ボックスアウト~リングサイドより愛をこめて~

弐式

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4章

思いっきりぶつかって、思いっきり受け止められて【10】

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「……由美ちゃん。一つだけ、いいか」

 ここまで由美子とつかさの話を黙って聞いていた川内が口を挟んだ。

「7年前、身に覚えのない悪事を吹聴されて、俺はつかみかけていた夢も社会的な立場も失った。それから実業団を辞めて、俺は故郷に戻ってきて、俺が離れていた間に何があったのか、調べ回った。事実を知りたかったからな。なぜ、こんな目に遭わせられなければならなかったのか理由を知りたかった。謝罪をさせたかった。あの頃、復讐を考えていなかったと言ったら、それは嘘になる」

 その口調に憎しみも怒りも籠っていないように聞こえる。しかし、淡々として語る方がかえって薄気味悪かった。

「スケープゴートにされたことに気付いた時、むしろ、情けなくなった。どうしてここまで憎まれるまで、気付かなかったか。嘘をついてまで、俺の未来を潰さなきゃならないほど、恨まれるようなことをしただろうか、と」

 由美子が大きく首を左右に振る。

「そんなつもりはなかった」

「けれど……事情はどうであれ、事実はどうであれ、週刊誌の記者にあることないこと吹き込んで俺を追い込んだのは君の身内だ。……はっきりと言う。俺は君を憎んでいる」

 川内が目を向けた相手は由美子ではなく幸治の方だった。誰も言葉を発することなく、自然にその場全ての視線が幸治に集中した。その視線に幸治はたじろいだのが分かった。視線の意味は皆異なっていただろうが、少なくともサトルは、彼を責めていた。

「何だよ。俺が悪いってのか! 俺は、ずっと蚊帳の外かよ! ずっと騙されていたのかよ! 姉さんは一人でさっさと逃げ出して。残された俺たちがどんな思いをして!」

 怒鳴り散らした幸治はぎりっと唇を噛むと、

「俺は姉さんの味方だと思っていたのに……姉さんはそうじゃなかったんだな。ふざけるなっ!」

 畜生っ! と吐き捨てて、幸治は地下練習場を足早に出て行った。

 幸治の姿がなくなってから、「幸治の言うとおり、幸治は悪くありません。すべての責任は、私にあります」と由美子が言った。

「私がいなくなった後、幸治は学校で酷い苛めを受けたそうです。中学生で妊娠した姉がいる。田舎の中学生が標的にされるには格好のネタだったでしょうね。……母も、私の件で、近所の人たちの好奇の視線に耐えられず、幸治のことが重なって体調を崩すようになりました。健康が取り柄の人だったのに、私が母の寿命を削ってしまった……。全ては、私の軽率な行動と、曖昧にしたまま故郷を去った私の責任です。……あの頃の私は、自分の行動が、他の人にもどんな迷惑をかけるか全くわかっていなかったし、考えようともしていませんでした。許して、とは言えませんが、恨まれなければいけないのは、私だけです」

 川内は天井を見上げて言った。

「憎んでいるのは確かだし、今でも無くしてしまった昔の夢を思い出して悔しい思いをすることも嘆くこともある。でも、7年も恨みを持続させるにはエネルギーがいる。幸治とは違って俺にはできなかった。新しい居場所も出来たし、俺の夢を託せそうな人にも出会えた。そういう意味では俺は幸運だっただろうな。ただ……口では何とでもいえる。君は、不安じゃないか? 俺に、自分の娘を預けることに対して、何の抵抗もないのか? そこだけははっきりさせておきたい……」

 7年……言葉にしてしまえば一言だが、決して短い時間ではない。かといって気が遠くなるほど長い時間でもない。その時間があれば、消えるものがあれば消えないものもある。風化してしまうものもあれば、時を得てくっきりと陰影が深くなるものもある。川内の憎しみはどちらなのか。サトルには判断が付きかねた。 

「私は……」

 問われた由美子は答えなかった。口を開くより早く、つかさが声を上げたからだった。

「私は、川内さんに、ボクシングを教わりたいです」

「……あなたが、それを望むら、そうなさい」

 由美子の口調には安堵が含まれているようにサトルは思った。その心情を、理解するには、自分はまだ若すぎるのかもしれない、とも思う。

 川内に向き直った由美子が「娘のことを、よろしくお願いします」と頭を下げる。その様子を見ながら、サトルは、きっと、長い何かが終わったのだろうな、と思い、ふぅと息をついた。

 それを、微笑わらわれたとでも思ったか、サトルの腹を、つかさが肘で、とんっ、と突いた。

「何だよ」

「いいえ」

 つかさは人の悪い笑みを浮かべ、

「サトルさんも、これからもよろしくお願いします」

 サトルには、つかさの笑みの意味もよく分からなかった。他人のことなんて分からない事ばかりだ。
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