9 / 48
1章
出会いは喜ばしいことばかりではないこともある【7】
しおりを挟む
そう――サトルはかつて甲子園の地を踏んだ。ここにあるのは、自分の悪夢の歴史の象徴。しかし、決して捨てられなかった。自分の決して小さくもささやかでもなかった夢と、辛く苦しく楽しかった努力と、惨めな結果の証。
それを見ると、いつも、あの日の光景がありありと思い出される。
自分の目の前を悠然とガッツポーズしながら走っていく相手チームの選手。遊撃手だったサトルは黙ってそれを見送るしかない。何人目になったか、数えることさえ億劫になっていた。ランナーの背番号の入った背中を見ながら泣きそうになっていた。
……もう、勘弁してくれ。
その日、サトルの高校は6本の本塁打を浴びた。本塁打を除いたヒットは22本、そのうち長打は13本。あまりの実力差の前に堅守で鳴らした守備は乱れに乱れ、エラーは7。もともと制球に難があったエースの投球は荒れに荒れ、与えた四死球は12……。
高校2年の夏、サトルの高校は甲子園に出場した。県内の甲子園予選出場校は約30校。激戦区と比べると少なすぎ、頭一つ抜き出た学校のないドングリの背比べの予選区。その中でも、ベスト8に入れれば御の字……そんな前評判の中で、決して重厚とは言えない戦力を駆使してチームは一丸となって戦い抜き、運が味方した部分も確かにあったかもしれないが、甲子園出場経験のある高校を次々と撃破しての甲子園出場だった。
くじで引いた甲子園の1回戦の相手は優勝候補の筆頭に挙げられるような名門校だった。甲子園で何度も優勝経験のある高校との対戦を前に、「負けてもしょうがない相手で良かったじゃないか」「せめてまぐれだったと言われない程度の試合をしてきてくれよ」などと揶揄する声もあったが、少なくともサトルは自分たちの出場がまぐれだったなどと思っていなかったし、立派に戦って、優勝候補の学校を下してやろうと本気で考えていた。
しかし、実際に試合が始まると現実を思い知らされることになった。
先攻はサトルたちの高校から。1番のサトルは、緊張をほぐす意味もあって、何も考えずにフルスイングした。バットはやや甘く入ってきたストレートを真芯でとらえた。サトルが打ったボールは大きく弧を描き、スタンドへと吸い込まれていった。
不思議と掌の中にボールを打った感触は残っていなかった。正直なところ、サトル自身が一番驚いていた。甲子園での1点はこんなにあっけないものだったのかと、バットを置いた。サトルはちらりと見た相手ピッチャーの顔を今でも覚えている。自分の失投を後悔しているでもなく、やられたと悔しそうな顔をするでもなく。ただ、苦笑していた。その顔を見て、ようやく実感が湧いてきた。
ふわふわした気分のまま、ダイヤモンドを一周して戻り、本塁に戻ってきたサトルはチームメイトからハイタッチで迎えられた。サトルは笑顔を見せながら小さくガッツポーズした。どうだ! 見たか! 地元を出発するときに散々揶揄ってくれた連中に指を突きつけてやりたい気分だった。
後になれば、それが唯一の見せ場だった。
1回の攻撃はその後、三者とも内野ゴロに倒れたものの、もちろん、この1点を守り抜こうなんてせこいことは誰も考えていない。意気揚々と守備につくサトルたち。相手校の攻撃が始まった。そして、それは、地獄の始まりだった。
毎回安打、毎回得点を繰り返され、白球は次々とグラウンドを転がった。まるで千本ノックのそれのようだった。サトルの目の前を次々と相手校の選手が駆け抜けていく。ただ、淡々と、作業をこなすように、ボールを打ち、ランナーになったら走る。
サトルたちの攻撃は精彩を欠き、最初のホームランを除いたら、内野安打が1本。フォアボールでの出塁が1人。結局、ホームラン以外で2塁を踏めた選手はいなかった。
結果は33対1……甲子園史上に残る大敗だった。
最後の選手が三振で倒れ、ゲームセットを告げるサイレンが鳴り響くまで、あまりに長い試合だった。
スタンドに頭を下げに行ったサトルたちに向けられたまばらな拍手は忘れられない。罵声こそ飛んでこなかったものの、よく頑張った、とはとても言えないのだろうな、と思ったし、言ってもらえる資格もないと思った。スタンドに向かって頭を下げながら、溢れてくる涙をこらえることができなかった。
泣きながら、甲子園の土をかき集めた。チームメイトの中には「必ず、来年も来るから」と土を採取しなかった者もいた。サトルは小瓶に土を詰めながら「必ず……」と呟いた。今日の辛さや苦しさを決して忘れないようにしよう。負けたことがある、というのはきっと大きな財産になる……それを信じようと思った。甲子園の土は道標だ。立ち止まりそうになったとき、行き詰ったとき、くじけそうになったとき、きっと助けになってくれるから。
それを見ると、いつも、あの日の光景がありありと思い出される。
自分の目の前を悠然とガッツポーズしながら走っていく相手チームの選手。遊撃手だったサトルは黙ってそれを見送るしかない。何人目になったか、数えることさえ億劫になっていた。ランナーの背番号の入った背中を見ながら泣きそうになっていた。
……もう、勘弁してくれ。
その日、サトルの高校は6本の本塁打を浴びた。本塁打を除いたヒットは22本、そのうち長打は13本。あまりの実力差の前に堅守で鳴らした守備は乱れに乱れ、エラーは7。もともと制球に難があったエースの投球は荒れに荒れ、与えた四死球は12……。
高校2年の夏、サトルの高校は甲子園に出場した。県内の甲子園予選出場校は約30校。激戦区と比べると少なすぎ、頭一つ抜き出た学校のないドングリの背比べの予選区。その中でも、ベスト8に入れれば御の字……そんな前評判の中で、決して重厚とは言えない戦力を駆使してチームは一丸となって戦い抜き、運が味方した部分も確かにあったかもしれないが、甲子園出場経験のある高校を次々と撃破しての甲子園出場だった。
くじで引いた甲子園の1回戦の相手は優勝候補の筆頭に挙げられるような名門校だった。甲子園で何度も優勝経験のある高校との対戦を前に、「負けてもしょうがない相手で良かったじゃないか」「せめてまぐれだったと言われない程度の試合をしてきてくれよ」などと揶揄する声もあったが、少なくともサトルは自分たちの出場がまぐれだったなどと思っていなかったし、立派に戦って、優勝候補の学校を下してやろうと本気で考えていた。
しかし、実際に試合が始まると現実を思い知らされることになった。
先攻はサトルたちの高校から。1番のサトルは、緊張をほぐす意味もあって、何も考えずにフルスイングした。バットはやや甘く入ってきたストレートを真芯でとらえた。サトルが打ったボールは大きく弧を描き、スタンドへと吸い込まれていった。
不思議と掌の中にボールを打った感触は残っていなかった。正直なところ、サトル自身が一番驚いていた。甲子園での1点はこんなにあっけないものだったのかと、バットを置いた。サトルはちらりと見た相手ピッチャーの顔を今でも覚えている。自分の失投を後悔しているでもなく、やられたと悔しそうな顔をするでもなく。ただ、苦笑していた。その顔を見て、ようやく実感が湧いてきた。
ふわふわした気分のまま、ダイヤモンドを一周して戻り、本塁に戻ってきたサトルはチームメイトからハイタッチで迎えられた。サトルは笑顔を見せながら小さくガッツポーズした。どうだ! 見たか! 地元を出発するときに散々揶揄ってくれた連中に指を突きつけてやりたい気分だった。
後になれば、それが唯一の見せ場だった。
1回の攻撃はその後、三者とも内野ゴロに倒れたものの、もちろん、この1点を守り抜こうなんてせこいことは誰も考えていない。意気揚々と守備につくサトルたち。相手校の攻撃が始まった。そして、それは、地獄の始まりだった。
毎回安打、毎回得点を繰り返され、白球は次々とグラウンドを転がった。まるで千本ノックのそれのようだった。サトルの目の前を次々と相手校の選手が駆け抜けていく。ただ、淡々と、作業をこなすように、ボールを打ち、ランナーになったら走る。
サトルたちの攻撃は精彩を欠き、最初のホームランを除いたら、内野安打が1本。フォアボールでの出塁が1人。結局、ホームラン以外で2塁を踏めた選手はいなかった。
結果は33対1……甲子園史上に残る大敗だった。
最後の選手が三振で倒れ、ゲームセットを告げるサイレンが鳴り響くまで、あまりに長い試合だった。
スタンドに頭を下げに行ったサトルたちに向けられたまばらな拍手は忘れられない。罵声こそ飛んでこなかったものの、よく頑張った、とはとても言えないのだろうな、と思ったし、言ってもらえる資格もないと思った。スタンドに向かって頭を下げながら、溢れてくる涙をこらえることができなかった。
泣きながら、甲子園の土をかき集めた。チームメイトの中には「必ず、来年も来るから」と土を採取しなかった者もいた。サトルは小瓶に土を詰めながら「必ず……」と呟いた。今日の辛さや苦しさを決して忘れないようにしよう。負けたことがある、というのはきっと大きな財産になる……それを信じようと思った。甲子園の土は道標だ。立ち止まりそうになったとき、行き詰ったとき、くじけそうになったとき、きっと助けになってくれるから。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。



隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)
チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。
主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。
ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。
しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。
その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。
「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」
これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。

俺の家には学校一の美少女がいる!
ながしょー
青春
※少しですが改稿したものを新しく公開しました。主人公の名前や所々変えています。今後たぶん話が変わっていきます。
今年、入学したばかりの4月。
両親は海外出張のため何年か家を空けることになった。
そのさい、親父からは「同僚にも同い年の女の子がいて、家で一人で留守番させるのは危ないから」ということで一人の女の子と一緒に住むことになった。
その美少女は学校一のモテる女の子。
この先、どうなってしまうのか!?
【完結】カワイイ子猫のつくり方
龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。
無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。
かつて僕を振った幼馴染に、お月見をしながら「月が綺麗ですね」と言われた件。それって告白?
久野真一
青春
2021年5月26日。「スーパームーン」と呼ばれる、満月としては1年で最も地球に近づく日。
同時に皆既月食が重なった稀有な日でもある。
社会人一年目の僕、荒木遊真(あらきゆうま)は、
実家のマンションの屋上で物思いにふけっていた。
それもそのはず。かつて、僕を振った、一生の親友を、お月見に誘ってみたのだ。
「せっかくの夜だし、マンションの屋上で、思い出話でもしない?」って。
僕を振った一生の親友の名前は、矢崎久遠(やざきくおん)。
亡くなった彼女のお母さんが、つけた大切な名前。
あの時の告白は応えてもらえなかったけど、今なら、あるいは。
そんな思いを抱えつつ、久遠と共に、かつての僕らについて語りあうことに。
そして、皆既月食の中で、僕は彼女から言われた。「月が綺麗だね」と。
夏目漱石が、I love youの和訳として「月が綺麗ですね」と言ったという逸話は有名だ。
とにかく、月が見えないその中で彼女は僕にそう言ったのだった。
これは、家族愛が強すぎて、恋愛を諦めざるを得なかった、「一生の親友」な久遠。
そして、彼女と一緒に生きてきた僕の一夜の物語。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる