ボックスアウト~リングサイドより愛をこめて~

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1章

出会いは喜ばしいことばかりではないこともある【1】

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 キグレボクシングジムは2階建ての構造になっている。1階は少し広めのスペースになっており、リングが1面設置されている。サンドバッグやボール、全身が映る大鏡など、ボクシングジムにはおなじみの設備が並んでいる。

 1階にあるのは、男女の更衣室とシャワー室がそれぞれ設置されている。2階に上がると事務所やスタッフ用の更衣室、会長室などが置かれていて、基本的には練習生は2階には立ち入り禁止である。

 さらに、地下室もあり、もう一面のリングが置いてある秘密の練習施設なのだが、手入れはされているが、練習会など特別なとき以外はあまり使われていなかった。会長の子供じみた性格が作った秘密の練習部屋だと、サトルは思っていた。

 アルバイトスタッフの清水サトルがスタッフ用の更衣室を出たとき、まだ営業時間にはなっていないはずだった。営業時間は15時から22時30分までだが、それよりもっと早くにスタッフが出勤して入り口の自動扉のロックをはずすので、練習熱心な会員や時間の都合のある会員は開店前から練習を始めていることもある。

 部屋を出る直前、更衣室の壁にかけられたカレンダーに目をやった。日めくりのカレンダーの日付はちゃんと今日――4月19日の土曜日に変えられていた。変えたのは、事務員の吉沢由香里だろう。40歳になったばかりの彼女は、ジムの開店当初からの従業員で、保険のことや入退会手続き、ジムホームページの作成に、雑用と、ジム内のあらゆることに精通している。

 普段は2階の事務所にいて、会長がいないときはジムの責任者だが、声をかけようと事務所を覗き込むと、そこには姿がなかった。デスクトップパソコンが立ち上がって、まだスクリーンセーバーに切り替わっていなかったので、ここを離れたのはついさっきだろう。

 階段を下りていくにしたがって、中の音が聞こえるようになってくる。小気味よくサンドバックを叩く音だ。ずいぶん早いな、と思い、無意識に腕時計を見やろうとして、スタッフルームのロッカーの中に入れてきたのを思い出した。

「こんにちはぁ!」

 と、練習場へとつながる扉を横に開きながら声をかけると、中から若い女の声で返事があった。それから少し遅れて、「こんにちは」という声が2つ帰ってくる。

 サンドバッグのほうに目をやると、背の低い女の子が一心不乱といった感じでサンドバッグを叩き続けている。サトルが入ってきたことに気づく気配はない。2週間前に入会したばかりの高野つかさだった。ショートカットの可愛らしい女の子で、今年高校生になったばかりの15歳である。

 高校入学と時期を同じくして、このF市に引っ越してきたという経緯もあり、キグレボクシングでは、まだ新参者の一人だが、実はボクシング経験は長い。15歳以下の全国大会でも47.5kg以下級で優勝経験がある、という話で期待の新人といった感じだ。

 サンドバッグを叩くつかさの方を向いたサトルの目は、同時に、もう一人別の女性を捉えていた。グレーのトレーニングウェア姿のその女性は、サトルの方には背を向けて、つかさが叩くサンドバッグが揺れまわらないように抑えている。

 つかさがサンドバックを叩くたびに、黒髪を後ろに束ねたポニーテールが左右に揺れている。身長170cmほどの身長はサトルよりちょっと低いだけで、ジムの女性の中では一番高い。正面に回れば凜とした、という形容詞がぴったりする目鼻立ちがくっきりした綺麗な顔を拝めるだろう。実際、彼女目当てで入会するものも多いのではないかとサトルは内心思っている。

 彼女がサトルの同僚のアルバイトスタッフの関キリカである。年齢はサトルよりひとつ年下だが、はっきりした口調に気おされして、サトルの方がついつい敬語で話しかけてしまう関係だったりする。おまけに、キリカはあまり人に遠慮したりすることがないので、サトルに対してもタメ口であり、人によってはキリカのほうが年上だと思っている者もいるほど。しかし、今、練習場に入ったサトルに真っ先に声をかけたのが彼女だったことからも分かるとおり、根は細やかな気配りができる女性である。

 練習場の中には彼女らとは別に2人の姿がある。先ほど2階の事務所にはいなかった吉野由香里と、コーチの川内将輝だった。ショートボブの髪形がよく似合う、ネイビーのパンツスーツにストライプシャツをピシッと着こなした吉野。短く刈った髪型に無駄のない筋肉のつき方をした体を黒いトレーナーで覆っている川内。事務員とスポーツマンの一般的なイメージを答えなさい、と言われたら、この2人をイメージすれば多分ほとんど間違いない。……気がする。

 川内は数年前にキグレボクシングジムでボクシングを始めた。ジムにスポーツ経験を活かしてトレーナーとして勤務する傍ら修練を積み、腕試しにアマチュアのリングに立っていた。身長185cm、リーチ190cmの体格に加えて、優れたボディバランスとディフェンステクニックで不可触アンタッチャブルなどと呼ばれていた……と聞く。もしも、もっと早くからボクシングを始めていればと、スポーツ記者たちからは惜しまれていたと、木暮会長はしみじみ語っていた。 

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