか? あの時と同じ――と感じたのも、あんな話を思い出したからでしょうか?

 私の部屋は、高校を卒業した時と同じ状態のままです。

 レイアウトも、全く変わっていません。

 もっとも、パソコンとか、好きだった漫画本とか、大学生になった時に持って行ったものもたくさんあるのですが。

 枕元の目覚まし時計が携帯電話に変わっているのは、大きな違いかもしれない――などとやや寝ぼけた頭で考えながら時間を確かめました。

 時間は午前2時16分。

 私はあの時のように、ベッドを下り、灯をつけました。

 不意に、あの時の同じような、おぞましい感覚を感じました。あの時と同じ――そんなことを考えて、カーテンのかかった窓のほうに目を向けました。

 私は、もしやと思い、あの時のように窓に向かい、カーテンの裾に手をかけました。カーテンもあれから変えてしまいましたが色はお気に入りの薄水色のままです。私は意を決して、カーテンを開きました。

 そこに――あの夜と同じように、赤い目が真っ暗い中空に浮かび、私を――いえ、この町を見下ろしていました。

 悲鳴をあげかけ、私はそれを飲み込みました。

 あの時との一番の違いは、私は臆病な子供ではなく、物事を理論的に考えられる大人になったということです。

 私はその目の正体を見極めようとまじまじと見つめ、それから、すぐにあっと声を上げてしまいました。

 私がぱちくりと瞬きすると、暗闇の赤い目も同じように瞬きしました。しかし、赤い目玉の部分は残ったままなのです。そう、その目は、鏡のように窓ガラスに写った私の目だったのです。鏡ではないのでごく一部分だけがはっきりと写っていることと起きぬけで視野が狭くなっていることで、目の輪郭の部分だけくっきりと見え、あたかも暗い空に目が浮かび上がっているように見えたのです。

 では、赤い目玉の部分は何かといえば、それも簡単なことで、晴れた暗い夜の空に浮かぶ、満月がその正体だったのです。月が赤く見えるのは空気が汚れているから、らしいのですが、偶然が重なり、私自身が幼く原因を確かめることができなかったので起こってしまった怪談話だったのです。

     *     *     *

 幽霊の、正体見たり、枯れ尾花……とは、よく言ったものです。

 私は、笑いだしたいのを堪えながら、鍵を外して窓を開けました。

 正直、自分でも呆れてしまいますが、この話をしたら、姉にはさらに笑われてしまうことでしょうから、話さないことにしよう、などと考えながら暗くとも美しい空を見上げます。

 夜空には満天の星空が拡がっています。明日もよく晴れそうです。そして、その無数に光る星々の間で、ひと際くっきりと映えるお月さまの姿がありました。 

 コンパスで描いたような正確な真円を描き、綺麗な黄金色に輝くお月さまの姿が……。
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