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四話.退廃の町
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荒野の中にあるその町のことを、町の外の人々は退廃の町と呼んでいた。
その町には暴力があふれ、誰もが麻薬と暴力とセックスによる刹那的な快楽を求め、悪徳がはびこり、人心は荒廃し、人々は限りなく享楽的で怠惰で、不信心だった。
そして、労働を忌避し、そのくせプライドが高く、過ちを認めず、他人を貶めることばかりに腐心した。
心ある人たちは、この町に生まれたことを恥じ、去っていった。町の外の人々は、最初は退廃の街の人々を救う為に金を出したり、仕事を与えようと力を尽くしたが、彼らがあまりに不誠実で、怠惰で、傲慢で、信頼をあまりにも簡単に裏切って盗みを繰り返したために、次第に離れていき、嫌悪するようになっていった。
乱れた人々だけがこの町に残り、腐った町の人々はさらに堕落していった。
そんなある日、一人の初老の伝道師がこの街へとやってきた。
この伝道師は、退廃の町を、自らが信じる女神の力によって更生させるべく、小さな女神像を懐に、分厚い聖書を一冊小脇に抱えてやってきたのだった。
伝道師は、町全体を覆う不潔な匂い、血の匂い、薄汚い町の景色。通路の脇でへたり込み、暗い焦点のあっていない目で自分を見るこの町の住人に、病巣の深さを見せつけられる思いだった。
それと同時に、この町の救済こそが自分の使命と信じ、この町に骨を埋める覚悟を新たにしたのだった。
しかし、この伝道師の声に耳を傾ける者などいなかった。
伝道師が、聖書の言葉を語り、彼らの過ちを指摘し、正そうとするたびに、彼らは「大きなお世話だ」と怒鳴り、嘲笑し、時には暴力をふるって追い立てた。
それでも諦めなかった。
笑われても、殴られても、彼らがまっとうな人間になるように正そうと声をかけ続け、率先して行動を起こし、彼らのためにと尽力した。
むしろ外の町の人たちが伝道師に、「もう退廃の町の住民には何を言っても無駄だからほうっておきなさい」と忠告した。
「本当なら破たんして当たり前なのに、私たちが彼らを心配して援助するからつけ上がり傲慢になっていくのです。そのくせ感謝するということを知らず、全てが自分たちの手柄で、自分たちが優れているからだと勘違いして、私たちを見下すのです。困っても手など差し伸べる必要などないのです。どうしようもないくらい痛い目にわなければ改めることなどできないのです。……もっとも彼らは、酷い目にあってもそれは私たちの責だと思うのでしょうけれどね。あの連中とは関わらないのが一番ですよ」
外の町の人たちが諌める言葉を、伝道師は「いちいちもっとも」と頷きながらも、「それでも誰かが彼らを導かなければ。今、彼らを救わなければ不幸は連鎖していくのです」と言って諦めなかった。
百の言葉のうち、一つか二つでも届いてくれればと、伝道師は退廃の町の人々に語りかけ続けた。彼らを救おうと老骨に鞭打って歩き回ったのだ。殴られて蹴られて体中に傷や痣を作ってもそれを続けたのだった。
いつか、自分の声が彼らに届くと信じて……。
この街へやって来て10年あまりが経ったある日、一人の若者がこんなことを言いだす瞬間までは……。
「あんたの神に願えば、俺たちにどんな利益があると言うのだい? あんたの神に祈れば銀貨の一枚くらい出してくれるのかい?」
伝道師はこの言葉を聞いた瞬間、ぷつり、と何かが切れる音が聞いたような気がした。
神への信仰とは利を求めることではないのだ。
誰が得をするから、などという理由で清貧であれと説いているわけではないのだ。
見返りを求める誠実など、何ら意味を持たないのだ。
それを言葉にして彼らに伝える気力が一瞬にして失われた。彼らに語り続けた自分の言葉など、欠片ほども届いていなかったのだ。その現実を突き付けられた伝道師は、滞在していた部屋に信仰する女神の像と聖書を置いて、町から姿を消したのだった。
それっきり、その伝道師の姿を見た者はいなかった。
* * *
翌日――。
「あんたの神に祈れば銀貨の一枚でも――」と言い放ったあの若者が、一晩中麻薬でラリった頭で踊り狂い、へとへとになって町を彷徨っていると、コツリと頭に何かが当たった。チリンと地面に落ちる音を追って足下を見ると、そこにはキラリと光る銀色のコインが落ちていた。
彼はそのコインを拾い上げ、ちょっと噛んでみると確かに硬い、本物の銀貨だと確信した。
しかしなぜ――と、ふらふらになった頭で考えた若者は、不意に昨日自分が言った言葉を思い出した。
一瞬で疲れも、麻薬も抜けた。もしや、あれは、本物だったのか!? 若者は伝道師の元へと向かった。
集合住宅の一室を伝道師は借りていたが、そこはもう伝道師の姿はなかった。しかし、そこには例の女神の像が残されていた。小うるさい伝道師がいないのはこれ幸いと女神像の前に立った若者は、まだ半信半疑だったので「とりあえず銀貨10枚ほど」と願った。
すると翌日も今度は道端で友人たちとけらけらと笑いあっていた若者の周りに銀貨が10枚パラパラと降ってきたので、これは本当に本物だ、と今度は友人らも誘い、女神像の元へと向かった。
「今度は、銀貨を100枚ほど」
「いやいや、金貨を500枚」
「せこせこせずに、1000枚寄越せ」
そうすると友人の友人のさらに友人と口伝いに噂は広まり、町の住人たちが次から次へとやって来ては、金貨を、銀貨を、とにかく金をくれと女神像に願い続けた。それは夜が更け、朝になっても続いた。
* * *
朝になり、最初に銀貨を願った若者が、今日は大金持ちになれるとほくそ笑みながら、町をぶらついていると、再びこつんと頭にコインがぶつかった。にやりとして銀貨を探して腰をかがめた彼の頭にさらにもう一枚。それから次々とパラパラパラ――と全身にコインが降り注いできた。
驚き慌てふためき、コインの雨から逃げ回りながら、天を見上げた彼の目に飛び込んできたのは、大量の金貨、銀貨――。
町中の人々が願った膨大な量のコインは、容赦なく人々の頭上に降り注ぎ、退廃の町を埋め尽くし、押しつぶし、滅ぼしてしまった。
その町には暴力があふれ、誰もが麻薬と暴力とセックスによる刹那的な快楽を求め、悪徳がはびこり、人心は荒廃し、人々は限りなく享楽的で怠惰で、不信心だった。
そして、労働を忌避し、そのくせプライドが高く、過ちを認めず、他人を貶めることばかりに腐心した。
心ある人たちは、この町に生まれたことを恥じ、去っていった。町の外の人々は、最初は退廃の街の人々を救う為に金を出したり、仕事を与えようと力を尽くしたが、彼らがあまりに不誠実で、怠惰で、傲慢で、信頼をあまりにも簡単に裏切って盗みを繰り返したために、次第に離れていき、嫌悪するようになっていった。
乱れた人々だけがこの町に残り、腐った町の人々はさらに堕落していった。
そんなある日、一人の初老の伝道師がこの街へとやってきた。
この伝道師は、退廃の町を、自らが信じる女神の力によって更生させるべく、小さな女神像を懐に、分厚い聖書を一冊小脇に抱えてやってきたのだった。
伝道師は、町全体を覆う不潔な匂い、血の匂い、薄汚い町の景色。通路の脇でへたり込み、暗い焦点のあっていない目で自分を見るこの町の住人に、病巣の深さを見せつけられる思いだった。
それと同時に、この町の救済こそが自分の使命と信じ、この町に骨を埋める覚悟を新たにしたのだった。
しかし、この伝道師の声に耳を傾ける者などいなかった。
伝道師が、聖書の言葉を語り、彼らの過ちを指摘し、正そうとするたびに、彼らは「大きなお世話だ」と怒鳴り、嘲笑し、時には暴力をふるって追い立てた。
それでも諦めなかった。
笑われても、殴られても、彼らがまっとうな人間になるように正そうと声をかけ続け、率先して行動を起こし、彼らのためにと尽力した。
むしろ外の町の人たちが伝道師に、「もう退廃の町の住民には何を言っても無駄だからほうっておきなさい」と忠告した。
「本当なら破たんして当たり前なのに、私たちが彼らを心配して援助するからつけ上がり傲慢になっていくのです。そのくせ感謝するということを知らず、全てが自分たちの手柄で、自分たちが優れているからだと勘違いして、私たちを見下すのです。困っても手など差し伸べる必要などないのです。どうしようもないくらい痛い目にわなければ改めることなどできないのです。……もっとも彼らは、酷い目にあってもそれは私たちの責だと思うのでしょうけれどね。あの連中とは関わらないのが一番ですよ」
外の町の人たちが諌める言葉を、伝道師は「いちいちもっとも」と頷きながらも、「それでも誰かが彼らを導かなければ。今、彼らを救わなければ不幸は連鎖していくのです」と言って諦めなかった。
百の言葉のうち、一つか二つでも届いてくれればと、伝道師は退廃の町の人々に語りかけ続けた。彼らを救おうと老骨に鞭打って歩き回ったのだ。殴られて蹴られて体中に傷や痣を作ってもそれを続けたのだった。
いつか、自分の声が彼らに届くと信じて……。
この街へやって来て10年あまりが経ったある日、一人の若者がこんなことを言いだす瞬間までは……。
「あんたの神に願えば、俺たちにどんな利益があると言うのだい? あんたの神に祈れば銀貨の一枚くらい出してくれるのかい?」
伝道師はこの言葉を聞いた瞬間、ぷつり、と何かが切れる音が聞いたような気がした。
神への信仰とは利を求めることではないのだ。
誰が得をするから、などという理由で清貧であれと説いているわけではないのだ。
見返りを求める誠実など、何ら意味を持たないのだ。
それを言葉にして彼らに伝える気力が一瞬にして失われた。彼らに語り続けた自分の言葉など、欠片ほども届いていなかったのだ。その現実を突き付けられた伝道師は、滞在していた部屋に信仰する女神の像と聖書を置いて、町から姿を消したのだった。
それっきり、その伝道師の姿を見た者はいなかった。
* * *
翌日――。
「あんたの神に祈れば銀貨の一枚でも――」と言い放ったあの若者が、一晩中麻薬でラリった頭で踊り狂い、へとへとになって町を彷徨っていると、コツリと頭に何かが当たった。チリンと地面に落ちる音を追って足下を見ると、そこにはキラリと光る銀色のコインが落ちていた。
彼はそのコインを拾い上げ、ちょっと噛んでみると確かに硬い、本物の銀貨だと確信した。
しかしなぜ――と、ふらふらになった頭で考えた若者は、不意に昨日自分が言った言葉を思い出した。
一瞬で疲れも、麻薬も抜けた。もしや、あれは、本物だったのか!? 若者は伝道師の元へと向かった。
集合住宅の一室を伝道師は借りていたが、そこはもう伝道師の姿はなかった。しかし、そこには例の女神の像が残されていた。小うるさい伝道師がいないのはこれ幸いと女神像の前に立った若者は、まだ半信半疑だったので「とりあえず銀貨10枚ほど」と願った。
すると翌日も今度は道端で友人たちとけらけらと笑いあっていた若者の周りに銀貨が10枚パラパラと降ってきたので、これは本当に本物だ、と今度は友人らも誘い、女神像の元へと向かった。
「今度は、銀貨を100枚ほど」
「いやいや、金貨を500枚」
「せこせこせずに、1000枚寄越せ」
そうすると友人の友人のさらに友人と口伝いに噂は広まり、町の住人たちが次から次へとやって来ては、金貨を、銀貨を、とにかく金をくれと女神像に願い続けた。それは夜が更け、朝になっても続いた。
* * *
朝になり、最初に銀貨を願った若者が、今日は大金持ちになれるとほくそ笑みながら、町をぶらついていると、再びこつんと頭にコインがぶつかった。にやりとして銀貨を探して腰をかがめた彼の頭にさらにもう一枚。それから次々とパラパラパラ――と全身にコインが降り注いできた。
驚き慌てふためき、コインの雨から逃げ回りながら、天を見上げた彼の目に飛び込んできたのは、大量の金貨、銀貨――。
町中の人々が願った膨大な量のコインは、容赦なく人々の頭上に降り注ぎ、退廃の町を埋め尽くし、押しつぶし、滅ぼしてしまった。
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