ボックスアウト~リングサイドより愛をこめて~

弐式

文字の大きさ
上 下
44 / 48
4章

思いっきりぶつかって、思いっきり受け止められて【8】

しおりを挟む

     *     *     *

 ゴングを鳴らすのも忘れてサトルがリングに飛び上がり、赤コーナーに駆け寄る。コーナーに寄り掛かったままのつかさの前に膝をついた。俯いたままなので、つかさの顔がよく見えない。

「しっかりしろ、おい」

 つかさの顔を上げようと肩に伸ばしたところで、川内に止められた。

「よせ。下手に動かすな。脳震盪を起こしているかもしれない」

「でも……」

「大丈夫ですよ」

 と赤コーナーに寄り掛かったままで、つかさは言い、へらっと笑った。それからゆっくりと顔を上げる。

「疲れた……。しばらく、このままにさせてください」

「意識はあるな」

 ほっとしたサトル右隣に、サトルと同じように、川内が腰を下ろし膝をついた。手首を止めたマジックテープをべりりとはがしてグローブをはずした川内は「何本だ?」と人差し指と中指を立てて見せた。

「2本。まだ、足に力はいらないけれど、頭ははっきりしてます」

 その顔には、悔しさも混じっているけれど、何となく嬉しそうでもあった。

「本当に大丈夫か?」

 そんなつかさの様子を見ていたサトルが、改めて尋ねる。

「本当に大丈夫ですよ」

 サトルはじっとつかさの眼を見て、

「ほ・ん・と・う・に?」

「本当ですって」

 耐え切れずにぷっと吹き出したつかさは、

「大体、まともにもらったのは、最後のフックだけでしたし。それだって振り切られなかったみたいですし。倒れたときは流石に少しくらくらしましたけれど、倒れたときに頭を打ったりもしてませんし」

「よく考えると、確かにまともにもらったのは一発だけだったか。君のパンチは一発も当たらなかったが」

「そんなことはないですよ」

 つかさは、自分で自分の頬を突いて、にっと笑みを返した。

「ちゃんと、届いてましたから」

 何のことだ? とサトルは川内の方に目を向け、「あっ」と声を上げた。川内の唇の端から血が流れていた。

「最後のアッパーは、ちゃんと届いていたんだな」

 と言ったのは川内だった。

 首を捻ったのはサトルの方だった。

「目的は達した、と思っていいの、かな? まぁ……本人がそれでいいのなら」

「もちろん、かすったらそれでいいなんて考えていなかったんですけれど……。思いっきり暴れたら、少しはスッキリした気がします」

「何だ……それは」

 呆れたような川内が言うが、サトルにはつかさの気持ちが、何となくわかるような気がして、彼女のグローブをはめたままの手を取った。白いグローブを外している間、つかさはじっと押し黙っていた。それから、つかさの顎を上げさせて顎ひもを外し、後頭部のマジックテープをはがして、ヘッドギアをぐいと引き上げて取り外した。

「……手にしびれとかはないか」

 サトルの後ろから声を掛けてきた木暮会長に、つかさは小さく頷きを返した。気が付くと、全員がつかさを中心に集まっている。キリカと、由美子と幸治はリングの外から。

「思えば20年前、俺が日本タイトルマッチでもらったのも左フックだったなぁ……」

 木暮会長は腕組みをして遠い目をした。

「あの日俺は、絶対にひくものかと攻めて攻めて攻めまくった。チャンピオンは逃げ回ってばかりだった。俺はダウンも取って、後一歩のところまで追い詰めていた。だが……」

 そこまで言ったところで、いつの間にかリングに上がっていたキリカが後ろから木暮会長の肩を掴んだ。

「いいお話になりそうですが、そのお話はまた後日に」

 と言うと、引きずるようにしながらリングから下した。

「早くしないと、そろそろジムを開く時間ですよ。鈴木コーチ一人に任せるつもりですか?」

「待て待て。せっかく俺が……」

 と、木暮会長は不満そうにしながらも、「まぁいい。夏の飲み会でしっかりと聞かせてやる」と不穏なことを言い残して地下練習場を出ていった。

 同じように地下練習場を出るときにキリカがデジタルビデをカメラを見せながら、「しっかり撮ったから、後で見せてあげる。編集して、ジムのPRビデオとかにも使えるかもね」と笑ってみせた。

 サトルは「やれやれ……」とそんな2人を見送ったが、よくよく考えると、今日のシフトに入っているのは自分もだったと思い出した。それに、自分もまた部外者。これ以上は邪魔者だ。

 自分もさっさとここから退散しようと、外された2人分のグローブとヘッドギアをかき集めようとした時、さっきまで白いグローブの中に納まっていた、まだバンテージを外していないつかさの小さな手が差し出された。

「起こしてください」

 笑いながらそう言ったつかさの目が、サトルにこの場に残ってほしいと訴えているように見えるのは、自惚れすぎだろうか。そんなこと思いながら、彼女の手を握り、力を込めて引き上げた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

将棋部の眼鏡美少女を抱いた

junk
青春
将棋部の青春恋愛ストーリーです

隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)

チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。 主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。 ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。 しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。 その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。 「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」 これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。

俺の家には学校一の美少女がいる!

ながしょー
青春
※少しですが改稿したものを新しく公開しました。主人公の名前や所々変えています。今後たぶん話が変わっていきます。 今年、入学したばかりの4月。 両親は海外出張のため何年か家を空けることになった。 そのさい、親父からは「同僚にも同い年の女の子がいて、家で一人で留守番させるのは危ないから」ということで一人の女の子と一緒に住むことになった。 その美少女は学校一のモテる女の子。 この先、どうなってしまうのか!?

【完結】カワイイ子猫のつくり方

龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。 無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。

かつて僕を振った幼馴染に、お月見をしながら「月が綺麗ですね」と言われた件。それって告白?

久野真一
青春
 2021年5月26日。「スーパームーン」と呼ばれる、満月としては1年で最も地球に近づく日。  同時に皆既月食が重なった稀有な日でもある。  社会人一年目の僕、荒木遊真(あらきゆうま)は、  実家のマンションの屋上で物思いにふけっていた。  それもそのはず。かつて、僕を振った、一生の親友を、お月見に誘ってみたのだ。  「せっかくの夜だし、マンションの屋上で、思い出話でもしない?」って。  僕を振った一生の親友の名前は、矢崎久遠(やざきくおん)。  亡くなった彼女のお母さんが、つけた大切な名前。  あの時の告白は応えてもらえなかったけど、今なら、あるいは。  そんな思いを抱えつつ、久遠と共に、かつての僕らについて語りあうことに。  そして、皆既月食の中で、僕は彼女から言われた。「月が綺麗だね」と。  夏目漱石が、I love youの和訳として「月が綺麗ですね」と言ったという逸話は有名だ。  とにかく、月が見えないその中で彼女は僕にそう言ったのだった。  これは、家族愛が強すぎて、恋愛を諦めざるを得なかった、「一生の親友」な久遠。  そして、彼女と一緒に生きてきた僕の一夜の物語。

CHERRY GAME

星海はるか
青春
誘拐されたボーイフレンドを救出するため少女はゲームに立ち向かう

処理中です...