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1章
出会いは喜ばしいことばかりではないこともある【8】
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……助けにはなってくれなかったけれどな。
『甲子園の土』と書かれたラベルを見つめながら、自虐の笑みを浮かべた。次の日の新聞やニュースでは甲子園史上に残る大敗と大きく取り上げられた。地元の落胆の声も、翌日にはかなりの数がサトルたちの耳に入っていた。さらに、甲子園の一回戦で対戦した高校も2回戦で敗退。嘘か誠かわからないが、相手校の選手の一人が「一回戦で大勝しすぎて自分たちのリズムを見失ってしまった」などと語っていたと、噂で聞かされた。
地元に戻ってからの風当たりは、それはそれは強いものだった。面と向かって言われることはあまりなかったが、聞こえよがしに「地元の恥」「弱いくせに出るな」「相手校を買収して甲子園に行ったのか?」などとたびたび中傷された。そうした経験は大なり小なり全ての部員が経験したらしかった。そうした心無い言葉を投げつけられなかったとしても、他人がひそひそ話をしていると野球部の話をされているような感じがし、友人やクラスメート・知人たちのいかにも腫れ物に触るような態度にも苦しめられた。
それでも、地元に帰った直後は、再び一丸となり汚名返上を目指して頑張ることが出来た。秋季大会で勝ち上がり、必ずや選抜に出場して、地に落ちた名誉を――粉々に砕け散った野球部の誇りをかき集めて、今度こそ栄光をつかみ取ろう、という目標があったからだった。しかし、結局、秋季大会では肩に力が入りすぎたか、ありえないミスを連発し、いつも1、2回戦をうろうろしているような相手に7回コールドという散々な醜態をさらして球場を去ることになった。
これをきっかけに2年生の主力が次々と退部。その中にはサトルもいた。野球を続けている限り、これから先も、あの大敗が亡霊のように付きまとい、負けることに怯え続ける。そのことに、耐えられなかったのだ。
高校2年の秋。サトルは、目標も夢もぽっかりと失った。
そんなサトルにボクシングを勧めたのは、5つ年上で東京の大学に進学していた従兄だった。従兄は大学でボクシングをやっていて、キグレボクシングジムの川内の同僚である鈴木コーチの後輩だった。
「社会に出たら、色んなものと戦わなければならなくなる。それなのに一度戦うことから逃げ出してしまったら、これから先一生逃げ続けることになるぞ」
そのアドバイスが、それほどサトルに響いたというわけではない。ボクシングを――殴り合いをするスポーツをしたから現実社会でも戦えるようになるというわけではないだろう。しかし、野球をやめてぽっかりと胸に穴が開いたような感覚を覚えていたので、その穴埋め程度になればという感じだった。
そんな経緯から、キグレボクシングジムを覗いてみたのは高校2年の冬だった。別に試合をしてみようという気にはならなかったが、全力でサンドバッグを叩くのはなかなか面白く、スカッとした。その場で入会を決めた。それからは、ボクシングが野球の代わりになった――というわけでは決してない。サトルはボクシングで夢を見ようとは思わなかった。
野球部からは何度か再入部の誘いもあったが断っていた。未練はさしてなかった。今更という感じだった。そして再入部を拒否するのにボクシングは体のいい言い訳になった。
ジムでの練習は野球部だったときよりも楽だった。……というより、きつくしようと思ったらいくらでもできたが、減らしたからといって誰も何も言わなかった。学校の部活とは違い、ほとんどの部分において練習生個々人の自主性が重んじられていたし、体力のない者に無理な練習を強要することも、時間の都合で少し汗を流すだけで切り上げても誰も何も言わなかった。
その中では、高校球児だったサトルの練習量は多いほうだった。真面目で真摯に取り組む練習生として木暮会長や川内・鈴木の両トレーナーからも目をかけてもらっていた。翌年は受験勉強にかなりの時間を割かなければならなかったが、大学の合格通知を受け取った直後に、ジムのバイトが辞め、しばらく臨時でバイトを手伝ってほしいと声をかけられたのもそのおかげだろう。
選手登録して試合に出てみないか、と声をかけられたこともあったが、それについてはとにかく固辞していた。仲間内や近県のジムが集まって行う試合めいたことは何度か参加してそれなりに勝ちはあったが、とにかく公式戦には参加しなかった。
技術もついたかもしれない。パンチにも慣れたかもしれない。しかし、負けることへの恐怖は未だ克服できなかった。戦って負けるくらいなら、戦わずに逃げるほうがまだ気が楽だった。
いつの間にか、負けることへの恐怖から逃げることに惨めさすら感じなくなってしまった頃、つかさと出会ってしまった。
屈託なく夢を語ったつかさが無性に妬ましく感じた。そう、嫉妬した。ようやくその事実に考えが至った。自分が挫折を味わったときの年齢にも達していない少女に対して、そんな低劣な感情をあんなふうにぶつけてしまった自分を、たまらなく情けなく思った。
『甲子園の土』と書かれたラベルを見つめながら、自虐の笑みを浮かべた。次の日の新聞やニュースでは甲子園史上に残る大敗と大きく取り上げられた。地元の落胆の声も、翌日にはかなりの数がサトルたちの耳に入っていた。さらに、甲子園の一回戦で対戦した高校も2回戦で敗退。嘘か誠かわからないが、相手校の選手の一人が「一回戦で大勝しすぎて自分たちのリズムを見失ってしまった」などと語っていたと、噂で聞かされた。
地元に戻ってからの風当たりは、それはそれは強いものだった。面と向かって言われることはあまりなかったが、聞こえよがしに「地元の恥」「弱いくせに出るな」「相手校を買収して甲子園に行ったのか?」などとたびたび中傷された。そうした経験は大なり小なり全ての部員が経験したらしかった。そうした心無い言葉を投げつけられなかったとしても、他人がひそひそ話をしていると野球部の話をされているような感じがし、友人やクラスメート・知人たちのいかにも腫れ物に触るような態度にも苦しめられた。
それでも、地元に帰った直後は、再び一丸となり汚名返上を目指して頑張ることが出来た。秋季大会で勝ち上がり、必ずや選抜に出場して、地に落ちた名誉を――粉々に砕け散った野球部の誇りをかき集めて、今度こそ栄光をつかみ取ろう、という目標があったからだった。しかし、結局、秋季大会では肩に力が入りすぎたか、ありえないミスを連発し、いつも1、2回戦をうろうろしているような相手に7回コールドという散々な醜態をさらして球場を去ることになった。
これをきっかけに2年生の主力が次々と退部。その中にはサトルもいた。野球を続けている限り、これから先も、あの大敗が亡霊のように付きまとい、負けることに怯え続ける。そのことに、耐えられなかったのだ。
高校2年の秋。サトルは、目標も夢もぽっかりと失った。
そんなサトルにボクシングを勧めたのは、5つ年上で東京の大学に進学していた従兄だった。従兄は大学でボクシングをやっていて、キグレボクシングジムの川内の同僚である鈴木コーチの後輩だった。
「社会に出たら、色んなものと戦わなければならなくなる。それなのに一度戦うことから逃げ出してしまったら、これから先一生逃げ続けることになるぞ」
そのアドバイスが、それほどサトルに響いたというわけではない。ボクシングを――殴り合いをするスポーツをしたから現実社会でも戦えるようになるというわけではないだろう。しかし、野球をやめてぽっかりと胸に穴が開いたような感覚を覚えていたので、その穴埋め程度になればという感じだった。
そんな経緯から、キグレボクシングジムを覗いてみたのは高校2年の冬だった。別に試合をしてみようという気にはならなかったが、全力でサンドバッグを叩くのはなかなか面白く、スカッとした。その場で入会を決めた。それからは、ボクシングが野球の代わりになった――というわけでは決してない。サトルはボクシングで夢を見ようとは思わなかった。
野球部からは何度か再入部の誘いもあったが断っていた。未練はさしてなかった。今更という感じだった。そして再入部を拒否するのにボクシングは体のいい言い訳になった。
ジムでの練習は野球部だったときよりも楽だった。……というより、きつくしようと思ったらいくらでもできたが、減らしたからといって誰も何も言わなかった。学校の部活とは違い、ほとんどの部分において練習生個々人の自主性が重んじられていたし、体力のない者に無理な練習を強要することも、時間の都合で少し汗を流すだけで切り上げても誰も何も言わなかった。
その中では、高校球児だったサトルの練習量は多いほうだった。真面目で真摯に取り組む練習生として木暮会長や川内・鈴木の両トレーナーからも目をかけてもらっていた。翌年は受験勉強にかなりの時間を割かなければならなかったが、大学の合格通知を受け取った直後に、ジムのバイトが辞め、しばらく臨時でバイトを手伝ってほしいと声をかけられたのもそのおかげだろう。
選手登録して試合に出てみないか、と声をかけられたこともあったが、それについてはとにかく固辞していた。仲間内や近県のジムが集まって行う試合めいたことは何度か参加してそれなりに勝ちはあったが、とにかく公式戦には参加しなかった。
技術もついたかもしれない。パンチにも慣れたかもしれない。しかし、負けることへの恐怖は未だ克服できなかった。戦って負けるくらいなら、戦わずに逃げるほうがまだ気が楽だった。
いつの間にか、負けることへの恐怖から逃げることに惨めさすら感じなくなってしまった頃、つかさと出会ってしまった。
屈託なく夢を語ったつかさが無性に妬ましく感じた。そう、嫉妬した。ようやくその事実に考えが至った。自分が挫折を味わったときの年齢にも達していない少女に対して、そんな低劣な感情をあんなふうにぶつけてしまった自分を、たまらなく情けなく思った。
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