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4章
思いっきりぶつかって、思いっきり受け止められて【6】
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* * *
頑張れ! というサトルの声は、確かにつかさの耳にも届いてた。はっとつかさは目を大きく見開いた。その声は、彼女を現実に引き戻した。モノクロだった世界がいきなりカラーになったというか、一気に視界が開けた感じ。
正直なところ、ゴングが鳴ってからここまで、霧の中で戦っていたような気がする。ガードしたことも、膝をついたことも、ファイティングポーズをとったことも覚えてはいる。しかし、それは遠い世界で、自分ではない誰かが戦っているな、そんな不思議な気分だった。
色を取り戻した世界では、川内と距離が開いて目の前には木暮会長が立っていた。
……ダウンを取られたわけではない。
それだけはかろうじて分かる。木暮の顔を見る。ダウンを取られていなくても、このまま終わらされそうな表情に見えた。
「やります! やれます!」
つかさは、言ってから、グローブをギュッギュッと握りしめて見せた。
「……よし、続行」
木暮会長の声を合図に、再び、川内の前に立つ。
つかさは自分の中にいる自分に声をかけた。
練習したことを思い出せ。
いつもの自分を思い出せ。
自分から言い出したことなのに、相手を恐れて、縮こまったボクシングをしてどうする。
格上を相手に他所行きのボクシングをしてどうする。
今の自分の全てをぶつければいい。
精一杯、ぶつければいい。
……お父さんに!
改めて気持ちを奮い立たせたつかさは拳を握りこむ。
今度はつかさが動く。右ストレートと見せかけて左に再度ステップ。そこから左ストレートを打とうとして、慌てて離れる。
反応された――。
川内のまっすぐな眼差しが、つかさを捉える。猛禽の目つきのよう。大空を滑空して獲物を狙うタカのようだ。
わずか1mほどの互いの距離は、あまりにも遠い。しかし、少しでも気を緩めたら、あの重くて速い左が飛んでくるだろう。この距離は、川内の一方的な距離だった。さすがに懐が深い。
トントントン、と小刻みにステップを踏む。フェイントをかけて、小刻みに体を振って、的を絞らせないようにしながら、スキを狙う。しかし、相手ははるかに格上。そうそう容易く踏み込むチャンスなんてくれない。
でも、そんなことは最初から分かっている。
チャンスは自分で作るものだ。
そんなことを考えている間も、攻防は続いている。
川内の左のパンチは、確かに速いけれどつかさには見えていた。いや、自分の身長の低さがこのことに関しては有利に働いていることに気付いていた。普段よりも低く打たなければならないせいか、左を撃つ瞬間に、ナックルが微かにぶれるのだ。最初はストッピングがやっとだったが、ヘッドスリップで紙一重のところでかわせるようになってきた。
次で、入る!
左の真っすぐのパンチを腰を捻り、ダッキングと同時に踏み込む。左腕の外側。この状態から何も打てない。そのボディを狙っての渾身の右のアッパー――。
とっさに、打とうとしたパンチを止めて両腕を顔面のガードに持って行ったのは、反射神経より早く体が動いた、動物的な本能に近いものだった。
ガードの上から固いものががぶつかり、つかさの体が一瞬持ち上がったのと、ゴングが鳴ったのは同時だった。
* * *
ゴングを鳴らしたサトルは、ストップウォッチを押し直して、赤コーナーに駆け寄る。
椅子を出して座らせようとしたが、つかさは「立ったままで大丈夫です」と断り、立ったままでコーナーに背を預け息を整える。つかさの口からマウスピースを預かり、用意したバケツの中にペットボトルの水で洗い流す。それから彼女の口に水を含ませ、バケツに吐き出させる。
「最後……何が飛んできました」
「右のショートアッパーだ」
つかさの質問に、サトルは答える。答えながら気づいていた。あのパンチはサトルが相手だったら多分撃たなかっただろう。
「信じられない。あの位置からなら、力のあるパンチなんて……」
「打てなかったよ」
サトルはつかさの両肩に手を置いた。
「前足を軸に体を回しながら、後ろ足が上がった状態で、腰も入っていない、体重の移動もできていない、ただ腕を振っただけだ。吹き飛ばされたのは君が小さくて軽かっただけで、君のボクシングが通用していないわけじゃない」
そう言いながら、始まる前にキリカと話したことを思い出す。川内をムキにさせたらつかさの勝ち。それがどれだけの難関か、改めて思い知らされた。
サトルは何かアドバイスを探したが、川内のスキらしきものが見当たらなかった。何と言葉をかけていいのかわからない。彼女のボクシングは通用しているが、川内の力半分にようやくついていけているだけ。
「今のままでいい。的を絞らせないようにして、一発叩きこんで来い」
結局出たのは、そんな中身のない言葉。その言葉に、つかさは小さく頷きを返した。
頑張れ! というサトルの声は、確かにつかさの耳にも届いてた。はっとつかさは目を大きく見開いた。その声は、彼女を現実に引き戻した。モノクロだった世界がいきなりカラーになったというか、一気に視界が開けた感じ。
正直なところ、ゴングが鳴ってからここまで、霧の中で戦っていたような気がする。ガードしたことも、膝をついたことも、ファイティングポーズをとったことも覚えてはいる。しかし、それは遠い世界で、自分ではない誰かが戦っているな、そんな不思議な気分だった。
色を取り戻した世界では、川内と距離が開いて目の前には木暮会長が立っていた。
……ダウンを取られたわけではない。
それだけはかろうじて分かる。木暮の顔を見る。ダウンを取られていなくても、このまま終わらされそうな表情に見えた。
「やります! やれます!」
つかさは、言ってから、グローブをギュッギュッと握りしめて見せた。
「……よし、続行」
木暮会長の声を合図に、再び、川内の前に立つ。
つかさは自分の中にいる自分に声をかけた。
練習したことを思い出せ。
いつもの自分を思い出せ。
自分から言い出したことなのに、相手を恐れて、縮こまったボクシングをしてどうする。
格上を相手に他所行きのボクシングをしてどうする。
今の自分の全てをぶつければいい。
精一杯、ぶつければいい。
……お父さんに!
改めて気持ちを奮い立たせたつかさは拳を握りこむ。
今度はつかさが動く。右ストレートと見せかけて左に再度ステップ。そこから左ストレートを打とうとして、慌てて離れる。
反応された――。
川内のまっすぐな眼差しが、つかさを捉える。猛禽の目つきのよう。大空を滑空して獲物を狙うタカのようだ。
わずか1mほどの互いの距離は、あまりにも遠い。しかし、少しでも気を緩めたら、あの重くて速い左が飛んでくるだろう。この距離は、川内の一方的な距離だった。さすがに懐が深い。
トントントン、と小刻みにステップを踏む。フェイントをかけて、小刻みに体を振って、的を絞らせないようにしながら、スキを狙う。しかし、相手ははるかに格上。そうそう容易く踏み込むチャンスなんてくれない。
でも、そんなことは最初から分かっている。
チャンスは自分で作るものだ。
そんなことを考えている間も、攻防は続いている。
川内の左のパンチは、確かに速いけれどつかさには見えていた。いや、自分の身長の低さがこのことに関しては有利に働いていることに気付いていた。普段よりも低く打たなければならないせいか、左を撃つ瞬間に、ナックルが微かにぶれるのだ。最初はストッピングがやっとだったが、ヘッドスリップで紙一重のところでかわせるようになってきた。
次で、入る!
左の真っすぐのパンチを腰を捻り、ダッキングと同時に踏み込む。左腕の外側。この状態から何も打てない。そのボディを狙っての渾身の右のアッパー――。
とっさに、打とうとしたパンチを止めて両腕を顔面のガードに持って行ったのは、反射神経より早く体が動いた、動物的な本能に近いものだった。
ガードの上から固いものががぶつかり、つかさの体が一瞬持ち上がったのと、ゴングが鳴ったのは同時だった。
* * *
ゴングを鳴らしたサトルは、ストップウォッチを押し直して、赤コーナーに駆け寄る。
椅子を出して座らせようとしたが、つかさは「立ったままで大丈夫です」と断り、立ったままでコーナーに背を預け息を整える。つかさの口からマウスピースを預かり、用意したバケツの中にペットボトルの水で洗い流す。それから彼女の口に水を含ませ、バケツに吐き出させる。
「最後……何が飛んできました」
「右のショートアッパーだ」
つかさの質問に、サトルは答える。答えながら気づいていた。あのパンチはサトルが相手だったら多分撃たなかっただろう。
「信じられない。あの位置からなら、力のあるパンチなんて……」
「打てなかったよ」
サトルはつかさの両肩に手を置いた。
「前足を軸に体を回しながら、後ろ足が上がった状態で、腰も入っていない、体重の移動もできていない、ただ腕を振っただけだ。吹き飛ばされたのは君が小さくて軽かっただけで、君のボクシングが通用していないわけじゃない」
そう言いながら、始まる前にキリカと話したことを思い出す。川内をムキにさせたらつかさの勝ち。それがどれだけの難関か、改めて思い知らされた。
サトルは何かアドバイスを探したが、川内のスキらしきものが見当たらなかった。何と言葉をかけていいのかわからない。彼女のボクシングは通用しているが、川内の力半分にようやくついていけているだけ。
「今のままでいい。的を絞らせないようにして、一発叩きこんで来い」
結局出たのは、そんな中身のない言葉。その言葉に、つかさは小さく頷きを返した。
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