ボックスアウト~リングサイドより愛をこめて~

弐式

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4章

思いっきりぶつかって、思いっきり受け止められて【1】

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「……やっと、今日が来たね」

 サトルが2階のスタッフルームの炊事場で、コーヒーを入れていると、キリカが声をかけてきた。彼女は、「手伝うよ」と言うと、横に立ち、サトルが並べたコーヒーカップにインスタントコーヒーの粉をスプーンでよそってぱっと入れた。

 サトルがそれに電気ポットの湯を注ぐ。

「君らはそんなに早く来なくてよかったんだぞ」

 スタッフルームのソファに腰かけた川内が声をかけてきた。時間は13時30分。まだ、つかさは来ていない。日曜のジムが始まる時間も15時からだから、出勤時間には結構早い。今日の2階のスタッフルームのシフト表には、スタッフとしてサトルとキリカ、それからトレーナーの鈴木の名前に出勤の札がかかっている。スパーリングが終わったら、そのまま勤務である。

「やだなぁ。スパーリング見物に決まっているじゃないですか」

「見物って言っちゃったよ」

 思わず、笑って言ったキリカに突っ込んでしまったサトル。

 それにしても、スパーリングの約束がある川内はもちろん、事務員の吉野由香里は土曜日曜と祝日はきっかり休む人なのになぜか顔を出しているし、それに……。

「ところで、何で会長も来ているの?」

 サトルが用意した盆の上に、サトルの分と自分自身の分を除いた4つのコーヒーカップを乗せながらキリカが尋ねてきた。今日は珍しく、6人のスタッフ全員が集まっている。

「レフェリーだって」

 クリープ入れと角砂糖入れを手に取りながらサトルが答える。

「ああ……なるほど。でも何で、会長が、今日のスパーリングのことを知っているの?」

「多分、川内コーチが伝えたんだと思うけれど。さすがに、練習生とスパーやるのに会長に一言もなしじゃ、まずいだろうし」

「……確かに」

 盆を持ったキリカは炊事場から、4人がソファに腰掛けて囲んで談笑しているガラステーブルに、コーヒーカップとクリープと角砂糖入れを置くと、そそくさともう一度炊事場に戻り、自分の分のコーヒーカップを手に取った。
 サトルはクリープと角砂糖を2つずつ入れて、その様子を眺めている。

「今日のスパーどうなると思う?」

「どうって?」

 キリカのささやくような問いに、サトルも声を潜めて問いで返す。

「どうって聞き返されると困るけれど、さ」

「どうにもならないですよ。技術も体格も筋肉量も違いすぎるし。何より、川内コーチは……今日のスパーに対して、女子高生のただの興味本位くらいにしか思っていないですからね。適当にあしらわれて終わりでしょう」

 一旦言葉を区切ったサトルは、やけに甘ったるくなったコーヒーを口に入れて、

「……もしも、少しくらい川内コーチをムキにさせることができたなら、それで高野さんの勝ちですよ」

 サトルはそう言うと、コーヒーを飲みほした。

「ムキにさせらることが出来たら、か。それでも結構ハードル高いね」

 キリカはしみじみと言うが、結構どころの話ではない。力量の差は歴然。まともにやったら拳が触れることさえ難しいくらいに力の差がある。

「せめて、全力を出し尽くせたなら、高野さんも満足はできるでしょう」

「何気にハードルを下げてない?」

 サトルは苦笑する。勝利条件は何なのか。どうすれば満足できるのか。どうすれば納得できるのか。それを決めることが出来るのはつかさだけだ。

「サトルは、つかさちゃんが今日のスパーを希望したのか、その理由は知っているの?」

「本人からは、ちゃんとしたことは聞いていないですけれど、多少の見当は……」

「そう……。だったら、今日はしっかりと応援してあげないとね」

「だから、俺は……」

 言いかけたサトルは言葉を止めて、「俺、ちょっと下に行きます」と言って、流し場にカップを置いた。洗おうと蛇口から水を流したところに、キリカが声をかけてきた。

「カップは流しに置いておいて。洗っておくから」

「……そうですか? じゃ、お願いします」

 サトルはそのまま水道の蛇口のレバーをしめなおして事務所をでた。

     *     *     *

 1階の練習場に降りた。

 少し前に、今日来ているメンバー総がかりで開店前の準備をしたから、柔らかい床にはしっかりモップをかけられ、鏡にも曇り一つない。

 玄関先の自動ドアのところに行き、つかさの姿を探すが、彼女の姿はまだなかった。かがみこみ、ドアの下の鍵を回して開ける。この後、電源を入れれば自動扉が開くようになるが、電源を入れるのは開店5分前と決めていた。なので、つかさが来たら誰かが手で開くか、つかさに自分で開いてもらうことになる。

 練習用の大鏡の前で自分の顔を見る。表面上はいつもと変わらない顔をしている。でも、心拍数が上がってることは感じる。

「自分が試合するよりも、緊張するものなんだなぁ」

 試合経験のない自分が言っても分からないと、サトルは思った。
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