ボックスアウト~リングサイドより愛をこめて~

弐式

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4章

思いっきりぶつかって、思いっきり受け止められて【5】

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 地下のひんやりとした空気に、空調が効きすぎかな、とサトルは思った。あまり頻繁に使うわけではない部屋のせいか、空調の稼働は絶好調である。それなのに、なぜだろう。この額を伝う汗は。

 空気は涼しいのに、自分の熱のせいか酷く熱く感じる。気のせいか、リングの上で何かが渦巻いているような気がする。

 変なことを考えるなよ。この汗は自分が緊張しているせいだ、とサトルが額の汗を拭ったとき、

「間に合った? まだ始まってない?」

 と、息を切らせたキリカが駆け込んできて、サトルの横に立った。キリカの掌の中にはデジタルビデオカメラが握られていた。

「遅かったですね。見つからなかったんですか?」

「吉野さんが、事務所の方に持って上がってた。何とか、見つかってよかったよ」

 言いながら、カメラを構えるキリカは、リングの上の2人の撮影を開始した。リングの上に目を戻すと、川内の方はキリカに気付いたらしく、目線を一瞬サトルたちの方に向けるが、つかさはまるで気付いていないようで、ただ真正面を見据えていた。

「何をやってんだよ」

 サトルとキリカの真後ろから、舌打ちまじりの幸治の声が聞こえたが、これは無視した。

     *     *     *

 リングでは、形式的にグローブ、ヘッドギア、マウスピースのチェックをレフェリー役の木暮会長が行い、それから中央で互いのグローブを合わさせる。つかさがつけた白い12オンスのグローブと、川内のつけた黒い16オンスのグローブの、ナックルの部分が互いに押し付けられ、離れる。

 川内のつけているヘッドギアは青い試合用。互いに、つけているヘッドギアと同じ色のコーナーに向かった。

 プロでは赤いコーナーはランキング上位と決まっている。プロのランキングとはチャンピオンのベルトに挑戦する優先順位であって厳密な意味での実力順ではない。しかし、それでもやはり強い者がランキングの上位にいるわけだから、ランキングが上の者が勝つことが多い。

 オリンピックなどアマチュアボクシングの場合は、赤コーナー・青コーナーの振り分けはランダムだが、不思議なことに赤コーナーの方が勝率が高いという調査結果もあるという。ボクシングにとって赤は勝利の色なのである。

「……今日ばかりは、ジンクスも当てにならないな」

 サトルは言いながら、ゴングに木槌を当てる。殺風景な地下練習場にカーンッとゴングの鐘が鳴り響く。同時にサトルはストップウォッチのスタートボタンを押した。隣では、デジタルビデオカメラを構えるキリカ。

 2人とも中央に歩み寄る。

 その時、川内がぐっと左腕を伸ばした。ジャブではなく、ただ伸ばしただけ。つかさも左拳に左拳をチョンと当てる。

 それを見たキリカが呟いたのが聞こえた。

「今のは、挨拶?」

「いえ……多分、左の距離を見せたんです」

 そして川内がすっと拳を引いて構える。川内の構えは、やや低めだ。右拳は顎よりも少し低く鎖骨くらいの高さにある。左拳は胸のあたりの高さで少し突き出している。やや独特の構えだが、左が少し低い分、体格が同等だと、ジャブが下から飛んでくるように見える。

 しかし、つかさくらいの体格だと、ほぼ正面から飛んでくるように見えるだろう。

 ……それが吉と出るのか、凶と出るのか。

 ヒュンッ!

 サトルには空を切る音が聞こえたような気がした。まっすぐに鋭いジャブがつかさのガードに当たる。つかさが一歩後ろに下がった。パワーを吸収しきれずに吹っ飛ばされたのだ。

「ちゃんとストッピングしたのに……」

 カメラを構えたままでキリカが呟く。

「……元から体格が違ううえに、川内さんのリーチは同じ185㎝の男と比べても長い……。そんだけ筋肉の量も多い……」

 サトルも解説を返す。

「でも、パワーの違いは想定内。距離も想定内。……ちゃんとストッピングもできたし。パンチは見えてる!」

 と言っている間に、再びジャブ。今度は全く同じ軌道で、左の真っすぐが2発。同じように掌で受けたつかさは、再び後退した。つかさの背中にはいつの間にかロープが迫っている。

 ……ジャブ3発で追い詰められた。

 サトルは思わずストップウォッチに目をやった。まだ30秒と経っていない。サトルが目を話したのはほんの1秒にも満たない僅かな時間。

 隣のキリカが息をのむ音が聞こえ、慌てて顔を上げると、つかさが膝をついていた。ダメージ自体はそんなにないようで、木暮会長はダウンの宣告はしなかった。つかさは素早く立ち上がってガードを上げてファイティングポーズをとる。

「大丈夫。ただのスリップ」

「何が……あった?」

「川内さんがストレートを打って、つかさちゃんがスウェーしてかわしたところに、ボディ……。肘でガードしたけれどガードごと弾き飛ばされた」

「地に足が付きすぎだ。あいつの一番の武器はスピードなのに」

 サトルは普段はキリカに対して敬語で話していることも忘れて、素のままで話していた。そんなことには全く気付かず、そのまま、声を上げる。

「いつものボクシングをしろ! スピードでかき回せ! 一緒に練習したことを忘れるな!」

 それから、もう一つ声を張り上げた。

「頑張れ!」
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