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4章
思いっきりぶつかって、思いっきり受け止められて【3】
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サトルの視線に気づき、由美子が後ろの男を紹介した。
「こっちは、弟の幸治です」
「初めまして。今日は――」
サトルはそう言いながら手を差し出す。由美子の弟なら30歳前後くらいということになる。背はサトルより少し低いくらい。つかさの叔父ということになるが、由美子ともつかさともあまり似ていない、と思った。
客商売をしている人間が第一印象で人を判断するのはよくないが、この男のことは好きになれそうにない、と感じた。酷く悪い目つきをしているし、その痩せぎすな顔や眉間に寄せられた皺から――いや、体全体から負のオーラが放たれているように感じる男だった。
サトルは差し出した手を無視され――いや手を握り返されなかった代わりに、サトルに向けられた視線があからさまに敵意を含んだものに変わったことで、第一印象は確信に変わった。
向こうからしてみれば、喧嘩を売るつもりで最初から来ていたのかもしれない。
「アイツとスパーなんかすると聞いて止めに来たんだ」
挨拶もなく、幸治は言い放った。
「幸治!! よしなさい」
強い口調でたしなめる由美子を無視して、幸治は言葉を続ける。
「スパーってのは直接パンチを当てるんだろ。男と女じゃ力が全然違うだろ? ましてや、あんな奴とだなんて、危なすぎる」
「大丈夫だと思いますよ」
攻撃的な口調だったが、サトルは気にしなかった。受け流したわけではなく、他に気にすることがありすぎて、他人の悪意を気にしている余裕がなかっただけだった。早く地下に降りたいのに面倒くさい、と思いつつ、
「ちゃんと節度を持ってやりますし、危なそうだったらすぐに止めますから」
と答えた。
「どうだか……」
「幸治!!」
なおも喧嘩腰で言葉を続けようとした幸治に、由美子が声を荒らげたことで、ようやく幸児は口をつぐんだ。
「……玄関先で立ち話もなんですので、中でどうぞ……スパーは地下でやりますから」
そう言って、2人分のスリッパを出して、外履きを下駄箱に入れるように促す。
そこに2階からキリカが小走りに降りてきた。
「高野さんは来た?」
「さっき、来ました。今、更衣室にいるはずです」
「了解。デジタルビデオカメラ何処だっけ?」
「確か……」
サトルが先日使った場所を思い出し、「テレビの所にあるはずだよ」と返すと、キリカは「ありがとう」と了解の意を示した。それから由美子と幸治の方に目をやったキリカに、
「こちらは……と、ご見学ですか?」
と尋ねられたので、
「高野さんのお母さんと、叔父さんです」
とりあえず紹介する。
「え……と、ご見学ですね」
そんな、なんとなくかみ合わないやり取りの後、サトルが2人を連れて地下のリングへと連れて行った。
* * *
サトルが地下室に降りて灯りをつけると、すぐに黒いTシャツにハーフパンツ姿といういつもの練習着に着替えたつかさが入ってきた。入ってくると、周りなど目に入らないかのように、すぐに屈伸したり腕を回したりと準備運動を始めた。
集中力を乱させないようにと、サトルは何も声をかけなかったし、何かを口にしかけた幸治を押しとどめた。由美子は何も言わなかった。つかさの表情から、声をかけてはいけないと気付いたのだろう。
それから時を置かずして、川内と木暮会長が並んで入ってきた。川内もトレーナーに着替えて大きく伸びをしたりしながらだった。レフェリー役と言っていた木暮会長は、白いワイシャツに蝶ネクタイなどしている。
「待た――」
声をかけかけようとした川内が、地下室のピリピリとした空気に気付いたか口をつぐんだ。しかし、そんな空気を壊したのは他ならぬつかさだった。川内の所に駆け寄ったつかさは、「今日はよろしくお願いします」と大きな声で頭を下げた。
「おお……頑張ってな」
サトルは川内がつかさに声をかけ、つかさが準備運動を再開するのを、壁に背を預けて見ていた。スパーリングでのサトルの役割は、タイムキーパーとゴング係。それに、セコンド役。もともと、セコンド役は鈴木コーチがやることになっていたが、別件で上で待機していなくてはならなくったので、サトルに回ってきた大役である。自分の手の中のストップウォッチを見る。カチカチと、スタートストップを何度も繰り返した。
そんなサトルが、ふと顔を上げると、川内が手招きしているのが見え、音を立てないように近づいた。
小声で、「どうして?」と尋ねられたサトルは、「……すいません。僕が、今日のスパーのことを話しました」と答えた。
「じゃなくて……あの2人と高野さん、どういう関係なんだ?」
「ご存じなかったんですか?」
サトルは声を潜めることは忘れなかったが、驚いた声を上げた。
「あちらは、つかさちゃんのお母さんです」
「何?」
川内も声を潜めてはいたが驚きは隠せていなかった。目を細めて、「そうか。あの時の」と言う川内に、
「高野さんのお母さんが、16歳の時に出産されていたこと、一応ご存じだったんですね」
「知ったのは、7年くらい前だ。俺は中学を卒業したら東京に出たし、それ以来ほとんど地元には帰らなかったし、会っていなかったからな。こっちの昔の知り合いとも連絡とっていないし。それどころか……」
といいかけた言葉を途中で切って、肩をすくめてみせた。
「いや、何でもない。じゃ、タイムキーパー、よろしく頼んだぞ。後、高野さんのヘッドギアとグローブをつけるのを手伝ってやれ」
そう言った川内が挨拶でもするのか、由美子と幸児の方に行ったのを無言で見送る。この反応を見ると、つかさの父親が川内ではないという由美子の話は間違いなさそうだった。
それを見ているとなんだか複雑に感じる。
「こっちは、弟の幸治です」
「初めまして。今日は――」
サトルはそう言いながら手を差し出す。由美子の弟なら30歳前後くらいということになる。背はサトルより少し低いくらい。つかさの叔父ということになるが、由美子ともつかさともあまり似ていない、と思った。
客商売をしている人間が第一印象で人を判断するのはよくないが、この男のことは好きになれそうにない、と感じた。酷く悪い目つきをしているし、その痩せぎすな顔や眉間に寄せられた皺から――いや、体全体から負のオーラが放たれているように感じる男だった。
サトルは差し出した手を無視され――いや手を握り返されなかった代わりに、サトルに向けられた視線があからさまに敵意を含んだものに変わったことで、第一印象は確信に変わった。
向こうからしてみれば、喧嘩を売るつもりで最初から来ていたのかもしれない。
「アイツとスパーなんかすると聞いて止めに来たんだ」
挨拶もなく、幸治は言い放った。
「幸治!! よしなさい」
強い口調でたしなめる由美子を無視して、幸治は言葉を続ける。
「スパーってのは直接パンチを当てるんだろ。男と女じゃ力が全然違うだろ? ましてや、あんな奴とだなんて、危なすぎる」
「大丈夫だと思いますよ」
攻撃的な口調だったが、サトルは気にしなかった。受け流したわけではなく、他に気にすることがありすぎて、他人の悪意を気にしている余裕がなかっただけだった。早く地下に降りたいのに面倒くさい、と思いつつ、
「ちゃんと節度を持ってやりますし、危なそうだったらすぐに止めますから」
と答えた。
「どうだか……」
「幸治!!」
なおも喧嘩腰で言葉を続けようとした幸治に、由美子が声を荒らげたことで、ようやく幸児は口をつぐんだ。
「……玄関先で立ち話もなんですので、中でどうぞ……スパーは地下でやりますから」
そう言って、2人分のスリッパを出して、外履きを下駄箱に入れるように促す。
そこに2階からキリカが小走りに降りてきた。
「高野さんは来た?」
「さっき、来ました。今、更衣室にいるはずです」
「了解。デジタルビデオカメラ何処だっけ?」
「確か……」
サトルが先日使った場所を思い出し、「テレビの所にあるはずだよ」と返すと、キリカは「ありがとう」と了解の意を示した。それから由美子と幸治の方に目をやったキリカに、
「こちらは……と、ご見学ですか?」
と尋ねられたので、
「高野さんのお母さんと、叔父さんです」
とりあえず紹介する。
「え……と、ご見学ですね」
そんな、なんとなくかみ合わないやり取りの後、サトルが2人を連れて地下のリングへと連れて行った。
* * *
サトルが地下室に降りて灯りをつけると、すぐに黒いTシャツにハーフパンツ姿といういつもの練習着に着替えたつかさが入ってきた。入ってくると、周りなど目に入らないかのように、すぐに屈伸したり腕を回したりと準備運動を始めた。
集中力を乱させないようにと、サトルは何も声をかけなかったし、何かを口にしかけた幸治を押しとどめた。由美子は何も言わなかった。つかさの表情から、声をかけてはいけないと気付いたのだろう。
それから時を置かずして、川内と木暮会長が並んで入ってきた。川内もトレーナーに着替えて大きく伸びをしたりしながらだった。レフェリー役と言っていた木暮会長は、白いワイシャツに蝶ネクタイなどしている。
「待た――」
声をかけかけようとした川内が、地下室のピリピリとした空気に気付いたか口をつぐんだ。しかし、そんな空気を壊したのは他ならぬつかさだった。川内の所に駆け寄ったつかさは、「今日はよろしくお願いします」と大きな声で頭を下げた。
「おお……頑張ってな」
サトルは川内がつかさに声をかけ、つかさが準備運動を再開するのを、壁に背を預けて見ていた。スパーリングでのサトルの役割は、タイムキーパーとゴング係。それに、セコンド役。もともと、セコンド役は鈴木コーチがやることになっていたが、別件で上で待機していなくてはならなくったので、サトルに回ってきた大役である。自分の手の中のストップウォッチを見る。カチカチと、スタートストップを何度も繰り返した。
そんなサトルが、ふと顔を上げると、川内が手招きしているのが見え、音を立てないように近づいた。
小声で、「どうして?」と尋ねられたサトルは、「……すいません。僕が、今日のスパーのことを話しました」と答えた。
「じゃなくて……あの2人と高野さん、どういう関係なんだ?」
「ご存じなかったんですか?」
サトルは声を潜めることは忘れなかったが、驚いた声を上げた。
「あちらは、つかさちゃんのお母さんです」
「何?」
川内も声を潜めてはいたが驚きは隠せていなかった。目を細めて、「そうか。あの時の」と言う川内に、
「高野さんのお母さんが、16歳の時に出産されていたこと、一応ご存じだったんですね」
「知ったのは、7年くらい前だ。俺は中学を卒業したら東京に出たし、それ以来ほとんど地元には帰らなかったし、会っていなかったからな。こっちの昔の知り合いとも連絡とっていないし。それどころか……」
といいかけた言葉を途中で切って、肩をすくめてみせた。
「いや、何でもない。じゃ、タイムキーパー、よろしく頼んだぞ。後、高野さんのヘッドギアとグローブをつけるのを手伝ってやれ」
そう言った川内が挨拶でもするのか、由美子と幸児の方に行ったのを無言で見送る。この反応を見ると、つかさの父親が川内ではないという由美子の話は間違いなさそうだった。
それを見ているとなんだか複雑に感じる。
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